回顧目次
 
  記録目次
 区画整理が都 
  市計画の父
記録のページ 別記編1  (回顧編7)





2005.10.6 (別記
    豊橋情報ひろばで、中国語紹介パンフを持って勉強している72歳の方と話をし清々しさを感じた
    聞けば、ちょっとしたことから「認知障害とか?」になりそうになり、必死で克服した話。
    中国語は濁音がなく、特に若い女性の方の発音は、世界一綺麗でとりこになったとのことです。
    今では、中国語も話し中国の方との交流もされているとのこと。

    係長職勉強会回顧編
    私は勉強と言えば、25年前(1980年)の提案「都市空間の整備の方向」を苦労して書き上げたことを思い出す。
    特に強く感じていることは、25年前には21世紀には人口問題があり、人口の都市集中抑制策が強調されていた。
    2人っ子時代が続いており、男女とも独身者も増えている現状から、地方都市での抑制策の必要性は
    まず来ないと感じた。(※1988年になり、間違いないと強く感じる。第2次ベビーブーム以後の施策から、人口は
    
いつかは減に転じるのは分かっていたはずでは?)
    当時、数年の運用さえすれば早急な校舎建設等はムダになるとも感じた。
    都市人口抑制を余り強く出すと、労働人口が減り現状維持はおろか衰退に転じてしまう。
    (※ 外国人労働者の受入れ … 国内人口減少分かっていたのでは?)
    歴史書にみる都市の誕生・成長・発展・隆盛・停滞・衰退等の変化推移(サイクル)からも分かる。
    提案は、「企業が魅力的と感じる整備」、「人が集まる都市にする施策と整備」に力点を置き…、
    都市間競争に勝抜く街づくりと生活環境面が中心でした。(計画期間は50年〜100年とした。)
    その内容は、新産業都市指定奔走している青木学校の7人の優等生との会話の中でいろいろ教えを頂きました
    それも付け加えておく必要があります。
    書籍も70,000円ほど購入し、昼間は仕事、夜と休日は勉強と執筆の3か月間だった。

    プレイバック
    その始まりは、1980年10月14日 松下龍也都市開発部長が部長室に5課係長5人を呼び各人ごとの提案課題を提示。
    私への課題名は … 「都市空間の整備の方向」
    期間は、1980年(昭和55年)10月15日〜翌1981年(昭和56年)1月15日。
    提出は、その翌1981年(昭和56年)1月16日 松下龍也都市開発部長経由で青木茂市長に提出。
     タイムスケジュール…計画は提出までの3か月間を6区分に分ける
     それは、当初は少し分野が広すぎると感じていたが、従来言われていた「区画整理は都市計画の母」から新都市計法施行後は
     区画整理が都市計画の父になったとの考えから少し勉強して広い視野に立って書こうと考えた。

     @ 最初の半月で主要都市30市に都市計画に関する資料恵贈依頼。
      都市空間関係書籍(都市計画関係、愛知県出身の黒川紀章スイス生まれでフランスで活躍した.ル・コルビュジエ)等の購入。
      既存の戦前戦後「都市計画関係図書」等の整理。
    A 1か月目後半は 豊橋周辺市内各地の状況調査、豊橋市内官公署への資料恵贈願訪問と購入図書を参考に構想づくり準備。 

    B 2か月目上半期 各市より届いた資料と都市空間関係書籍や10年にわたる自書の訟務関係資料約180余綴、豊橋市内官公署
      から頂いた統計資料を年次別にまとめると共に、構想項目別ごとに概要づくり。
     C 2か月目下半期 構想に沿って資料や文献・書籍と照合し構想を本格的に両面罫紙の片面に書き続ける。

    D 3か月目前半 都市計画図(白図7枚)に構想を描き込む。作成諸統計の複写。構想を原稿用紙に転記準備を始める。
      下書き用罫紙を各項目毎に、加除修正し書き直し出来るように片面のみに書いたのは成功だった。
    E 3か月目後半 下書き用罫紙を整理し統計図表等と合わせ原稿用紙に転記する。 正月も帰宅後夜間も書き続けた
    
