工藤 道隆

「神尾 美菜」

 私は一度興味の持ったモノはとことん知りたくなる好奇心の固まりのような女だ。知りたくなったらとことん追求する。
 それは初めて会ったときから少しも変わらない。
 
 熱しやすく冷めやすい、飽きっぽい私が二年以上も同じものを追いかけてるのはある意味奇跡と言える。
 知れば知るほど興味が沸いた。
 色んな一面を持っている珍しい存在だった。だけど、こんな形で知りたくなかった。
「そ、その……」
 そんなつもりはなかった。でも、聞こえてくる単語に足が動かなくて、頭は真っ白になって。逃げることすらできずに鉢合わせになってしまった。
 偶然と言うよりは運命のような気がする。たまたま友達のお見舞いに病院に来たところで、あんな場面に出くわすなんて本当に在り得ない。
 工藤道隆が医者の先生と話してをしていて……その内容が……。
「す、姿が見えたから……驚かそうと思って……」
 こんなに動揺したのは久しぶりだった。
「聞いてたんですか?」
 私のごまかしの言葉を気にも留めずにズバリと聞いてくる。
 その言葉は、裁きの始まりの合図のように聞こえて……、「ご、ごめん……」思わず謝っていた。
「少し話しませんか?」
 それは工藤道隆からの初めての誘い。その表情は笑顔だったけど、まったく感情が感じられなくて怖かった。

