Not Friends

弟10話 神の在処

 澄み渡った空の下、空の爽やかさとは対照的な薄汚れた作業着に身を包み、NotFriendsメンバーはウィングバーニアの製作に精を出していた。
 外で作業をしているのは、集団で溶接作業を行っていたため。シップの格納庫でも換気機器を利用することで実行することは可能だが、多人数でやればやはり換気しきれないところがある。天気の良さも手伝って、ミルカが外での作業を考案した。
 悪くないとメンバー全員が思っていた矢先に、耳を貫くような大きな音が鼓膜に直撃する。 
「私たちの指針はビリヴァー神のみです!」
 白昼に響く司祭の声。
 ウーリーはビリヴァー像の足元に設置された舞台に立っていた。いつもの集会にはエルがその場に立っている。
 ビリヴァー教において、司祭はビリヴァー教の最高位の存在であるが、普段は黒子に徹しており、このように表立った舞台に立つことは非常に少ない。特別な行事か、有事の際ぐらいだろう。
 今は言うまでも無く後者である。
「神を愚弄する帝国に屈してはなりません」
 数々の宗教がその存在を否定され、蹂躙されている。その手はすでにすぐそこまで迫っているのだ。
「戦いましょう。私たちには聖騎士団があります。そして何より、ビリヴァー様の加護があります」
 その声はブリタート中に響き渡り、遠く離れたネイたちにも届いていた。
 シリアはその声に顔をしかめずにはいられない。
 聖騎士団とやらで帝国軍と戦うのは馬鹿げていた。
 聖騎士団はたかだか20機のSP部隊だ。しかも、ヤマヤVシリーズを使っていることから、人材も戦闘慣れしていないことが窺える。ヤマヤUとヤマヤVに大きな性能の違いはなく、違いはパイロットナビゲートシステムだけだ。戦闘慣れした人員がいるなら、コスト面でヤマヤVは選ばない。確かにヤマヤVシリーズならば、素人でも訓練されたパイロット並みの動きができるだろう。しかしそれはあくまでテキスト通りの動きである。実戦慣れしたパイロットには遠く及ばない。
 それで帝国軍と戦うなど自殺行為以外の何ものでもない。しかし、反対する声はないようで、それがまたシリアを苛つかせた。
 ビリヴァーを至高の存在と信じきっている者たちにとって、司祭の言葉は絶対であると言っていい。だから、ここに住む者たちが、今の声に従わない訳が無いのだ。
 神のために命を捨てる。神を強く信じる者は、本気でそれをやってのける。
「シリア?」
 シリアは、ミルカに声をかけられ、初めて自分の手が止まっていることに気がついた。どうしても気になる。どうしても感情がざわめく。
「……まだまだ時間がかかりそうね」
 ミルカに対し、何かを気取られないようにするには感情を表に出しすぎていた。だから、あからさまにとぼけることで遠ざける。
 ミルカは余計な詮索をする人間ではない。こうしてとぼけることで、これ以上の詮索を拒む意思表示をすれば、おとなしく引き下がってくれるのだ。
「そうね。オザワのシップはあと一日で修理が済むって言うわ。とりあえず、この街に帝国軍が来る前には脱出できそうね。残った作業は空でやればいいでしょ」
 ミルカは変えられた話題にのることで、シリアに詮索の意思が無いことを示す。彼女は洞察力があり、気遣いのできる人間だ。シリアとの距離が縮まらないのも、そこに原因があるのだが。
 シリアは作業をしているブルーに目を向ける。彼はこの街を放っておくのだろうか。鈍感な彼であっても、帝国軍に攻め込まれれば、ここがどうなるかぐらいはわかるはずだ。
 今までの行動から推測される彼の「正義」ならば、この街を放っておかない。
(何を期待しているんだろう)
 確かに今、自分はブルーに期待していた。彼がこの街を見捨てられないということに期待していた。
 しかし、シリアは彼の正義など信じていない。
(ああ、そうか)
 気に食わないのだ。神のために消えていく命が。
「す、すいません……」
 物思いに耽っているシリアに、控えめな声がかけられる。
 リンでは無い。こういう風に声をかけられたのは二度目であるため、すぐにそれ誰かわかった。
「ビリヴァーの巫女様?」
 ミルカが驚いた口調で言うと、エルはビクリと反応した。
「あららん? 怖がらなくていいのよん。どうしたの?」
 ミルカはその反応に微笑を浮かべて、エルに歩み寄る。
「……あの……その……」
 要領を得ないエルの口調。ミルカは落ち着かせるためににっこりと笑ったが効果が見られなかった。
「……帝国軍から警告でもあったの?」
 そこでシリアが口を開く。その言葉には、この場にいる全員が反応を示した。


