工藤 道隆

「前島 歩美」

「ほぉら!なぁにグズグズしてんのよぉ!置いてくわよっ!」
 私はアクセル音でダンナをせかす。
「ちょっと待ってくれよぉ、だいたいこんなに持っていく必要があるのかよぉ?」
「なっさけないこと言ってるんじゃないわよ!ホラ!さっさと積み込んだらさっさと助手席に乗り込みなさい!
じゃないとまた埼玉に行っちゃって今日中に帰れないかもよ?」
 私は、車の運転は得意だが重度の方向音痴だ。千葉から東京に行こうとして、埼玉に行ったことがある。だから、運転はできないが地図を人並みに見られるダンナは必ず連れて行く。ちなみにダンナの方が私より1歳年上なのだが、完全に尻しいてやっていた。
「はいはいっと」
 やっと助手席に乗り込むダンナ。
 さしたる特徴はないが、芯が一本通っているいい男だ。仕事に関してはかなりの実力者だが、他のことはまるで駄目。人間としてはダメな部類に入るかもしれないけど、私はこのダンナを愛している。
「じゃ、ぶっ飛ばすわよ!」
「お、お手柔らかにね」
 派手なエンジン音を鳴らして急発進気味に出発。ギアを少し乱暴めにチェンジしつつスピードをガンガン出してゆく。

 私は前島歩美(まえじま あゆみ)、二十四歳。結構有名なブランドの服屋で働いている。ダンナはプログラマ。ワケのワカラン言葉を並べすごいことをやってのける。共働きで双方とも仕事を楽しんでいるが、夫婦仲は円満だ。結婚して2年目だけどまだまだラブラブって感じ♪
「まったく、楽しみなのはわかるけどさぁ、もう少し安全運転しようよ。あ、次の信号は右ね」
「そうも言ってられないわ!早く着かないと道隆と喋る時間が短くなっちゃうでしょう!?」
「ったく……道隆君のこととなると……」
「妬くな妬くな。あんたは毎日愛してやってるでしょ!たまに会う弟なのよ?今日ぐらいは弟に私の愛を譲ってあげるのがいい男ってもんよ」
 そう言ってウィンク一つ。だけど私のダンナは満足していないようで、少し拗ねてしまっていた。ま、こんなところもラブなんだけど。
 今日は久しぶりに弟に会いに行く。私の愛する弟、工藤道隆に。

 道隆は我が弟ながらいい男予備軍だ。まだ十七歳の子供ではあるんだけど、あいつは絶対いい男になる。私はそう確信している。私が今の道隆と同じ、十七歳だったときの、あの出来事からずっと……。


 今のダンナとつきあい初めてちょうど1ヶ月が経とうとしたときだった。
 うちの家はクソ厳しく、門限六時という馬鹿げたことを実際にやっている家で、父親も母親もうるさかった。門限を越えれたら何をされるかわかったもんじゃない。
 でも、私はそれに従う気はなかった。兄貴のようになる気はなかったから。
 だから私は逆らった。彼と二人で一泊二日の旅行に行こうとしたのだ。それも内緒で行くのではない。家を出て、電車に乗る直前に電話で親に知らせた。内緒で何かするというのは卑怯な気がしたから。
ウチは絶対おかしいもん。だから堂々とやってやるのだ。まだ子供だった私はそう考えて行動を起こした。
 案の定そんなのは許せないと言ってきた。ここにそいつを連れてこいと言ってきた。
 ダンナも真面目で熱い人だったから、旅行は中止にして私の家に乗り込もうと言ってくれた。怒りのボルテージが上がっている父親と母親のもとへ単身で乗り込むのは相当勇気が必要だ。だけどダンナは行った。
 話し合いは比較的穏便に済んだ。ダンナが、『まだ十八歳で仕事も持っていない君に娘を任せられない』という言葉に素直にうなずき、『ではしっかりと職を手につけて、もう少し年齢を重ねてからまた来ます』と言って身を引いたからだ。
 だから彼は何もなくすんなりと帰れた。私も両親からは釘を刺されたくらいで、大したことはされなかった。
 私はホッとした。
 だけど……。
 部屋に戻った私のもとへ、一歳年上の兄貴が、すごい剣幕な表情で現れる。
「何を考えてるんだよっ!!」
 そう言われ、何度も頭を叩かれた。もし拳で殴られたら死んでいたかもしれないくらい強い勢いで。私は声も出せなかった。いつもはこんなことをしない兄貴がなぜこんなことをするのか?そんなことも考える余裕がないくらい叩かれ続けた。
 実家は二階建てで一階が両親、二階が子供たちの部屋となっていたため、大きな音でもしないかぎり、二階で何かあっても一階の両親が干渉してくることはほとんどなかった。だから絶望的だった。
『やめてよっ!』
 そんな兄貴と私の間に入り、そう叫ぶ男がいた。それが七歳も年下の弟、道隆だったのだ。
 兄貴と道隆は七歳も離れている。十八歳と十歳。体格の差は大人と子供だ。力ではどうやったって適うワケがない。そんなの道隆にもわかっていたはずだ。しかも兄貴は怒り狂っている。それでも、私と兄貴の間に入って私を守ろうとしてくれたのだ。
 その時すぐにはわからなかったけど、道隆はものすごく勇気が必要なことをしていたのだ。
 道隆は……そう、人のために巨大な敵に立ち向かう優しさと強さ、そして勇気を持っている。それだけでもういい男になる素質がある。


