工藤 道隆

「沢木 双葉」

 違うのに……。
 私は心の中で何度となく呟いた。しかしそれが友人に伝わるはずもなく、二人は会話を進めている。
「料理上手だよね。双葉って」
「うんうん。今日の調理実習の肉じゃが。双葉の班がダントツで美味しかった!」
 帰り道。私は二人の友人の間にいて、笑顔を作っている。
 ……とても居心地が悪い。
「憧れちゃうよぉ、美人でスタイルもよくって、料理も上手なんて」
「そんなことないよ」
 そんなこと無いんだよ、私。だけど困ったように言っても、謙遜してると思われるだけだ。二人の中の私のイメージは、すっかりできあがってしまっている。
「なんか、家庭的でさぁ、女の子らしくって」
「うんうん、温厚でおしとやかで、なんか大和撫子って感じだよ」
 私を挟んで勝手に盛り上がっている。
 憧れる。女らしい。温厚。おしとやか。
 チクチクと突き刺さる友人の言葉。
 違う。違うんだ。
 私はそんな女の子じゃない。
「あー、ごめんね。千恵、加奈。今日は早く帰らなきゃいけないんだ。四十分の電車に乗りたいから走るね」
 私は時計を見ながら、さも焦っているかのように言った。
「えー?そうなの?そっかぁ、じゃあまた明日ね」
「うん。また明日ね」
 そして笑顔で手を振り合い、急いで走り出す。……早く帰らなきゃいけないなんて嘘だ。
 友人と私の利用する電車は違う。こう言えばついてこないと思ったからそうしたんだ。
息苦しかった。あの場所にいたくなかった。
 だって違うんだもん……。違う……違う……。
 私は頭の中でそれだけを繰り返し、家へと急いだ。

