工藤 道隆

「喜多川 亜紀」

 放課後の裏庭。
 こんなところに呼び出されたら、何の用件かなんて聞く前にわかってしまう。
「喜多川さん。いきなりでびっくりするかもしれないけど……俺、キミのことのが好きなんだ」
 先輩から突然の告白。
 しかもサッカー部のエース。大きな目が特徴の、少し童顔気味の美形。顔の良さなら、うちの学校の中では一、二を争うだろう。面識が無いのでよくはしらないが、頭も悪くないらしいし、性格もいいらしい。
「……俺の彼女になってくれないかな?」
 こんな先輩から告白されるなんて大変なことだ。彼氏がいるか、他に好きな人でもいない限りは、首を横には振らないのではないだろうか?
 私はどうするんだろう?
 赤くなってもじもじとする先輩の前で、私はまるで他人事のように考えていた。
 道隆の言うとおり、私は変わり者なんだろう。
 人は私のことをおとなしくてイイ子だという。よく知った友人は、私が何事にも無関心で無感動だと言う。
 私にはその自覚は無いが、そんな周りの見方も全く気に止めていないのだから、友人は正しいことを言っているのだろう。
 今もそうだ。きっと他の女の子ならもっと大騒ぎするはずだ。
「あ、えと……。返事、いつでもいいからさ。そ、それじゃ。」
 私が無反応だったためだろうか、先輩は逃げるようにして走っていった。
「………………」
 取り残される私。
 返事か。
 さて、どうしよう。友人に話そうものなら、おそらくつきあってしまえと言うだろう。
 私はあれこれと考えながら教室に戻った。


「亜紀ぃ、あんたの気持ちはどうなのよ?」
 揺れる電車の中で、私は友人の言葉をリフレインさせていた。
 私が通学に使う電車は利用者が少なく、ほぼ間違いなく座ることができる。そのかわり乗車時間は50分以上。でも私は、この時間が嫌いではない。今日あった出来事などを思い返し、考えるこの時間が。
 教室に戻った私を待っていたのは、質問の嵐だった。やれつきあえだの、うらやましいだの。全部適当に流したつもりなんだけど。今リフレインしている言葉だけが気にかかる。
 私の気持ち。
 どうなんだろう?本当にわからない。
 どうでもいいというのが正直な気持ちだ。
 私の気持ちなんてどうだっていい。別に知りたいとも思わない。

 私が知りたいのは、道隆の気持ちだ。

 工藤道隆。
 小学校はずっと一緒のクラス。中学校は別のクラスだったが同じ学校だった。しかし、仲良くなりだしたのは結構遅く、小学校六年生の時だった。


 石油ストーブの臭いとクラスメイトのため息が充満した部屋で、難しくも面白くもない退屈な授業が行われている。
 同じ造りの使い古された机やイスがズラリと並び、生徒たちがそこにしがみつく。
 私は授業中の教室が嫌いだった。

 シャッシャッシャッ……。

 吐き気を感じるほど空気の悪い教室の中で、軽快に動くシャープペンの音が耳についた。黒板に書いてある文字を写していたら、こんな音はしない。
 その音は私の隣に座っている男子が出していた。耳につくのも当然だ。
 その男子こそ道隆。……ああ、このときはまだ『道隆』、ではなく『工藤君』って呼んでいたっけ。
 工藤君は、たまにチラチラと窓の外を見ながら、細かく手を動かしている。興味を惹かれた私は、その手元をのぞき見た。
 その時の衝撃は今でも忘れない。
 息を飲んだ。
 そこには外があった。寒いけど、新鮮な空気がある外の空間があった。そこに色は無かったが、この教室なんかよりもずっと色彩豊かに見えた。
 シャープペンで無地のルーズリーフに描かれた外の景色。
 具体的に言ってしまうとそれだったのだが、私はそんな言葉で片づけたくなかった。
 窓。
 そう。教室の……生徒を拘束する象徴である机。そこに開かれた窓。
 窓からは新鮮な風が吹いてくるようだった。……いや、私は確かに風を感じたような気がした。
「喜多川?」
 小いさく声をかけられ我に返る。
 声をかけたのは工藤君。そういえば、シャープペンが止まっている。私の視線に気がついたのだろう。
 机に開かれた窓から視線を外し、工藤君の方に目を向ける。
 工藤君のメガネに知らない人の顔が映っていた。
 セミロングでメガネをかけていて……。
 知らない人じゃない……、私だ。だけどメガネに映っていた自分は、見たことのない表情をしていた。
 驚き、目を見開き……そして……。
「な、何泣いてるんだよ」
 涙が零れていた。
「あ、いや……あれ?」
 もう止まらなかった。ポロポロと溢れる涙。やがて先生が気付き、大騒ぎになりそうになった。私は絵を見て涙が出たとは言えず、お腹が痛いと言った。
 真面目でおとなしい私が涙を流して言っているのだ。誰も疑うことなどなく、私は保健室に連れていかれた。 


