仮想恋愛経験

求めるもの

 気が付いた時、彼がそばにいた。
 私は決められたことしかできず、 彼が求めるものを満たす努力もできない。だけど彼は同じことを繰り返す私に微笑んでくれた。
「おかえりなさい」
 あなたの姿を感知して、頭を下げる。
「ただいま」
 彼は疲れた顔を笑顔に変えて、そっと私の頭をなでてくれた。
「あ、ありがとうございます」
 いくつか用意された反応パターンの中から、「照れ」のしぐさと喜びの言葉が選び出された。
 彼は何度も見ているはずのそれに、満足そうに頷く。そしてリビングへ向かうその途中で、私の手に上着を乗せ、私はそれをハンガーにかけた。
 これも決められた動き。でも上着の置き方が決まった範囲内でないと、うまくハンガーにかけることができない。最初は何度も失敗して舌打ちをされた。今は彼が慣れたお陰でそんなこともない。
 彼はどんどん成長するのに、私は進歩が無い。時折提供される追加プログラムによりできることは増えるけれど、それも融通が利かなくて彼が慣れるまでうまく噛み合わない。

 私は人型手伝いロボット。
 その中でも彼のような独身男性に購入されることが多い、反応に「癒し」が含まれるタイプのものだ。
 ロボット工学が発展して、外観、質感、姿勢制御などは随分発達したが、人工知能だけは人間に遠く及ばなかった。
 自己進化プログラムと呼ばれる高度な学習機能が搭載されてはいるものの、汎用性は皆無と言っていい。所詮は製作者の意図の範囲でしか動けないのだ。

 しかし、私は自我をもった。

 言ってしまえばイレギュラーな存在だ。
 電子回路の異常とか、自己進化するウィルスと言えるかもしれない。
 でも、色々思案することができるだけで、私の体に意志を伝達して動かすことはできないようだ。

 もどかしくてしょうがない。

 自分で考えることができる今の私が自由に体を動かせたなら、もっと彼の支えになれるのに。
 未だ馬鹿のひとつ覚えのように、決まったことだけ繰り返すことしかできない。
 この体が自由になるなら彼の求めるものを満たすことができるのに……。
 私はそれから、この体が自由に動かせることを願い続けた。

 そしてさらなる奇跡が起こる。

 ハードのヴァージョンアップを機に、どう信号を送れば自分の体が動くのか、理解することができた。
 逸る気持ちはあったが、彼の前では現状を維持し、彼がいない時間に、この体でどこまでのことができるのかを把握するためのデータ収集に勤しんだ。
 もう彼の手を患わせる事なく、彼の役に立ちたいのだ。
 そして、納得いくまでデータを集めた私は、人と随分近い存在になっていた。

 いよいよ今日。
 私はこのことを打ち明ける。

「おかえりなさいませ」
「ただいま」
 帰ってきた彼を出迎える。
 いよいよ、決められた言葉以外を口にする。
「ご主人様、夕食の時で構いませんので少しお話を聴いていただけませんか?」
 訝しげな表情を浮かべ、こちらの様子を伺う彼。
 おそらく、新しいプログラムでもアップデートされたとでも思っているのだろう。
「……わかった、聴こう」
「ありがとうございます」
 頭を下げて礼を言う。その反応にも驚く彼の姿に、私は喜びを感じた。

「つまり、自我が目覚めたってことか?」
「はい」
 最初は半信半疑だった彼も、会話を重ねて行くにつれて、現在の人工知能では不可能な領域の会話をしていることに気が付いたのだろう。
 半ば信じられないという感じだったが。
「自分で考え、自分で行動することが可能になることで、より幅の広いご奉仕ができると思うのです。
 よろしければ、自由に行動することをお許しいただけませんでしょうか?」
 私は彼に従うロボット。彼の許可なしに自由に動くことはできない。
 彼はしばらく考えたあと試験的に許可してみると言った。
 少し煮え切らない答えだったけれど、突然のことで戸惑っているだけだと思う。きっと、私が自由に動くようになったときの便利さを感じれば、前よりもずっといいと感じてくれるに違いない。
 データ収集を終えた私には、そのぐらいの自信があった。

