工藤 道隆

「藤山 峰子」

 図書委員の顧問を務めている私は図書室にいることが多い。というか休み時間はほとんど図書室にいる。職員室にいるのはテスト前くらいだ。授業に必要な道具は、ほとんどここにおいてしまっているしね。
 まぁそんな私をけしからんと思う先生方もいらっしゃるんだけど……。でも私はこの図書室にいなければならない。いや、こういう言い方は良くないわね。自主的にいるんですもの。
「フ〜ジコちゃん!」
 私が図書室にいる理由は、教師である私のことをチャン付けで呼ぶ、この子たちにある。
「もう、先生って呼びなさいって言ったでしょ?」
 怒るというより、『しょうがないわね』といった感じで戒める。彼女たちは悪びれたようすもなく、「ごめ〜ん」と舌を出すだけだ。反省の色が見られないが、別に私も反省して欲しいから言ったわけではないので、何とも思わない。
 フジコちゃんと言うのが私のニックネーム。本名は藤山峰子(ふじやまみねこ)なのだが、子供の頃からほとんどこのニックネームで呼ばれている。
 仕方ないわよね。猿顔の三代目の出てくるアニメのキャラクターに名前が似過ぎてるんですもの。最初はイヤだったけど、もう慣れたわ。それに、この名前のおかげで出会ってすぐの人との会話に困ったことがない。「変な名前でしょ?」から始まり、「フジコちゃんって呼ばれてるのよ」と言えば、大概の人が警戒心を解き、笑ってくれる。もちろんこの名前のせいでからかわれることもあったけど、世の中ってそんなものでしょ?
「今日はどうしたのよぉ?メグメグ〜、タエちゃん。」
 図書室に元気よく入ってきた二人の生徒、折原恵美と相模妙子の頭をポンポンと叩きながら、話を聞く体勢に入る。
 私は二十六歳の、まだ新米と呼ばれる教師だ。この鈴高(すずこう)と呼ばれる響鈴第一(きょうりんだいいち)高校で現国を教えている。
「聞いてよぉ!」
 たちまち2人がベラベラと不平不満を口に出し始める。私は彼女たちの話に耳を傾け、うんうんと頷き、そして適切だと思える言葉を返す。その途中で他の女子生徒が入ってくる。するとその他の生徒も私の周りに来て、同じように喋り出すのだ。
 毎休み時間、いつも図書室はこんな感じだ。
 女子高生。彼女たちが多くの不平不満を感じるのは当たり前のことだろう。私がこのぐらいのときもそうだったんだから。
 私は彼女たちの話を聞きながらも時間のチェックを忘れない。おっと……そろそろ休み時間も終わるわね。
「あ、ほ〜ら。そろそろ休み時間終わるわよ。メグメグたちの次の授業、石嶋先生じゃなかった?」
 授業間の休みはわずか10分。私はその1分前になるとちゃんと図書室を追い出す。ここにいたために授業に遅れたなんてことになったら、私を快く思ってない先生方に何を言われるかわかったもんじゃない。
「げ〜。もうあいつの授業さぼりたいよぉ〜」
「ほらほら、そんなこと言わないで、ヒロミちゃんもそろそろ戻りなさい」
「はぁ〜い……」
 ブツブツ言いながらも、ダッシュで教室に戻る彼女たち。この図書室からは、どの教室もダッシュすれば一分で戻れる位置にあるのだ。
 この図書室は生徒達の憩いの場と化していると言えるだろう。私はそんな場所のいい聞き役となれている自分を、少なからず誇りに感じている。
 私は若い。年齢に敏感な生徒達は、おばちゃんおじちゃん先生よりも、私のような新米の方が溶け込みやすいはずだ。だから私は、生徒と教師ではなく、友達のように接している。学校に一人は私のような存在がいた方がいい。『厳しい大人』、『博識な大人』だけではきっと、彼女たちの息は詰まってしまう。『話しやすい友達のような大人』が必要だと思うのだ。
 私はそれに適していると思っている。藤山峰子という名前と生徒に近い年齢。この二つは生徒との距離を縮めてくれる。だから私は、生徒にとって『友達のような大人』となっているのだ。もちろん教師として最低限のけじめは守っているつもりだけど。