 突然の意外な来客に、NotFriendsメンバーは作業にきりをつけ、エルの話を聞くことにする。
 最初は要領を得なかったが、ミルカとブルーになだめられ、徐々に落ち着きを取り戻していったエルはゆっくりと話し始めた。
 その話の内容は、自分たちにも関わることだった。
 ついさっき、ブリタートに向けて帝国から警告があったらしい。
 帝国の要求は三つ。無条件降伏。宗教の自由の受け入れ。ここまでは他の街と変わらないが、決定的に違う内容があった。
 ビリヴァー像の廃棄。
 例え、最初の二つの要求に飲んだとしても、ビリヴァー像は廃棄しろと言っているのだ。こんな要求は初めてである。宗教関係の建造物は、要求を受け入れれば破壊されることはなかった。
「うっ……ううっ……」
 エルは、ウーリーが帝国軍からの警告を受けているところを立ち聞きしてしまったらしい。よほどショックが大きかったのか、顔色を失ったその顔は見ている方が辛かった。
「それで、司祭様が……戦うって……」
 エルにとっては、それが一番の衝撃であったに違いない。目に溜まっていた涙が一気に零れ落ちていた。
 NotFriendsメンバーは、そんな彼女に何も声をかけない。
 自分たちにできることが何も無いからだ。街を守って戦うには、相手が強大すぎるし、その意義も見つけられない。ブルーですらそのことを理解している。
「それだけじゃないんです……。司祭様が……あなたたちのSPを接収するって……言ってました」
 関わりが無いわけではないが、密接に関わる話ではないと思っていた。しかし、思わぬところで関わってくるようだ。
 戦うと決めた宗教家は手段を選ばない節がある。ウーリーがそう考えるのも、それほどおかしくはなかった。
「……人様の物を奪ってまで……絶対おかしいです……だから、私……」
 エルの中の信仰と、ブリタート全体の信仰に大きくブレが生じていた。それが彼女をここへと導いたのだ。
「忠告ありがとう。面倒にならないうちに撤退することにするわ。ね?」
 ミルカはできるだけ彼女の気持ちを汲むように微笑み、皆に同意を求める。それに対してネイとブルーが頷いた。この場にリンはおらず、ミルカの問いに答えなかったのはたった一人。
 その人物であるシリアは、変わりにエルに対して言葉を突きつけた。
「あなたはどうするの?」
 その問いは、エルの心に突き刺さるものである。
「私……私……は……」
 気持ちが定まらず、ショックを受けているエルは、何も言えずに目を逸らす。シリアがしていることは、エルを傷つける行為である。しかし同時に、可能性を生み出すものでもあるのだ。
 ネイもミルカも、ブルーでさえ、この街をただ去ることを選んだ。ただ一人、もっとも人との接触を避けるシリアが、彼女との関わりを絶とうとしない。
 おそらく、ブルーが同じことをしたのなら、ネイとミルカ……そして、本来ならシリアに諫められていることだろう。だが、そのシリアの行動だということが、他のメンバーに何も言わせない。
「言っておくけど。世の中はそんなに甘くない。帝国軍が攻めてくれば、素人が乗るSP20機なんてすぐやられる。信仰を捨てない限り、あなたたちは助からない」
 落ち着いた単調な口調はどこまでも冷たく、その言葉がリアルであることを思い知らせた。
 エルは口を開けて、何か言おうとするだけで何もできない。
「……ちょ、ちょっと……」
「黙って」
 見かねたミルカが割って入ろうとするが、ネイに止められる。
「命を捨ててまで戦うなんて馬鹿げてる。神なんてこの世にいない。ここで戦うなんて、それを証明するだけ」
 冷たい言葉が熱を帯びてくる。エルの考えを真っ向から否定するシリアは、エルに徐々に歩み寄っていた。
 近づく声。近づく顔。サングラスに覆い隠されたその顔は、表情が読み取れず、恐ろしかった。
「それでも……、私は信じたいっ! ビリヴァー様を信じたい! 」
 追い詰められたが故の感情の爆発か、エルが叫ぶ。
「……信じる者は救われる? 」
 対してシリアは静かに言った。それはエルの声とは比べ物にならないほどの小さな音量だったが、それ以上の威圧感があった。
 シリアのその言葉は、ビリヴァー教で重要視されている考え方のひとつだ。
 エルの心臓はバクバクと鳴っていた。エルは、まさにシリアの言ったことを考えていた。信じていれば、信じ続ければ、いつかは救われると。
「神の救いなんてありはしない。あなただけでも逃げなさい」
 距離がさらに詰まる。口調はどんどん荒くなり、この場にいる全員が動けなくなっていた。十三歳の少女の雰囲気は微塵も無い。
 普段のシリアとはまるで別人のようだった。感情に帯びたその態度と口調は、いつものシリアを知るメンバーには考えられないものだ。
「巫女が逃げたとあれば考えを改める人もでてくるかもしれないわ」
 シリアの口元が歪んでいた。歪んでいるというのは適切ではない。端の上がった口元は笑っているということなのだが、どうしても歪んでいるように見えてしまうのだ。
「……それでもあなたは命を賭して神を信じるの?」
 シリアの言葉は恐ろしく甘い言葉だった。自分の命だけでなく、他の命を救うことにも繋がるかもしれない。この場から逃げる理由としては充分だ。
 エルは自分の胸元をギュッと掴んだ。色々な想いに心臓が悲鳴をあげる。
「わ、わたし……わたしはっ!」
 エルはシリアから目を背け、空を見上げた。いや、空を見たわけではない。
 空にそびえる信仰の象徴。エルが、ブリタートが信じる神の像を見ていた。
 帝国軍に目を付けられた女神像。その表情はどこまでも穏やかで……。
「……そっか」
 納得するように呟く。
 考えてみれば、この街に留まって戦おうとするのはあの像があるからである。あれはただの偶像に過ぎない。所詮は人の造りしものに過ぎない。あんなものに神が宿るはずなんてない。
 それなのに。
 それを崇め、護るためにこの街の人間たちは命を捨てるのだ。
 諸悪の根元とも言える女神像に、救いを求めるような視線を向けるのが気に入らなかった。
「証明してあげる。神なんていないことを」
 踵を返し、シップへと向かうシリア。あまりにも唐突で、あまりにも意外な行動だったが、ネイは迷わずその背中に着いていく。
 残された三人はしばらく呆然としていたが、やがてブルーとミルカは、エルをちらりと見てから二人を追った。
「…………………………」
 エルはその場から一歩も動くことができない。シリアの迫力の後遺症で全身が硬直しきってしまっている。頭もうまく回らなかったエルは、シリアの言葉の意味を理解することができるはずもなかった。