「それにしてもえらい出費じゃないのかぁ?何着買ったんだよ?」
 もうすぐ道隆の家という地点で、またぶーぶー言いだすダンナ。どうやらお土産に洋服をしこたま買い込んだのが気に入らないらしい。
 まったく。
「七着よ。どれもこれも道隆に着られたいって言っていた子ばっかり」
「出たよ……」
 ダンナは私がこの話をすると呆れる。まぁダンナの気持ちもわからなくはない。私だって、ダンナが『パソコンがこういうプログラムを作って欲しいって言ってる』なんて言い出したら引くだろう。でも、本当なのだからしょうがない。
 自慢じゃないが、私は服の声が聞こえる。服を見つめていると、あっちから話しかけてくるのだ。『あなたに着られたい』『誰々に着られたい』。その声は絶対で、その声の通りに服を選べばばっちりとキマるのだ。だからこそ、私はこの商売が天職だと思っている。
 服にしたって人にしたって、しっかりと愛せばしっかり応えてくれる。服も愛を求めていて、愛されれば愛されるほど輝きを増す。
だから私は思う。すべてのものは愛されることが必要だ。それが私の考え方。

 だけど……最近のあの子は……愛されるのを拒否しているような気がする。
 ……たまたま見てしまった。学校にいる時の道隆を。まるで人との関わりを断とうしているかのようなそんな雰囲気があった。表情といい目つきといい、私の知っている道隆とは違っていた。
 ……でも、まだそうと決まったワケじゃない。あくまで遠くから見てそう感じただけ。
「わぁ〜赤だよ赤!」
 後続車がいないので思いっきりブレーキを踏むことで急停止する。停止線直前でピタリと止まり、思い切り車体が揺れた。
 だから私は私にできることをしてやるのだ。私は道隆を着飾る。人が放っておけないほどのいい男にしてやる。そうすれば、きっと道隆を愛してくれる人が現れるだろう。安直だが私にできることと言えばこれぐらいしかない。
 信号が青に変わる。
「さぁもう少しで着くわよ〜!」
 私は少しでも早く道隆のもとへ辿り着けるよう、法定速度をちょっぴりだけ破って車を走らせた。


