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| ■ ANY OLD TIME IN AMERICA |
| ■ レコードコレクターズ 2002年6月号掲載 |
アメリカン・ミュージックのパイオニアたち |
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| こちらは2枚目。ちなみに、入門用CDとしては、彼がビートルズを取り上げた『ミーツ・ザ・ビートルズ』(RCA BVCJ31002)などもオススメ | |||
| ダン・ヒックスの来日コンサートに端を発した感が強いアコースティック・スウィング・ブーム。若者たちの間ではいまこれが「旬のアメリカン・ミュージック」なのだという。そんな中、朗報が届いた。テキサス州オースティンをホームグランドとして大活躍のアコースティック・スウィング・バンド、ホット・クラブ・オブ・カウタウンが急遽来日する(6月3日が東京コンサート)。彼らはジャンゴ・ラインハルト&ステファン・グラッペリのジプシー・ジャズやボブ・ウィルズ&テキサス・プレイボーイズでお馴染みウェスタン・スウィングに触発されたバンドで、軽快なスウィング・ギターとホットなフィドル(ヴァイオリン)が売り物だ。 | ![]() |
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| 単なるコピー・バンドに終わっていないところが良い。ノスタルジーに溺れることなく、自由奔放な演奏に心が惹かれてしまう。 | ||
| しかし、わが国でにわかにアコースティック・スウィング・ブームが興った要因は、なにもダン・ヒックスの人気だけではない。70年代のニューヨーク周辺のブルーグラス・シーンから登場した伊達男に負うところも大きいのだ。『スウィングタイム・イン・スプリングタイム』と銘打たれたアルバムが数年前にCD化され、あっという間に評判となった。ジャズ、ウェスタン・スウィングなどの名曲をお洒落に決めた内容で、小粋なヴォーカル、こころ癒されるサウンド、そしてアコースティック・ギターのカッコ良いスウィング・ビートが、ジャズを聴かなかったファンのハートに火をつけたに違いない。このCDに敏感に反応したのは、ロックやフォーク・ファンだったのだ。次に登場したのがセントラル・パーク・シークスの『ハニー・サックル・ローズ』。そしてジョン・ミラーの『ガーシュウィンでスウィング!』、ガイ・ヴァン・デューサー&ビリー・ノヴィックの『レイジング・ザ・レント』。いずれもそれなりのセールスを記録した。こうした動きと、ダン・ヒックス系の音楽(ジャグ・バンドなど)がタイミング良く重なって、アコースティック・スウィングがブレイクしたわけだ。 |
| だが、もうひとつ忘れてはならない動きがあった。ジョン・ピザレリというギター弾き語り歌手の初期のアルバムに関する神話だ。スタッシュというニューヨークはブルックリンのインディから80年代に発売された3枚のアルバムが、「アコースティック・スウィングの隠れ名盤」と長く語られていたのだ。 | ![]() |
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| ジョンは7弦ギターの名手で、ドラムレス・トリオを結成してニューヨークの夜を沸かせていたという。特にオリジナル・ラヴの記念すべきファースト『LOVE! LOVE! LOVE!』は、ジョン・ピザレリの85年のアルバム‘Hit That Jive, Jack!’にインスパイアされた跡が強く窺われる。田島貴男氏はきっとジョンにぞっこんだったに違いない。フリッパーズ・ギターにもジョンの影響が感じられた。そこで勘の良いファンたちは彼のスタッシュ盤に注目、こうして80年代のジョンのスタッシュ盤が、アコースティック・スウィングの名盤と騒がれ始めた。この流れとダン・ヒックス、ルウ・ロンドン、セントラル・パーク・シークス、ジョン・ミラーなどの人気が上手く繋がって、アコースティック・スウィングが若者に受けるようになったようだ。 |
| そのすべての作品の共通項は、言うまでもなく小粋なヴォーカル、酒脱なサウンドと心地よいスウィング・ビート。またこれらのレコードは、ジャズという固定観念からわれわれを解放してくれたとも言えそうだ。仮に「フォーキー・ジャズ」という呼び名が存在するとするなら、ジョン・ピザレリ、ルウ・ロンドン、セントラル・パーク・シークス、ジョン・ミラーなどは、まさにそれにピッタリのミュージシャンだ。ジョンのスタッシュ盤に、フォークの大御所ドック・ワトソン、カントリー・ギターの巨人マール・トラヴィス、チェット・アトキンスなどによるジャズ録音と同じテイストを感じることができるのも面白い。 |
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ジョン・ピザレリの生い立ちにも少し触れておこう。出身はニュージャージー州で、1960年4月6日生まれ。父親バッキー・ピザレリは有名なジャズ・ギタリスト、姉もジャズ・ギターが得意と、ジャズを勉強するのに好都合の環境で育った。高校の頃から父にジャズ・ギターを学び、大学を卒業後、直ちにプロの道を歩み始め、父とギター・デュオを結成してナイト・クラブやホテルのラウンジで人気者となった。79年、父から「アルバム作りに付き合わないかい?」という嬉しい誘いがあり、‘2×7 = Pizzarelli’と題された親子共演盤でレコード・デビューを果たした。ちなみに‘2×7 = Pizzarelli’の意味は、二人の7弦ギター奏者だという。 |
| 83年になって、ついにジョン個人名義のアルバム作りが実現した。スタッシュのオーナー、バーナード・ブライトマンがジョンの才能を感じ取り、5月に録音が行なわれたのだ。その作品はジャズとフォークとポップスを結ぶ素晴らしい内容だった。表題は‘I’m Hip(Please Don’t Tell My Father)’。ナット・キング・コール・トリオに尊敬の念を抱いていただけあって、アルバムA面の冒頭を飾ったのが、コールの大ヒット‘Route 66’だった。ジャイヴな展開がたまらない。白眉はデヴィッド・フリッシュバーグのカヴァー‘I’m Hip’で、マイケル・フランクスのカヴァー‘Popsicle Toes’も収録されていた。彼とは親友なのだという。内容もアコースティック・スウィングの名盤と騒がれただけのものはある。 | ![]() |
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85年に発売されたセカンド‘Hit That Jive, Jack!’もお洒落に仕上がっていた。アルバム表題は、お馴染みスリム・ゲイラードのジャイヴ代表作。ケニ−・ランキンのカヴァー‘Haven’t We Met’ は、夢心地のトラック。ボブ・ドロウ、ウクレレ・アイクを彷彿させるスキャットも大きな聴きどころだ。3枚目‘Sing! Sing! Sing!’は87年に発売され、エディ・ダニエルズのクラリネットをフィーチャーした作品だった。その他、最初の2枚のアルバムからチョイスされた編集盤カセット‘Sing Nat King Cole And Other’も存在している。 |
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