 自分はとても自己中心的でわがままだと思う。
 だけどこの感情は抑え切れなくて。
 四番格納庫で自分の相棒だった機体を見据える。
「……………………」
 それなのに、とても臆病だ。
「……シリア……」
 近づいてくる気配には気がついていたが、特に何もしなかった。普段であれば、いや、この人間でなければこの場所に足を踏み入れさせることはない。
 言葉を交わさずとも通じ合えるのは幸か不幸か。
「オザワにもブリタートの不穏な動きを教えて、できるだけ早くここから出て行ったほうがいいわ」
 積極的に話をするのは、ことの確信にあまり触れてほしくなかったから。
「どうするつもり? 」
 しかし、その思惑は彼女には通用しない。シリアの話しかけた人物であるネイは、単調な口調で問う。
「……どうしても、壊さずにはいられないのなら、私がやってもいいわ」
 そして、間髪いれずに話を切り出した。
「……………………」
 シリアは、ネイの問いには答えず、代わりにSPを見上げる。
 控えめな証明に照らされたSP、フレスベルク。
 この機体が最後に起動したのは、二年も前のことだった。
「きっと、いい機会なのよ」
 ゆっくりとフレスベルクに歩み寄り、そっと手を触れる。
「……もう、戦わないなんて言ってられないから」
 自分は信じてしまった。そして間違ってしまった。何も疑わず。このフレスベルクで多くの命を奪った。
 ……考えるのは怖いことだ。
 自分の過ちに気が付いてしまうかもしれないから。いくら自分を否定し続けても、生きている以上過ちを犯している可能性があるのだ。
 行動するのは怖いことだ。
 それが間違っているかもしれないから。
 何が正しいかなんて誰にもわからない。そんなことはわかっている。だけど、この胸を締め付け続ける悔恨の念は、間違っていたと思えることをしてしまったからだ。
 だから武器をとるのは怖い。だけど。
「怖いなんて言ってられないから。もう充分……甘えたから」
 子供だからと言って許されないと思うからこそ恐れていた。子供ゆえに許されるから戦わなかった。そんなわがままは、そろそろ終わりにしなければ、大切な場所は守れない。
「今回……目を背けてきたものを使ってまで、シリアが戦う理由は何?」
 そんなシリアに対し、ネイは今までの話題からは少しずれた問いを投げかけた。その口調は、ネイには珍しく少しおどけた口調である。
「気に入らないから」
 シリアが即答したときの口調もおどけていて……二人は思わず吹き出した。
 ネイもシリアも、冷静で客観的に物事を見る目があるくせに、個人的な感情で命をかけることがある。
 二人はよく似ている。
「気に入らないから」
 それはSHOTの事件の際、ネイも口にした言葉であった。