「ただいまぁ」
「おかえりぃ!」
 家に着いて『ただいま』と言えば、元気に返事をする弟たち。
 私はこの沢木家の長女で、三人の弟がいる。
 長男が隆史、中学一年生。次男は憲和、小学三年生。そして三男が雅人、小学二年生だ。
 返事を返したのは憲和と雅人。隆史は最近部活動に精を出しているため、帰宅部の私よりも帰りが遅い。
 両親は二人とも働いている。
「姉ちゃん姉ちゃん!聞いてくれよ!兄ちゃんがぁ!」
「姉ちゃん!絶対雅人が悪いんだよ!俺の話を聞いてくれよ」
 クツを脱いでいるところでバタバタと走ってくる弟二人。二人は我先にと自分の話を私に聞かせようとしてくる。どうせくだらないことでケンカでもしたのだろう。三日に一回はこんな感じだ。
「二人とも、ちょっと来なさい」
 私はスリッパに履き替えると、二人に近くに来るように言った。二人はいがみ合いながら私の前に隣り合って立つ。そこで右手を憲和の頭に、左手を雅人の頭にポンと置いた。
「喧嘩両成敗」
 ゴツン。
 私が力を加減して二人の頭をぶつけると、二人はぶつけたところを押さえて呻く。私はそんな二人の横を素通りして自室に向かった。
「いでででで……」
「ひでぇよ姉ちゃん!話も聞かず!」
 チラッと振り返ると、二人は涙目になって私に何やら抗議をしている。
「ウッサイウッサイ」
 そんな二人を軽くあしらってから自室に入った。二人はまだギャアギャア言っている。
「…………」
 自室に入ると全身を映す鏡に目がいった。
 ……私がいる。本当の私が。
 これが本当の私。
 女らしい。温厚。おしとやか。まるで私を、一昔前の女性の見本かのような目で見る同級生たち。大和撫子とはよく言ったものだ。
 違うのに。そんなんじゃないのに。
 制服を脱ぎ、私服に着替えてエプロンを着けると、開放感を感じる。締め付けられていたものがなくなる。
 いつからだかわからないけど、制服がもの凄く堅苦しいものに感じられるようになった。まるで舞踏会に着ていくようなドレスのような。
 舞踏会では礼儀正しく、しとやかに、女らしくしないといけないのだ。
「ほら、いつまでも騒いでないで夕飯の支度手伝いなっ」
 バタンとドアを開けると、今度はおまえの頭が固いだなんだとケンカをしている弟たちがいた。まったく、しょうがないな。
 煩わしく思う時もある。だけど、私はこのやんちゃな弟たちが好きだ。ふざけあって、騒いで、怒って、叩いて。そういう時間が好きだった。
 夕飯ができあがる頃に母親が帰ってくる。
「今夜はごちそうじゃないのっ!家計考えてるの!?」
 帰ってくるなり、テーブルに置かれた料理を見て言った。
「考えてるわよぉ!渡された少ないお金で栄養バランス、そして飽きさせない献立!そしてそして豪華そうに見える料理を作るのって大変なんだからねっ」
 私がムッとしてヒステリックな声を出すと、母親は悪びれた様子もなく「最初に女を生んでおいて正解だったよ」と豪快に笑った。
 母親が着替えなどを済まし、テーブルに着く頃に隆史が帰ってくる。
「あんた、今日は体操着忘れないで持ってきたでしょうね?」
「あー、やべっ」
 私がご飯を盛りながら言うと、隆史は声変わりしたばかりの声で言った。
「あーあ。しょうがないわね。あんたが悪いのよ? 汗臭さが熟成された、クッサクサ体操着で部活やんなさいよね」
「なっ、なんだよクッサクサって」
 隆史は怒って私に突っかかってくるが、軽くあしらう。最近、ずぼらな隆史を注意することが多いのだが、反抗期なのかすぐにケンカ腰になる。だが、口げんかの弱い隆史は、いつも最後には「もういいっ!」と言って自室に行くのだ。
 そして今は夕食前。部活でお腹を空かせている隆史は、数分後には何事も無かったように食卓にやってくる。
 と、いつもならここら辺で夕食が始まるのだが、たまに父親が早く帰ってくることがある。今日はたまの日だったらしい。
「ただいまぁ。今日は夕食に間に合ったよん。おおっ、ご馳走じゃあないかっ!」
 二枚目の渋い中年のくせして、軽いノリでこのセリフ。これが私の父親だ。
「うふふっ、奮発しちゃったのっ!」
 ちなみにこの言葉は私のものではない。母親の言葉だ。
「さすが母さん!」
「作ったのは私だけどね……」
 全員の分を盛りつけ終わった私はポツリと言ったが、両親には聞こえていなかった。ラブラブ夫婦オーラをにじみ出している。
 まったく。しょうがない親だ。
「それじゃ、いただきまぁす」
 隆史が、両親の愛の語らいが終わるまで待ちきれないと言った感じで言うと、他のみんなも口々に「いただきます」と言って食べ始める。
 食事中、会話は絶えない。笑いながら、こぼしながら、時には食事中にはしてはいけないような話までする。行儀がいいとは言えない食事風景。でもこれが我が家の、普通の食事風景だ。
 私はこんな家族が好きだ。今時珍しい仲のいい家族。かしこまった空気は一切なく、ちょっと乱暴でがさつな、でも楽しい家族。
 ……まるでかけ離れているよね。学校での私と……。今の私が本当の私。学校の私は違うんだ。やっぱり違う私なんだよ。