 保健の先生に促されるまま胃腸薬を飲み、ベッドに横になった私は早く教室に戻りたかった。
 授業中の教室が嫌いだった私にそう思わせたのはあの絵。
 しかし、10分もしないうちに『治った』とも言えず、目をつむってあの絵を思い出すことに努めた。強烈に焼き付いたあの映像を思い出すことは容易だった。容易だったんだけど……風を感じることはさすがにできない。

 キーンコーンカーンコーン。

 チャイムの音。授業が終わる音。授業中、いつも早く鳴ることを願っていた音が鳴る。
 授業が終わる。授業が終わったら……授業中に描いていたあの絵はどうするんだろう?まさか……捨てたりは……。
「先生。お腹、落ち着きました。教室に戻りますね」
 あの絵を二度と見られなくなる可能性がある。そう考えたらもう寝てはいられなかった。

 教室に戻った私は、すぐに工藤君のところに行く。工藤君は数人の友人と談笑をしていたが、私はそこに入っていった。
「工藤君」
 工藤君のメガネに私が映る。その表情は、また見たことのない表情だった。
 頬が赤くなっていて、目を見開いている。高揚してるってこんな感じなのだろうか?
「喜多川、どうしたんだよ。お腹大丈夫か?」
 工藤君と談笑していた数人が、驚いて私に視線を注いでいる。私は急に恥ずかしさを感じ、カッと熱くなった。
「う……、うん。大丈夫」
 私は思わず視線を逸らし、口ごもる。
「どうしたんだよ。何か用か?」
「あ、……うん。でも、いいや」
 他のクラスメイトがいる前で、絵の話はなんとなくしたくなかった。他の人に、あの絵の存在を知られたくなかった。
 そうだ。次の授業中に聞けばいい。

 キーンコーンカーンコーン。

 丁度いいタイミングでチャイムが鳴る。
「喜多川、本当にもう大丈夫なのか?」
「うん。大丈夫だよ。早く席に着こう。先生来るよ」
 心配そうに声をかけてくれる工藤君の言葉を流し、席に着いた。これで先生が来れば授業が始まる。

 ガラッ。

 ドアが開く音。
「起立っ、礼」
 そして学級員の号令。
「着席」
 カタガタと音をたてて全員が席に着く。いよいよ授業が始まる。
『さっき描いていた絵はどうしたの?』
 私はルーズリーフにそう書いて、工藤君の方にスッと寄せた。
 筆談。そう呼ばれる行為。おしゃべりと同じような、してはイケナイ行為。
『さっきの絵って……』
 工藤君が私の書いた文字の下にそう書いてから、一枚のルーズリーフを机の上に出した。
 また机に窓が開いた。


