工藤 道隆
「宮永 純也」
なんでこんな日に限ってこんなに忙しいんだよこの店は。次から次へと洗い場に放り込まれる、皿、皿、皿。 俺の立つ洗い場の前には、客の食い散らかした皿が大量に並んでいる。 大事なイベント前にこんな重労働とは俺もつくづくついてないよなぁ。というか、こんな朝からカレーなんか食いにくんなよボケども。 俺がバイトをしているのは、二十四時間営業のカレー屋。バイト代はコンビニよりは少し多い程度。……近いという理由で選んだのは失敗だったかな。 チラリと時計を見る。時刻は九時半を回っていた。 今日は十時までだからあと三十分か。終わったら急いで行かないと……。 大事なイベント。それは「仮面バトラー魔樽」劇場版試写会のチケット販売会。開始は十四時。 今回の仮面バトラーシリーズはかなり出来がいいため。過去の経験から考えると、三時間前には並んでおかないと手に入る可能性は低くなる。販売所まで三十分程度だと言うことを考えると、結構ギリギリ。 今回はどうしても試写会の舞台挨拶が見たい。「仮面バトラー魔樽」の作品自体がおもしろいっていうのもあるけど、ヒロインの菊下鮎香がとてもカワイイんだ。特撮界の歴代ヒロインの中でもトップクラス。生の鮎香ちゃんを是非とも見たい!同じ空間で、鮎香ちゃんが吐いた息を吸いたい! ……ハァハァ。って俺は変態か(笑)。 「手が止まってるぞ宮永」 「ハ、ハイ。スイマセン」 思わず妄想に入ってしまった。 でもウチの店長もケツの穴が小さいぜ。こっちは休憩無しで働いてるってのに。少しぐらいの妄想時間は大目に見ろってんだ。 でもあと少しで皿洗い地獄から解放され、鮎香ちゃんに会いにいくための愛のチケットが買いに行けるんだ。ヒャッホウ。 俺は気合いを入れ直し、皿洗いを再開する。 ああ、頑張るなぁ。俺。 「おい宮永」 再び店長に声をかけられる。店長は俺より四歳上の二十四歳。若くして店長の座に就いたのはまぁすごいとも言えるけど、所詮チェーン店の店長。長く勤めていて、やる気とそれなりの能力さえがあれば誰でもなれるんだろ? その程度の存在のクセに……。なんかスゲー偉そうなんだよなぁ、この人。 「ハイ、何でしょう?」 でも俺は大人だから、そんな考えを表に出さず、ハキハキと返事をする。 「少し残業してくれないか?この状態じゃあ洗い場が減るとかなりキツイんだ」 ……ハァ? 俺には大事な用事があるんだよ。そんなことしてられるか。 「え、えーと……」 ここではっきりイヤですと言うと、角が立ちそうなため、渋るような声を出し、困った表情を浮かべる。 「な、頼むよ。多分一時間もしたら落ち着くだろうからさ」 何勝手なこと言ってやがる。だいたい人手が足りなくなったのも、おまえのスケジュール管理がなってないからだろ?この時間に混む可能性を考慮した人員管理をしておけば、俺が残業をする必要もなかったんだ。テメーの責任なんだからテメーでなんとかしろよな。 「…………」 流石に思ったことを口にするわけにもいかず、表情で訴える。 「じゃ、頼んだぞ」 な? 俺の返答も聞かずに仕事場に戻る店長。 オイオイ、ちょっと待てよ。そりゃねぇだろ。 つーかさ。察しろよ?渋るような声を出して、困った表情を浮かべてるんだぞ?わかるだろフツウ。 最低……サイテーだ。ありえねぇ。 なんであんな人間が店長なんてやってんだよ。店員の気持ちも察せない店長なんてクズだ、カスだ。 フザケンナ馬鹿野郎が。 「工藤。そろそろいいぞ」 「……あの、僕が宮永さんの代わりに残りましょうか?」 クソ店長の鈍感さに対する憎悪の念が増幅されていくなかで、救いの声が聞こえてくる。 「え?工藤はもう一時間も延長で働いて貰ってるしなぁ」 「なんだか宮永さん、用があるみたいですし。僕、このあと予定もありませんから平気です」 救世主光臨! えーと、彼はたしか工藤道隆クン……だったよな? ちなみに工藤君とは一度も話したことがない、つまり俺にこのあと用事があることを知っていたわけではなく、察してくれたワケだ。 「なんだ宮永、用事があるのか?」 「ハ、ハイ。できればあがりたいんですが……」 高校生なのに、店長よりも人の気持ちを察することができるなんて。なんか感動しちゃうね。 「宮永もそうならそうと言えよ。じゃあもう上がっていいぞ……」 なんだか、不機嫌な声で言う店長。 ……自分の洞察力の無さを棚に上げてよく言うぜ。 「工藤君、ありがとうね。それじゃあお先に失礼します」 思わぬ救世主のおかげで第一ミッションコンプリート!後は三時間耐久行列地獄に耐えるだけだぜ! ……しかし、本当に世の中にはどうしようもないやつが多い。気遣い、心配りが無さ過ぎる。言葉に出さなきゃわかんないなんてガキじゃないんだからさ。 ああいう状況ではっきりとは言いにくいだろ。それにはっきり言えない人間だって多いはずなんだしさ。だから、もうちょっと人の気持ちを察することをみんなが憶えてくれると、俺も生活しやすいんだけどなぁ。 だいたいそうことができないヤツらほど、俺のような特撮やアニメが好きな人間に対して嫌悪感を持ってる。やれオタクだ気持ち悪いだ。 別に特撮やアニメが好きなだけで、おまえらに迷惑はかけてないだろ。中には現実と空想の区別がつかなくて犯罪に走るやつらもいるみたいだけど……。絶対数から見て、オタクの方が犯罪者になる可能性が高いなんてことはない。 一般的で無いモノを頭ごなしに排除しようとする。考慮不足配慮不足。そうだよ。結局ソレが気持ちを察せないのに繋がってくるんだ。 理解しようとする気持ちが少ないから人の気持ちが察せない。まったく。……本当に腹が立つぜ。 ……クッ、今日はまた特に客が多いな。 昼時はいつも客が多いのだが、今日はいつにもまして客が多かった。 この店は回転率がいいため、その分店員は忙しく動かなければならない。 慌ただしく動くウィイター、厨房。もちろん皿洗いの俺も例外じゃない。息つく暇もなく、皿を洗い続けている。 この状態が一時間ほど続いているが、未だ客足が衰える様子はない。 ただでさえイライラしているって言うのに、この状況が苛立ちに拍車をかける。 ……あの日はNGだとスケジュール表に書いて出してたのに。 仮面バトラー魔樽の試写会の日にバイトを入れられていた。一応、映画の上映時間までは間に合うんだが。指定席でなく、並んで整理券を手に入れなければいけないので、最前席狙いの俺としては朝から並びたかったのに……。 ほんと、フザケンナ。 ……あー、ヤメだヤメだ。考えるだけでストレスがたまる。あの店長のことだ。言ってもどうせ休みにしてもらえないに決まってる。 もう考えるのヤメ。とりあえず後ろの席でもいいから映画を楽しむことにして、今は仕事に集中だ。 「エビカツ、コロッケ、ナスチーズお願いします」 ……しかし、いつも思うがこの注文を言われて作る厨房。間違うことはないんだろうか。時間に余裕があるときは、厨房連中もメモをとっているみたいだが、メモもとる暇が無いほど忙しい時は、完全に自分の記憶が頼りになる。 皿洗いでよかったと思う。さっきの注文、なんだっけ?エビカツ?コロッケ?ナスチーズ?そんなもんドンドン言われて憶えていられるワケがない。 「エビカツ、コロッケ、ナスチーズできました」 そんなことを考えている間に、さっきの注文の品ができあがったようだ。よく間違えず憶えてられたねぇ。 ふと聞き覚えのある声が気になって、視線を厨房に送ると、作っていたのは工藤君であることがわかった。 さすがだね。気遣いができるだけじゃなく物覚えもいい。 なんて感心していると、突然怒鳴り声が店内に響く。 「なんでナスが入ってるんだよ?頼んだのはチーズカレーだぞ!?」 え? 思わず視線を向けると、ウェイターが注文票を見てから謝っていた。 「申し訳ありません、今すぐ作り直します」 「もう時間がねぇんだよ。……もういい!」 客が大げさな足音を立てて店を出て行く。一瞬静まり返る店内。 ……なんて心の狭い客なんだ……。まぁ、たまにはこういうのもいるよな。 短気な客が出て行った数秒後、ナスチーズカレーを運んだウェイターが厨房の方に戻ってくる。 「おい工藤。注文票はちゃんとチーズカレーって書いてあったぞ?間違えるなよなぁ……」 オイオイオイ。 間違えたのはどっちだよ。確かにさっき、ナスチーズって依頼してただろ。 「どうした、工藤らしくないな。疲れてるのか。少し休憩入れるか?」 その後に出てくるのは店長。 オーイ、ひどいだろそりゃ。悪いのは注文の依頼を間違えたヤツなんだって。……間違えたのが誰かまでは憶えてないけどさ。 怒れ工藤君。怒っていいタイミングだ。 「……いえ大丈夫です。申し訳ありませんでした」 だけど工藤君は反論することなく、謝っていた。 