 食事が終わり、後かたづけが済むと、シャワーを浴びて自室に戻った。
 私は鏡を見ていた。
 明日、朝起きて、母親の作った朝ご飯を食べて……、そうしたらまた学校に行く。そうして違う私になる。
 違うのに……みんなが、違う私を作り上げる。いや、私が本当の自分をさらけ出す勇気がないんだ。
 だって今さらだもん。今さら……違うなんて言えない。
 学校のみんなは学校の私が好きなんだ。あの頃から作りあげてきた違う自分。女らしくて、温厚で、おしとやかで。
 ちやほやされるのが嬉しかった。相手の第一印象のままに見せるとみんな喜んでくれた。だから学校では違う自分になる。違う自分になってしまったんだ。
 私は顔立ちから、本当の自分とは違ったイメージを受けるらしい。美人で、女らしそうで、温厚そうで、おしとやかそう。
 そんなことはない。だけど言われて悪い気はしなかった。嬉しかった。家族からは絶対言われないような言葉。くすぐったくて、気持ちよくて。
 第一印象のままに見せるのは難しかったけど、それ以上に周りの反応が嬉しかった。だから違う自分になって、それになりきって。そうするとみんなも私がそういう人なんだと思いこんで。
 そして今になった。違う自分ができてしまった。
 それがいつの間にか重荷になって、やめようと思った時には遅かった。私が思う以上に、周りは違う私を慕っていた。だから私は、違う自分で居続けるしかない。裏切れない。いや、それ以上に怖い。
 本当の私はみんなに受け入れられないかもしれない。
 今までいい子ちゃんぶっていたと非難されるかもしれない。
 だから私は、辛くても苦しくても続けるしかないんだ。
 ……わかっている。自分勝手だ。だけど、辛くて苦しい。


 制服を着ると気が重くなる。学校への足取りは重い。だけど、行かなきゃいけない。
 自分に言いきかせて学校へ行くと、友人は違う私を求め始める。違う私に話しかける。うんざりだ。
だけど……だけど……。

 今日は普段よりも嫌な授業だった。授業と言うよりも、ホームルームと言うか。
 文化祭の準備だ。この時期になるとそろそろ出し物を決め、具体的に準備を進めないといけない。
 他のクラスはもう出し物を決めてしまっているらしい。私たちB組は、まだあれやこれやともめていた。
「でもさぁ。主要なものは他のクラスに取られちゃってるんだよねぇ」
「他のモノっていってもなぁ」
 喫茶店やら展示やらは他のクラスがもう企画を通してしまっている。うちの学校の方針で、学年で同じモノをやるのは許されない。
「何かいいアイディアはありませんか? 」
 クラス委員が意見を求めるが、なかなか意見は出なかった。
私はどうでも良かった。何にもやりたくないというのが本当の所だ。
「……演劇なんてどう? 私、中学校で演劇部やってたし、このクラスって演劇部経験者が意外と多いし」
 一つの意見が出る。発言したのは千恵だ。
 演劇。うちの高校には演劇部が無い。文化祭の出し物でもたまにしか出てこないものだった。
 クラスメイトの反応は悪くないと言った感じで、演劇をやるならということを口々に話し合っている。
「ねぇねぇ、演目はシンデレラにしない? 」
 また千恵が大きな声で言う。そのすぐ後で私の方をチラリと見た。
……なんだが、嫌な予感がした。
「で、シンデレラは双葉がやるのっ!私、前から思ってたのよね、双葉にシンデレラってはまり役だって!家事がこなせるお姫様。双葉にピッタリだよっ」
 何を言っているんだ。
「いいねぇ!絶対キレイだぜ、沢木のドレス姿!」
「王子様役が難しい所だけどねっ」
「王子様なんて、脇役なんだから誰でもいいのよっ」
 みんな私の気持ちなどお構いなしに盛り上がっている。
 私がシンデレラ? ドレスを着たお姫様?
「ねぇねぇ、双葉。いいでしょ? やってくれるよね?」
 違う!違う!私は……私は……。
「わ、私にそんなことできないよ」
「できるできる!絶対できるよ!」
 違うんだよ。本当の私は……本当の私は……。
「……うまくできるかどうかわからないけど、頑張ってみるよ」
 だけど私はみんなの期待を裏切ることもできなくて、もう頭は真っ白で。期待と喜びに満ちた表情で、私にシンデレラをやって欲しいと言うみんなを前にして、断ることなんてできなかった。
 具体的な話が進んでいき、クラスは私をもてはやす。
 違う。違う。違う。
 お姫様だと勘違いされ、ドレスを着せられる。そして私はお姫様として舞台に立つのだ。
 それだけで吐き気がした。もうこの場にいたくなかった。
キーンコーンカーンコーン。
 そこに差し伸べられた救いの手のようなチャイムの音。昼休み開始の合図。私は適当なことを言って教室から逃げ出した。

