長女の媒酌人(賀状)  青木尚美
回顧目次
記録のページ 別記2011_1
2011.1.1         江戸時代の道路網に現代技術で下水道が整備された

           豊橋市二川宿本陣資料館前の旧東海道「下水管敷設”推進工法では世界最長記録1,447.6m(管径1m)

        豊橋は日本では、東京、名古屋、京都に続き昭和10年に4番目の都市として、当時は東洋一と言われた野田処理場が完成した。 
        下水道の整備は、平成20〜24年度までを目指し大岩・二川地区159haで工事が進められている。
        この地区は、古い町並みで道路も狭く、朝夕の交通量が多いため推進工法を採用した。
        二川宿本陣資料館前の旧東海道では、1,447.6m(管径1m)と推進工法では世界最長記録を達成した。
        21年度までの下水管の延長は、1,491kmと北海道〜鹿児島県を超えるほどの長さになっている。
        思えば、
        
@ 今から40数年前に二川駅北側(旧東海道一帯)を都市改造型の区画整理事業を市施行による計画に対し猛反対により中止に
           追られた。(図面も出来てお見せて貰ったが残念の一言しか出なかった)

        A 
続いて当時家屋がまばらだった二川中学校一帯がある地区を組合施行による区画整理事業の計画に対してもやはり反対により
           中止。
           この時は市も組合設立準備委員会に費用や事業施行のノウハウも提供したが実らなかった。
        
B 続いて当時「豊橋子供自然公園と総合動植物公園(自然史博物館を含む40f)を含む地域の区画整理事を組合施行で計画され
           た時にも組合設立準備委員会も指導する市も途中で挫折し中止に追込まれた
           
この地区整備は、都市改造型の二川住居密集地区@と、まだ住家がまばらで空き地が多い二川南地区Bを同時施行することで
           
都心部の前田南土地区画(市施行)と、農地が多い岩田第二地区(組合施行)で「市有地を保留地状態に介在させ」土地の等価交換
           手法も可能であったが、そこへ到達する前に反対により終わってしまった副都心になる要素を備えた地区であった
           先行投資として、豊橋総合動植物公園東門東側の水路には、JR二川駅から動植物公園間に立体歩道(ペデストリアンデッキ)建設を
           予定し幅広の橋梁が先行建設されたのを付近住民が話しを聞き「ペデストリアンデッキ」そのものにも反対したようだ。
           しかして、二川地区には江戸時代の道路網を残したまま全体が人口密集地帯になってしまったのである。
        C 平成13〜17年度(2001〜2005年度)のJR二川駅西地区の「火打板川」 2.34fが、初めて組合施行として実施された。

        施行されなかった地区内に
現在ある主な施設 … @AB
        現在の二川小学校、二川南小学校、二川中学校、豊橋市総合動植物公園・同自然史博物館、豊橋市二川宿本陣資料館、二川地区
        市民館、二川及び二川南校区市民館、二川地区体育館、大岩老人福祉センター、豊橋市二川窓口センター、二川郵便局、NTT二川
        中継地などと共にJR二川駅もある。
        戦後多少耕地整理が施行されただけの、江戸時代の曲がりくねった道路状態での下水道敷設である。
        ただ、開発行為でそれなりの整備もなされてはいる。
        小規模な開発行為は、各所で施行され複数の病院やデイケアセンター、ドラッグストア、スーパー、アパートなど集合住宅や戸建て住宅
        などが建ち、従来市街化調整区域であった丘陵地が平坦化整備され曲がりなりにも町の元気化に寄与し発展した。
        新しいバスなども駅南地区を中心に発着することになった。発展しだしたのは「JR二川駅舎の橋上化」以後である。
        
その中で、今回の下水管敷設1,447.6m(管径1m)は、推進工法では世界最長記録達成という。「技術立国・日本」の技か?

        JR二川駅整備による周辺を空から見た画像   
JR二川駅・動植物公園周辺整備   区画整理反対のツケ
        この二川・大岩地区への下水道整備は、上下水道局でも今更ということで異議を唱える者もいた様であるが、隣接の湖西市が土地区
        画整理事業に続き下水道も整備され、梅田川で続く二川地域は湖西市と一帯化しており押し切られるかたちで江戸時代の道路網に下
        水道整備となったようだ。
        (w区画整理反対のツケ回ってきた二川地区住民) 

         ここまで土地区画整理事業を拒んできた旧東海道に面する「二川宿本陣資料館」を含む一帯は、江戸時代の三河吉田藩領(愛
        知県東三河地域と静岡県湖西市地域にある新居関所跡間30数キロbには神社仏閣旅籠古民家などと連動点在しており、江戸時代
        の道路網とはいえ、昨今生活基盤整備は整いつつあり、少資源・リサイクル利用化などを考えれば、江戸時代に学ぶところもありこの
        地域が一大歴史的教育要素を内在していると思う。 (2013.3.19) Google Earth 画像