 出し抜かれた。
 戦力は少しでもあるに越したことはない。この場にヤマヤ工業の飛行シップと、護衛のSP部隊がいるのは神の思し召し以外の何ものでもなかったはずだ。
 協力を求め、拒むなら武器だけでも提供させるつもりだった。例え力づくでも。
 だが、オザワの飛行シップはこちらに連絡もせず飛び立っていった。護衛のSP部隊が搭載されていた陸上シップもない。
 モニタに映る飛行シップの開閉扉はまだ不十分な出来であったが、それでも最低限の機能を満たせるぐらいまで仕上がっている。
「司祭様……」
「勘の働く人だったのでしょう。仕方がありません。現在の戦力で帝国軍を迎え撃ちましょう」
 司祭の表情は、話の内容とは裏腹に穏やかだ。
 一時は怒りの感情に我を忘れてしまったが、神の意思に従っているという意識が冷静さを取り戻させる。
 自分の意思はビリヴァー神の意思と同じであるという想いが、彼を冷静にさせているのた。
「司祭様っ! 」
 そんな彼のもとに慌ててやってくる聖騎士団のメンバー。
「……何事ですか? 」
 その様子から、何か良からぬ自体が起きてしまったことは想像に容易かった。
「帝国から通信が……ビリヴァー様の像を今すぐ破壊すると……」
「……ッ! 今すぐだと? 帝国は期限を守ることもしないのかっ!」
 猶予は3日で、まだ1日しか経っていない。
 まだ期限までは2日もある。何がどうしてそういうことになるのか。司祭は再び穏やかな表情を失う。
「……それで……、帝国軍と思われるSPが街の外に……」
「くっ!
 どこまでも自分勝手な……。相手は何機ですか? 」
 司祭という立場から、感情の高ぶりをなんとか抑えようとしていたが、どうしても声色は怒気を孕んでしまっていた。
「それが……1機でして……」
「……1機?」
 それは怒りの感情が霧散してしまうほどの意外な事実。相手はたった1機。しかし、それならなぜこの者はここまで動揺しているのか。
「……その……モニタに映像を転送させます。とにかく見てください」
 報告者が指示を出すと、部屋に備え付けられていたモニタが1機のSPを映し出した。
 それとともに部屋がどよめく。
「なんと……」
 確かにSPは1機しかいなかった。
 しかしその外観は、1機でも充分な威圧感がある。
 赤と黒がベースのカラーリングに加え、そのデザインは見る者に恐怖を覚えさせた。
 まず目につくのは頭部。デザインをした者の思考を疑いたくなるほどの凶悪な表情。吊り上がった真っ赤な目。牙を携えた口元。SPではあまり表現されていない口があるだけでも充分な異様さがあるのに、その牙のデザインがさらにそれを強めている。
 身体の所々にトゲが生えており、その背中には翼が生えている。モーリガンのウィングバーニアとは少し形状が違うものが左右4つずつ。よく見ると、それとは別にモーリガンと同じ型のウィングバーニアが生えている。
「……悪魔……? 」
 無意識にそこの言葉を口にするウーリー。その姿は、否応にも伝承にある悪魔を想像させた。
「こちらの様子を伺っているようで……、あの場から動いていません。どうされますか?」
「……聖騎士団を出撃させましょう。ビリヴァー様の像を破壊させる訳にはいきません」
 少しの躊躇いのあと、ウーリーは戦うことを決意する。
 相手は一機。援軍があるのは間違いないだろうが、一機しかいないなら破壊するのは容易いはずだ。少しでも戦力を減らそうとするのは当然のこと。
「すべてはビリヴァー様のため。聖騎士団。ビリヴァー様をお護りするのです」


 かつて吸血天使と呼ばれ、恐れられた部隊があった。その平均年齢は十歳。優れた遺伝子から生み出された子供達に、帝王が神であると教えこむことによって、絶対の服従を刷り込ませる。そして、厳しい戦闘訓練を経て、命を奪うことを「救済」と表現して戦わせた。
 本人達は自分が神の使いである信じていたことから「エンジェル隊」と名乗るも、エンジェル隊に与えられたSPの外観と、躊躇うこと無く命を奪うその戦いぶりから、「吸血天使」と呼ばれるようになった。
 ブリタートに単身現れたこのSPこそ、吸血天使が搭乗していたSP、フレスベルク。
 フレスベルクは、現在はこの一機しか残っていない。吸血天使は、戦争集結時、役目を果たしたとして天に還った。フレスベルクに搭乗したまま、パイロットが自爆したという意味なのだが。
 帝国軍は、旧同盟軍がSP開発を成功させたあと、このような特殊部隊をいくつか結成した。そのどれもが非人道的で、遺伝子操作や薬物投与、精神操作を行っている。バーサーカーもその一つ。
 闇の部隊とも言えるその戦士達は、戦後の世には不要なものであったのだ。

