ANY OLD TIME IN AMERICA


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昭和洋楽アンソロジー

♯04 〜ジーン・ヴィンセントの来日〜

ジーン・ヴィンセント
 高校の頃、「ウェスタン・カーニバル」と表題された日本版ロカビリー・ライヴ・ショウが少年・少女たちを虜(とりこ)にした。東京・有楽町の日本劇場(通称日劇)で行われたライヴは連日満員といった状況で、マスコミは「日本でロカビリーが大流行!」と騒ぎ始めた。世にいう“ロカビリー・ブーム”の誕生だ。
 日劇で行われた記念すべき第1回ウェスタン・カーニバルは、1958年(昭和33年)2月だった。高校生だった筆者は、足蹴もなく日劇に通った。高校が東中野にあって、築地から四谷まで都電で行き、そこから国電に乗り換えて通ったものだった。日劇前の都電停車場は、「数寄屋橋」という名称が付けられていた。学校をサボリ、数寄屋橋で途中下車、ウェスタン・カーニバルを観にいくようになった。この頃、エルヴィス人気もさることながら、ラジオのヒット・パレード番組からエディ・コクラン、ジーン・ヴィンセントのロカビリーが聴け、一気にヴィンセントにほれ込んだ。
 奇しくも日本中古レコード店の先駆者として広く知られている「ハンター」がオープンした。数寄屋橋の高速道路下のショッピング・センター2階にオープンしたハンターには、米軍関係の放出レコードがあふれていた。45回転レコードが山のように積まれており、殆どが輸入盤だった。新譜コーナーもかなり充実していた。ここでエルヴィスのサン・シングル盤をかなり購入した。もちろん気に入ったジーン・ヴィンセントのドーナツ盤も購入した。
 ジーン・ヴィンセントは、ジャズ、ポップス、カントリーで有名だった西海岸の新興レーベル、キャピトルがはじめて手掛けたロカビリー歌手だった。つまりエルヴィス人気に触発されてキャピトルがこのロカビリー市場に目をつけたというわけだ。先にも触れたデビュー曲「Bi-Bop-A-Lula」は1956年に大ヒット、ヴィンセントはエルヴィス人気に肉薄する人気者となった。皮ジャンの似合う伊達男、ヴィンセントは、青いハンチング帽が看板のバック・バンド「ブルー・キャップス」を従えていた。
 1959年(昭和34年)6月23日から29日、ジーン・ヴィンセントがウェスタン・カーニバルのゲストとして出演することとなった。その前にヴィンセントのドーナツ盤を購入してお勉強しなければと思い、ハンターに連日通った。ゲットしたシングル盤は、デビューシングルの「Woman Love / Be Bop A Lula」、「Bluejean Bop / Who Slapped John?」だった。いずれも米キャピトル盤。
 忘れそうなので、ヴィンセントが日劇ウェスタン・カーニバルで唄ったロカビリー曲を書いておこう。手元に残っているパンフレットには、高校生だった筆者がメモ書きした記録が残っている。カタカナ書きで「ユア・チィーティング・ハート」、「バイザ・ライト・オブ・シルバリームーン」、「オーバー・ザ・レインボー」、「ビーバップ・ブギボーイ」となっている。そうそう、この日劇のステージには、ギタリストのジェリー・メリットが参加。ヴィンセントのバックは、日米のミュージシャンが務めた。
 「歓迎ジーン・ヴィンセント」と銘打たれたウェスタン・カーニヴァルのパンフには、懐かしい和製ロカビリー歌手の名前が列挙されている。この場を借りて紹介しておこう。まず山下敬二郎、ミッキー・カーティス、井上ひろし、坂本九の4人。次は山名義三、ボップ上野、桜井輝夫、城操、小山仁義とクレジットされている。余談だが、山名義三&プラネッツというバンドは、ブラスを導入した当時としては異色のバンドだった。ファッツ・ドミノの「ブルーベリーヒル」、デルモア・ブラザースの「ブルース・ステイ・アウェイ・フロム・ミー」などを唄ってくれた。
 この時代、邦人ロカビリアンにカヴァーされたドーナツ盤もラジオから流れるようになり話題を集め始めたが、どういうわけがヴィンセントのカヴァー・シングルは、だれもチャレンジしなかった。多くはエルヴィス、ポール・アンカ、エディ・コクラン、リトル・リチャードのヒット曲だった。ヴィンセントの日本製ドーナツ盤も来日前後にたくさん発売され、手元には残っていないが、確か東芝からリリースされた4曲入りEP盤『Bop Street』を購入した記憶がある。ハンク・ウィリアムズのカヴァー「ウェディング・ベル」が収録されていたと思う。
 ジーン・ヴィンセントのカヴァーといえば、ジョン・レノンが録音した「Bi-Bop-A-Lula」が今でも愛聴盤だ。フィル・スペクターをプロデューサーに迎え、ヤング・ジョン・レノンが刺激されたロカビリー〜ロックンロールの名曲をカヴァーしたアルバム『Rock'N'Roll』に収録されている。革ジャンを着た十代のレノンのジャケット写真は、ジーン・ヴィンセントの若き日のイメージを膨らませてくれた。



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