ANY OLD TIME IN AMERICA


 ■ ANY OLD TIME IN AMERICA

  レコードコレクターズ 2001年7月号掲載


アメリカン・ミュージックのパイオニアたち

第4回 クリス・ブシロンとトーキング・ブルース

The Original Talking Blues Man
Chris Bouchillon  The Original Talking Blues Man (Old Homestead OHCS181)
Phil Ochs
フィル・オクス オール・ザ・ニュース・ザッツ・フィット・トゥ・シング  (エレクトラAMCY2992)
「トーキング・ベトナム」「トーキング・キューバン・クライシス」を収録

   "トーキング・ブルース"はフォーク&カントリーの長い歴史の中で、今日まで脈々と歌い継がれている芸である。ウディ・ガスリーランブリング・ジャック・エリオットボブ・ディランほか幾世代もの歌手によってそのスタイルは継承された。これは1920年代後半、クリス・ブシロンというヒルビリー歌手が編み出した芸で、彼の登場は、歌わない歌手の出現として当時大きな話題を集めたと言われている。
 彼の特異なスタイルは、今日のラップに近いもので、語り調のギター弾き語りだった。普段のおしゃべりに近い感じの白人ブルースといってよいだろう。サウス・カロライナ州グリーンヴィル出身のクリスは、ジミー・ロジャースと似てプロ歌手としてのデビューは遅く、30歳になる寸前だった。ラルフ・ピアと並んで黒人ブルースマンの発掘者として広く知られるフランク・ウォーカーに才能を認められ、26年、「トーキング・ブルース」をコロンビアに録音した。
 この時のエピソードがおもしろい。クリスは南部の冗談ソングを得意げに歌ったのだが、フランク「下手なうただなあ、まあ内容は面白いぜ。じゃ、喋るだけでいいんだ」といい、録音を敢行したというのだ。B面は「ハナ」という曲だった。27年にSP盤(Columbia15120D)として発売され予想もしなかった売れ行きを示し、南部一帯で9万枚という当時としては驚異的な数字をはじき出した。こうした背景もあり、ヒルビリー・シーンにはその後続々とフォロワーが出現、クリスのトーキング・ブルースはいつの間にか白人ブルースの定番スタイルとなっていった。しかし、賢明な読者ならもう気付いていると思うが、トーキング・ブルースは白人のオリジナルではなかった。こうした手法は早くから黒人のブルースマンに歌われていた。録音ディレクターを務めたフランクは黒人ブルースを手がけていることから、クリスに敢えてやらせたという見方もできる。 Chris Bouchillo
  30年代に入ると、トーキング・ブルースも下火となり、クリスの名も忘られてしまった。再びこのスタイルに脚光が当たるのは、30年代後半に入ってのロバート・ランという名のクリスの模倣者の出現によってだった。彼はカントリー・ラジオ・ショウ「グランド・オール・オープリー」で、クリスが遺したトーキング・ブルースの数々を披露し、拍手喝采を浴びた。ヴォードヴィリアン系のミュージシャンだけあって、お笑いソングをトーキング・ブルースに仕立て、あっという間に人気者になったという。また時事問題もネタとして話題を集めたとも語られている。
Dust Bowl Ballads  そのロバートのフォロワーとしては、白人ブルース・ハープの名手として大活躍したウェイン・レイニーの師匠筋にあたるロニー・グロソンが有名。またウディ・ガスリーもラジオから流れるロバートのトーキング・ブルースに興味を抱いた一人で、40年代にRCAに録音したウディのバラッド集‘Dust Bowl Ballads’にこの手法がとりいれられた。フォーク研究家アラン・ロマックスによって行なわれた彼の国会図書館のためのレコーディングでもトーキング・ブルースを聴くことができる。ウディのこのスタイルの代表作は「トーキング・ダスト・ボウル」「トーキング・フィッシュ・ブルース」だ。
  その後、トーキング・ブルースは、60年代のフォーク・リヴァイヴァルで再び脚光を浴びることとなった。初期フォーク・スターのランブリング・ジャック・エリオットや若き日のボブ・ディランウディ録音をお手本として盛んに歌ったことが大きく影響したのは間違いない。ディランはプロテスト・ソングの一環としてトーキング・ブルースの手法を好み「トーキング第三次世界大戦ブルース」「トーキング・ベア・マウンテン大虐殺ブルース」「トーキング・ジョン・バーチ・パラノイド・ブルース」などの傑作を発表した。デビュー・アルバムで聴ける「トーキング・ニューヨーク」は、ミネソタから上京した田舎青年のニューヨーク日誌で、微笑ましい作品だ。
John Greenway   また、あまり語られないが、まだフォーク・ブームの兆しがなかった頃にトーキング・ブルースをテーマとしたアルバムを発表した歌手もいた。アランとともにフォーク研究家としての顔を持つジョン・グリーンウェイがその人で、58年、フォークウェイズからリリースされたアナログ盤はずばり『トーキング・ブルース』と銘打たれたものだった。ここでクリスウディの代表作がカヴァーされていたのは言うまでもない。トーキング・ブルースに早くから注目した先駆者として、ウディと共に評価されるべき人物だろう。
  後先になってしまったが、現在のフォーク・シーンでもよく歌われているこのギター弾き語りブルースのもう一つの特徴は、アコースティック・ギターの独特のスタイルで、歯切れのよいベース・ラン、そしてシンプルなコード・ストロークが多くのフォロワーを魅了してきた。もっともクリスに代表される初期トーキング・ブルースでは、まだまだギター奏法は荒削りだったが、ウディ経由で憶えたランブリング・ジャック、そして今度はこのジャックから学んだディランなどが"トーキング・ブルース・ギターの美学"と言えるほど、カッコいいギター・サウンドに高めてくれた。60年代フォーク・リヴァイヴァルが受けた背景には、こうした点もあったと言ってもよいだろう。
  主な継承者を最後に紹介しておこう。ジェリー・ジェフ・ウォーカーサミー・ウォーカータウンズ・ヴァン・ザントピーター・ケイスフィル・オクスなどは、よく知られるところだ。特に鋭いプロテスト・ソングとして高い評価を受けたフィル「トーキング・ベトナム」「トーキング・キューバン・クライシス」は、数あるトーキング・ブルース作品のなかで最高傑作といえる。知られざる名唱名演の一つとして、黒人フォーク&ブルース歌手のミシシッピ・ジョン・ハート「トーキング・ケーシー」も挙げておこう。この作品は朴訥とした語りと、彼が珍しく弾くボトルネック・ギターが感動を呼ぶ傑作。華麗なフィンガー・ピッキングだけがミシシッピ・ジョンの看板ではないのだ。

 


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