 吸血天使の生き残りであるこのフレスベルクのパイロットは、唯一自分の行動に疑問を抱いた存在。
 両親を失い、涙を流す少女に何かを感じ、禁忌とされていた他者との会話を行った少女の名はシリア・カイザーズ。
 親の無い戦士たちは、帝王と同じファーストネームを与えられ、帝国のためにその命を散らすのだ。
 だが彼女は今、自らの意思で、自らの想いに従いこの場にいる。
 過去の幻影を打ち砕くため。許せない理不尽な存在を打ち砕くため。
 神を模す虚構の偶像を壊すため、彼女は再びフレスベルクを乗ることを決意した。


 聖騎士団が出撃するとともに、フレスベルクがゆっくり動きだした。
 そのタイミングは、まるで待っていたと言わんばかりだ。
 神を守る聖騎士団のSPの数は20。
 フレスベルクの目的はビリヴァー像の破壊。ビリヴァー像は街の中心に位置しているが、それほど大きくない街であるため、街に侵入せずともプラズマで狙い撃てる。そこまで距離を詰められれば目的は果たせるのだ。そして、聖騎士団の出撃準備が整うまでに、その距離まで移動する余裕は充分あった。にも関わらず、フレスベルクは敢えてそれをしなかった。
 フレスベルクと聖騎士団は、充分離れた位置にいる。その距離を考えると、戦場は街から離れた見晴らしの良い平原になると想像できた。身を隠す場所は少なく、数で圧倒できる聖騎士団が有利としか思えない状況だ。
 先手を打とうと、ローラフットとバーニアを用い、プラズマの有効射程まで接近を試みる聖騎士団。対してフレスベルクはゆっくりと歩行している。
 フレスベルクにしてみれば、街の近くで戦うほうが有利であろう。聖騎士団は街を護る必要があるのに対し、フレスベルクにその理由は無いからだ。だから、少しでも早く距離を詰めたほうがいい。
 不可解としか思えない行動。その行動原理は、聖騎士団には解りえないだろう。
 戦いが始まるまであとわずかのところまで両者の距離が詰まった。そこで、フレスベルクの翼が広がる。実際にはそうではないが、聖騎士たちにはそう見えた。
 広がっていく翼。最初はそう見えたが、そうでないことがすぐわかる。翼を構成していた羽が四散したと表現すればよいだろうか。とにかく、八つの何かが空へと放たれた。
 そこで、プラズマの有効射程距離に両者が到達する。
 聖騎士団は出し惜しむことなく、大量のプラズマをフレスベルクへ降り注いだ。無数のプラズマが迫り来る中、フレスベルクに唯一残された翼が煌く。
 大量のスザクの炎を吐き出してフレスベルクが動いた。
 それは、常人が狙いを定めるには速すぎるスピードであった。SPのスペック的には、聖騎士団のヤマヤVシリーズも、同程度の速度を出すことは可能だ。だが、まともに操縦できない。
 直線的な動きしか必要ないならば話は変わってくるが、細やかな操作が必要なこの場において、このスピードはありえない。
 しかしこのフレスベルクは、大量のプラズマを器用に回避し続けていた。
 ウィングバーニアは、自在に噴射位置を指定できる。だからこそ使いこなすのは難しい。だがその恩恵は大きく、このような無茶を実現することができた。
 モーリガンが装備しているウィングバーニアはこのフレスベルクのレプリカである。ネイたちも使いこなせてはいるが、一番上手く使えるのは子供の頃からこの機体に乗っていたシリアであろう。
 異常に速い動きに、聖騎士団は翻弄されてはいたが、それでも圧倒的な数の差は埋められるはずもなかった。フレスベルクからの攻撃は一切無い。おそらくは攻撃をする暇がないのだろうと聖騎士団は予想した。
 しかしそれは間違いである。
 フレスベルクが最初に放った翼が戦場に舞い戻る。それは縦に並んだ二本の棒で構成され、自律運動が可能な飛行ユニットのようだった。その動きは不規則で予想がつかない。
 その飛行ユニットが攻撃してくる様子はなかったが、疑わしい物は破壊しておくに越したことは無い。聖騎士団はフレスベルクに集中していた攻撃の手を、飛行ユニットにも回した。
 そこで飛行ユニットが動く。並んだ二本の棒が離れ、そこにエネルギーの膜が発生した。その膜はまるで鏡のように、向かい合うものを映している。
