回顧目次
 巻き返し編
(次々巡る試練)
1986年1 年
2011.6.6UP
議会事務局議事課長補佐を3年務めあげ課長昇進年に市民文化課(図書館・配本センター・地区市民館・校区市民館の図書コーナー、文化会館、駅前文化ホール、美術博物館(二川宿本陣資料館…独立)・民俗資料センター)の課長補佐に横滑り人事。総括補佐として係長兼務は付かなかったものの、殆ど毎日全施設と連絡を取らなくてはならず忙しい日々が続いた。(青木前市長には美術博物館でよく出会った。)
市民文化課時代には、殆どの議員が陣中見舞いとして中央図書館に来られた。(中央図書館は前年に青木市長が建設した施設。総括部署で課長兼図書館長は殆ど来ず私が各施設との連絡調整に当たった。)
そして、次期市長に対しては、議員や報道関係者から「もうこれくらいにしてはどうか」と言う意見もあったと聞く。
そして、その3年後の市長戦改選後、次期市長は何を恐れたのか。私を保育園長に追い飛ばした。

思い起こせば、豊橋技科大図書館長、愛大図書館長、と豊橋市図書館の三館連携など念のため決済を受けたが大手新聞社に決済が漏れ、支
局長にに呼び出されキツイ抗議を受けるなど、私の功績が次々出たのも癪に障ったのではないか思われる。
青木学校の優等生からは、これには「何かがある。仕組まれている。」と告げられた。
もはや次期市長には、恐れる者は誰もいなかった。
保育園では、若い若いと歓迎された。
そして、各園では主任保母が作成する「保育園だより」を私が作成することになった。それに給食食材費関係業務。職員会議の開催と連動する時間手当等の職員組合との調整、保育園畑の草取り、毎週の園児に対するお話や月1回の防災訓練、定例的に開催の父母会関係や廃品回収、公開保育、七夕会、運動会やお遊戯会、クリスマス会、春・秋の遠足、避難訓練、保育料の徴収〜園服の販売、卒園証書の作成、そして園長先生の保育参加。これが凄い人気で保母先生から出入り禁止を要求される。給食中にふざけて目を突いた(2件)!眼科医院だ!と連絡し昼休みでも診察してもらう。眼球は大丈夫か? 園児が元気良すぎで自動車のフロントガラスを割った!数次にわたる修理費の交渉!給食費を持ってこない園児の扱い協議!冬場のはだかマラソン、そして園児募集の看板作り等々。
保育園長職を順調にこなしたが、これを指して次期市長に気に入られない者は「あのようになるのだ」と公然と言われていることを耳にする。
これ以上、いくら求められても保育園に席を置く事は出来ない。

脱出だ!異動を申し出るが、そこに待ち構えていたものは収納率最低で、しかも局内の意見対立と監査の指摘など三つ巴で揉めていた水道局料
金課であった。
何とかせんといかん! 後の宮崎県知事の「どげんかせんといかん!」 誰でも思う事は同じだ。
分析の後思い立ったのが国内最高組織の助言。それは首都東京都訪問だ!
役所としては格違い東京都庁の門をたたき教示頂き、収納率のV字回復を成し遂げた私に対し次期市長は認めざるを得なかった

市長が会いたがっていると言う事で、異動半年前位から10人位を集めて毎月市長室で開かれた合同のヒヤリングに呼ばれた。
次は自然史博物館への異動でる。以前部下であった者をことごとく上司に据え嫌がらせが続けられた。
ある時、監査や議会で答弁に詰まると助け舟を出すのであるが、それを「恥をかかした」と言うのである。
他の職員がいないところで、そんなこと言うなら「今後一切助け舟は出さんぞ!それでも良いのか!」と語気を強めて窘めたものである。
執ような嫌がらせの根幹は、どこに有るのかと考え始めた。