 誰もいない場所へ。
 それだけを考えて足を速めていた。学校で、この制服で、どこにいけると言うのだろう。でも一人になりたかった。本当の私になりたかった。
 どんどん人のいる可能性の低い場所へと進んでいくと、B棟に辿り着いていた。そういえば、ここにも屋上があるけど、利用する人はほとんどいないということを思い出す。
 私は走った。一刻も早く、本当の私に。違う私の重圧から逃れたい。
 階段を一気に駆け上がり、屋上のドアを乱暴に開くと、青空と冷たい空気が出迎えてくれた。
 そしてそこには誰もいなかった。
 誰もいない空間。何にも締め付けられない空間。
 誰も私を見て無くて、誰も私の声を聞いて無くて。違う私でいる必要がない。
 安心感と開放感。それと同時に涙が溢れた。そして声も溢れ出た。
「違う!違う!違う!」
 まるで呪文のように、ただその言葉を繰り返しながら網柵の方へと歩いていく私。
「違う!違う!違う!違う!違う!違う!」
 そして網柵につかまり、泣き崩れた。
 お姫様なんかじゃない。違うんだ。違うんだよ。
 演じていた違う私。その私のまま、さらにお姫様なんかを演じろなんて。
「もう嫌だ。解放されたい!」
 ガシャンと網柵を叩く。思ったより大きなその音に目を見開くと、遠くに見える地面が見えた。
「……死んだら……解放されるのかな」
 死ぬつもりなんかなかった。でも、そのポーズを取るだけでも、少しだけ解放されるんじゃないかと思った。だから網柵を登ろうと、足と手をかけた。
「ダメだっ!」
 そこで声がした。男の人の声。遠くじゃない。近くにいる。
 私は恐る恐る振り向いた。誰も……いない……?
 ……いや、いる!出入り口の上。そこに立ってこちらを見ている。
 誰?何故?それよりも……いつからこの場所に?
「あ、あ、あ……」
 見られた。聞かれた。
「あああっ!」
 身体が震えだし、それを抑えようと自分を抱きしめる。力が入らない膝が崩れてヘタリこんだ。
「大丈夫ですかっ!?」
 慌てて降りてこちらに来る。その顔には見覚えがあった。確か……C組の工藤君。
「あ、ぁ……ぃ……、い、いつから……いたの?」
 辛うじて声を絞り出す。これだけは……確かめなきゃ。
「最初から……見て?」
 工藤君はバツの悪いような表情を浮かべるだけで何も言わない。
 最初からだ。見られていた。あの私を……。
 私はたまらず逃げ出した。この学校にはどこにも逃げ場所はないのに、走らずにいられなかった。
 このままだと気が狂いそうだった。顔色の悪さを利用して早退し、家でも仮病を使って寝込んだ。その日は家族の温もりが痛かった。痛くて痛くて仕方が無かった。

 次の日、私は学校に行った。
 怖かったけど、逃げられるわけじゃない。それよりも心配でしょうがなかった。工藤君が、昨日のことを誰かに話していないか。
 きっと話していたら、私に対するみんなの態度は一変する。もし話していたらと思うと怖くてしょうがないが、話したか話してないかがわからない状態のままでいるのは耐えられなかった。

