STRANGE, EXOTICA ROOTS


 ■ STRANGE, EXOTICA ROOTS

  2007年11月29日(木) 番外編
     トーチ
     シム・レッドモンド・バンド・
     ジャック・ジョンソン



 ♪鎌倉のカフェ「ディモンシュ」に時折お邪魔するようになった。ブラジル音楽の第1人者堀内さんが経営する素敵なお店だ。名物料理はオムレツだが、なんといっても店内に流れるお洒落な音楽が気に入っている。さすが音の達人だ。ボサノバだけでなく、カフェに似合うノン・ジャンルの気持ちよい洋楽が、決して読書や会話を邪魔することなく流れている。堀内さんがコメントをお書きになっているテキサスのジャズ・コンボのCDが、久しぶりに胸をときめかせてくれた。鎌倉のインディ・レーベル「バッファロー」から発売されたトーチ『ビフォア・ザ・ナイト・イズ・オーヴァー』(BUF-123)がそれだ。シーラというカナダ出身のヴォーカリストがフィーチャーされていて、これがスモーキー・ヴォイスでなかなかの味わい。ヴォーカルは、いま話題のノラ・ジョーンズをイメージさせる。でも少しばかり趣がちがう。本格的なジャズ歌手が醸し出す押し付けがましいところが感じられない。彼女はもともとシンガー・ソングライターなのだが、ジャズにほれ込んで唄うようになったとか・・・。
 地元・茅ヶ崎でもお洒落なカフェを発見した。海沿いに走るルート134に寄り添うようにひっそりとかまえる「ミディアム・プラス」(惜しくも閉店してしまった)だ。快適な空間は、ユーミンの歌でお馴染みサーフ・ショップ「ゴッデス」の2階。窓際の席からは、春のあたたかい陽射しを波間にいっぱい受けた美しい海が観える。地元サーファーもよく出入りするらしく、いま話題のジャック・ジョンソンや、ドノヴァン・フランケンレイターなどのCDが流れている。ここでもバッファローから発売されているシム・レッドモンド・バンドの新作『シャイニング・スルー』(BUF-122)が話題だとか・・・。レゲエやワールド・ミュージックを素材としたアコースティック・ロックのシム・レッドモンド・バンドは、サーファー・コミューンから生まれたヒット・アルバムだという。バッファローのアンテナって、時代とマッチしている。これも鎌倉にレコード会社をかまえるバッファローのなせる業なのか?湘南のゆるいときの流れは、音楽志向も変えてしまう。東京時代は、濃いアメリカン・ミュージックにズブズブだったが、いまはその面影もない。ボブ・ディランエリック・クラプトンザ・バンドなどのアナログ盤が、我が家のターンテーブルにのることが減ってきた。あれほどロックにこだわりを持っていたのだが、そうした気持ちがなくなってきた。いやはや湘南に吹く風に吹かれて洋楽の聴き方も変わってしまった。
Shining Through Jack Johnson
  トーチシム・レッドモンド・バンドジャック・ジョンソンドノヴァン・フランケンレイターなどの音楽に共通するものを感じた。まず音楽業界に毒されていないことだ。ヒット曲に一喜一憂する音楽シーンとは、明らかに一線を画している。ほとんどが口コミで広がったといってよい。若い洋楽ファンの聴きかたは、むかしぼくらが活字やラジオから情報を得た方法とは違ってきた。カフェからの洋楽入門も新しい流れだろう。こうした背景を如実に物語っているのが、いまのロック誌だ。先に挙げたミュージシャンは、洋楽啓蒙(!?) を推進するロック雑誌でも取り上げられることが少ない。もうひとつ感じられるのは、いずれもこれらの音楽には、素人っぽさが漂っている。つまり聴き手との距離感がまったく感じられない。ここが大きなポイントだろう。
  はるか遠いアメリカン・ミュージックの歴史の中で、距離感がない音楽が存在していたという。パーティ・ミュージックだ。1920年代から30年代のアメリカ南部では、良き隣人を招いておこなわれる音楽パーティが盛んだった。居間、納屋、庭、路上などで催され、重要なのは、高い舞台が存在していなかったことだ。ミュージシャンと聴き手が同じ位置に存在した。ぼくはこうした音楽を「フラット・ミュージック」と勝手に呼んでいる。代表的なフラット・ミュージシャンを挙げておこう。ロバート・ジョンソンミシシピ・ジョン・ハートメンフィス・ジャグ・バンドエリザベス・コットンなどだ。南部白人勢を挙げればジミー・ロジャーズカーター・ファミリーアンクル・デイヴ・メイコンチャーリー・プール&ノース・カロライナ・ランブラーズなどだろう。ミュージシャンと観客が一体化した楽しいフラット・ミュージック・パーティのひとときは、やがてブルースやカントリーといった垣根を取り払い、黒人・白人共有(コモンストック)レパートリーとなっていった。不思議なことに先に触れたシム・レッドモンド・バンドジャック・ジョンソンドノヴァン・フランケンレイターなどの音楽から、戦前のフラット・ミュージックの匂いが充満していた。
(本文は、2004年に書いたエッセイを加筆修正したものです)





 
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