 それからだった。私たちは毎授業筆談するようになった。外の絵を私が描いてほしいとねだると、工藤君は描いてくれた。退屈で息苦しい授業が楽しくなった。
 しかしその時はそれだけ。
 小学校が終わり、中学校にあがる。そしてクラスが変わってしまうと、呆気なく関わりがなくなってしまった。
 お互い、別のクラスに遊びにきてまで話すようなことはない。筆談がすべてだった。絵がすべてだった。授業中、隣りの席だったから仲が良かっただけだったのだ。
 もちろん、中学になってからも、授業中に工藤君の絵が見たくなることはあったけど、その時の授業はそれなりに難しくて、教える先生も違うので退屈さもそれほどではない。
 もう机に開かれる窓が必要なくなっていたんだ。
 私と工藤君を繋げていたのは、授業中の退屈さだったんだと思えば、それは当然のことのように思えた。


 再び仲良くなりだしたのは中三になってから。
 同じ図書委員会になったからだ。
 委員長が私。副委員長が工藤君。私が委員長に推薦されたのは、いつも図書委員をやっていたからだろう。工藤君はクラス委員や、別の委員会の役員をやった経験があるので推薦されたのかもしれない。 
 そんなわけで話す機会も多くなった。
 小学校の時は筆談だったけど、今度は口で話す。
 文字のやりとりから声のやりとりへ。
 工藤君と話すのはおもしろい。そして私に気軽に話し掛けてくれるのも嬉しかった。
 大人しくてイイ子という私のイメージは、他人に距離をとらせた。
 仲のいい友達でもそうだ。無感動で無関心だというイメージは、『何を考えているかわからない』ということで、近寄り難い雰囲気だということだから。
 さらに成績が学年トップだというのも手伝って、私は多分、みんなから距離を置かれていた。
 だけど、工藤君は違っていた。距離を置くことはなかった。他の人と同じく……いや、それ以上に近くにきてくれた。
 この頃から何度かデートに誘われたし、休み時間も隣のクラスまで会いにきてくれるようになった。そして、友達にからかわれるほど接する時間が長くなった。
 そういえばこのぐらいからだったかな。名前で呼び合うようになったのは。
 多分、工藤君は私のことが好きだったと思う。これは己惚れなんかじゃない。
 私は確かに道隆の好意を感じていた。
 「好きだ」とはっきり口にしてもらったことはないのだけれど、友人も間違いないと言っていたし。
 でも、私の方はというと、道隆に恋心を抱いているとは思えなかった。人の言う、熱い気持ちとか、胸の高鳴りとか……そういうものがなかったから。
 しかし、道隆が付き合ってくれと言ってくれば受けるつもりでいた。
 だって道隆は、今まで出会った男の子の中では、一番好きだといえるから。
 道隆が望むのなら恋人になるのもいい。
 そんな風に思っていた。……今でも思っている。


「○×○〜。○×○〜」
 私の意識を引き戻す駅員のアナウンス。
 あ……降りなきゃ。物思いにふけっていた私は慌てて席を立った。


 駅から家までの道は、人気が少なく夜は結構恐い。今はまだ空が赤いのでそんなことは無いが。
「…………」
 ふと、子供が一人もいない公園に意識がもっていかれる。
 そういえば……。ここでよく話をしたな。
 私は何だか吸い寄せられるように公園に入り、ベンチに腰をかけた。
 最後に会ったのは高校一年の春。去年の四月の初めだ。
 違う高校になることで会う回数が少なくなることは分かっていたが、ここまで音沙汰がなくなるとは思わなかった。
 春休みは二回もデートをしたというのに……、なんで突然連絡をしてこなくなったのだろうか。
 すっかり赤く染まった空を見上げる。まばらに散らばった雲は青紫色。空と雲は赤と青紫の絶妙なグラデーションを作りあげている。
 道隆は、こんな夕焼けが好きだったな。
 ……最後に会った日もこんな夕焼けだった。
 道隆は、私とデートする時、必ずスケッチブックと色鉛筆を持ってくる。
 デートの最中、私か道隆が気に入った景色を見つけると、絵を描いていたのだ。
 そういえば……その日は風景画を描なかった。
 景色ではなく……私を描いたんだった。
 ……考えてみればおかしい。
 さりげなく、「たまには人物でも描くか」なんて言ったのでモデルをやったんだけど。
 私の絵を描いた日以来連絡が無くなったなんて何かあるとしか……。
 でも、あの時は完成しなかったじゃない。完成してるんならわかるけど……。
 もしかして、何かあった?
 何かあって連絡できないとか……私の絵をそのままにせざるを得ないとか……。