 帽子をかぶってきて正解だったわね。今日はまた馬鹿みたいに暑い。それにしたって……。なんでこのデパートは駐車場までの道がこんなに長いのかねぇ?
「姉ちゃん。こんな恰好柄じゃないよ」
 道隆が自分の恰好をまじまじと見て言う。夏はいつもGパンとTシャツの道隆は、ショートパンツとベストがしっくりこないらしい。
 でも今日は私のおもちゃになってもらった。服のお礼になにかしなきゃって言ってきたのは道隆だしね。まぁこうなることは先刻予想済み。ダンナを実家に置いていき、私は道隆とデート♪それが今日の予定だったんだから。
 事前に造らせておいたサンプル品のコンタクトを入れさせ、髪もきちんと流行りの美容院で整えさせた。本当は染めてやろうと思ったが、親父に道隆が怒られるのもかわいそうだったのでやめた。でもこれでも充分。もとが悪くないんだからかなりいい男に仕上がった。クラスメイトの女の子とかに会ったら一目惚れされちゃうんじゃないかしらん?
「そーだ!亜紀ちゃんに会いにこうか!きっと惚れ直されちゃうわよ♪」
「いいよ……」
 少し低く、弱い声で言う。
 あらら?まずい、こりゃなんかあったな……。
 暗く重い返事。
 今はこの話題にはこれ以上触れない方がいい。
 私は適当な言葉で話題を打ち切り、次の話題をあれこれと思案し始めた。
「えぇぇええ!?工藤道隆ぁ!?」
 な、なんだなんだ?
 話題を変えようとしていた矢先に素っ頓狂な声がし、ショートカットの女の子が私たちの前に回り込んで来る。歳は道隆と同じくらいでかなり可愛らしい。
「……神尾さん……」
 道隆の表情が曇る。心なしか声のトーンも下がっているように思える。
「となりにいる人は……もしかしてお姉さん?彼女……じゃないよねぇ?」
「………………」
「……そう。道隆のお姉さん。歩美っていうのよ。あなたは道隆と同じ高校の子かな?」
 道隆が答えるかと思ったが、黙ったままなので私が答える。……どうしたんだろうか?
「あ、すいません。自己紹介しないのに名前聞いちゃいました。私は神尾美菜っていいます。工藤道隆のクラスメイトです」
 明るく元気な声色。ハキハキしていてなんとも心地よい。道隆のことをフルネームで呼ぶのがちょっと気になるが。
「それにしてもどーしたのぉ?工藤道隆。ボサボサ頭とメガネがトレードマークのあんたがさぁ」
 言うことは少しきついがカラッとしていてイヤミがない。
 いや……それよりも道隆だ。さっきから様子がおかしい。黙ってしまっていて表情も心なしか堅い。なんだか困惑しているみたいだ。
 ……でもなぜ?
「私がコーディネイトしたの。いいでしょ?」
「うんうん。とってもいーです。学校での印象とは大違い。いつもそんなんだったらみんな見直すよー?工藤道隆」
 大違い?見直す?学校での道隆は、そんなにダサい恰好をしているのかしら……?
いや、制服なんだからそんなはずはない。道隆がだらしなく着崩すなんてことも考えられないし……。それにボサボサ頭だってそんなにみっともないほどじゃない。だとしたら?
「ねーねー。神尾さん……あ、美菜ちゃんって呼んでいいかな?」
「いいですよー。お姉さん」
「よかった。さん付けって苦手なのよ。でね、美菜ちゃん」
 私は一呼吸置いてから話を切り出す。
「学校の道隆ってどうなの?」
 私がその言葉を口にした時。明らかに道隆の顔色が変わった。
「えーそうですねぇ。一言でいえば……」
「神尾さん!」
 美菜ちゃんの言葉を遮るように道隆が怒鳴り声をあげる。
 音量はそれほどでもなかった。でも……女二人の会話を止め、黙らせるには充分すぎるほどの迫力があった。
「……道隆?」
 少し放心状態に陥っていた私は、道隆の名前を呼ぶことしかできない。
「すいません。僕たちそろそろ帰りますね」
 丁寧な敬語。クラスメイトと話すにしては丁寧すぎるほど丁寧な言葉と口調。
 ……こんな道隆は……見たことがない。