思い当たることは、次期市長が県議時代豊橋市の都市計画関係で県組織を使い圧力をかけてきたが曲げなかったこと。
水道局でも、圧力をかけてきたが市民・企業が決まりを守っている限りその圧力には屈しかかったこと。
次期市長の遠回り指示に対し道理が通らないと断ったのは、豊橋市役所職員「助役以下」で多分私一人だけではなかったかと思う。
お陰で「豊橋商工会議所会頭」までされた方の企業関係者からあくまで話し合いを続けた私への賛辞を聞いた。
中国との取引が多いとご家族から聞いていたが世間は狭いもので中国語を教えていると言う人からも聞いた。
自然史博物館異動後「水道局の管理職職員」は、ついに停水したぞとわざわざ自然史博物館まで来て自慢気に話した。
自然史博物館でも、業者の無理強いに対しては拒否し続けていた私のいない所で話しを進めたようである。
そして
特に忘れないのはロシアのマンモス展開催の際、次期市長の随行者からロシアに出張しないのだから、せめて帰国後の報道発表資料を作っておいて欲しいと言う。古生物専攻の学芸員に手伝ってもらい「あたかも市長が行ったような発表用テキスト」を作成し帰国後に渡した。
これって、司忠東京都名誉都民葬の弔辞と全く同じ考えではないかと思ったが出来ないことはないので作成した。
そして、開催は別のトラブルにより次期市長は市長職を辞職することになり、開催前後のセレモニーには出席出来なかった。

そのXディは、1週間前ほどに某議員から聞かされた。以外と疎外されていると思っていても心をかけてくれた議員は以外といたのである。
次期市長は、ロシアのマンモス展開催のセレモニーには出られなくなる。私が予期していたことが当たった。
私の乗った船舶に艦砲射撃が撃たれていると退職校長などに2年前ほどから前から話していたがXデイが到来したのである。
Xデイの当日
すかさず、某特別職(人事権は直接なし)から朝一番で電話がかかり何も言うな「君が全て指示せよ」と言って来た。
ういう事は、区画整理課時代の西野助役(青木学校の優等生)」に言われた、何か起これば課長でなく他係りのことでも君の(平の庶務担当)の責任だ(裏を返せば課長職の権限を行使しても不安材料を消せと言う事である)」に続き2度目である。
ロシアのマンモス展開催中は警察官(グループごと)の出入りが多く、次々来る警察官(グループ)への展示説明は事前にレクチャーを受け全て私が説明することとした。
鑑識課(グループ)の方は、象・マンモス・人間も解剖すれば同じだなと言った。
次期市長については、多くの職員が事情聴取を受けたと聞かされたが、私には何の事情聴取もされなかった。
それにしても、開催1年半前頃から自宅車庫内の車が2度程キー部分が壊され内部が荒らされたり、どうも尾行されているなと感じたりしたので、
テレビドラマの「大石内蔵助」を参考に行動したものである。しかし、ある日、事務室でわざと分かるような声で自宅車庫内での車上荒らしや駐車
中の自動車への悪質な当て逃げなどを警察に届けたと話すと、以後それらはピタリと止まった
。犯人は、一体誰だったなのか?
思えば、議事課長補佐追放以来「もうこれで終わりと思うほど返された免職や自主退職を狙った嫌がらせ」も数十回に及んだが(中には猛犬撃退用の電波発射ガンで後ろから頭部を狙われたこともあり、頭にビビと強い衝撃がを受ける…水道局管理職が個人的に入手したものを自然史博物館管理職に渡したと考えられる)がこんなことを考える者は他にも何かをしており早晩露見すると思い我慢することにする。しかしである。長い間「耳鳴りが酷く」長く続いた。多分妹も耳鳴りに悩んだと思う。これを期に再起不能になってしまった。もう20年を越している。これに加わった者はは全て死去している。
次なるものは、自慢の妹は40才前に看護婦長の話しが有ったが若すぎるので辞退したという。私は何時市政変更が有るかも知れない。勿体ないと言ってきたが、次期市長は恐怖の手を伸ばし始めようとしていた。そして…
…以下省略(「豊橋のまちづくり提案(回顧編)」の最終へ)

ところで、私の方は…、ロシアのマンモス展開催の年に「大ヒット」したものがダイナビジョンシアター。2つ大型企画展の谷間に埋まり経費も期間も大幅カットされたが、恐竜の博物館で上映した大型映像「ロストアニマルズ(太古への旅)」は毎回入場券完売で立ち見席でもよいという声。安全第一の観点から座席数360席のうち320席に制限。すると次回観覧券を入手するため券売機の前は終日ジュジュ繋ぎ。5上映会全て完売。事故の無いよう職員・アルバイトで対応し無事乗越えた。








































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