 ドクンと胸がなった。鳥肌が立った。冷や汗が出ていた。
 そっと携帯電話を取り出す。
 高校1年の終わりに買ったそれには、道隆の電話番号が登録してある。一応友人関係の電話番号はすべて登録しておいた。
 もっとも私が登録してある番号で、実際にかけるのは自宅ぐらい。他のはかかってくることはあってもかけることはほとんど無い。
 思えば、私から道隆に電話をしたことはなかったな。前までは自宅によく電話をしてきてくれたし、連絡が来なくてもあまり気にならなかったし。
 登録してある名前から、道隆の名前を選ぶだけなのに……。なんでこんなに緊張してるんだろ。
 ……人に電話をかけるのって、こんなに緊張することだったっけ?

 プルルル……プルルル……。

 呼び出し音。
 そうだ、この番号は自宅だから誰が出るかわからない。
 えーと……。
 道隆も私の自宅に電話をかける時は、いつもこんな風だったのだろうか?思えば、いつも最初の方は声が裏返っていたような気がする。
「もしもし、工藤です」
「あ、も、もしもし」
 声が裏返ってしまった。
 電話に出たの男性だった。でもそれだけじゃ道隆かどうかなんてわからない。
「あ、もしもし。喜多川と申しますが道隆君は……」
「……え?喜多川?……亜紀……か?」
 私の言葉の途中で相手の声のトーンが変わり、私の名前が口にされた。
「道隆?」
「ああ、そうだけど……」
 久しぶりに聞いた道隆の声は随分と落ち着いていて、およそ高校生のものとは思えなかった。
「……どうしたんだ?」
 たっぷりの間を置いてから道隆が言う。
 え、えと……何の用だったんだっけ……。
「うん。元気かな……ってさ」
 そうだ。道隆が元気かどうか確かめる為に電話したんだ。
「ん……ああ、元気だよ」
 なんか、ぎこちない。久しぶりだからだろうか。それとも他に理由があるのだろうか。
「久しぶりだよね」
 妙な違和感。
「そうだな」
「うん」
 そうか、私から話し掛けているからだ。いつも道隆が私に話し掛けてくれていた。話題もほとんど道隆が提供してくれた。
 でも今は……。
 何かが変わってしまったんだろうか?変わったとしたら何が?
「会えないかな?」
 何かが変わったのなら知りたい。変わってしまっているのならそれを自覚しておきたい。
「それって今からってことか?」
「うん。ダメかな?」
 私から何かしようと誘うのも初めてだった。
「…………………………」
 たっぷり時間をかけて考えている道隆。
 何か他に用事があるためか。それとも会いたくないのか。
「いいけど……場所は?今どこにいんの?」
 良かった。会えるんだ。思わず安堵の息を漏らす。
「私の家の近くにある公園。わかるよね?」
「わかった。五分くらいで行く」
「うん。待ってるよ」
「おう。じゃ、また後で」