        
 更に2013年からガス管が敷設され、現在 豊橋市二川宿本陣資料館のある江戸時代の旧東海道筋で工事が行われている。
           消防車も入れない地区にこれほど都市施設が整備され、もう身動き出来ない状態にしてしまった。
           市の施策はこれでよいのか。二川地区の土地区画整理事業反対組織に、こともあろうか市区画整理管理職から加入勧誘を受け
           るなんて当時の豊橋市政の管理体制に疑問を持つ
。 (2013.7.30追加)



2011.1.1 2010.7.30 午前9時頃「河合陸郎・青木茂両市長夫妻」が突然上方前面に現れる。初めての現象である。と書いたが…、
        何だろうと48年前の「当時の手帳」を見てみた。
        すると1962年(昭和37)に青木助役が全国市長会主催40日間欧米都市行政視察団に参加した時の日程である。
        昭和35年に豊橋市の招きに応じた当時、オランダの干拓事業を参考に東海道メガロポリス地帯で工業地帯(アイランド)造成など
        を夢見ていた頃をみると … 昭和37年当時の青木茂助役手帳抜粋)

        1972年(昭和37年)
        7.30 ベルリン、ハンブルグ、
アムステルダム、ハーグ … 
        7.31 
ハーグ        
        8.01 ハーグ、アムステルダム、パリ  視察とある。 

        そしてお孫さんのシュラキウス大学行政学博士課程専攻との関連は…
        青木茂助役(当時)の欧米都市行政視察団前段日程部分

        7.16 米国・バッファロー、シュラキウス
        7.17 シュラキウス
        7.18 シュラキウスワシントン視察などが記載されていた。

        そして青木茂氏の長男尚夫氏は、トピー工業鰍ナ要職を歴任したのち、 豊橋市に帰り技術事務所を設立し
        現アオキテック技術事務所として多方面で活躍。
        青木尚夫氏夫妻
二女 尚美さんからは祖父から海外留学を強く勧められていたとのメールを2009年に頂いた。
        青木尚美さんは、2010年12月30日付けで、米国・シュラキウス大学行政学博士資格を正式に取得できると言う。
        2011年5月には授与式が行われる予定だという。
         その時には、アオキテック技術事務所々長 青木尚夫氏ご夫妻とアメリカ在住のご長女が参席の予定という。
        (愛知県・豊橋市、豊川堂南栄教室/小4〜中3)の記事
         姉の青木美和さんも世界に羽ばたいていた(2012.3.13)

2011.6.2
4 米・マックスウェル大学院のPHDを取得。2011年7月 シンガポール国立大「政治・行政学の教員」として赴任することが決まる。
2013..5..11 リー・クワンユー大学院に移籍し行政学を教えている。 

2011.1.1 世話になった方からの年賀状
       @ 
長女が薬科大学卒業後、同薬科大学同期生と結婚することとなり、相手方父親の関係から昭和薬科大学教授(後学長)
         佐野武弘様ご夫妻のご媒酌により挙式を挙げた。長女夫妻には3人の子供が授かり、その長女は今年高校受験するまで
         成長した。佐野様からは「日々にいまだ知らざることを知り、月々いまだ能くせざることをよくす」を心がけて暮らしている。
         との賀状を頂いた。
       A 家田健吾 豊橋市地下資源館長(京大)、松岡啓二 豊橋市自然史博物館長に、共に地学や古生物学の指導をされた
         糸魚川淳二 名古屋大学名誉教授からは賀状に「昨年お目にかかれてよかったです」のコメントが書かれていた。
       B 私が高校生を引率して韓国訪問旅行をした時、晋州市まで応援にお出でくださった、中野博三さんは豊橋で事業をされて
         いる他、豊橋での社会教育や日韓大学交流活動などに貢献しており、今年もハングル語を交えた賀状を頂いた。
       C 今から30年前に、青木茂豊橋市長とともにまちづくりについて大所高所から手本をみせて頂いた神戸芳郎さん(元国土庁
         審議官・退任して一時豊橋市助役、(財)研究学園都市コミュニティケーブルサービス理事長)からは今年も賀状を頂いた。
         皆さんご高齢になられており、ただただ感謝している次第。
        

2011.1.3 河合弘郎(元豊橋市長・豊橋市名誉市民・故河合陸郎さんの長男)さんからは、小生の古希を記念し50年前の二十歳の
        時に河合陸郎市長さんから頂いた色紙と言われた言葉が人生に間違い起こさなかったとの年賀状に対し丁寧な添え文   
        が入った賀状を頂く

2011.3.27 小澤コントールシステム(祖父の代の実家)(検索)   居ャ澤コントールシステム 小澤智久   小澤(豊橋)