実相寺の由緒

 日蓮を身延山に招いた波木井(はきい)六郎実長の四代あとの伊豆守実氏(いずのかみさねうじ)が、身延山第五世鏡円阿闍利日台(きょうえんあじゃりにったい)上人の弟子となり、実相院日応と名のった。この日応上人が永和元年(1375)、同村大津にあった真言宗の寺を訪れ、住んでいた真理法印と法義を論じ合い、論破して寺を譲りうけた。この時日蓮宗に改宗して大津山実相寺と称した。その後、永禄4年(1561)、川中島の合戦にあたって、武田信玄は蔦木越前守(つたきえちぜんかみ)を遣わし武運長久の祈願を命じ、永代祈願所として、一条次郎忠頼(いちじょうじろうただより)の城址であった山高の現在地を寄進、移転して現在に至っているという。 


樹齢2000年以上といわれる「神代桜」

 同寺は創建以来2度の火災にあって歴史的建造物や寺宝等は残っていないが、境内の「神代桜」が有名。国指定の天然記念物の神代桜は、樹齢は、約2000年といわれ、その大きさは最盛期で、高さ13.6m、根本幹周13.5m、枝張りも東西27.0m、南北30.6mというエドヒガンの巨樹を誇っていた。  近年、主幹部保護のため若干こぶりとなったが、毎年4月10日前後の開花期には見事な花をつけ花見客の目を楽しませている。  日本三大桜のひとつで、大正11年10月12日、国指定天然記念物に指定されている。樹種はエドヒガン(エドヒガンザクラ)で、この種の桜は長寿で深山に生える。日本武尊(やまとたけるのみこと)が御東征の帰り道、この地を訪れ、記念にこの桜の木を手植えされたという伝説がある。また、その後(鎌倉時代)にこの桜の木が衰弱しているのをみて、日蓮聖人がその蘇生を祈られたところ、再び繁茂したと伝えられ、一名「妙法桜」ともいわれている。  白壁の塀で四方を囲まれた境内は約3000坪と広く、山門をくぐると花畑の中を参道が続く。花畑にはラッパ水仙やチューリップが約10万本、 植えられている。また神代桜ばかりでなく、樹齢50年から100年の桜が30本ほどあり、花見の時期には寺の周辺には売店も店開きし、県内外から観光客が押し寄せている。  また、境内地の中には、日本3大桜といわれる岐阜県根尾谷の淡墨桜、福島県三春町の滝桜を始め、全国の有名な桜の子桜が植えられている。 

 
[戻る]