ANY OLD TIME IN AMERICA


 ■ ANY OLD TIME IN AMERICA


昭和洋楽アンソロジー

♯01 〜エルヴィスが泣いた夜〜

エルヴィス・プレスリー
★ その昔、ポップスやジャズ、ハワイアン、ロックンロールなどは、“洋楽”と呼ばれていた。その頃に懐かしさを覚えるファンもさぞや多いに違いない。出会いは「ダニー・ボーイ」、「真珠の首飾り」だったり、「南国の夜」、「ラブ・ミー・テンダー」と様々だったに違いない。洋楽ヒット曲は、戦後の日本をレコードという文化で席巻した。
こうしたヒット・レコードを家庭で楽しむことは、裕福な層に限られていた観が強い。
 1960年代(昭和35年以降)に入ると、比較的に安価なレコード・プレイヤーやアンプが出回り、普通の家庭でもレコードを楽しむということが日常的になって行った。レコードは、SP盤(78回転盤)からEP盤(ドーナツ盤とも呼ばれた)に替わり、やがてLP時代を迎えた。洋楽文化がわが国で花咲いた頃は、60年代以降といっても間違いではないだろう。
  ぼくの周囲では、昔ドーナツ盤で購入したポール・アンカの「ダイアナ」や、ブラザース・フォアの「グリーン・フィールド」を大切に保存しているファンもいる。団塊の世代は「パフ」、「風に吹かれて」のヒットでお馴染みのピーター・ポール&マリーのLP、ザ・ビートルズの初期LPなどを宝物として扱っているファンも多いとか・・・。
 戦後、洋楽を盛り上げた要因のひとつにラジオ音楽番組があった。繁茂に聴けたヒット・パレード番組だ。「S盤アワー」や「ユア・ヒット・パレード」(文化放送)などが人気番組で、この中からジャンルにとらわれない洋楽ヒットが生まれた。グレン・ミラー楽団の「イン・ザ・ムード」、パティ・ページの「テネシー・ワルツ」、映画主題歌の「禁じられた遊び」、ビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・ロック」、その他たくさんのヒット曲が生まれた。ロック時代の夜明けが近づくとラジオから流れるヒット曲に左右されない洋楽ファンが少しずつ増え始めた。と同時にレコードは、LP時代に突入した。1970年代になると、ポップスやジャズに替わり“ロック”という言葉が持て囃され、アメリカ発のロックは、英国、日本などの若い音楽ファンを魅了してしまう。
 わが国の洋楽シーンでまだ人気が強いのが、エルヴィス・プレスリー。一般的にはRCAビクターでの数々のヒット、「ブルー・スエード・シューズ」、「思い出の指環」、「ハートブレイク・ホテル」、「今夜はひとりかい?」、「ブルー・ハワイ」などが広く知られているが、RCA時代の前、サン・レコード時代の録音も見逃すことができない。エルヴィスは、ロカビリー誕生に深く関わっていた。この音楽は、1950年代中盤にテネシー州メンフィスに居をかまえたサン・レコードのスタジオから誕生した。
 サン・レコードの社主、サム・フィリップスは黒人音楽(ブルース、R&B)のレコード制作に従事していた。
会社にふらりと現れたのが、若き日のエルヴィスだった。最初は自主制作盤の発注のためにサン・レコードを訪れたというのだ。サムは黒人のようにうたうエルヴィスのヴォーカルにほれ込んでしまった。「君、サン・レコードからデビューしない?」と言葉を交わし、エルヴィスは願ってもないチャンスとばかり、その話に「OKだよ」とすぐ返事をした。
 黒人レコードが南部で売れるのを目の当たりにして、サムはいつか黒人の雰囲気でうたう白人青年のレコードを作ってみたいと思っていた。早い話、これで儲けたかった。ブルースとR&Bが混ざった新しい黒人音楽は、ロックンロールと呼ばれ始めた。サムはこれにヒントを得た。新しい白人音楽をエルヴィスに託すことにした。
 最初の仕事は、エルヴィスをサポートするミュージシャン探しだった。白羽の矢をたてたのが、スコッティ・ムーアとビル・ブラックだった。前者はカントリーのギタリストとして活躍していたギター名手。後者は、スラッピン・ベースと呼ばれたパーカッションっぽい奏法を得意とした人物。次はヴォーカルとサウンドへの注文だった。
幸いエルヴィスは、黒人音楽に精通していてヴォーカルは問題なかった。サウンドはブルース、R&Bの猥雑さとカントリーの陽気さをブレンドした独特の味にした。
  サムは、エルヴィスに課題曲を与えた。黒人ブルースマン、アーサー・クリューダップのヒット曲「ザッツ・オール・ライト」のカヴァーだった。1954年、黒人音楽に憧れる白人ティーン・エイジャー向けのレコードとして発売された。これがローカル・ヒットを記録。スターの座を目指していたエルヴィスは、こっそりスタジオで泣いたという。ロックンロールとカントリーが混ざった新しい音楽は、いつしか「ロカビリー」と呼ばれ、全米に人気が飛び火、ロカビリー・ブームが沸き起こった。
  流行は日本にも及んだ。1958年、東京・有楽町の日劇(日本劇場)で「ウェスタン・カーニヴァル」が開催され、ロカビリー・ブームがわが国でブレイクした。まさにこのブームは、エルヴィス・ロカビリーと深く関わっていた。その後エルヴィスはサンからRCAに移籍、大スターの座を獲得した。



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