ANY OLD TIME IN AMERICA


 ■ ANY OLD TIME IN AMERICA


昭和洋楽アンソロジー

♯08 〜 懐かしS盤アワー、L盤アワー 〜

S盤L盤
 昭和洋楽シーンを語る上で外せないのが、ラジオ放送によるアメリカン・ポップス番組の台頭だ。その昔愛聴して音楽番組に懐かしさを抱くファンも多いことだろう。ラジオ発の洋楽番組は、まさに日本におけるアメリカ音楽全盛を象徴していた。ラジオ放送局が産声を上げ始めた時代に制作されたポップス番組から発信されたヒット曲は、アメリカン・カルチャーへの憧れを増幅させ、洋楽の楽しさを教えてくれた。特にいまや伝説のラジオ音楽番組と語られる「S盤アワー」、「L盤アワー」は、当時の少年少女に夢を与えた点でもかけがえのない番組だった。
 ご存知のとおり「S盤アワー」が放送された時代のレコードは、いまでは聴くことのできないSP盤。つまり78回転盤が主流だった。日本ビクター社は、アメリカのRCAから発売されたレコードの発売権を取得して、その原盤の日本製SP発売を発売していた。こうした背景から誕生したのが「S盤アワー」と表題された音楽番組だった。
 「S盤アワー」は、昭和27年(1952年)4月2日に日本文化放送(現文化放送)から産声を上げた。人気番組だったが、時代の波の押されて惜しくも昭和43年(1968年) に終わってしまった。開局したばかりだった日本文化放送は、3日後に「S盤アワー」をオンエアーしたという。家庭に入り込んだアメリカン・ポップスは、次々とヒーロー、ヒロインを輩出して若者を“洋楽の虜”へと駆り立てた。
 “S盤”とは、日本ビクターが発売していたSP盤の商品番号から由来していた。つまり日本ビクターから発売されていた当時のレコードは、「S-1」という番号からスタートしていた。その“S”とは、スオペシャル(Special)を意味する。ビクターの看板レコードだった“Sシリーズ”の“S”を取って番組名に命名した。番組は犬の泣き声から始まり、テーマ曲のペレス・プラード楽団の「エル・マンボ」がその直後に流れた。クロージング・テーマは、ラルフ・フラナガン楽団の「唄う風」。司会者は、ビクター・レコードの社員だった素人同様の帆足まり子が務めることとなった。
 この番組から生まれたヒット曲は、枚挙にいとまがない。アメリカン・ポップスの主流だったジャズ・シーンからグレン・ミラー楽団の「ムーンライト・セレナーデ」、ジャズ・ヴォーカルの人気者、ペリー・コモの「パパはマンボがお好き」、マリリン・モンローの「帰らざる河」、ハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」などがお茶の間で話題を呼んだ。忘れてはならないのは、エルヴィス・プレスリーの日本初登場も「S盤アワー」からだった。
 「L盤アワー」は、昭和29年(1954年)10月、東京放送(現TBS)から毎週夜10時30分から放送された。あの時代、米コロムビアと契約を交わしていた日本コロムビアが、昭和24年8月から“Limited” の頭文字をとった“L”シリーズというSP盤を発売、それにちなんで「L盤アワー」が誕生した。ちなみにL盤のL-1は、昭和21年8月に発売されたレイ・ノーブル楽団(バディ・クラーク歌)の「夢路まどかに」だった。このシリーズは、L-146盤まで続いた。
 番組の司会者は、園 冷子や大平 透などが務めた。アメリカで大流行中のヒット曲が直ぐ聴くことができるという内容から、「S盤アワー」と同様に一般家庭に広く洋楽の楽しさを浸透させ忘れがたい番組だった。東京放送の看板番組となった「L盤アワー」は長寿番組としてその後ラジオ音楽番組の歴史を永らく刻み、昭和43年(1963年)まで続いた。
 初期の人気曲はダイナ・ショワの「ボタンとリボン」、ドリス・デイの「センチメンタル・ジャーニー」、ジョニー・レイの「雨に歩けば」、ローズマリー・クルーニーの「家においでよ」、ジョー・スタフォードの「霧のロンドン」、フランキー・レインの「OK牧場の決闘」、マーティ・ロビンスの「白いスポーツコート」、トリオ・ロス・パンチョスの「ベサメ・ムーチョ」、パーシー・フェイス楽団の「夏の日の恋」、アンディ・ウィリアムスの「ムーン・リヴァー」など。
 SP時代が終焉を迎え、ドーナツ盤の時代に突入した。つまりお馴染み45回転の可愛いレコードが市場を賑わし始めた。こうした最中、「L盤アワー」は時代に応えて番組を続行した。45回転盤のヒット曲を取り上げるようになる。伝説のラジオ番組と語り継がれてきたことから、この番組は78回転のレコードだけを使った番組と誤解されることもしばしばあった。63年まで続いたことで、アメリカン・ロック黄金時代にも深く関与した。
 忘れられないのは、エルヴィスが「S盤アワー」から本邦デビューを果たしたように、アメリカン・ロックを牽引したザ・バーズやボブ・ディランなども「L盤アワー」からデビューを飾ったという点。フォーク・ロックで一時代を築いたザ・バーズの「ミスター・タンブリン・マン」、ディラン・ロックの真骨頂「ライク・ア・ローリン・ストーン」などのヒットも、この番組から誕生した。
 昭和ラジオ・デイの象徴的な洋楽番組だった「S盤アワー」、「L盤アワー」から流れたヒット曲は、当時のアメリカ文化に憧れた日本人的なポップス嗜好を感じ取ることができる。洋楽専門のレコード店も街にちらほら見られるようになったのも、きっとこうした番組の人気からだったのだろう。



一覧に戻る トップに戻る