工藤 道隆
「大山 文彰」
いつからだろう?いつも楽しみにしていたこの日が憂鬱に感じ始めたのは? いつもは滅多に鳴ることなんてない携帯電話が、数日前からよく鳴っている。今表示されている名前なんて、初めて表示されるんじゃないだろうか? 「もしもし……」 「あ、もしもしぃ?私相川だけど〜」 普段なら絶対に電話をかけてくることなんてないようなクラスメイトの妙に軽い声が聞こえてくる。相川……えーと名前は忘れた。さしたる特徴のないふつうの女子生徒だ。性格は明るい方だった気がする。 「ごめんね〜いきなり電話して〜。びっくりしたぁ?」 「いいや」 本当に驚いてなんていなかった。だって用件はわかってるし。 「あのね〜、大山くんの家ってさぁ、墨田川の近くにある○×マンションの8階に住んでるんだってぇ?」 「ああ、そうだよ」 ほら来た。 「そこからなら隅田川の花火大会。よぉーく見れるんじゃない?」 「ああ、見れるよ」 「うわぁすっごぉい♪ねぇねぇそこでお願いがあるんだけどさぁ、私と由香里と貴子で大山君の家に遊びにいったらだめかなぁ?」 どいつもこいつも……。 「……ごめんね。悪いけどもう10人以上メンバーが決まっちゃってるんだ。これ以上はちょっと無理だよ」 「えーウソォ!?ショックゥ」 「ごめんね。今年はいつもより早くメンバー決めちゃってて」 「そっかー。そうだよねー。花火大会明日だもんね〜遅いよね〜」 「本当にごめんね」 「大山君が悪いわけじゃないからそんなに謝らないでよ〜。無理なお願いだったんだし。こっちこそゴメンね。じゃ、また学校でね」 「うん。それじゃ」 電話を切るとともにベットにごろんと転がる。 「なぁにが学校でね……だ」 誰にも聞こえないような独り言を呟いて目をつむる。 「実際に学校で会ったら挨拶するかどうかもわかったもんじゃないくせに」 夏を感じさせないクーラーのよく効いた部屋で俺は大きなため息をついた。 どいつも……こいつも……。 イライラした。本当は怒鳴ってやりたい。『花火大会の時だけ俺に友達面すんな』って。でもそれはできない。このイベントのおかげで仲良くなれたヤツもいたのは確かだから。 だけど……ほとんどが花火を見たいから近づいてくるやつらばかり。その日だけの友人。……ホント……むかつく……。 花火大会当日。お袋はニコニコしながら飲み物と食事の用意をしている。親父は今日も帰りが遅い。8時半には花火大会は終わるので、俺の『この日限りの友人』なんて拝むことはできないだろう。きっと散らかった部屋に顔をしかめるだけだ。 「6時50分か……」 ピンポーン。 ちっ、こんな時ばっかり時間に正確な奴らだな。 「ほら、文彰。お友達が来たわよ〜」 ……文彰か……。今日来る奴らの中で俺のフルネームが大山文彰(おおやまふみあき)だっていうのを知ってるヤツが何人いるんだか。 「はーい」 俺は鏡で自分の顔が笑顔になっているのを確認してから、数人の友人と多くのクラスメイトを出迎えた。 短パンとTシャツか浴衣といかにもな格好の連中がぞろぞろと玄関に押し寄せてくる。女子が全員浴衣なのは少し嬉しい。目の保養にはなるな。 「こんばんわー」 「遠慮しなくていいからどんどん入ってきてよ」 「お邪魔しマース」 「先に部屋へ行ってていいよ。突き当たり右の部屋だから」 みんな口々に『こんばんわ』と『お邪魔します』という言葉だけ言って家にあがってくる。 『お邪魔します』か。邪魔するなら帰れよって言ってみたいぜ。 「ねー、大山君」 「え?あ、何?」 ちょっとダークなことを考えていたときに声をかけられたので、思わず声が裏返ってしまう。声をかけてきたのは神尾さんだった。俺のクラスの中ではかなり可愛い。 「どうしたの?神尾さん」 「うん。あのね。