「ああ、気を付けろよ」 「無理するなよ?工藤」 注意と心配。 二つとも、工藤君にかけられるべき言葉じゃなかった。工藤君は間違えていない。 その理不尽な仕打ちを受けても、無表情に仕事をこなす工藤君。ウェイターも店長も仕事に戻る。 ……もし反論していたら。「間違えていない」と工藤君が言っていたら。今、この場はこんな風におさまらなかっただろう。 工藤君は気を遣った。この場をおさめるために、理不尽な仕打ちを受ける役を引き受けたんだ。 ……なんだよ。なんでだよ。 どうしようもない憤りを憶える。フザケルナと言ってやりたい。工藤君は悪くないと言ってやりたかった。だけどそうしてしまったら、工藤君の気遣いが無駄になる。 どうしてこうなんだよ。どいつもこいつも考慮不足配慮不足。口に出さなきゃわかんねーのかよ。 工藤君は愛想がないが、黙々と確実に仕事をこなすタイプだ。だからそんな間違いをする可能性は低いだろう?工藤君を疑う前にウェイターを疑えよ。 どいつもこいつも……本当に腹が立つ。 「工藤君、お疲れ様」 「お疲れ様です」 その日、たまたま終わりの時間が工藤君と一緒だったため、更衣室で声をかけた。 あまり社交的でない俺は、普段は誰にも声をかけることはないんだが、今日はどうしても憤りが沈められなかった。 「……さっきの、ひどいよね。工藤君は間違えてなかっただろ?」 少し興奮気味に言う。 俺は君の味方だと言うことを伝えたかった。今日のことで、自分と工藤君が似ていると感じたのも理由のひとつかもしれない。 「注文の話ですか?」 「うん。俺もたまたま憶えててさ。あのとき、確かにナスチーズカレーって言ってた」 気遣いのできない人間のせいで、理不尽な仕打ちを受けている。そういう部分が似ていると感じた。 だから、せめてお互いに気遣うようにしよう。 きっとわかってくれる人間がいるだけで随分救われる。 「まったく、腹が立つよな。工藤君はあの場を荒立てずにおさめようと気を遣ったから何も言わなかったのに。 ほんと、うちの連中は気遣いが足りない。ちょっと考えればわかるだろう。言わなきゃわかんないなんて鈍すぎる」 思い出すだけで腹が立つ。工藤君は気遣いのできる子で、この前なんかは俺をさりげなく助けてくれたりした。そんな子がこんな仕打ちを受けるなんて、世の中間違ってる。 「……でも、言わなきゃわからないですよ」 「……え?」 意外な言葉が工藤君の口からこぼれた。思わずポカンと口をあけて呆気にとられる。 「僕は、言葉にされない相手の気持ちを察する自信はありません。だから、相手にもそれを求める資格はないと思うんです」 脳がビリビリと痺れた。工藤君の口から出た言葉がなぜか危険に感じた。 彼の言葉を聞き入れてはいけないと、心が叫んだ。 「だから、言葉にしなかったことを察して貰えなくても、僕はしょうがないって思うんです。本当に伝えたいことは言葉にしないとダメですよね」 だけど彼の言葉を止める術はなく、耳を防ぐ術もない。 「だ、だけどさぁ」 ……認めたくない。 「きっと、言えばわかってくれると思いますから」 認めたく……ない。 他の誰かから同じ事を言われても、聞く耳をもたなかったかもしれない。だけと、自分が同じような存在だと認めてしまった人間から言われてしまうと、逃れようがなかった。 「……あ、なんかベラベラ喋ってしまってすいません。お気遣いありがとうございました」 丁寧に頭を下げて去っていく工藤君。 ……逃げ場がない。逃げ場がないよ工藤君。 俺に……言葉にされない相手の気持ちを察する自信があるか? ……そんなのない。 それなら、相手にもそれを求める資格はない。 それに、言ってもわかってもらえるはずがないと思っていた。……そう思わないと、伝えたいことを言葉にする勇気がない自分が情けなく思えてしまうから。 ……本当に情けないから。 だから察して欲しいと思ってた。 ああ、そうだよ。逃げてただけだよ。 だけどさ。 自分の趣味をわかってもらえなかったんだよ……。 高校時代、好きな子にアニメが好きだと言う理由だけで気持ち悪がられた。近寄るだけでも顔をしかめられて、本当にとりつく島もなかった。 彼女の視線は俺に恐怖を与えた。言葉じゃ取り払えない壁がある、そんな嫌悪感の壁を感じた。 どうせ俺の言う事なんてわかってもらえない。理解して貰えない。