「おはよう双葉。大丈夫なの? 心配したよぉ」
 学校に着くと、みんなの私に対する態度は変わっていなかった。体調を心配していつもよりも優しかった。
 だけどまだわからない。まだ広まっていないだけで、もしかすると誰かに話したかもしれない。
 私はそれを確かめるために、昼休みに昨日の場所に向かった。いるかどうかはわからないけど、あそこなら二人だけで話ができるだろう。
 誰もついてきていないことを確認しながら、B棟屋上へ。屋上の扉を開けると昨日と変わらない空が私を出迎えた。まるでここだけ時間が止まっているかのような錯覚を覚える。
 ……確かめなくっちゃ……。
 私は震える足を押さえ、意を決して出入り口の上へと登る。
 ……いた。座って本を読んでいる。まるで私が来たことに気づいていないかのように、本を読みふけっていた。
「工藤君」
 呼んで初めてこちらを向く。無表情で、何を考えているかわからない。
 工藤道隆君。学年では結構有名な変わり者。クラスメイトに敬語を使い、執拗に人との接触を避ける。
 そんな彼なら、昨日のことを人に話さないだろうと思うこともできるけど、彼のそばには神尾美菜さんがいる。好奇心旺盛でしきりに話しかけてくる彼女に、ポツリと漏らしてしまう可能性だってある。
「沢木さん……でしたよね?」
「うん。沢木双葉(さわきふたば)。……ねぇ、昨日のこと、誰かに言った?」
 私は早速本題に切り出す。少しでも早く知りたかった。
「いいえ」
「……そっか」
 とりあえず、一安心……だが。
「誰にも言わないで欲しいの」
「構いません。もともと言うつもりもありませんし」
 工藤君はまるで何でもないことのように、無表情で淡々と承諾してくれた。
 ……それはいいのだが、私は不思議に思う。
 なぜだろう。なぜ彼はこんなに普通なんだろう。クラスが違うから私のことをあまり知らないんだろうか? それにしたって昨日の私の行動はおかしい。
「変な女だと思ったでしょ?」
 昨日のことを誰かに言わなかったか確認すること。そして誰にも言わないようにお願いすること。それだけで用は済んだはずだったけど、私は工藤君にこんなことを言ってしまった。
 昨日のことは忘れたい。隠したい。思い出したくない。だけどなぜか、工藤君の表情が気になった……。
 ……いや、気になったとも違う。
「……別に思いません」
 なんだか、……気にくわない。
 なぜこいつは、表情を変えず、何でもないことのように平然に言うんだ。
 私にとっては最大と言っていい秘密だ。それを知ったのに、なぜこいつは何でもないような顔をしているんだ。
 なんだか見下されているような気がする。『おまえの悩みなんて大したことない』と馬鹿にされているような気がする。
「そんなはずないっ!」
 募ったイライラは怒鳴り声とともに表に出てきた。目にはいっぱい涙がたまっていた。なんだかそれも悔しかった。
 そんな私を見た工藤君は、初めて表情を揺れ動かした。困ったような、悩んでいるような、迷っているようなそんな顔になった。そしておずおずと口を開く。
「変だとは思いません。……ただ、悩んでいるんだなって思いました」
 ただその一言だった。何でもないような一言だった。
「私っ……、私っ……」
 だけど私はその一言だけで解放された気がした。泣き出していた。嗚咽混じりに自分のことを話していた。
 違う私から解放されるともう止まらなくて。
 工藤君は何も言わず、何もせず、ただ聞いてくれた。それだけで嬉しかった。安らげた。落ち着けた。

「あの……、本当の私って何なんでしょう?」
 すべて話終えた時、工藤君が訊ねてくる。
「それは……、家族と一緒にいる時の私が……」
「学校にいるときの沢木さんも、本当の沢木さんだと思います」
 私の言葉を遮るように、少し強い口調で言う工藤君。……学校にいるときの私も本当の私?
「違いがあるとすれば、その自分を楽しめるか楽しめないかだけじゃないでしょうか?」
 その自分を楽しめるか楽しめないか?
 確かに……、学校にいるときの自分は苦しい。辛い。楽しくない。家にいるときの自分は、苦しくない。辛くない。楽しい。