 聖騎士団が放ったプラズマがその膜に命中したが、そこで通常では考えられない現象が起こる。
 プラズマが進路を変えたのだ。反射したのである。
 跳ね返ったプラズマによる被害は無かったが、その現象は聖騎士団に大きな衝撃を与えた。
 ミラージュユニット。
 フレスベルクに搭載された特殊兵器。
 ミラージュユニットは、プラズマを反射するリフレクターフィールドを発生させることができる。リフレクターフィールドは展開時間が短く、再度展開するためには時間を要する。この技術自体は世界が周知しているものだが、運用の難しさとコスト面の問題で、積極的に兵器に取り入られることはない。この技術を実用しているのは、帝国のこのミラージュユニット以外は存在しなかった。
 その名の通り、鏡のような飛行ユニット。普段からプラズマを反射するリフレクターフィールドを展開しているわけではない。いつもは物を映すフィールドを展開しているだけだ。プラズマを反射するのは一瞬のエネルギー展開時のみで、それ以外の場合は、プラズマはフィールドを突き抜ける。
 普段は鏡と変わらない。しかし、それだけでも曲者だった。
 戦場がミラーハウスと化したと表現すればいいだろうか。その中に、フレスベルクが変わらぬスピードで突入した。
 パイロットの視界に、鏡に映るフレスベルクが入ってくる。まやかしでしかないのだが、動きの速さも手伝い、どれが本体か区別がつけられずに困惑する聖騎士団。
 しかし、この兵器の効果はそれだけに留まらない。
 フレスベルクがミラージュユニットを展開して数秒もしないうちに爆音が起きた。聖騎士団のSPの頭が、プラズマで撃ち抜かれたのだ。
 そのパイロットはコクピットの中で呆然としていた。認識できる範囲で、敵は確かに自分に銃口を向けていなかった。しかし、数秒後に自分の機体の頭部が撃ちぬかれた。しかも後ろから飛来したプラズマによって。
 別の角度からそれを見ていたSPパイロットたちには真相がわかっている。フレスベルクの撃ったプラズマは、ミラージュユニットを経由して敵を撃ち抜いたのだ。
 理屈はわかるが、どうしてそんなことができるのかは理解できなかった。
 激しくプラズマが行き交うこの戦場で、不規則に飛び交い、一瞬だけ展開されるリフレクターフィールドを利用するなど、到底できるとは思えない。その意味を理解する間も無く迫るフレスベルクに、聖騎士団たちはプラズマで応戦する以外できなかった。
 通称ミラージュ・アタック。フレスベルクが行っているのはそれである。フレスベルクに乗るさい、必須スキルとなるそれは、優れた遺伝子を持ち、幼い頃からSPの操縦を教え込まれたからこそ習得できるものだった。
 ランダムに動くと思われがちのミラージュユニットの動きはパターン化されている。リフレクターフィールドの展開もしかり。そのパターン数は五十種類を越え、フレスベルクのパイロットはそれをすべて記憶している。
 ミラージュユニットがどう動き、いつリフレクターフィールドを展開するかがわかれば、戦闘で活用することは可能だ。もちろん可能であるだけで、実戦でそれをするのは困難を極める。
 ミラージュユニットの動きを把握していても、敵の動きまで把握できているわけではない。敵の行動とミラージュユニット動き。その二つに密接な繋がりは無く、瞬時の判断力と、鏡に映る虚像に惑わされない強い認識力が必要とされる。
 エンジェル隊は幼い頃からSPの操縦とミラージュユニットの活用法を叩き込まれた。ミラージュユニット動きを完璧に把握し、その有効活用方法を瞬時に導き出す能力を備えているのだ。
 エンジェル隊の戦闘能力は、SP6機で構成される小隊を、一機で相手にできるとされていた。
 そのエンジェル隊の中でも、シリアは特別だった。普通ならば、1機で20機と戦うのは無謀極まりないが、相手が戦闘慣れしていない素人であるため、奇策に弱いこと、そしてエンジェル隊の中でも随一の操縦能力を持つパイロットであったことが、この戦いを無謀の一言で片付けさせなくさせている。
 鏡の舞う戦場。その中で煌く翼。
 それは幻想的な光景であり、ここが戦場ではなくステージなのではないかと錯覚させるほどだった。