 家に帰ってきた私は、分厚い電話帳で必死に調べあげた番号に電話をかける。
 あの後、道隆とはあまり会話を交わさなかった。なんというか……姉の私ですら……話しかけにくかった。なにより私の知っている道隆とは違う道隆に困惑してしまった。
 ……ダメだ……ダメだダメだ……こんなんじゃ。姉失格だ。
 トゥルルルル……トゥルルルルル……。
 お願い家にいて……。
「はい。神尾です」
「あ、あの美菜さんいらっしゃいますか?」
 普通は名乗らなければいけないのだが、どう名乗っていいものかわからない。
「あ、美菜は私ですけれども……」
 ……良かった。神尾美菜。今日会った女の子。道隆の様子がおかしくなったのもの、この子に会ってから。
「あ、あの……えと。私、道隆の姉の歩美なんだけど……わかるかな?今日会ったよね?」
「……え?ああ!工藤道隆のお姉さん」
「ごめんね。いきなりでびっくりしたでしょ?どうしても気になることがあって、電話帳であなたの番号を調べて電話をかけちゃったの。神尾って珍しい名字だし」
「あ、気にしないでください。私もお姉さんともっと話をしたかったんです。工藤道隆のことで……」
 それから私たちは道隆の話をした。学校での道隆の話を聞いた私は心の底から驚き、神尾さんは私の知る道隆の話をする度に驚いていた。
 道隆が高校でクラスメイトと馴染めていない。しかもその原因を自分でつくっている。人を引き離すためにわざと壁を造り、相手に嫌われるためにわざと自分を出さない。ある程度は感づいていたが……そこまでとは思わなかった……。
 だって……そんなの信じられないもの……。私の知っている道隆は……。
 中学までの道隆は、そんなヤツじゃなかった。クラスの人気者というわけではなかったが、嫌われることの少ない、クラスメイトのほとんどが口をそろえて、『いいヤツだよ』というようなヤツだった。それが……なぜ?しかも意図的に……。
 もう間違いない。道隆は愛されることを拒否している。
「ねぇ、美菜ちゃん。あなたは……あなたは道隆のことをどう思ってるの?」
 私は思わずすがるような声で聞いてしまった。だって私の弟が……。そんなことになってるなんて知ったら……。
 でもこんな風に聞いたら、誰だって道隆のことを敬遠しているというようなことは言わないだろう……。 だからこんなことを聞いても意味なんてないんだ。ないのに。
「工藤道隆は、今一番、私の好奇心をくすぐる存在です」
 しかし返ってきた美菜ちゃんの返答は、私の予想したものとは違うものだった。
「確かに、無口で無愛想で本ばかり読んでいて、ちょっと近寄りがたい存在ですけど。でも、悪いヤツじゃないし、なによりおもしろい。今日、お姉さんの話を聞いてますます興味もわきました。なんで道隆は高校では心を閉ざしているのか」
 彼女の言葉に、同情は感じられなかった。だから私はさらにすがるように言ってしまう。
「それって……、道隆のこと好きってこと?」
 この子に道隆が愛されたなら……きっと道隆も大丈夫だ。そう思ったから。
「恋愛感情があるかってことですよね?」
「うん」
 私は電話口であるにも関わらず頷いて返事をする。
「んー……それは今のところないと思います。でもいつ恋愛感情が生まれてもおかしくないですね。私はこれから、工藤道隆と関わり続けるつもりですから。だから生まれるかもしれません。恋愛感情って……そういうものですよね?」
「そう……ね」
 彼女特有のハキハキと心地よい声でそう言われると、私はものすごく安心できた。美菜ちゃんがそばにいれば大丈夫のような気がした。直感的なものだが。
「なんか……ごめんね。いきなり電話して、……しかもこんな話して……」
 少し涙で声が震えてしまった。でも小さな震えだったので、彼女には悟られていないだろう。
「全然かまいません。良かったらまた電話ください。あ、家より携帯の方がいいので携帯にかけてください。携帯の番号教えますから」
 最後に私たちは携帯の番号を教えあって電話を切った。
「歩美……」
 電話を切ると同時にダンナが声をかけてくる。私を心から心配してくれているそんな声だ。私は少し弱々しい笑顔で返事をする。するとダンナは後ろから優しく私を抱きしめてくれた。
 人は人を愛するべきだし、愛されるべきだ。だから愛されることを否定するなんてあっちゃいけない。私はそう思う。
 私は道隆を愛している。弟として。でも人はそれだけじゃ足りない。服だって愛されなければ輝かない。服でさえそうなんだから、生き物である人間は、服の何十倍も愛を受けなければ輝かないだろう。
 そして私は人間を輝かせるために絶対必要不可欠なものがあると思っている。それは、自分を一番に愛してくれる存在。愛し合い、共に生きていくパートナー。
 私は道隆の姉で、しかも私はダンナを一番に愛している。だからその存在にはなれない。だから……誰かが道隆を一番に愛してくるのを祈るしかないのだ。
「ねぇ、道隆にもう何着か買ってあげたい服があるんだけど」
「え〜?」
 ダンナは困ったような表情をするが許してくれるだろう。……愛してるよ。
 そう、私は私にできることをしてやるのだ。私は道隆を着飾る。他人が放っておけないほどいい男にしてやる。そうすればきっと道隆を愛してくれる人が現れる。
 すこしもどかしいけど……。それが道隆に私がしてやれること。姉として、してやれること。
 愛してるぜ。私の弟。姉さんの愛を無駄にするんじゃないわよ。

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