もう一人だけ増えちゃ駄目かな?」 「え?」 イヤな予感がした。最近の神尾さんの行動は誰もが知っている。まさか……。 「と、言ってももう連れてきちゃったんだよねぇ」 とても可愛い悪魔の微笑みだった。 「僕やっぱり帰りますよ」 落ち着き払った声。クソ丁寧な言葉遣い。 「ちょっと工藤道隆!ここまで来て帰ることないでしょお!?」 間違い無かった。 「それだって神尾さんが無理やり……」 「わざわざあんたの家まで迎えにいって、一駅歩いたのよぉ!?」 「隣の駅だから歩こうって言ったのは神尾さんじゃないですか」 ……工藤って俺の家から近かったのか……。 「すいません大山さん。僕やっぱり帰ります」 「いいよいいよ。一人くらいなら」 俺は笑顔で言ってやった。ここで断ったら悪人だし、受け入れればいい人になれる。こんなことで悪人になるのはもったいない。本当に一人くらいならいいさ。 それに……工藤ならいてもいなくても同じだ。まぁ他の連中はイヤな気分になるかもしれないが、それはそれでいい。俺にとって、他のヤツも工藤も大差ない。『この日限りの友人』なんだからな。 「よく来たわね。みなさん」 奥の方でお袋の声が聞こえる。どうやら先に俺の部屋へ行ったクラスメイトに、愛想とお菓子を振る舞っているらしい。 「ほら、とにかく行こう。工藤もさ」 「ありがと大山君」 神尾さんが笑顔でそういうと、思わず顔が赤くなってしまった。……やっぱり可愛いよなぁ。 「本当に申し訳ありません」 ……それに比べてこいつは。なんでこいつはこんなときでも敬語なんだよ。どう考えても俺たちと距離を置いているようにしか思えない。 「大山君。そろそろ始まるよ〜」 女の子の声。声だけで誰か判断できないのが仲の浅さを感じさせる。 「今行くよ」 俺はゆっくりと自分の部屋へ向かった。 ヒュルルルル……ドォォォオオン! もの凄い轟音とともに色彩豊かな炎が四散し、美しい花を咲かせる。 ……やっぱり、綺麗は綺麗だよな。毎年この場所で見てるんだけど前年よりも工夫が懲らされていて飽きはしない。飽きはしないんだけど……。 俺の部屋からはかなり大きなテラスに出られる。家族4人でバーベキューをしても狭く感じない広さだ。 俺がこの家に引っ越したのは小学校の1年の時だった。親父が茨城から東京へ転勤になり、もう転勤の可能性はないと言われたのをきっかけにこの家を買った。 この家に来て、初めてテラスから花火を見たときはそりゃあもう感動した。この家に引っ越して良かったと心から思った。だけど……友達を呼んで見るようになって、俺の家が花火を見るのに最適だと知られてしまってから。だんだん、だんだん……。 「たーまーやー」 「あははは。すっげー綺麗だなぁ!」 12人はだいたい4つのグループに分かれてしまっている。 女3人チーム。男女4人チーム。俺を含めた男3人チーム。そして、工藤と神尾さん。 別に仲のいい12人でもないってことだ。ただ目的が一緒だっただけだ。 「綺麗だねー工藤道隆」 「ええ」 男友達と会話をしているなか、あまり交わされることのない工藤と神尾さんの会話が耳に入ってくる。 この2人……できてるのか?……いや、工藤が神尾さんを避けているのは有名だ。そのせいで女連中からまた評判が悪くなってるんだから間違いない。神尾さんはどうなんだろう? どうしてこんなに2人が気になるんだろうか?もしかしたら神尾さんに気があるのかもしれないな。なんせ可愛いから。 ふと横目で2人を見る。 俺は不覚にもドキリとした。 浴衣姿の神尾さんにではなく、花火に見入っている工藤にだ。 ピクリとも動かずただただ花火を瞳に映すことに集中している。多分工藤の意識は、完全に花火に持っていかれているんだろう。 いつもの冷めた瞳はそこにはなかった。