 プツッ……ツーツーツー。

 電話が切れた。道隆から切った……。そういえば……いつも私が先に電話を切っていたような気がするな……。
 しばらく空を見上げていた。雲が冷たい風にゆっくりと流されていた。
 夕焼けは闇に飲まれようとしている。
 夜になったら、一人でこの寂しい公園にいるのは恐い。だから私は思わず独りごちた。
「早く来ないと道隆の好きな夕焼けが闇に食べられちゃうよ」
 私は道隆がくるであろう方向をジッと見てつぶやく。
「それは困る」
「え?」
 返事がないはずの独り言に返事があったため、私は飛び上がるくらい驚いた。
 道隆は私の予想した方向とは別の方向から来ていた。
「道隆……」
 久しぶりに見た道隆は、少し背が伸びていただけで何も変わっていなかった。
 メガネも、ボサボサ髪も、服のセンスも。
「亜紀だよな?メガネかけてないから一瞬わからなかった」
 対して私は、道隆にこんなことを言われてしまうくらい変わっている。
 メガネからコンタクトにしているし、髪も少しだけど染めている。
「あ、コンタクトにしたんだ。今年の秋に」
「コンタクトは嫌だって言ってなかったっけ?」
「うん。慣れちゃえばどうってことないよ」
 他愛の無い会話のやりとりが懐かく感じた。
「……今日はスケッチブック、持ってないんだね」
 見たところ手ぶらだ。会う時はいつもスケッチブックを持っていたのに。
「絵、描くのやめちゃったの?」
「いや、たまに描いてるよ」
 絵は描き続けてるんだ……。私はなぜだかホッとした。
「やっぱり色鉛筆で?」
「やっぱり色鉛筆が一番描きやすいし楽しく描けるよ。
 色鉛筆か……。亜紀が無理して絵の具を使うことないって言ってくれたから、色鉛筆で絵を描き始めたんだよな」
 え?私?
「『絵の具を使うのが苦手だから、鉛筆でのラフ画がそれなりにうまく描けたと思っても、塗りで台無しになる』って話をしたらおまえが、『じゃ、使わなければいいよ』って簡単に言ったんだよ」
 あ、覚えてる。
「嫌だったらやらなきゃいい、その道が険しいなら他の道を探せばいい。私の信条だもん」
 そう、あの時もこう言ったんだ。それを道隆はえらく感心していたっけ。
「ああ、そのおかげで色付きの絵も楽しく描けるようになったんだよ。美術の授業のせいで、『色は絵の具で塗る』っていうのが頭に染み付いてたから、そんな発想ができなかったんだよな」
「そうだったんだ……」
 私の何気ない言葉で、道隆がこんなに喜んでいたなんてね。
 ……そうだ。こういうのが心地よかったんだ。
 私は人とは少し違う考え方をする。何事にも熱くならず、適当にやり過ごすために頭を働かす。これが友達のいう無感動無関心なんだろうけど、道隆はそれがおもしろいと言ってくれていた。
『亜紀って変わり者だよな。でもそれがおもしろい』
 私は変わり者だと言われるのはあまり好きじゃなかった。特別扱いは嫌だった。距離を置かれるのは嫌だった。
「……あのさ。私の絵、描いてたよね?最後に会った日に」
 最後に会った日か。そういう言葉がしっくり来てしまうほど会ってなかったんだね。
「……ああ」
 私が絵の話題を出したとたん、声のトーンが変わった。
「……描きあがらなかったやつだよな。……やっぱり人物画を描く才能はないらしいからさ、途中でやめたんだ……。悪いなモデルになって貰ったのに」
 途中で……やめた……。
 その言葉はなんだか痛かった。自分の絵を描きあげてもらえなかったから?……いや、そんな理由じゃないと思う。
「そっか……」
「悪い……」
 そこで会話が止まる。
 しかし、道隆を呼び出したのは道隆が何も変わっていないことを確かめる為、それならば私の用事はすでに終わっている。会話が止まるのは当たり前かもしれない。
 ……本当にそれだけ?今まで電話をしようと思ったこともなかった私が、電話をして呼び出したんだ。他にも……何かあるんじゃないの?
 ふと気がつくと、街灯が点いていた。
 だんだんと日が沈んでいく。色が赤から黒へ変わっていく。
 私の気持ちなんてどうでもいい。知りたいとも思わない。私が知りたいのは……。
「今日ね。同じ高校の先輩に告白されたんだ」
 道隆の気持ち。
「え?」
 道隆の表情が目に見えて変わる。
 多分。これでわかる。どんな言葉を返してくるかで道隆の気持ちはわかる。
 今までは聞けなかった。私のことをどう思っているのかがわかる。
「どんな……先輩なんだ?」
「サッカー部のエースで、運動神経抜群。外見もかっこいい。面識がないからよくわからないけど、性格も悪くないらしいよ」
 聞かせて。道隆の気持ちを。
「どうする……つもりなんだ?」
 私がどうするかなんてどうでもいい。……そんなのどうでもいいのにっ!
「どうすればいいかな?」
 思わず言ってしまった後で気づく。これじゃ……道隆に『私のことをどう思っているの?』と聞いているのと同じだ。
 顔が熱くなる。
「……そんなの……俺に聞かれても……。……困るん……だけどな」
 !
 一瞬、心臓を強く握られたかと思うくらい苦しくなった。だけどそれはすぐに治る。
 そういう……ことなんだ。
「そうだよね。…………付き合っちゃおう……かな……」
 昔はどうだったかなんてわからないけど、今の道隆の気持ちはわかった。
「……亜紀の好きにすればいいよ」
 もう決定的に……これでもかというほど……わかった。
 いつのまにか辺りは真っ暗になっている。
「……暗くなっちゃったね。……そろそろ帰ろう?」
「ああ、寒くなってきたしな」
 十二月上旬だっていうのに……こんなに寒いなんて……ね。
「送るよ」
「うん。ありがと」
 変わらない優しさ。今だけじゃなく、一年前もそうだったのかもしれない。道隆が私のことを好きだなんて……。とんでもなく恥ずかしい私の勘違い……なのかもしれない。

