工藤 道隆

「松本 光一郎」

 ボクはお部屋でしんけんにテレビのがめんをジッと見ていた。
 よし、よし……もうちょっと……。
「よっしゃー!GETだぜぇ!」
 ボクは思わず大声で叫んでしまった。でもでも、伝説のモンスター、『ラグナ』をGETできたんだもん。うれしくてうれしくていてもたってもいられないよ!
「ウルセー!」
 うわっ!?
 どなりごえ。やばい兄ちゃんだ。

 ドスドスドスドス!

 このあしおとのときはぶたれる。ボクはどこかに隠れようとしたけど、いい場所が見つからない。

 ガチャ。

 らんぼうにボクのお部屋のドアが開かれる。
「オメーウルセーンだよ!」
 兄ちゃんの顔は真っ赤だった。怖い。
「だって……。」
 ボクはブルブルと震えた。ぶたれる!
「だってもクソもねぇ!」

 バシッ!

 痛い!
「うっわぁぁぁぁん!」
 兄ちゃんはまたボクをぶつ。あたまを手のひらでバシッとぶつ。
 痛いよ……兄ちゃんの手、痛いよ!
「泣くんじゃねぇ!」
「ひぃっ!」
 兄ちゃんにどなられてボクは声を出さないようにがんばる。でも涙は止まらないよ。痛いよ……痛いよ……。
 ボクはいっしょうけんめい、声を出さないようにがんばる。
「今度うるさくしたらひどいからな!」

 ドスドスドスドス……。

 怖いあしおとが遠ざかっていく。
「ひっく……ひっく……」
 ボクはもう何もやりたくなくなった。もう寝ちゃおう……。
 まだ夜の8時だけど、もう寝ることにした。


「光ちゃん……、光ちゃん?」
 う、ううん……。お母さんの声。
「ほら起きなさい」
 まだねむいよ……。でも目をつむってられない。なんか……寒い……。
「うん……お母さん。おはよう」
 ボクはゆっくりと目を開ける……。
「おはよう光ちゃん」
「イタイ!」
 お母さんがいつものようにポンポンと頭を軽く叩くと、何だか頭が痛かった。
「あらどうしたの?コブが……」
「……きのう兄ちゃんにぶたれた」
 また泣きそうになったけどガマンする。
「ああ……、お兄ちゃんね。今テスト期間中なの。今日で終わるから我慢してね」
 ボクはうなずきたくなかった。
 ズルイ。
 そう思ったから。ボクだってガマンしてるのに。でもボクはうなずいた。お母さんが悲しい顔をしたから。
「エライ。立派な3年生になれるわよ♪」
 ウィンクするお母さん。そっか小学校に入ってから2年も経つんだなぁ。もう3月。4月になったらボクも中学年の仲間入りだ。
「うふふ。じゃ、カーテン開けるわね?」
 ボクがボーッとしていると、お母さんが嬉しそうにカーテンを開ける。

 カシャアッ!

「うわぁ!」
 ボクは目をうたがった。
 雪だ!雪がつもってる!
「うふふ、3月にこんなに積もるなんてすごいわよね」
 ボクはうんうんとうなづく。しかも今日は土曜日。帰りが早いから思いっきり遊べる!ボクはいてもたってもいられなくなって、布団から飛び起きた。