    提出 
背景が少し長い。これでは読むのに草臥れてしまうと都市開発部長から結論を主に纏めた要約編も必要との指摘される。
        他課の都市計画課長からは、内部提案でも参考文献を書いておく必要があるとアドバイスを受ける。
        提出で完了と思ったが要約編も作成することになりさあ大変!家庭でせがまれていた家族での遠出が要約編書き上げで数日の
        お預け。
        都市開発部で各課用10部(総合編と要約編が欲しいとの要望) … コピーは各課で応援してくれた。


    (古希を迎えた今日書き上げた状況を振り返ると…今から30年余前の39歳代年度の係長職最終時のこと) 
    ※ 当時、松下龍也部長から都市開発部5課全係長の勉強会立ち上げを勧められた。役員選出は中々決まらなかった。
    所属の区画整理課は係長7人を含め課長以下49人で、国庫補助、単独市費事業、直営事業、組合施行事業の指導のほか、失対人夫数
    人、男女アルバイト(事務5人労務1人)、それに5土地区画整理事業審議会(委員数の計65人)と、評価員(会)(専門性があり各事業とも
    5人で同一人)、6〜7の組合土地区画整理事業の指導関係などを抱える一番の大所帯で定年までもたないと言う職員もおり年中テンテコ
    舞いの職場であった。
    勉強会発足当時37歳になっていた。勉強会は会長が代表し、議題・通知は全て幹事長が会長に相談し会長名で行い負担はかけないと説
    明。そして私が幹事長役を引き受けるので会長以下各課選出の幹事を決めて欲しいと言い無事発足した。
    その内容は、主に松下都市開発部長が講義をする松下塾」の様相を見せていた。私は行政不服再審査請求で建設省都市局や愛知県都
    市施設課に毎月通っていたいたので、本省のバリバリからいろいろなことを教示頂く機会も多々あった。
     私のいたその職場は、私が29才で異動したした時には前任者は死去して空席となっており訴訟関係は引継ぎなしで庶務の後輩の方が行っ
    ていた。
    40才で管理職に転出した数年後の13年ほどの間に事務・技術関係で9人ほどの物故者がでるなど異常な状態で他部課からお祓いをして
    はどうかと言われていた状態だった。
    この間、年中「行政不服審査請求や再審査請求」の弁明書作成に当たり人事課からは体を壊してはいけない負けても仕方ないので、夜間
    時間外勤務するなと言われた。仕方なくまず5時にタイムレコーダを打ち、その後職場でヒッソリ弁明書作りを続け自宅に持ち帰った。夜中に
    ふと思いつく事が有るが、その場でメモしないと後思いだすのに数日かかることがあるので、藤村課長と話し会い常に枕元にはメモ用紙とボ
    ールペン置いていた。
    そこで当時の藤村隆課長東愛知新聞社長の藤村圭吾氏の実兄)が区画整理課の事務系係長に一部弁明書作成を割り振ったが、ことごと
    く修正することとなった。108件の審査請求とその7割りが再審査請求をした。
    その弁明書のタイプ浄書をお願いしたが当時の行政課浄書室では、平の私が修正し「各所に容赦なくに訂正した決裁文書」を、タイプ打ちに
    は何の文句も言わず黙々と綺麗にタイプしてくれた。
    お陰で豊橋・浜松の弁護士20数人も関わり前田地区や庁内を騒然させた前田南土地区画整理事業の仮換地指定に関わる騒動は、豊橋市
    の弁明が全て県・国で認められた。
    今でも感謝の気持ちは変わらない。本当にお世話になりました。   (w豊橋のまちづくり提案へつづく)
    (2011.5.1追加)

    1993年(平成5年)に蒲郡へ出かけたとき、私を知って「提案書」の内容を聞かれる。それもド肝をぬくか所(自然史博物館建設となった前段
    階の記載部分である。県議会議員になられた方は、どこで聞いたのか執筆の3年後に「提案書」と購入図書を持って行かれた。
    青木助役は、どうも蒲郡市は市税確保のこともあり自分勝手のことをすると批判的であった。
    提案書は、どう見ても当時の蒲郡市長にも見せたと感じた。蒲郡市でも参考にして頂けたならば幸いに思います。
    東三河は一体だからです。
    三河港のコンテナヤード等の導入、豊橋総合動植物公園、自然史博物館整備、更に蒲郡の「生命の海科学館」・「ラグーナ蒲郡」の整備、
    JR豊橋駅の橋上駅化、豊橋鉄道渥美線の豊橋駅乗り入れ、ペデストリアンデッキの整備、JR二川駅の橋上駅化その周辺整備」等々へ
    と波及したかと思うとワンダフルです。
    検索で「都市空間の整備の方向」は、当時約 720,000件の最初に出ていた。
    神戸市の「大学の先生や高校の先生方」のことばに続きうれしい限りです。
    記録 yahoo3 Toshikuukan