 次の日。私は先輩にOKの返事をした。

 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン。

 この季節になるとどこもかしこも同じ景色になる。
 ジングルベルが鳴り響き、町は煌びやかに飾られる。
 クリスマス・イヴ。
 いつからかは知らないけど、恋人が一緒に過ごす日らしい。
 中三の時は……道隆が隣にいたな。
「難しい顔してるね。喜多川さん」
 作りのよい顔で作られる笑顔はそれだけでドキリとさせられる。今となりにいるのは先輩。
「そうですか?」
 ……先輩はいい人だ。
 本当に、私にはもったいないくらいいい人だ。……でも……なんだか……。
「工藤道隆っ!」
 突然、あいつの名前を呼ぶ声が聞こえた。私はビクリと反応して視線を声の方に向けてしまう。
 良く知った顔と、知らない顔がそこにあった。
 メガネでボサボサ髪の男の子。ショートカットでとてもカワイイ女の子。同じ高校の制服だった。並んで歩いていた。話をしながら歩いていた。
 ジングルベルが鳴り響き、煌びやかに飾られる町。そこで並んで歩く二人。そして今日はクリスマス・イヴ。恋人が一緒に過ごす日。

 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン。

 鈴の音がやけに耳についた。
 良く知った顔と知らない顔のカップルは人混みに消えた。
「き、喜多川さん!?」
 隣にいる先輩の声。なんだか慌てている。
「何ですか?」
 カップルが消えてしまった場所から視線を離し、隣の先輩の顔を見上げる。
 あれ?先輩の顔がぼやけてる?
「どうしたの!?」

 ツツ……。

 何か冷たいものが……頬を……。
「あれ?」

 ポロ……ポロポロポロ……。

 何で?何で泣いてるんだろ、私。
「喜多川さん……」
「あ、あう……ううっ……」
 どうして声が出ないんだろう。……どうして……こんなに……こんなに……。
「うぅ……ひく……ひっく……」
「喜多川さん!」
「うわぁああああああああっ!」
 私は声をあげて泣いた。恋人たちが一緒に過ごす日に、恋人の隣で……。
 みっともないけど……もう止まらなかった……。