キーンコーンカーンコーン。

 チャイムが鳴り響く。さて……私もそろそろ行かないと……。
 次の授業に必要な道具を図書室のロッカーから取りだし、次に教鞭を振るう教室へと向かう。
 一年C組か……。ああ……あの子のいるクラスね。

「この時の雅美の気持ちはどんなものだったでしょう?え〜と水元さん。わかる?」
 少しウトウトとしていたところを突然指名されて、ビクリとする水元亜美。授業以外ではアミちゃんと呼んでいるが、授業中ではちゃんと呼ぶ。そこら辺が私のけじめ。そのことを伝えているので、生徒たちも授業中だけは私のことをフジコちゃんとは呼ばず、フジコ先生と呼ぶ。
「え、えと……。」
 アミちゃんがしどろもどろになっているのを見て、他の生徒も教科書を食い入るように見始めた。
 授業も中盤。教科書を読み上げるだけでは寝てしまう生徒が多く出てしまう。ここでランダムに質問をすることで緊張感を取り戻させようというよくある試みだ。
 私は少し的はずれ気味なことを言ってしまったアミちゃんに、やんわりと違うことを伝え、他の生徒を差そうとクラス中を見回した。
 ふと目に付く二人がいる。神尾美菜ちゃんと工藤道隆君。隣の席に座っている二人だが、先ほどから筆談をしているようだ。いや、筆談というよりは美菜ちゃんが一方的に文字を書き、それを工藤君のノート上にドンと乗せている。
 いつからかはわからないが、最近2人のこんなやりとりをよく見かける。好奇心が強すぎる美菜ちゃんの次のターゲットが工藤君だったと言うわけだろう。
美菜ちゃんの好奇心は色んな所に向けられる。人であったりものであったり勉強であったり……。そんな彼女の姿勢は悪いとは思わないが、今は授業中だ。
「じゃ、工藤君。わかる?」
 ここはちょっかいを出している美菜ちゃんの方でなく工藤君を指名しよう。彼女は基本的に優しい子だ。自分のせいで工藤君が迷惑を被ったことになった方が反省してくれる。……まぁ彼女の場合微々たるものなのかもしれないけど……。
「……伸哉への謝罪の気持ちで一杯だった」
 まるでテストの解答用紙に書いているかのような、冷めた口調でズバリと答える工藤君。そして正解。彼はいつも現国の試験では九十点以上とっている。このぐらいは平気で答えられてしまうのはわかっていた。
「そうね……。だから雅美は……」
 クラス全員が緊張感を取り戻したところでまた解説に入る。工藤君はというと、まるで何事も無かったかのように私が解説しているところを目で追っていた。
 私、実はこの子が苦手だ。妙に落ち着き払い、私をちゃんと藤山先生と呼ぶ。まぁこのぐらいの子なら短い教員生活でも何人か出会っているが……。
 彼はよく図書室に本を借りに来るので、私はその時によく話しかける。でも彼は、適当に受け答えをするだけで、全く内面が見えない。『友達のような大人』としてしっかりとやっているつもりの私としては、少しプライドが傷ついている。話す機会が無いのなら仕方がない。しかし、何度も話す機会があるのだ。敬語や呼び方はともかく、会話の内容だけは『友達との会話』のように、うち解けたものにしたい。それなのに彼は、いつまでもあくまでも事務的で、生徒と教師との会話しかしてくれない。