    残念なこと(2011.8.23追加)
    都市空間の整備の方向の原本と修正箇所は残っているが、参考文献関係記録や書籍類は県議会議員になられた方が持って行かれ未だに
    返還されていません。更に一部は提出書類を一部修正加除した部分あったはずですがそれも含めて返還されてきません。
    誠に残念なことです。

 ※ 特記事項(1000年前まで遡って考えよ!)
    「都市空間の整備の方向」の執筆に当たって、松下龍也都市開発部長を通じて青木茂市長から言われたことは「財源や年度」関係なく考えた
    ことを提案して欲しい。と言うことであった。そこで蒲郡市では既に水族館があったが東京都の上野水族館や愛知県内に新豊根ダム(揚水発
    電所)のなどの例もあり、総合動植物公園建設構想提案はこの考えは必ず波及するものがあると思い直線距離でも表浜から5〜6km離れた
    位置にあるにも関わらず「パイプラインによる取水」を提案の一つとしたものである。
    この突拍子もない考えは豊橋・浜松道路建設と野依・若松地区を市街化区域に指定し豊橋技術科学大学付近にインターチェンジ整備など、正
    しく「のび太、キテレツやドラえもん的世界」の考え方である
    しかし、パイプライン取水による水族館部分は、予想だにしなかった実物恐竜化石をデンバー自然史博物館を通じて「アナトサウルス(エドモント
    サウルス)」を入手し紆余曲折があったものの「豊橋市自然史博物館」が建設されたのには驚いた。
    またパイプラインによる取水による立体水族館建設については、2011.3.11の東日本大震災「東京電力福島第一原子力発電所」が水素 
    爆発を起こし放射線を大量に出し、国家・国民へ大被害を蒙らしたほか世界中に大恐怖感をあたえた。
    一方、東北電力「女川原子力発電所」では高台にあったため津波被災者を原発内施設に受入れ多数の生命を救ったという。
    私は専門家でもなく全てを知っている訳ではないが、「都市空間の整備の方向」では藤原京、平城京、平安京から始まるなど1000年前からア
    ウトラインを勉強したものである。
    この考え方を学び行動しておれば「福島第一原発の津波被災」は避けられたと思いからUPする。2011.9.13追加。)

    (w なぜ今 学ぶのか?)   (w語り継がれる地震)  (w都市空間整備の方向) (w「都市空間の方向」執筆原稿用紙以前の素原稿)


2005.10.7
    いま、少子化・少子化と騒がれていますが、庶民生活の安心感・安定化なくして解消されません。
    「人は、何が大切にされるべきか、何を見失ってはならないのか をもう一度考え直してもらいたい」。
    と裁判官が述べていましたが、これはすべてのことに通じるものと考えます。

2005.10.13 (別記
     Skype が取り持つ国際交流ボランティア
     かねてより、画像電話で交流を深めてきたアンドラスさんが、ハンガリーからご夫妻で日本に来られました。
     今回は、ネット電話交流者が連携した新たなボランティア活動。
     仙台・松島などの東北地域(札幌の方が担当)、東京・横浜・鎌倉などの首都圏地域(岐阜県の方が担当)、
     京都・大阪地域(岡山の方が担当)、姫路城そして最後は神戸の舞子ビラ(神戸市の方)での交流会。
     明治神宮や浅草寺、鎌倉大仏や鶴岡八幡宮、京都御所、大阪城、姫路城などがコースに入っているようで、
     日本の文化を深く知ろうとする知的な旅行目的が見受けられる。
     中心になったのは、神戸国際大学の「付属高校教師や退職された元教授」のみなさん。
     今までは、学ぶ会などが中国・上海などでお世話になってきたが、お世話する時代がきました。