 ……どうして泣いたかなんてすぐにわかったよ。

 私が道隆を好きだったからだ。


「大丈夫?」
「うん。もう大丈夫です」
 町から離れた児童公園。遊んでいる子供の姿はなく、ベンチに座っている私と先輩の二人しかいない。
 風でギコギコとブランコが揺れていた。
 暖かいレモンティーを飲んだせか少し気分が落ち着いている。
「先輩はどうして私に告白したんですか?」
 面識は無いのだから、外見で選んだとしか思えない。でも私はそんなにカワイイとは言えない。道隆の隣にいた子の方が全然カワイイ……。
「え?うん。前からさ、カワイイと思ってたんだけど、ほら、最近コンタクトにしたじゃん?コンタクトにした喜多川さん見たら……こうバチバチィと雷に打たれたようなそんな衝撃を受けてさ」
 コンタクトに変えた理由。ただなんとなく友人に勧められたからと片づけていたけど、道隆に好きだと言って欲しかったからかもしれない。
 髪を染めたり、コンタクトにしたり。化粧をしたり。体型を気にしたり。
 すべて道隆と会わなくなってからだ。
 道隆のことを好きだったと認めた今ならわかる。
 自分を高めようとしていた。そうすれば道隆が近づいてきてくれると思った。道隆に近づいてきて欲しかった。ずっと寂しかったんだ。
「そう……ですか」
「あ、メガネも似合うけどね」
 にっこり笑う先輩。本当に暖かくて優しい人だ。
「……私……。先輩のこと、まだ好きかどうかわかりません」
 だから正直に言おう。
 私は道隆が好きだったのだ。道隆が離れていったから……先輩と。
「……それでもいいよ。喜多川さんのこともっと知りたいし、喜多川さんに俺のこともっと知って欲しい。それからでもいいじゃん。俺のことを好きとか嫌いとかって話」
 ベビーフェイスの微笑みは、私の心を優しく包む。本当に先輩は魅力的な男性だ。だけど……。

 だけど……?

 そうかもしれないという気持ちを否定する言葉。思えばこの言葉に縛られていた。道隆が好きかもしれないと思ったとき、だけど胸の高鳴りがないと否定した。
 それだけじゃない、すべてのことを否定していた。否定して見ていた。
 だってすべてのことは否定できた。親の言うことも、ちょっと考えれば穴を見つけることができた。だから本当じゃないと思ったんだ。
 だから何事にも深い興味を示さなかった。その気になれば否定できる……。すべてのものはそういうものだと思っていたから。
 でも……否定できない気持ちもある。上辺だけの言葉で否定できても、それが本当に否定しきれるものだとは限らない。
「ありがとうございます」
 だから、ちょっと考え方を変えてみよう。このままだとまた失ってしまう。

 中学生の頃。やっぱり道隆は私のことが好きだったと思う。
 そして私も道隆が好きだった。両想いだった。それがうまくいかなったのは、自分の気持ちを認めようとしない私に原因があったんじゃないかと思う。
 高校に入って、おそらく……道隆の方に何かあった。私に近づくのをやめるきっかけがあった。
 道隆から私に近づこうとしなければ、私と道隆の距離が縮まることはない。私は、道隆に近づこうとしないのだから。
 だから……そこで終わってしまった。
 ……私は道隆に恋愛感情を抱いていることを否定し続けていた。それを感じていたから、道隆は私を好きだと言うことができなかったのではないだろうか?私が少しでも道隆を好きだというそぶりを見せていたら……、きっと変わっていたんじゃないかと思う。
 私は道隆と距離をとっていたんだ。私がされて嫌な行為をしていたんだ。道隆の好意に寄りかかっていたんだ。
「先輩。どこか行きませんか?まだ時間、大丈夫です」
 せっかくメガネからコンタクトに変えて、こんなにかっこよくて優しい先輩を彼氏にできたんだ。心にかけている曇りメガネも外そう。すべてを否定しようとする考えを……完全には改められないにしても変えていこう。
「うん。あ、そうだ。お腹空かない?俺美味しい洋食屋さん知ってるんだ」
「はい。私もお腹空きました」
 私はこの先輩と本気でつきあおうと思う。
 だから……きっと……もう私と道隆は結ばれることはないだろう。

 ヒュォッ……。

 風が吹いた。冷たくて気持ちいい風が吹いた。
 それはまるで、机に開かれたあの窓から吹いてきた風のようだった。
 私の初恋の香りをのせた、あの風のようだった。

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