キーンコーンカーンコーン。

 授業終了のチャイムが鳴る。日直の号令とともに騒がしくなる教室。私は急いで図書室へと向かった。私に話を聞いてもらうために来てくれる生徒たちよりも早く図書室に着きたいからだ。
「藤山先生」
 そんな私を呼び止める声。誰かはすぐにわかった。私をこう呼ぶ生徒は、このクラスでは一人しかいない。
「どうしたの?工藤君」
 私は『友達のような大人』モードでニッコリと笑って振り向く。
「本の回収ボックス、返却口の蓋が壊れていましたよ」
 そんな私の笑顔に対して、極めて無表情で用件を淡々と伝える工藤君。
「あ、そ、そう。教えてくれてありがとう。ちゃんと直しておくからね」
「……何だったら僕が直しましょうか?」
「え?」
 思ってもみなかった申し出だった。
「本当は気が付いたときに直してしまおうかと思ったんですけど、勝手に直すのはどうかと思って」
「う、うん。じゃ、お願いしようかな」
 初めてかもしれない。彼が自発的に私に何か言ってくるのは。質問や相談の類でないのが少しだけ悔しいが。
「それじゃ。直してきます」
 言って足早に歩き始める工藤君。
「あ、ちょっと待って!」
 私は慌てて呼び止めた。チャンスだと思ったからだ。彼とうち解ける滅多にないチャンス。
「一人じゃ大変でしょ?一緒に直そう」
 精一杯の笑顔で誘う私。
はは……何か男捕まえるときより一生懸命だ。
「一人でも大丈夫ですからいいです」
 しかし、即答。例のごとくスッパリ。
 そんな態度に軽いショックを受けてしまい、教師らしからぬことを口にしてしまう。
「わ、私のこと嫌い?」
 な、何を言っているんだ私は!
 反射的に言ってしまった。しかも困ったような表情で言ってしまった。
「そ、そんなことありませんよ。だって……」
 しかしそれが功を奏したのだろうか。工藤君は手を振るジェスチャー付きで否定してくれた。でも……今のはフジコ先生の言葉でなく、藤山峰子の言葉だ。教師として彼に接してはいなかった。こんなんじゃ喜べない。
「だって?」
 口ごもった彼の言葉の続きを聞き出そうと、また藤山峰子が出しゃばる。
 すると工藤君はごにょごにょと何やら呟き始めた。
「先生みたいに、自分を見つめて、そしてそれにあった生き方をしっかり決めて、その生き方に従って生きていけている人ってすごいです」

 ………………………。

 一瞬言葉を失った。
 この子は……。私の考えなどお見通しだったとでも言うのか?だから私自身の言葉が出てきたときに反応してくれたのか?
私はどうしようもなく悔しくなった。こんなガキに、生き方誉められて嬉しいはずがない。生き方を見抜かれた悔しさの方が強いに決まってる。
「あ……直して……きますね。」
 私が言葉を失ってすぐ、彼は逃げるようにして走っていってしまった。
 私はそんな彼の様子を見てハッとなる。
彼は私の表情から気持ちを読みとったのだ。
 だから自分が失言してしまったのだと思い、走って逃げたのだ。
 ……ちくしょう。すっごい悔しい……すっごい悔しいけど……。
「ふぅ……。」
 私は一息ついて冷静に頭を回転させる。彼の行動を考える。彼は……彼のような人間なら、さっきのような誉め言葉は決して口にすることなど無いだろう。でも、私は言わせたのだ。きっとそれは、工藤君が本当にそう思ってくれているから。
 生徒に認められるというのはやはり癪に触るが、まんざらでもない。いや……正直なところ嬉しいのだろう。彼はフジコ先生でなく、藤山峰子の方をすごいと言ってくれたんだから。
 多分、私にも必要だったのだ。職場の中に本当の自分の真意を理解して認めてくれる人が。
でもそれが生徒なんてね……笑っちゃうわよ本当に。
「…………」
 自嘲の笑みが零れるとともにふと不安を覚える。
 ……あの子は……いるのかしら。自分の真意を理解して認めてくれる人が。本来なら私がなってあげるべきなんだろうけど……今の私にはとても出来ないような気がする。

 ……………………。

 あ〜あ、新米教師だってことを思い知らされちゃったなぁ〜。
でも、私のやるべきことは変わらない。
「よしっ」
 私は気合いを入れて図書室へと向かった。


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