1962年〜1963年頃。
新産業都市や工業整備特別地域指定にあたり多くの方が豊橋に来られ「
岩屋緑地」の頂上から遠州灘方面を展望された時、「
東海道の真ん中に北海道がある!」と言われたそうです。
※遠州灘方面は、岩屋緑地展望写真の左側部分先です。
東三河の黎明期とも言わるこの時代の日本列島改造。
経済軸が、欧米からアジアにシフトされつつある現在、「表日本・裏日本の表現」は見直す時期にきていると思います。歴史は列島改造をどう評価するでしょうか?
伊勢湾大橋は、その頃の象徴的な存在でした。
火力発電所が豊橋でなく渥美半島先端部建設となったのは、送電技術の向上と当時の環境面からと思われます。
またコンビナート中核工場の広島県進出は、財政的には潤わないが公害に遭わなくてすむと思った。
ここで豊橋の歴史…、
豊橋は、江戸時代「吉田」と呼ばれ
吉田藩の領地は今の愛知県東三河全域と静岡県新居町以西の広範囲であったようです。
関が原の合戦時の吉田城主は
池田輝政。輝政は関が原の功績により
姫路城主へ。