     私も国・ソウル市水源・龍仁市慶州市・晋州市・釜山市などを旅行した時、晋州で慶尚南道の現職・歴代
     教育責任者の方々などに大変お世話になりました。
     その時、私が韓国へ行くのを知って「教育都市・晋州」の教育関係者と深く交流に関わっている方(中野博三さんと、
     父の友人のご子息様が、激励と応援のため、日本からわざわざ韓国・晋州市のホテルまでお出でくださり、慶尚南
     道の歴代教育関係者一同の方々から熱烈な歓迎を受けたことを今でも覚えています。
     そのとき皆様方は、韓国の教育は「時の政権担当者」の言動により幾度と無く振り出しに戻っている。と…、
     また、一旦ことが起こればその時は、「韓国は、北朝鮮と手を組み日本に立ち向う。そういう民族だ!」
     血は水よりも濃いとも言われた。
     そして、最後に歴史は忘れないが、過去の感情にとらわれず未来志向の交流こそ平和の持続が可能。
     「国民・市民によるグローバルな国際交流」が大切。と結ばれました。

     また他の交流で一般行政責任者は、日本も他国と同じように教育の差別化に切替えるべきだ!との言葉も…。
     いろいろな考え方を知り、「印象的な交流訪問旅行」でした。
     韓国訪問からから9年。高度成長からバブル崩壊、IT・IP時代到来と人材派遣社会など経済差別化の拡大…、
     先の大戦に続き今次2度目の金融不安に遭い、そのつけは、またもや国民負担としてのしかかってくる。
     振り返ってみると、昨今はどうも日本より韓国の方が何かにつけ先をいってるように感じる。
     なお、晋州市長からはいつまでも教育交流に拘らず全市の交流に格上げしてはとけうかと提案を受けたが、帰国後早川市長
     に伝えるも余り乗り気ではなかった。韓国側からは数年にわたりコンタクトを受けたが成就しなかった。

2005.10.31(別記
     NHK料金不払い騒動いつまで続くのやら…
     公平負担は言うに及ばないが、今の時代「受信料軽減」努力していますか?
     電気・ガス・NTT等の公共料金値下げしてきています。
     NHKはモンスター化したとみる庶民。また、子は親の背中を見て育つとも言われます。
     適正規模に縮小し負担軽減を求める民意の現れとみることも出来ます。
     公の上下水道料金は、値下げはないが生活必需として我慢している他、努力をみているからでしょう。
     狡さが蔓延る世の中ですから、目に見えない電波の(NHK受信料)不払い騒動…、
     沈静化は、番組のみに在らず「職員モラル」取り分け「受信料意識をどう認識」し各々どう活動するか…
     すなわち、民放だけでも過ごせる現在「王様経営から脱却」し、納得できる改革をすることでしょう。


2005.11.3(別記
      100円ショップを覗いてみた。電動ハブラシ(替え4本付き)もあり中国製だった。
      まだ、性能は今一だが、経済の本丸呑みこまれれないよう改革の必要性を再認識。
      痛みを伴わない改革は無いと思う。
      だが、政府の隠密プロセスは、不安増すだけで来てしまった。
      その辺を、国民は今後も警戒していくと思われる。
      結局、付けは国民にまわり犠牲は庶民が負うことになる。

2005.11.9(別記
      自民党が支部まで入り込み強気の行動。改革推進に必要悪のプロセスか?
      少々強引だがヒットラー化は有り得ないと思っている。
      終戦後幼い時期の超インフレは、物資購入に360倍もの対価が必要になった。
      逆に言うと、36,000%(360分の1)の超通貨切下げと同じです。
      学校行くのに、わら草履はいて・芋食べて・傘も無く本当に辛かった。苦しかった。
      苦労して築き上げた戦後の日本経済。いつの間にか経済失策でおかしくなってしまった。
      いま瓦解を食い止めようと必死になっていることは分かります。でも、…
      改革着手が遅すぎた。一生に二度も国民・庶民を苦しめないようにして欲しい。


2005.9.11〜12(別記番外)
     ホリエモン落選で、多分今回の立候補が命取りになるでしょう!
     自民党反省するところ確かに多いと思うが、今回は違うような気がする。
     亀井代議士の刺客立候補だけは危険が多すぎる。
     ホリエモン、叩けば埃はいくつも出るでしょう。
     のし上がる人みんなそうなんですよ!
     欲張りだけのチャレンジではないですか?
     政界はもとより、経済界からもはじき出され全て無くなりますよ!
     テレビ見てるだけで予感がしてきます。
     検察は、そう長くかけずにダメージを与えるでしょう。