こびりついた恐怖心。逃げ場を求めて、求め続けて……。 察して貰えないことを責めはじめた。 言葉を口にしてしまえば、伝わらないのは言葉のせいだと思ってしまうかもしれない。自分の伝えかたが悪かったと、思ってしまうかもしれない。 コミュニケーションの形を、根底から崩していたんだろう。 伝えることがなければ伝わることもない。当たり前のことなのに……。 だけど、伝えることをしてしまったら、自分にも責任があるような気がして……。でもそれじゃ伝わるはずなんてなくて。 「……どちくしょう」 気付いてしまえば、もう逃れられない。さすがに格好悪過ぎる。気付いていなかったという言い訳はもう使えない。 「あー、格好悪ぃ、情けない」 今までの自分の行動、思考がとんでもなく情けなく思えて……。 「めんどくせぇ……」 改善していかなければいけないと思う、自分の心がウザかった。 「あの……店長」 店が落ち着くまで待ち、店長に話を切り出す。 ……自信を持てない原因の一つに、理由が一般人にとって理解してもらいづらいからということも含まれていた。 だけど、俺にとっては大事なことだから。わかって、認めてもらいたいから。 「どうした宮永」 心臓がバクバクと鳴る。 こんなこと、普通は言えるのかもしれない。だけど、俺はこういうことを随分とさぼっていたから、変な汗を出してしまうほどの緊張を憶えていた。 「……あの、この日、どうしても休みが……とりたいんですよ」 店長の顔色をうかがう。 店長の表情は読み取れなかったが、ゆっくりと口が開き始めていた。その動作に俺は恐怖を憶えて、店長の顔から目を離した。 「休みの希望が全部通らないってわかってますけど、この日だけはどうしても! あの、仮面バトラー魔樽っていう特撮モノの映画があって!それで、この日は試写会で……。あ、実は上映時間には間に合うんすけど、でも舞台挨拶があるから最前列に座りたくて!最前列に座るには……朝早く並ばなくちゃいけなくてっ!」 店長が何か言う前に、俺はまくしたるように言う。少しでも多くの理由を伝えて、受け入れて貰おうと必死になっていた。 「そんなくだらない理由で、なんて思うかもしんないっすけど。俺にとっては大事なことで、それで……それで……どうしても休みたいんです……」 考えてみれば、言わなくてもいいことも口にしている。だけど必死だった俺は、その判断ができなかった。 すべて言い切ってしまった後、俺は何も考えられず、真っ白になってしまった状態で店長の言葉を待った。 「そうか。そういう理由があるなら仕方ないな」 承諾の言葉。 恐る恐る視線を戻すと、店長は少し驚いた表情になっていた。 「代わりに誰かに出てもらうさ。そんなに必死に言うんだから、宮永にとっては重要な用事なんだよな」 伝わった。 理解して貰えた。 「あ、ありがとうございます」 その日から、特撮好きという事が広まり、バイト先の一部からは変な目で見られるようになった。 ……だけど、それは本当に一人か二人で、その他の人には理解してもらえた。それだけじゃなく、同じ趣味をもっている人もいて、友達になることもできた。 言葉にしなきゃ伝わらない。 もちろん言葉にしても伝わらないこともあって、それによって嫌な思いをすることもある。 だけどもう、言葉にもせず、他人に理解をして貰えないと苛立つのはやめよう。言葉で伝えようとすることぐらいはできるはず……。だから、理解して欲しいときは、言葉にする努力はしてみようと思う。 ……そういえば工藤君は、伝わらないのを覚悟していて、それでいて言葉が少ない。 それは、伝わらなくてもしょうがないと思っていて、伝えなくてもいいと思っているから? だとしたら、俺みたいなエセじゃなく、本当にコミュニケーションを断ちたいと思っているってことなんだろうか。 そこまでする理由はなんなんだろう。誰だって、自分のことを伝えたい、理解して欲しいと思うものじゃないのかな? ……考えてもきっと、俺なんかにはわからないのかもしれない。 でも、もし、もしも工藤君が言葉で自分を伝えようとしてくるようなことがあったら、全身全霊をもって受け止めてあげよう。 そして、俺自身も言葉を使って、伝える努力をしていこう。それだけじゃなく、伝えようとする言葉を理解できるように努力していこう。 わかってほしい。 わかりたい。 ……そう思うからな。 |