 戦況は圧倒的だった。
「馬鹿な……」
 リフレクターフィールドを利用した、予測できない方向からのプラズマだけではない。必ずしも反射せず、貫通と反射を不規則に切り替えるミラージュユニットは、聖騎士団たちに、予期せぬ流れ弾による被害を出した。
 ものを映す鏡が、状況判断を困難にさせ、それがパイロット達の疲弊に繋がっていることも戦況に大きく影響している。
「相手は1機……こちらは20機ですよ?」
 戦場を映すモニタを見つめるウーリーは顔色を失っている。
 聖騎士団のSPは、すでに17機が行動不能に陥っていた。
「まだ三分と経っていないのに……」
 フレスベルクがミラージュユニットを展開して三分と経過していない。聖騎士団はそれほど短時間で壊滅状態に追いやられているのだ。
 絶望の中、また一機のSPが頭部を撃ち抜かれた。
 現在18機のSPが戦闘不能に陥っているが、不思議なことがある。そのどれもが、魔石エンジンを積んだ頭部の破壊によって戦闘不能に陥っているのだ。
 また1機撃破される。これも頭部を撃ち抜かれていた。
「何なのですか……いったい……」
 わからないことばかりだった。単身でこの街に乗り込んできたこと。聖騎士団が接近するまで動かなかったこと。そして、こちらに死者が出ていないこと。
 その答えが導き出せぬまま、最後のSPが撃破される映像が目に映る。
 最後の1機も、他のSPと同じように頭部が破壊されていた。
 役目を終えたミラージュユニットがフレスベルクの元へと戻る。すべてのユニットが元の位置へと収まると、フレスベルクはゆっくりと街へと歩を進めた。
 どうしても解せない。
 悪魔のような外見で、女神像を破壊しにきたというSP。そのSPは、圧倒的な力を以て、誰一人として命を奪うことなく聖騎士団を壊滅させた。
 戦う気は失せていた。ただただ行く末を見守ることしかできず、運命の時を待つ。
 その中でウーリーは、司祭である自分が考えてはいけないことを考えていた。
 およそ4分で神を護るべくして結成された聖騎士団が壊滅された。あれだけの数の差がありながら、まったく為す術がなかった。否応にも自分たちの力とはこの程度のものかと思い知らされる。
 それによって考えてしまう。信仰の力とはこの程度のものなのかと。……神などいないのではないかと。
 フレスベルクが女神像に向けてプラズマガンを向けた。
 ああ、裁きの時なんだと思った。
 諦めが心の平穏を呼び起こし、自分の行動を思い返すとそんなふうに思えてくる。
 そんなウーリーと信者たちのもとに一通の電文が届いた。
『そこに神が在るのなら、神が宿りし像ならば、奇跡を示せ』
 その内容は挑発的であった。しかしそれを覆すことなどできはしなくて、さらなる絶望を覚えるだけだ。しかし、一人の信者が声をあげる。
「神の奇跡を信じましょう」
 信じる者は救われる。
 その言葉を聴いたこの場にいる全員がそれを思い出した。
 ビリヴァー教の原点とも言えるその教えに、信者は再び祈りを捧げはじめた。
 それから程なくして、フレスベルクのプラズマガンが光を放つ。狙いは正確に女神像の首を定まっており、出力は充分。バリアの無い女神像はひとたまりもない。これほどの出力であれば、爆発とともに飛び散る破片も溶解してしまうだろう。
 プラズマの弾速は決して遅くない。しかし、祈りを捧げる信者たちには、青い閃光がゆっくりと流れていくように見えた。
 奇跡を信じ。神を信じ。祈りを捧げる信者たち。
 晴天の空でもその青い光は冴え渡り、流星のようにも見える。
 流れ星が消える前に、三度願いをかければ適うと言う。おそらく、時の流れから切り離された場所にいた信者たちは、三回以上願いをかけたであろう。
 神の奇跡を……と。
 