 よいしょ、よいしょ……。
 小さな雪玉がどんどん大きくなっていく。へへへ。
 ボクは学校が終わって、お昼を食べてからすぐ外に飛び出した。ゴウくんと約束したから。
 ゴウ君はボクの友達。クラスの中では一番仲がいいんだ。ゴウくんがからだを作ってボクが頭を作っている。
「なぁ、コウイチロウ。オレ、昨日も兄ちゃんに叩かれたよ」
 ボクよりもおっきい雪玉を転がしていたゴウくんがポツリと呟く。
「あ〜、ボクもだよ〜。コブができちゃってさぁ〜。」
 ボクがゴウくんと仲がいいのは、同じ悩みをもってるから。ゴウくんにも高校生の兄ちゃんがいて、よくいじめられるんだ。
「ヒデーよな〜」
「うんうん。何で兄ちゃんっていっつも怒ってるのかな〜」
「あ、オレそれ聞いたよ。兄ちゃんに」
「え?なんて言ってたの?」
「『大人になるとおまえみたいに笑ってばかりいられないんだよ!』だって」
「なにソレ?」
「楽しいことばっかりしてられないってことじゃねーの?でも、俺たちも楽しいことばっかりじゃないよなぁ?」
 ゴウくんはボクよりもとってもオトナだ。ときどきむずしいことを言う。ちょっとよくわかんなかったけどボクは必死で考える。
「じゃあ、オトナって楽しいときに笑えないほどつらいのかなぁ」
「……さぁな……。でもそんなんだったらオレ、大人になんてなりたくねーよ」
 ボクは深く頷く。
「あ〜、なんかスカッとしたいなぁ!雪だるま作りやめて雪合戦しようぜ!」
「え?うわっ!?」
 ボクがこたえる前に、ゴウくんは雪の固まりをぶつけてきた。
「ハハハハ。命中!」
 楽しそうに笑うゴウくん。
「このぉ〜やったな〜!」
 ボクも雪を丸めてゴウくんに投げつける。
「うおっ?」
 やった当たった!
「もう怒った!手加減してやらないからなぁ!」
「ボクだって!」
 雪を丸めてぶつける。ぶつけられる。
「アハハハハハ!」
「アハハハハハ!」
 ゴウくんもボクも笑っている。
 楽しい。
 楽しいから笑う。笑うから楽しい。
 でも、お兄ちゃんは……楽しいときに笑えないのかな?
「うわぁっ!?」
 そんなことを考えていたら、男の人の声が聞こえた。

ガッシャーン。

 声の方を見ると、自転車がたおれていた。人が乗っていた自転車。
「お、おい。おまえの投げた雪玉が顔にぶつかって倒れちまったみたいだぞ?」
 え?ボクのせい?
「あ、あ、あ……ごめんなさい!」
 倒れた自転車のところに行ってあやまる。
「すいません!」
 ゴウくんも一緒にあやまってくれる。
「あいつつつ……。」
 ボクが雪玉をぶつけてしまった人は、ずれたメガネをかけ直しながら痛そうな顔をしていた。髪の毛がぼさぼさしている男の人。
「あ……!」
 ボクは思わず声をあげてしまう。その人が見覚えのある服を着ていたから。
 紫色の……。これ……兄ちゃんの学校の制服だ。兄ちゃんと同じ……。
 ボクは怖くなった。兄ちゃんと同じだったらどなられる。ぶたれる!
「ご、ごめ……ごめんな……さい」
 ボクは涙をボロボロと流していた。
「わざとじゃないですから。本当にすいません!」
 ゴウくんは、必死でボクをかばってくれる。
「雪合戦……」
 その人は服についた雪を払いながら呟く。怒ってるかどうかはわからない。でも笑ってるみたいでもない。なんだかよくわからない顔していた。
「は、はい……」
 何も言えなくなってしまったボクのかわりに、ゴウくんが頭をさげてくれている。
 その人はしばらく何も言わなくなった。顔は変わらない。怒ってるわけでもないし、笑っているわけでもない。
「悪いと思ってるんだ?」
「ごめんなさい!ゆるしてください!」
 ボクは大きな声で謝った。どなられたくない。ぶたれたくない。
「いいよ。許してあげるよ」
 初めてその人の顔が変わる。口のはしが上がっていて。……笑ってるの……かな?
「そのかわりさ。僕も混ぜてよ。雪合戦」
「え?」
 ボクもゴウくんもその人の言っていることがわからなかった。だって、その人笑ってないんだもん。真面目な顔で言うんだもん。
「ダメかな?」
 ボクとゴウくんは顔を見合わせる。ゴウくんは『どうする?』と目で言っている。ボクは頷いた。一緒に遊ぶだけでゆるしてくれるんだったら一緒に遊ぶ。
「じゃ、手加減はあんまりしないから2人でかかってきていいよ」
 その人が雪を丸め始める。ボクとゴウくんも、よくわからない気持ちのまま雪を丸め始めた。


 お兄ちゃんとの雪合戦は楽しかった。ゴウくんと2人で雪玉を投げる。お兄ちゃんはよけたりぶつかってひっくり返ったり。お兄ちゃんも投げる。僕たちもよけたりぶつかってひっくり返ったりした。
「アハハハハハ!すっごいのいくぞ〜!」
 ただお兄ちゃんはあまり笑わなかった。口のはしが少し上がるだけ。怒っているわけでもなかった。
 ……やっぱりお兄ちゃんがオトナだからかな?こんなに楽しいのに笑えないのかな?それとも楽しくないのかな……。
「うわぁっと!!」

バフッ!