花火のせいかもしれないが、キラキラと輝いているように見える。まるで……子供が初めて花火を見たときのようなそんな……。 そうか、俺がドキリとしたのは……きっと工藤が昔の俺に見えたからだ。小学校の頃の……あの花火を初めて見たときの。 「大山?」 友人の声に我に返る。 「なんだ?おまえ神尾に気があるのかよ。花火そっちのけで見つめちゃったりしてよぉ」 助かった。どうやら俺は神尾さんをじっと見ていたと勘違いされたらしい。工藤を見ていたなんてのがばれたらちょっとやばいことになるかもしれないからな。 「い、いや。そんなんじゃないよ」 あわてて取り繕う。これでなんとかごまかせるはずだ。 「ホントかぁ?」 「ホントだって。あ、ほら。そろそろクライマックスだ」 8時27分。そろそろ花火職人たちがこの日のために作りあげたとっておきが打ち上がるはずだ。花火が打ちあがる前の間がいつもより長い。 ヒュルルルル〜。 1分近く待たされやっと打ち上げの音が響く。さぁ今年の目玉はどんなもんかな。 ドッドッドッドッドッドッドーン!! 「うわぁすごぉい!」 黄色い声がテラスに響く。 結構すごいな。休む間もなく咲き続ける花火は、色、大きさともに完全にランダム。まるで同じ季節に咲くことのない花々が、夜という同じ季節に咲き乱れているかのようだった。 何十連発かはわからなかったが、おそらく過去最高の連発だろう。 「いやぁすごかったねぇ」 「うんうん」 しばらくの静寂の後、クラスメイトたちが騒ぎ出す。これから1時間は騒いでいることだろう。そして彼らが帰った後は面倒くさい片づけが待っている。……もう、毎年のことだから慣れちゃったけどな。 花火大会も終わり、夏休み間は俺の家にクラスメイトが来ることもないと思っていたが、2日連続でここにきたやつがいる。突然携帯にではなく家に電話をかけてきて、今晩お邪魔してもいいかと言ってきた。 特に断る理由が見つからなかった俺は、よくわからないままそいつを部屋に招き入れた。 「おまえが電話してくるなんて思わなかったよ。工藤」 他のクラスメイトは俺の携帯番号くらい知っている。知らないのはこいつくらいだ。こいつ自身携帯電話を持っていないし。 「いきなり押し掛けてすいません」 クソ丁寧な挨拶。しかも深々と頭を下げやがった。何が入っているのかわからないが、大きめのショルダーバックが床につくぐらいだから相当なもんだ。 「いや、別にいいけどさ。で、何の用なんだ?」 「えと……、2時間ほどテラスに出てもいいでしょうか?」 「テラス?」 ホント、何考えてるんだ?こいつ。 「はい」 「まぁ……いいけど何をする気なんだ?」 工藤は俺の問いに答える代わりにショルダーバックから荷物を取り出す。 「スケッチブック?」 「……絵を描かせて欲しいんです」 ますます訳がわからない。 よくわからないままテラスを工藤に解放し、俺は部屋で漫画などを読んで適当に時間を潰していた。 工藤はテラスの弱い電灯と、月明かりだけという薄暗い中でいったい何を描いているんだろうか?そろそろ2時間経つ、いい加減心配になってきた俺はテラスに出た。 「!!」 工藤のスケッチブックに描かれていたものを見たとき、俺は言葉を失った。 そこには今日の夜空ではなく、昨日の夜空があった。おそらくこれは……クライマックスの何十連発もの花火。色とりどり、大小さまざまな花火が同じ空に咲いている。 綺麗だと思った。昨日の夜空よりも綺麗な夜空だと思った。 その絵は、多分水彩画でも油絵でもない。水も筆も見あたらないし。画質がそれとは違う。 ふと何十色もの色鉛筆が転がっているのに気がつく。……まさか、色鉛筆だけでこれだけの絵を? 「長い時間すいません。