工藤 道隆

「神尾 美菜」

 私は一度興味の持ったモノはとことん知りたいタチだ。ヤツのことも例外ではない。
「おはよう!工藤道隆!」
 私は元気良く挨拶をしてやる。朝のHRが始まる前のざわついた教室に、私の良く通る声が響き渡った。
「え?……ああ、おはようございます」
 読んでいた本から少しだけ視線を外し、一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、すぐさまいつものポーカフェイスに戻り、くそ丁寧に挨拶を返す。
 ……まったくこいつは、朝の挨拶もろくにできないのか……。
 私はその態度が気にくわないという気持ちを微塵も隠さず、ブスッとした表情のまま工藤道隆の隣にドカッと座った。工藤道隆はというと、そんな私に目も暮れずに読書に耽っている。三学期の初めからコイツの隣の席に座ってはいるが、いっつもこんな感じだ。
 工藤道隆(くどうみちたか)。どう考えても手入れのしていないボサボサ髪と古くさいメガネが特徴の私のクラスメイト。高1。背は普通、顔もまぁまぁ。スポーツは普通。成績は上の方。まぁこれだけなら普通の高校生と言えなくもないかもしれない。
 だけどコイツは普通じゃない。
「ねぇ工藤道隆」
「……なんですか?神尾さん」
 本から視線をそらさずに答える。
 コレだ!同級生に敬語を使いやがる。しかもほとんどの級友に「さん」「くん」付けときたもんだ。
 ちなみに神尾さんとは私のこと。フルネームは神尾美菜(かみおみな)。
「なぁに読んでんの?」
 読んでいた本は厚めのカバーに包まれている。これじゃ内容がわからない。
「本です」
 そんなこたぁわかってるよ。
 加えてこいつは無口で無表情。休み時間はずーっと読書をしている。私は最初、根暗なおぼっちゃんだと思って、気味悪がっていた。
「何の本かって聞いてんの!」
「ちょっと美菜ぁ」
 そんなやりとりをしている最中で、クラスメイトの桜子と亜美が話しかけてくる。
 私の注意がそちらに向かうことを悟ったのか、工藤道隆は何事もなかったように意識を本に戻した。
 ったく邪魔すんなっての。
「何よぉ?」
 二人は面倒くさそうに答える私の腕を引っ張り、工藤道隆から私を引き離した。
「何であんなヤツと話してんの?」
「あんな気色悪いのほっときなよ」
 そう、あいつは少なくてもクラス全員の女子から好感を持たれていない。というか嫌われてるね。だって変だもん。
「うっさいなぁ。私はあいつに興味を持ったの。興味を持ったモンはとことん知りたい。これが私の性格。そんなの知ってるでしょ?」
「知ってるけどさぁ。あいつはやめときなよぉ」
「私も美菜のそういう性格好きだけどね。工藤とは関わらない方がいいって」
 口々に私をなだめるように言う。だけど私はスッパリ答えてやる。
「だーめ、私の好奇心は誰にも止められないの」
 私の強い意志を聞いた2人は思わずため息。まぁあんた達の気持ちもわからんでもないけど。
「はぁ〜あ……コレだよ。いったい何であんなことで興味を持っちゃっうのかなぁ?私は余計わけわかんないヤツだなっ、て思っただけだよぉ?」
 亜美の言う、あんなこととは、3日前の出来事のことだ。


 英語の授業中。いきなりガツンという鈍い音がした。
 反射的にクラス全員が音の発生源を見る。その視線の先には、額から鮮血を流している工藤道隆の姿があった。
 そのすぐ側に転がっている野球のボール。
 工藤道隆は何が起こったのかわからないかのように、鮮血の流れ出ている部分に手をやっている。
「だ、大丈夫!?」
 しばらくは呆然としていた私だが、我に返り工藤道隆に声をかけた。
 こんなに呆然としている時間が長かったのは、工藤道隆が痛みを声で訴えなかったためだろう。
「キャァァァ!」
 私の声とともに一斉に女子の悲鳴がクラス中に起きる。
「ねぇ、ちょっと!」
 声を出せない状態なのかもしれないと危惧した私は、工藤道隆にそっと手を伸ばす。
 その瞬間だった。

 バシィ!

