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三河港造成の原点

  

豊橋のまちづくり提案

 

 生活便利帳1
回顧編目次


                    行政内部からみた市長のまちづくり(豊橋)  ←(クリック)

       

私は、豊橋市で戦後、大野佐長、河合陸郎、青木茂、高橋アキラ、早川勝の5市長に仕え豊橋市は、新たに佐原光一市長を迎えた

市長の考えは、三者三様、六者六様で「まちづくり」に励む。戦災復興そして豊橋産業文化大博覧会の開催駅前大通の闇市を牟呂用水上へ大豊ビル(水上ビル)を建設し都心部に商店街と大規模公営住宅の実現駅前大通に高層の開発ビルを建設し総合開発機構(現 臨海部)を通し企業誘致
隣接地に一時バスターミナルも整備し活用。三河港の造成要港湾指定、国際自動車戦略港湾、三河港コンテナターミナル、港則法上の特定港湾指定、施設設置で海外貿易拡大に対応、外資系企業誘致、臨海部に工業団地造成。卸団地や流通センターの整備。三河港海上インターチェンジと国道23号豊橋バイパスの有機的な結合。
高度成長期前の工場誘致に関わる80億円の攻防ユニチカを巡る63億円(2016年)の攻防昭和35年(1960年)の青木構想 豊橋駅貨物操車跡地の活用とその後の税収など1 豊橋市首都圏活動センター

大野佐長氏は、戦前千種署長として名古屋の北王英一動物園長とも係わりも深く、戦後北王英一動物園長は象列車で名を馳せた。戦争で廃園となった豊橋の向山動物園を豊橋産業文化大博覧会場跡地の豊橋公園への動物園再現。市長は代わり二川の子供自然公園への移設、更に豊橋総合動植物公園。園内には、別途豊橋市自然史博物館が立地し一体的に公開されており、ユニークさは日本でも注目されている。グリーンスポーツセンター各種公園の建設

市町村合併等
豊橋市の市町村合併(昭和1955年大野佐長市長)
百万都市構想(1960年)青木茂助役東三河二段階合併論(早川勝市長)(検証編)
東三河広域連合2015(佐原光一市長) 
キーポイントは、豊臣秀吉時代の池田輝政の三河吉田藩領(豊橋市・田原市と湖西市の交流

国立豊橋技術科学大誘致愛知大学の更なる活用が今後の豊橋市発展の動向を左右する。豊橋創造大学の発展も忘れてはならない。市民を地元に根付かせるためには、新たな大学誘致が豊橋発展の鍵を握る

豊橋駅は地下街を含め東西を結ぶ橋上駅化ペデストリアンデッキ建設総合的なバスターミナル整備、地域コミニティバスも運行。
二川駅橋上駅化完成で南北通路(自転車はエレベータで通れる)
整備。二川駅には豊鉄バスの他、地域コミニティバスの運行。

豊橋駅東側の操車場跡地を再開発で渥美線を豊橋駅構内に移設。穂の国とよはし芸術劇場の建設西川芸能練習場の不審火による一部消失を再建運営。

愛知海道構想から名豊道路、国道23号豊橋バイパス、同豊橋東バイパスとして自動車専用道路の供用開始

豊橋市地下資源館や視聴覚教育センターの建設開館葦毛湿原の保全石巻山と石巻自然科学資料館の整備、戦争で廃園になった向山動物園跡地を一時自動車教習所に貸していたが時代の進展に伴い豊橋市交通児童館にする。

新「豊橋市民病院」の建設運営同準看護学院の運営 看護専門学校休日夜間緊急センター豊橋市医師会との連携国立病院機構 豊橋医療センター

成田記念病院
との連携。  中堅病院のグループ化等の促進無臭無煙の斎場建設

豊橋保健所を愛知県から引き継ぐ吉田城鉄櫓の復元、美術博物館の建設や二川宿本陣史料館の復元整備、三の丸会館の建設 豊橋交響楽団

市立保育園小学校中学校市立高等学校同家政専修学校の建設、そして幼稚園・保育園(こども園)県・私立中・高等学校各種専門学校

豊橋市中央図書館の建設向山図書館・配本センターを核とした地区市民館・校区市民館などへのローリング配本と貸し出し、 大清水(電子コーナー)図書

館の建設運営
、更にまち中図書館の建設と高層住宅を市街地への建設と市民の都心回帰構想など。

豊橋市民文化会館の建設。「こども未来館ここにこ」建設、市内各地へ老人福祉センターの整備、特別養護老ホームの運営、障害者施設の建設運営。

上下水道局や上下水道網の整備運営下水道処理場での電力創出化などに取り組んでいる。悲願の豊川用水の通水や万場調整池の維持で水不足の解消や
農地への配水で農業の一大産地化、また各農協とは格別係わりが深い。工業用水の給水も忘れてはならない。設楽ダムも然りである。

消防本部、中消防署、南消防署、分署などの建設整備で防災や消火・救命救急、消防団との連携等で市民財産・人命救助など幅広い活躍  消防音楽隊

東三河環状線外郭線などの都市計画道路や市民の生活道路の建設整備。河川関係では市民生活の快適性の確保や環境の保全、水害防止。

臨海部には、教育会館の他、市内一円に総合運動公園や野球場やプール、アイススケート、屋内プールなどの整備運営リーフ砂浜豊橋

豊橋市公会堂や各種ホールの建設運営、アイプラザ豊橋(愛知県閉鎖)の運営豊橋競輪や過っての5市競馬組合の運営。

土地区画整理事業都心部の再開発事業で商業施設を兼ねた高層住宅建設などで住民の都心回帰に対処。

高層の豊橋市役所の建設や窓口センターとのネットワーク化市民生活に係わりの深い各種ゴミの分別収集健康診断や介護施設との連携等々、

更に東三河広域連合構想の実現等々で農業の近代化、ユーレックス計画リスパ豊橋の運営、工業の高度化、商工会議所や金融機関等との連携。

交通機関は民間に任せよ、市が行えば将来必ず赤字なると言っていた青木茂助役。現在、高齢者や身障者等にタクシー、バス、地域コミニュティバス、市内電車、渥美線使用に対して助成制度を設けている。

「まちづくり」の空間整備はロマン溢れる施策で満ち溢れている。

青木茂氏(助役、後の市長)、高橋アキラ氏、早川勝氏は、いずれも代議氏士や参議院議員となるより市長を選んでいる。

田中角栄 (早坂茂三)(小長啓一) 日本列島改造論      ※2 新産業都市指定に向う当時の「豊橋市東京事務所」(市ヶ谷寮)(空航写真

豊橋の「まちづくり」提案の全国的な評価、位置      ※ 元豊橋技術科学大学図書館長(前副学長)横尾義貫著「東三河の戦国時代」 


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私は、区画整理課時代に「都市空間の整備の方向(豊橋のまちづくり」という題を与えられ提案書を書くこととなった。当時としては初めて聞く言葉であったが文献を読んでいくうちに、これは素晴らしい新たな気心で!これこそ滅多に与えられる題ではないと思い、人一倍勉強し書きあげた。

「まちづくり」は豊橋市にとっても最重要施策の一つだと今でも思っている。都市空間の整備の方向(豊橋のまちづくり)執筆後、僅か2か月半後に区画整理課管理係長から議事課長補佐に大抜擢。、それも次期市長に変わるや左遷されドサマワリにされてしまった。だが、各市長さんとも私の提案内容を大なり小なり採り入れている。

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