     今回は、公示段階以前から特捜検事が動いているでしょう。
     当選しておれば10年もつでしょうが運命の悪戯でしょうか?
     落選すると、そうは問屋が卸しません。
     10年も追尾することなく1年もしないうちに動きが出るでしょう。
     (2006.1.23 逮捕後に貼り付け1.24UP)。
     別記編作成する切っ掛けは、ここから始まりました。

2006.1.26
     続々報道されるライブドアの実態
     何のことはない。詐欺集団会社ではないか。
     株価ゼロにならないのが不思議!隠し資産が多く有るのかな?
     自民党ホリエモン応援とは別問題と言うのも不思議!?
     もう、国民は目が覚めると思います。

2011.4.26
     懲役2年6月の実刑とした一、二審判決が確定する。

2011.6.20
     頭をモヒカン刈りにした堀江元社長は、出頭前に取材に応じ、「1回人生をリセットしたい。

2013.3.27
     刑務所で28キロ減、堀江元社長会見 「ご迷惑かけた」




別記番外編
      決められたものはきちんと払え!(公権力を甘くみるな)
     お金の問題はいろいろ携わってきた。
     差額が2億4000万円、80億円にもなる契約の最終処理である。
     内外の打合せも重ね国税当局などにも見解を聞きながら数年かけ無事に処理できた。
     財務当局からは、何の役職も持たない私にある決済時に追加事業費1億8000万円を付けると言われ、
     いそいで帰り課長「事業費1億8000万円」くれるそうだから事業積算書作成指示してください。
     と言った記憶がある。

     そんな1970年代のこと。国税関係者から職員を派遣するので「ある事業の流れ」を教えて欲しいとのこと。
     その後文書の送付や電話が入り、税務署職員2人が来られて2日間かけて説明したことがある。
     その時、当事務所が関係しているところを直ぐに狙い撃ちしないように頼む。
     税務署でも内部研修するので直ぐに調査出来るわけではないとのことを聞く。

     私は、関係する事業所の専務のところへ行き、税務署からこんなことについて聞かれた。
     ついては、税関系、特に源泉徴収は基本だからきちんとしてくださいと伝える。
     税務署は、内部研修もあり初年度は何も動かなかった。それから月日は経ち、何回もうかがい
     最後に出かけた日はもう1年半が経過しようとしていた時期である。
     税務署は年度にこだわりますからと専務に言うと、もうすぐ新年度になるから新年度からはじめると言う。
     そんな猶予はありませんと言って帰る。

     それから数週間して、その関係事業所の職員が来て今税務署の人がみえて調査を始めたと言う。
     さらに、関連している6〜7事業所の約200人の報酬・給料・手当て・旅費について
     3年前に遡って調査されることになったという。
     そして、後日関係事業所について専務から、旅費でも一部観光とみなされる日の「宿泊費・日当・交通費」も
     課税されることになったと聞く。

     税務署が行った関係事務所も同席したが、関係事務所の人の旅費に税はかからないのかと聞いたそうだが、
     その事務所では「その日は車中で周辺部の事業展開や関連事業を説明する」と書かれており決裁も得て
     いるので課税されないと言ったという。
     ※問題の大旅行も、この派遣申請では当方の決裁がおりないと、担当者に伝え修正を催促したが、
       硬いこと言うなもう文書は発送済みと先方から話があったとのこと。…

     また専務は、私たちもその事務所の人の話を聞いたのだから業務旅費になるのではと言ったら、
     その事務所では、あなたのところの派遣依頼書を別書きでとりあげ対処方が記載されている。
     あなた方は、関連事業所を含め何の対処もしていないので文書上ではその日一日は観光と
     同じ扱いをさせて頂く。
     併せて、源泉徴収もしてなく約200人の人は小額であろうとなかろうと税を納めていないことに変り
     ないので後日通知します。(※3年前に遡って加算税を含めた課税通知)

     これとは別に扶養控除の適用も除外されますから、公務員や会社員の扶養になっている人は
     その扶養手当の返還や扶養控除相当税額の返還も必要です。
     直前でも源泉徴収しておれば軽減されたことですが、遅れたことで大きな騒動になったのです。