ANY OLD TIME IN AMERICA


 ■ ANY OLD TIME IN AMERICA

  レコードコレクターズ 2001年11月号掲載


アメリカン・ミュージックのパイオニアたち

第8回 レッドベリー

Leadbelly's Last Sessions
Leadbelly
Leadbelly's Last Sessions
(Smisonian Folkways 40068/71)
Garden Of Joy
Jim Kweskin Jug Band
Garden Of Joy
(ナリド・ワーナー NACD-3213)

Smithsonian Folkways 80年代後半に、予期しないレコードが発売されて驚いたことがあった。それも「アメリカ最後の良心的インディーズ・レーベル」といわれていたフォークウェイズ絡みのものが大手のソニーから出たのだからなおさらだった。 アルバム・タイトルは『FOLKWAYS−アメリカの心(A Vision Shared)』。場違いな所からリリースされた観が強かったが、それなりの理由があった。
というのは、フォークウェイズ社はオーナーのモー・アッシュの死去に伴って経営危機に陥ってしまっており、ロック系ミュージシャンの有志がその存続を訴えて立ち上がり、アルバムの売上金でフォークウェイズの運営を救済する、という趣旨のレコードを作ったのだ。ボブ・ディランU2ブルース・スプリングスティーン、その他のスーパースターたちの参加で話題を集め、ロック系雑誌の誌面を賑わせたが、肝心のアルバムの副題‘ウディ&レッドベリーに捧げる’ に関しての言及がないことに寂しさを覚えた。 Moses Asch
  フォークウェイズというレーベルが地味ながらそれまで存続できたのは、ある意味でウディ・ガースリーレッドベリーのお蔭だったと言ってもよい。世界中を巻き込んだ「60年代フォーク・リヴァィヴァル」で脚光を浴びたのがウディであり、レッドベリーだった。 この二人はフォークウェイズの看板歌手だったわけで、同社からリリースされたアルバムはかなり売れ、早い話、この二人で経営が成り立っていたことが窺われる。話を戻せば、先のアルバムでカヴァーされていたウディレッドベリー作品や人物像にも音楽誌は触れる必要があったのではないか。ということで、遅蒔きながら、今回は黒人ブルース&フォーク歌手のレッドベリーを取り上げたい。

  彼は昔からコアなブルース・ファンには人気がなかった。60年代後半に興ったブルース・ブームでは、多くの音楽ファンは南部やシカゴ発の泥臭いサウンドに関心を示した。一方、彼のようなソフィティケイトされたブルース歌手は、フォークっぽいという理由でブルース・ファンに毛嫌いされたようだ。レッドベリーだけでなく、ミシシッピ・ジョン・ハートジョッシュ・ホワイトサニー・テイリー&ブラウニー・マギーたちもそう。彼らも熱心なブルース・ファンには支持されず、むしろフォークを愛するファンが支持した。だが、こうした歌手たちは近年、高く再評価され、ブルースは泥臭いもの、という悪しき固定観念を払拭してくれた。
  レッドベリーは1889年、ルイジアナで生れたという。そして42年、有名な大リーガー、ルー・ゲーリックと同じ「筋萎縮性索軟化症」で亡くなっている。父親は農場で働いていた。
Young Leadbelly
子供の頃から素行が悪く喧嘩は日常茶飯事だったらしい。唯一の救いは、歌と楽器が達者だったことだという。レッドベリーといえば、一般に12弦ギターの弾き語りブルース歌手というイメージが強いが、彼が手にした最初の楽器は、何とアコーディオンだった。
  「喧嘩と音楽」に明け暮れた10代だったが、ついに刑務所の厄介になってしまう。どうやら婦女暴行だったらしい。初犯ということですぐに釈放となった彼だったが、直ぐにまた大事件を引き起こしてしまう。ちょっとしたトラブルで友人をピストルで撃ち殺してしまったのだ。そして30年の禁固刑。ところが9年あまりで出獄となるが、これにはワケがあった。
  「歌」に救われたのだ。当時のルイジアナ州知事は、レッドベリーがうたうブルースの上手さに感動して刑を軽くしてくれたというのだ。晴れて自由の身となったレッドベリーだったが、性懲りもなく再び罪を犯してしまう。今度は大喧嘩で10年の重刑をくらった。ところがここでも運に恵まれる。
Leadbelly in prison
Leadbelly w/scarf  フォーク研究家のジョン・A・ローマックスが刑務所内の歌の上手い囚人を集めて録音することとなった。そして、やはりレッドベリーの歌が気になった。そこでルイジアナ州知事をなんとか説得、特赦してもらいたい旨を願い出た。嘆願は成功をおさめ、またまたレッドベリーは自由の身となる。ジョン・A・ローマックスと、アシスタントを務めていた息子のアランは30年代半ば、レッドベリーをプロの道に進ませることにした。二人はマネージャー役を買って出て、まずナイト・クラブに売り込みを開始した。
  こうしてレッドベリーローマックス親子のお蔭で真人間となり、12弦ギターの弾き語りブルース歌手としてのショウ・ビジネスの世界に足を踏み込むこととなった。
  レッドベリーの持ち味は、歌とギターの上手さと豊富なレパートリーにあったと言ってよい。本格的ブルースはもとより、マーダー・バラッド、ゴスペル、ポップ・ソング、ヒルビリー、プレイ・パーティ・ソング、ノヴェルティ・ソング、チルドレン・ソングその他を得意とした。ローマックス親子は、精力的にレッドベリーの売り出しに奔走した。モー・アッシュが興したアッシュ、スティンソン、フォークウェイズにも契約話を持ち込み、それが成功した。ウディ・ガースリーモーレッドベリーを紹介され、一気にファンになってしまった。アッシュ・レーベルには、ウディ&レッドベリー&シスコ・ヒューストン&サニー・テリーの共演という豪華なセッション録音が残されている。国会図書館、ARC(コロンビアの前身会社)、ヴィクター、キャピトルなどの録音も要チェックだ。 Leadbelly w/tie
 レッドベリーの名は、ローマックス親子の尽力だけでなく、カヴァー作品によっても上がった。モダン・フォーク・コーラスの先駆者ザ・ウィーヴァ−ズが50年代中盤、デッカに「おやすみアイリーン」を録音したのだ。これが大ヒットを記録、一躍彼の名が知れ渡った。ロック・ファンには、ライ・クーダ−のライヴ・ショウのクロージング・テーマとしてお馴染みだろう。他にジム・クウェスキン・ジャグ・バンド時代のマリア・マルダー「ホエン・アイ・ワズ・ア・カウボーイ」エリック・クラプトン「アルバータ」ロニー・ドネガン「ロック・アイランド・ライン」、意外なところでニルヴァーナ「ホエア・ディド・ユー・スリープ・ラスト・ナイト」などが広く知られている。



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