「触るなっ!」
 クラス全体に響き渡る怒声とともに、私の手に痛みが走った。
 シンと静まりかえる教室。
 その声の主は、怪我をした本人。
 無表情で無口で、クラスメイトに敬語を使うあの工藤道隆だったからだ。
 いつもの冷めた声色とは違う。激情を帯びた声色で叫んでいた。
 そして私は見てしまった。彼の表情を……。
 彼の顔に張り付いていたのは、怯えだった。明らかに何かを恐れていた。
 血で赤くなったその表情を見た時、私は何も考えられなくなった。
 突然の出来事か、自分の出血に恐怖しているのかと思った。しかしそれでは、私の手を怒声とともに振り払う理由にはならないだろう。別の理由がある。私はそう感じた。
 考えがまとまらないうちに工藤道隆の表情が変わる。あの表情を浮かべたのは一瞬だけ。声色が変わったのも一瞬だけ。
「すいません、神尾さん。ちょっと取り乱しました。怪我の方は平気です。ちょっと額が割れたみたいで出血はしていますけど」
 彼はそう言い残し、傷口を手持ちのハンカチでおさえて去っていった。保健室に向かったのだろう。
 英語の教師が保健委員に付き添いを命じたのはその数秒後だった。


 あの事件は事故だった。ただの事故。体育の授業中、他のクラスの生徒が打ったファールボールが、換気のために開けていた窓にたまたま入ってしまい、工藤道隆に当たってしまったという事故だった。
 工藤道隆の傷は縫うほどひどくなかった。ファールボールを打った生徒ももちろん罪を問われなった。
 そんな些細な事故。しかしこの事故を機に一つの変化が起こった。
 この私、神尾美菜が工藤道隆に興味を持った、あの表情の訳を知りたくなった。普段なぜ無表情で無口なのか知りたくなった。私は好奇心の固まりのような女だ。知りたくなったらとことん追求する。

「ちょっと美菜ぁ。聞いてるの?」
 ちょっと物思いに耽っていたらしい。桜子の大声で現実に引き戻される。
「聞いてない。でも私はあいつのことを調べる。工藤道隆ウォッチャーになるって決めたの」
「何がウォッチャーよ……。意味違うんじゃない?」
 亜美の冷静なツッコミ。ウォッチャーじゃ見る人?う……う〜む……確かに。
「いいのよ。雰囲気よ雰囲気」
「はぁ〜……。まったくぅ、もう勝手にしてよ」
 とうとう桜子がため息をついて私を解放してくれる。
「勝手にさせてもらいます〜」
 私は急いで自分の席に戻り、工藤道隆の方に椅子を向けた。……額の傷のガーゼはまだ外れていない。
「さっきの質問に答えて貰ってないんだけど」
「……何でそんなことが知りたいんですか?」
 おろ?逆に質問されてしまった。
「知りたいからに決まってるじゃない。工藤道隆は何で教えてくれないの?」
「あなたと同じような理由です」
 は?
「何ソレ?どういう意味?」
「教えたくないから教えないんですよ」
 理不尽とも言えるその理由。しかし私も似たような理由で質問しているのだ。これを理不尽と言ってしまっては、私は質問ができなくなってしまう。
 ……ふふ、なぁんだ。やっぱりおもしろいじゃんコイツ。
 工藤道隆。多分コイツと関わっていれば退屈しない。私は直感的にそう思った。

キーンコーンカーンコーン。 

 と、同時に始業ベル。時間に馬鹿みたいに厳しい担任は、それとともに教室に入ってきた。
 慌ただしく席に戻るクラスメイト達。
「起立!礼!着席!」
 クラス全員が着席するとともに担任の大原が出席を取り始める。
「工藤道隆……」
 点呼と返事が響く教室で、私は前を向いたまま工藤道隆に小声で声をかける。
「私は今日から工藤道隆ウォッチャーよ。覚悟しなさい」
 亜美にツッコまれた単語だったが、そのまま使うことにした。どうせ理不尽な質問責めをすることになるんだ。このぐらいの称号の方がいい。
 私が声をかけたはずの工藤道隆はというと、ムカツクくらい何の反応も示していなかった。


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