 プラズマが着弾する。
 砕け散り、溶解する女神像。
 
 奇跡が起こることはなかった。
 
 最後に一通の電文を残してフレスベルクが去っていく。
『そこに神はいなかった。神は宿っていなかった。
 神の奇跡は起きることなく、女神の虚像は打ち砕かれた』
 目の当たりの現実と、トドメの様な言葉。神の奇跡を信じた者たちは、絶望の中、返す言葉もなかった。


 自分が否定するものに従い、散っていく命が許せなかった。
 自分の決意。
 それに従い、再び戦いの中に身を投じた。
 神などいないという信念を叩きつけた。
 神を信じて命を捨てる者たちに、神などいないと思い知らせたかった。
 成し遂げたと、思っていた。
 しかし、たまたま受信したブリタートの放送は、それを覆すものだった。
 ブリタートは護るべき象徴も、戦うための剣も失った。もはや戦意も戦う手段も無い。
 そのままいけば、いずれ来る帝国に降伏するだろう。
 帝国軍は自分たちに従うものには寛大だ。だから、神を信じて散るはずだった命は繋ぎ止められる。そうなるはずだった。
 
「皆さん、どうか希望を捨てないで」
 モニタに映る少女は、記憶の中の少女と印象が違っていた。
「私たちはビリヴァー様の像を失いました。ですが、ビリヴァー様を失ったわけではありません」
 今までは司祭の考えた言葉を口にするだけだった。
 しかし、おそらくこれは彼女の言葉。
 その瞳に迷いは無い。
「おそらく……、帝国軍と戦う道を選べば、多くの命を失っていたでしょう」
 いつものように女神像の前に立ち、教えを説くように語るブリタートの巫女。
「私たちは、きっとビリヴァー様に救われたのです」
 ブリタートに生きるほとんどの人間が失っていた希望を、彼女は捨てていなかった。
「私は……ビリヴァー様の像を破壊したあの黒いSPが、私たちを救うために現れた神の使いのように思えるのです。
 あのSPは、命を奪うことをしなかった。きっと私たちに、大事なことを思い出させるために、私たちを救うために……ビリヴァー様の像を壊したのです」
 神の使いという言葉にドキリとする。神の使いは、天使を指すからだ。
 
 違う。
 
 神などいないと思い知らせたくて。神のために命を捨てるのが許せなくて。
「思い出してください。ビリヴァー様はいつも私たちと共にあります。ビリヴァー様を信じることで私たちは穏やかな心を得られるのです」
 神の教えを助長することなどした覚えは無い。
「私たちは生きています。私たちはここに在ります。
 ビリヴァー様を信じる私たちがいる限り、ビリヴァー様は存在するのです。
 私たちが失ったあの像は、信仰の象徴とも言えるものでした。ですが、ビリヴァー様が消えてしまったわけでも、信じる心が失われたわけでもありません」
 しかし、おそらくこの少女の迷いを断ち切ったのは自分なのだろう。司祭の信じるものは打ち砕くことができた。しかし、彼女の信じるものを壊すことはできなかったのだ。
 ブリタートの巫女は、胸の前で手を組み、穏やかな表情を浮かべる。その表情は、自分が打ち砕いたはずのビリヴァー像とよく似ていた。
「神の在処はこの胸の中。
 私たちが信じ続ける限り、ビリヴァー様は存在します。
 信じてださい。信じるものは救われます」
 その言葉が心にどっしりと重くのしかかる。
 重くのしかかるものの正体は敗北感。
 神を否定する自分の想いは、この少女の神を信じる心に適わなかったのだ。


 フレスベルクを回収し、アリムへ向かうオザワの飛行シップ。
 そこに搭載されていたNotFriendsの一室で、ネイとシリアはベッドに並んで座っていた。
 二人とも何も喋らず、動くこともない。
「……私も……」
 シリアが注意しなければ聞こえないような小さな声を出すとともにベッド倒れ込んだ。わずかにきしむベッドの振動に、ネイの体が小さく揺れる。
「……信じ続けていたら……救われたのかしら……」
 そう言ってゆっくりとサングラスを外したシリアの顔は、年相応の幼さがあり、普段の雰囲気とは違っていた。
 瞳が不安定に揺らいでいたのが幼く見えた理由かもしれない。
 あのまま神を信じ続けていたのなら、自分もエルと同じような強さを手に入れられたのだろうか。
 ブリタート市民も、街を捨ててアリムへと向かっているらしい。エルが、神を信じ続けたままで生き延びる道を選ばさせた。
 シリアの一念発起の戦い。そのとき胸に秘めた想いは、少女の信仰に適わなかったのだ。
 信じきっていたものが間違いだったと思ったときから、信じることをやめ、疑い続けると決めた。
 辛く、苦しい生き方であることは実感している。
 エルのように信じ続けることをやめなければ、もしかしたら違う道があったのかもしれない。
 ネイはシリアに言葉を返さず、自分もベッドに身を倒した。そしてしばらく考えたあと、シリアのほうに顔を向けずにポツリと呟く。
「……わからない」
 それは記憶の中にある言葉と重なった。
 何も信じられなかったあの時、唯一信じられると思った言葉。
 正直すぎる。しかし、それは弱音ではなくて、しっかりと現実を受け止めて出した答え。
「……そうね」
 思い出される記憶。
 信じるものは救われる。
 必ずしもそうではないけれど、信じることで強くなれることはきっと確かだ。
 
 やはり神はこの世にはいないと思う。しかし、人が神を信じる心は確かにあって、それで救われる人間がいるのも確かだ。エルが語ったとおり、神の在処は胸の中。
 自分の胸の中には神はおらず、信じようとしているものは、神のような絶対的なものではなくて……。むしろ脆くて危うい存在。
 シリアはネイの手に自分の手を重ねた。すぐに繋がる手のぬくもりに、シリアはそっと目を閉じる。
 
 神はここに在らずとも、私はこの道を行く。
 例えそれが修羅の道であっても、私はこの手を離さない。
 
 



次回予告


 リンです。
 ……わかっていた。自分に何か忌まわしき何かが眠っていることぐらい。だけど怖くて、ずっと避けていた。多分これはその代償。目をそらし続けてきた自分への天罰。

 次回、NotFriends第十一話。「覚醒の時(仮)」。

 NotFriendsの意味ですか? ……家族、そう思っていました。



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