 人気の無い公園。
 日はすでに傾いているはずだけど、厚い雲に覆われた空からは時間が感じ取れない。
 ベンチに並んで座ると、工藤道隆は自分と私の分の缶ジュースを買ってきた。
 私はおごってもらっている認識はあるのに、お礼を言うほどの余裕は無く、ただ黙って受け取った。
 レモンティー。……私の好きな飲み物だ。
 プルトキャップは空けられており、その心遣いと、レモンティーの柔らかい味に涙が出そうになってしまった。
「全部話しますよ」
 工藤道隆は買ってきたコーヒーを一口含むと、ニッコリと笑って言った。
 何か吹っ切れたような、そんなイメージだった。
 何も知らなかった自分なら、喜んであれこれ聞いていたはずだ。だけど、さっきの話を聞いた私は心が怖気づいている。
 だから、こんなことしか聞けない。
「さっき、お医者さんと話してたこと……本当なの? 」
 わかってる。
 嘘だったらこんなことにはならない。
 だけど、どうしても受け止め切れなくて思わず聞いてしまっていた。
「はい。本当です」
 聞こえてきた話が全部本当だとしたら……。
 工藤道隆は子供を作れない病気に侵されていて、その病気は人に感染する。
 何か抱えていることは想像できたけど、こんなの全然予想がつかなかった。
 ……しっかりしろ私。
 好奇心から知ってしまった事実。怖気づいてどうする。私は工藤道隆ウォッチャーなんだ。
 おかしな言い方だけど……知る義務があると思う。
 ここまでちょっかいを出して……予想を超える事実だったからって逃げるなんてしたくない。
 震える体に力を込めて、すっかり麻痺してしまった頭を回転させる。
「……あの時」
 不意に思い浮かんだのは初めて工藤道隆に興味を持った事件。
「怒鳴り声で私を止めたのは……」
「そうです。あんなことで感染することはまず無いんですけどね……。血液感染するって意識がありましたから」
 授業中、いきなりボールがガラスをやぶって教室に入り、工藤道隆に当たった不幸な事故。額が割れ、出血した工藤道隆は、触れようとした私を怒鳴り声で制した。
 ……私は謎を解明することに興奮を覚え、幸福を感じる人間のはずなのに、工藤道隆に興味を持つ発端となった謎が明かされた今、感じるのは苦しみだけだ。
 きっと私が知りたかったことを知るたびに、この苦しみは増えていくんだろう。
「……クラスから孤立するような態度をとってるのもそれが原因? 」
「はい」
 パンドラの箱を開けてしまったのような気分だ。工藤道隆の心の内は、のぞいてはいけないものだったのかもしれない。
「高校入学当時はそれなりに会話をしようと頑張っていたんです。
 でも、みんなが当たり前にしている会話の中で見え隠れする内容が辛かったんです。
 いつもじゃないんですけど、子供を生んで育てることが当たり前かのように進む会話に胸が苦しくなることがあって、なんだが自分が異物のように思えてきたんですよ」
 胸が痛いよ……。
 自虐的な言葉を並べる工藤道隆にかける言葉が無い。
「……僕は事実を受け止めるだけで精一杯で、事実を受け止めつつ普通に生きていくなんてできなくて」
 切ないよ……。
 どうにかしたいのに何もできない自分がもどかしくて 胸が苦しくなる。
「僕は、とても弱い人間だから。後ろ向きな人間だから……。
 それを感じるたびに辛くて、イライラして……。
 そんな自分が嫌で……。だから人となるべく関わらないようにしようと決めたんです」
 すらすらと話をする工藤道隆の言葉を拾うことに必死で相槌すら打てなかった。
「情けない理由でしょう?
 でも、僕にとって子供が作れない事実っていうのは結構ヘビーだったんですよ」
 今、私の頭を工藤道隆と過ごした日々がぐるぐると回っている。
 なんとなく感じ取っていた。
 工藤道隆は子供と一緒にいるときは、とても楽しそうなのに、なぜか悲しげな顔色を時折見せる。
「僕、仲のいい幸せな家庭を作るのが夢だったんです」
 その意味がわかるとともに、胸の締め付けられて。工藤道隆と過ごした日々を思い返す度に、その締め付けは強くなって……。
「……なんてことのない普通の夢ですよね。
 うちの両親は、父が昔気質の人だったせいもあって、仲がいいって感じじゃなかったんです。だから仲のいい家庭って憧れたんですよ。
 いつか、仲のいい家庭を作って……そこに、父と母も入ってもらって……みんなで仲良く幸せに……。
 結構普通の夢ですよね。ありきたりで……そう難しくない」
 表情は無かったが、絞られていく声に抱えている痛みを感じた。
「でも僕は、そんな夢すら叶えられないんです」
 それは決定的な言葉だった。
 工藤道隆が心に抱えていたものはこれだったんだと感じ取れる。
 いくら想像力を働かせても、何と声をかければいいかわからなかった。
 励ます?それとも慰める?
 きっと私がそうすれば、工藤道隆は笑顔でありがとうと言ってくれるだろう。しかしそれは気休めでしかなくて。
 ……そんな言葉は口にしたくない。
 だったら私は何を言えばいいんだろう。何をすべきなんだろう。
 ……いや、私は彼に対して何をしたい?
「……そうして未来に希望を抱けなくなった僕は、それなら何も期待せずに生きていこうと決めました。
 死のうかと思ったこともありますけど、それはなんとか踏みとどまれて、今は慎ましく生きていこうと思っています。
 ……大丈夫ですよ?本を読んだり、絵を描いたり、こんな生き方でも結構楽しいことってありますから」
 意識が濃霧に覆われたような錯覚の中、私は何も言えずにただ立ち尽くしている。視線を定めることができず、工藤道隆の目からは意図的に視線を逸らしていた。
「これで全部です」
 凍り付いているかのような空間に、工藤道隆の不意の一声が響く。それの意味するところがわからず、続きを求めて工藤道隆と顔を合わせようとするが、やはり直視することはできなかった。
 想像以上に完璧な笑顔が張り付いていて、見るのが辛かった。
「もう何も隠し事は無いですよ。だから、神尾さんはもう僕に興味を持たないでください」
 続くその言葉は、悔しいほど想定の範囲内で、自分の目がどんどん熱を帯びていくのがわかった。
「……正直、神尾さんがいつも僕のことを気にかけてくれるのは嬉しかったし、……一緒に過ごした時間は楽しかったです」
 やめて……。
 多分、いつもだったらこんなことは口が裂けても言わない。今、工藤道隆がこんなことを言うのは、『そういう時』だからだ。
 ……私も楽しかった。
 明らかに猫をかぶっているのはわかっていたけど、それはそれで楽しくて、時折見せる素直な工藤道隆を発見したときは嬉しくてしょうがなくて。
「でも、もうやめてください」
 『そういう時』とは『最後の時』。
 工藤道隆は終わらせようとしている。
「やっぱり辛いんです」
 嘘偽り無い言葉だからこそ胸に突き刺さった。
 ……私も本来の目的は果たした。好奇心は満たされたはずだ。
 すべてを知った今、わがままに付きまとって、工藤道隆に辛い想いをさせるなんてことできるはずがない。
「……い……」
 だけど。
「嫌……だからね……」
 口に出る言葉は拒絶の言葉で、工藤道隆を困らせる言葉で。
「嫌だっ……、嫌だよ工藤道隆っ!」
 私は無意識に工藤道隆の肩を掴んで揺さぶっていた。
「私、ずっと工藤道隆を見てきた。いいところがいっぱいあるの知ってる。わるいところもあるのもわかってる。ずっとずっとずっと見てきたから!」
 溢れてきた涙のせい視界は最悪で、工藤道隆がどんな表情をしているのかわからなかった。もし工藤道隆の表情が見えていたら、もう少しブレーキをかけることができたのかもしれない。
「嫌だよ……工藤道隆はおもしろいヤツなんだよ?なんで、そんな理不尽な病気なんかで……工藤道隆が閉じこもらなきゃいけないのっ!?
 そんなの認めないっ!納得できないっ!許せないっ!」
 泣きじゃくって駄々をこねる子供そのものだった。頭ではそう思っているのに止まらなくて。
「なんで私が関わっちゃいけなくなっちゃうのよっ!?
 私、もっと工藤道隆を知りたいよ。もっともっと工藤道隆はおもしろいヤツになっていくよっ!それなのになんで……っ!どう……して……」
 『どうして』なんて工藤道隆だって何度思ったかわからないはずなのに。
 ……何をしているんだろう私。最低だ……もう。
 時折世界は理不尽で、どうにもならないことがあることぐらいわかっているつもりだけど。でも、私は諦めたくない。諦めたくないんだよ。
「ねぇっ!工藤道隆っ!嫌だよっ!?私は嫌だから……ね……」
 わがままで自分勝手な思いの丈をぶつけたあとは、同じ言葉を何度も繰り返すことしかできない。
「嫌だ……嫌だよぅ……」
 自分の無力さを噛み締めるように。
 そして、自分の想いの強さを噛み締めるように。

 私は、工藤道隆から言葉をかけられるまで、何度も何度も同じ言葉を繰り返した。

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