 ………………。

 本当の私が、なんだかゆっくりと壊れていく気がした。
「本で読んだことがあるんです。自分は、自分と相手がいて作られるものだそうです。……多分、相手だけじゃなくて、すべてのものに影響されて自分が作られるんでしょう」
 工藤君は落ち着いた口調で、ゆっくりと話している。それを聞いていると、どんどん本当の私が壊れていく。でもそれは不快には感じなくて、スーッと楽になる感じがする。
 家族と一緒にいるときの私も、学校にいて周りの期待に応えようと必死な私も私でしかない。
 相手が望んでいる私をそのままやってきた。でも、そうしたのも私なんだ。
 女らしいと思われるのは嬉しい。
 おしとやかだと思われるのは嬉しい。
 色んな私が渦巻いている。
 学校の私。家にないものを学校で手に入れたくて、手に入れることが出来て、でもそれは大変なことで。
 それから逃げたかった。こんなの私じゃないと思いたかった。だから、こんな私は違うと思っていたんだ。私はそう思いこんでいたんだ。
 私自身は、女らしくないのかもしれない、おしとやかじゃないのかもしれない。でもそう見せようとするのは、紛れもなく私なんだ。
「……文化祭さ。シンデレラをやることになったんだよね」
 そのせいで相手の強いイメージに振り回されている。それは辛いことだ。
「ドレスを無理矢理着せられるのはイヤだけど、自分から着るなら悪い気はしないよね」
 でも、振り回されないことだってできる。
 口で言うのは簡単だ。実際はそんなにうまくいかない。だけど、考え方次第でどうにかなるかもしれない。
だって、今少し気が楽だもの。考え方以外何にも変わっていないはずだけど、気持ちが少し軽いもの。
 結局、どれも私でしかないんだ。だから私の気持ちを殺しているのも私で、だから生かすことをできるのも私だけ。
 だけど相手がいて、相手には相手のイメージがあって、それを覆すようなことをするのは難しい。
 でも、『できない』とか、『違う』とか。
 こんな風に思い込んでもしょうがないよね。
「えっと、ありがとう。色々」
 少しずつ、変わっていこうと思う。そして変えていこうと思う。学校の私を、楽しいと思える私に。
「僕は何もしてませんよ」
「聞いてくれた。話を聞かせてくれた。楽になれた。だからありがとうなんだよ」
 少し照れたような表情を見せる工藤君。それを必死で抑え込もうとしているのもわかる。
「お腹空いたね。ねぇ、食堂でも行かない?お礼に奢ってあげるよ」
 私がそう提案すると、今度はあからさまに困った顔になった。
「遠慮します。これがありますし」
 きっぱりと断って見せてくるのはジャンボカレーパン。
「じゃあ、私、食堂に行ってくるよ。少し急がないと昼休み終わっちゃう」
 なんだか無理に誘うのも悪い気がするし。
「あの……」
 私が急いで降りようとすると、工藤君に呼び止められる。さっきの感じからして、呼び止められるとは思っていなかったので少しビックリした。
「お願いがあるんですけど」
 お願いと聞いてさらにビックリする。
「なに?」
「昼休み、僕がここにいることを誰にも言わないでください」
 …………。
 それを聞いた私はなんだか少し悲しかった。工藤君は懇願するような顔で頼んでいる。
「工藤君が敬語を使ったり、あんまり人とかかわらないようにしてるのは、それが楽しいから?」
 思わず聞いてしまった。そんなに一人がいいんだろうか。
 言って後悔する。なんだか聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がしてならない。
「僕の場合は……楽だから……ですね」
 工藤君は無表情にもどり、呟くように答えてくれた。……やっぱり聞かないでおけば良かった。
 きっと工藤君は、色々悩んで、考えて、今の工藤君になったんだ。自分の意志でそうしてるんだ。そうじゃなきゃ私にあんなこと言えない。
「約束するよ!誰にも言わない」
 私は必死で彼の気持ちを楽にさせようとしていた。だけど思いついたことは、これぐらい。
「ありがとう」
 少し笑ってくれた工藤君。私一人でなら、たまに遊びにきてもいいかどうか訊こうと思ったけどやめた。工藤君を困らせてしまうだけだろう。
 きっと今の私には、工藤君の気持ちを楽にさせてあげるのは無理だ。
 だけど、学校の私が楽しいと思えるようになったら、出来る気がする。そんな気がする。そうしたらまた話をしよう。
 だから今は自分のことを。
 まずはさしずめ……、そう、シンデレラが楽しく演じられるようにがんばろう。シンデレラを演じる私を楽しめるようにがんばろう。

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