 すごい音がして、とつぜんお兄ちゃんがまっしろになった。
いや、ちがう。お兄ちゃんのそばにあった木から、雪のかたまりが落っこちてきたんだ。
 お兄ちゃんは雪をかぶったまま目をパチクリさせている。まるで雪だるまみたいだ。
「アハハハハハ!お兄ちゃん雪だるまみたい!」
 ゴウくんが笑った。
「アハハハハハッ!ホントーだ!アハハハハハハハ!」
 ボクも笑った。ちょっとわるいかなと思ったけど、お兄ちゃんのすがたはおもしろい。
「雪だるま?」
 お兄ちゃんは自分の姿を見てつぶやく。
「……アハ……、アハハハッ!本当だね!雪だるまみたいだ!アハハハハハ!」
 笑った。お兄ちゃんが笑った。大声で。顔中で笑っていた。
 ボクはびっくりした。だから思わず言ってしまった。
「お兄ちゃん……笑えるんだ……。」
「え?」
 お兄ちゃんがおどろいた顔をする。
「あ、あの……えっと……。」
「……どうしたの?」
 お兄ちゃんがボクの目をジッと見る。ボクはなんだかもやもやした気持ちになった。
「お、大人になると笑えなくなるの?ボクの兄ちゃんおこってばっかりで……ゴウくんの兄ちゃんは大人になると笑ってばっかりいられなくなるって言って……だから大人になると笑えないんじゃないかと思って……でもいまお兄ちゃん笑ったから……」
 ボクは思っていることを全部しゃべってしまう。もやもやした気持ちをぜんぶだしてしまう。なぜかはわからないけど、どうしてもこのお兄ちゃんに聞いてほしくて。お兄ちゃんなら教えてくれるような気がして。
「……そっか。そうだね。笑えないっていうのはあるかもしれない。
 大きくなるとね。不安になるんだ。楽しいこともね。本当に楽しいのかわからなくなるんだ。本当に楽しんでいいのかわからなくなるんだよ。
だから本当に笑ってもいいかわからなくなる。そんなんだから……笑えない。
 でもね、本当は笑いたいんだよ。楽しいことしたいんだよ。でもわからないから、素直に楽しめないから……ついつい怒ってしまったり、楽しいことから自分を遠ざけたりするんだ」
 お兄ちゃんは難しいことを言った。でもすごい真剣に答えてくれた。だからボクはわかる言葉をひろって、りかいできるようにがんばる。
「笑いたいのに笑えないの?……じゃあ、お兄ちゃんが今笑えたのは何で?」
「……君たちがすごい楽しそうだったからだよ。君たちが本当に楽しそうに笑ってたから。
だから僕も、ああ本当に楽しいんだって思えて笑うことができたんだ」
「じゃ、じゃあ……ボクの兄ちゃんも笑えるかな?」
 兄ちゃんも……怒ってばっかりじゃないのかな?
「うん。キミが今みたいに笑っていればきっと笑えるよ」
 お兄ちゃんがニッコリと笑って頭を撫でてくれる。
 じゃあ、ボクは笑おう。兄ちゃんに笑ってほしいもん。怒ってばっかりはイヤだもん。
「ありがとう!」
 ボクもニッコリ笑った。
「うん。その顔を見せればお兄ちゃんも笑えると思うよ。
 ……それじゃ、ボクはそろそろ帰るね」
 お兄ちゃんは笑顔のまま、雪を振り払って自転車にまたがる。
「あ、おに……。」
「それじゃあね」
 ボクはお兄ちゃんを呼び止めようとしたけど、アッという間に走りだしてしまった。……ありがとうを言いたかったのに。
「なぁ、コウイチロウ。不思議な兄ちゃんだったな」
 ボクとお兄ちゃんが話している間ずっと黙っていたゴウくんが言う。
「不思議……そうだね」
「でもさ、あのお兄ちゃん。なかなか笑わなかったよな。怒りもしなかったけど……。もしかしたらさ。笑うことだけじゃなくて……怒ることもなかなかできないんじゃないのかな?」
「え?」
 ……ボクはハッとなる。そう言えば……。
「あのお兄ちゃんはボクたちが笑っていたから笑えたって言ってた。じゃあ、笑っているボクたちがいないときは……」
「あ〜暗い顔するなよコウイチロウ!きっと大丈夫だよ!それに今度会ったとき、またあのお兄ちゃんを笑わせてあげよう!だからオレたちは暗い顔なんてしなくて笑っていよう!」
 ………………。
 やっぱりゴウくんはすごいね。
そうだね。笑おう。ボクたちは笑える。あのお兄ちゃんを笑わせることもできる。
「うん。」
 ボクは笑った。


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