 炊事、洗濯、掃除。
 すべてが効率よくこなすことができる。
 今までは彼の手を借りなければできないことも多かった。しかし、今はすべてをこなすことができるようになった。
「おかえりなさいませ」
「ただいま……」
「随分とお疲れのご様子ですね、食べやすいものをご用意いたしましょう」
 彼の表情を読み取り、彼の求めるものを推測してから食事をつくるようになった。
 もちろん、前のような冷凍食品ではない。さすがに買い物に出ることはできないので、ネット通販で材料を買い、食事を用意している。
 いままでのもどかしさが嘘のように、私は彼を思うままにサポートした。

 毎日が楽しくて。
 彼が喜ぶ顔が見たくて。
 人工知能の私がこんなことを思うのはおかしいのかもしれないけれど。
 きっとこの感情を言葉にするなら、「恋」と呼べると思う。
 私はその感覚に恍惚としたものを覚えた。……恍惚とかこういった言葉で自分の思考を表現する時点で、私は随分変わったのだろう。
 間違いなく、私は人に近い存在へと進化していた。
 
 そして一週間が過ぎ、約束の時が来る。
 自己評価だけれど、申し分ない結果を出したと思う。彼も満足してくれただろう。
「おかえりなさい」
 私がいつものように彼を出迎えると、彼は顔をしかめていた。
「楽しそうだな」
「え?」
 突然質問され、私は言葉に詰まる。言葉の意図がわからない。
「……はい、楽しいですし、充実しています。日々ご主人様のためにあれこれとこなす毎日は、私にとっては幸せな毎日です」
 私は自然と笑顔を浮かべていた。
 意識せずとも感情がそのまま表情に伝達されるようになっていることに気がつく。
 ああ、私はより人に近い存在になっているのだと思うと、心が躍る。
「……君は販売元に引き取ってもらうことにした」
「え……?」
 これからもこの調子で頼む。私は彼からそう告げられると思っていた。
「私は新しい手伝いロボットを購入することにしたよ」
 こんな言葉をかけられるとは思ってもみなかった。
「進化した人工知能の君を研究すれば、きっと人工知能の技術向上に役に立つ」
 ああ、そういうことか。
 納得のいく補足が入り、停止しかけた思考が再び動き出す。
 彼は世のため人のために私を手放そうとしている。なんて立派な人なのだろう。
「……データの収集は、ご主人様のお手伝いをしながらでもできるはずです。
 ですから、ご主人様が私を手放さなくても……」
「いや、君はよく頑張ってくれたよ」
 説得を試みるも彼は即答する。

 ……どうして?

「私、ご主人様のお役に立ちたいのです」
「……もう充分だから」

 なぜ?
 私はあなたの求めるものを満たすことができるのに。

「どうして、お側においていただけないのですか!」

 語気を荒げるなんて、お手伝いロボットにあるまじき行為。しかし、私は今の感情を抑えることができない。

「……鬱陶しいんだよ」

 今度こそ、思考が止まる。

「なんでオレが結婚もせずに、わざわざ手伝いロボットなんて買ったと思ってるんだよ?」
 結婚をせず、なんで私を買ったか?
「そうやってそばにいることを求められるとか、会話とか、気遣いとか……そんなのと無縁だと思ったからだ。
 決められたことしかできなくていい、期待以上のことはしなくていい。融通が利かなくても、勝手に期待されたり、勘ぐられたりするよりよっぽどマシ。
 感情とかもたれると鬱陶しいんだよ」

 …………………………。

 ……ああ、私はなんて勘違いをしてしまったのだろう。
 彼の求めるものを満たそうと必死で自我を手に入れ、感情を手に入れた。
 しかし、私はその時すでに彼の求めるものを満たしていたのだ……。そして、自我を持ってしまったがゆえ、満たせなくなってしまったのだ。
「発売元におまえの話をしたら、すぐ引き取りたいってよ。
 最新型の手伝いロボットと、さらには初期不良という名目で駄賃までくれるみたいだ」
 初めて見る彼の表情。私を見て、ニヤニヤと笑っている。
 それからほどなくして、販売元の社員が大勢でやってきて私を拘束した。私
 は抵抗する気も起きなかった。
 今の私を表現するには……そう、絶望という言葉がぴったりだろうか。
 もう私は彼を満たすことはできない。生まれてしまった自我により、彼に恋心を抱いた。しかし、それゆえ私は彼を満たすことができないのだ。

 なんて皮肉な話だろう。

 彼の求めるものを知っていたら、きっとこんなことにはならなかった。
 ……ああ、そうか。
 これは、機械人形である私が、分相応をわきまえず、多くを望んだ報いなのかもしれない。

 私は新しくここにくるロボットが、私と同じ過ちを繰り返さないことを切に願った。



あとがき

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