もう終わりましたから」 クソ丁寧な口調により俺は夢から醒める。 「お、おま……すげぇよ。なんでこんな絵を……今日、ここで描けるんだよ」 「ここでなければ描けませんでした」 「いや、ここでも描けないだろフツー」 「……昨日。すごく感動しましたから」 少し考えるようにしてから、ポツリと呟くように言う。 「実は、僕初めてだったんですよ。あんな近くで花火を見るの」 初めて……。そうか、だからあんな表情を。 「自宅の窓から見ることはあったんですけど……もう全然違います。音と火薬の臭いと、降りかかって来るんじゃないかと思うくらい近くに見える火の粉。ものすごく感動しました。 大山さん。ありがとうございます」 うっ……。 不覚にも……また俺はこいつにドキッとさせられてしまった。だって今、コイツ笑顔でありがとうって言ったんだぜ?あの工藤が……。 俺は……なんだかこの気持ちが懐かしいと思った。感謝されて嬉しい気持ち。……そして、家に招いて良かったと思う気持ち。 ……やっとわかった。 いつから花火大会が憂鬱になったか。多分、この気持ちがなくなってしまってからだ。この気持ちを感じなくなってしまったからだ。 初めて花火を見たとき、俺はみんなに見せたいと思った。自分が感じた感動をみんなにも教えたかった。喜びを共有したいと思った。 多分そういう気持ちがだんだん薄れていってしまったんだろう。毎年恒例になってしまって、いつの間にかにそういうことを感じなくなって……。そして花火の時だけ関わってくる奴らに対する嫌悪感ばかり強くなってしまったんだろう。 「絵、よく描くのか?」 こんな絵がたくさんあるなら見てみたいと思った。 「……いえ。滅多に描かないです。季節に一回あるかないかぐらいで……。あ、あの。今日は本当にありがとうございました」 工藤が早い口調で話しだし、帰ろうとする。ちょっと待てよ。 「おまえさぁ。そんなに絵が描きたかったのか?そんな仲良くないはずの俺の家に来てまで」 思わず口にしてしまったその言葉を慌てて押さえ込もうとするがもう遅い。どうしてこんなことを言ってしまったんだ。こんなこと、思っていても口にすることじゃないだろう? 「……どうしても描きたかったんです」 しかし工藤はショックを受けた様子はなかった。俺の気持ちなんてわかっていたのかもしれない。 「この花火は、もう二度と見れないと思って」 その言葉を聞いたとき、俺はなぜかカッとなった。こいつは花火大会の日に、もう俺の家には来ないと言っているのだ。誘われないと思っているのかもしれない。 頭に血が上った俺は工藤のスケッチブックを取り上げていた。そして今完成したばかりの花火の絵を抜き取っていた。 「な、何を!?」 「これは俺が貰う。昨日の花火観覧代だ」 俺の横暴な行動に、抗議もせず口をつぐんでいる工藤。 「……来年も見にこいよ。もう二度と見れないわけじゃないならこんな絵いらないだろ?」 工藤は驚いていた。心の底から驚いているようだった。俺自身も驚いている。でも、どうしてもこいつにまた花火を見せてやりたくなっていたんだ。 「…………はい。……ありがとうございます」 たっぷり悩んでからのクソ丁寧なお礼。やっぱり嫌な感じはするけど……そのうち慣れていくよな? 工藤が帰ったあと、俺はしばらくヤツの絵を見ていた。そこには、やつの感動がたくさん詰まっているような気がした。 工藤はこの絵を持ち帰り、一人で見るつもりだったのだろうか?思い出したいときにこの絵を眺め、感動を反芻するのだろうか。 寂しいだろ、そりゃ。俺にも見せろよな工藤。感動を共有するっていいもんだぜ?……おまえが思い出させてくれたことなんだぜ? その夜、俺は一人の男のことをずっと考えてしまうという、なんとも気色の悪いことをしてしまった。 |