今月の法話(平成29年12月分)
 
 善哉
 
 善哉の語源は汎語で、古代インドでは議決で賛意を表す言葉をサードゥーと言い、その訳語が「善哉」だと言うのです。
 仏様が弟子たちの意見を褒める時に「善哉、善哉」と言ったといわれます。 やがて大乗仏教の教典にこの「善哉」という言葉がしばしば現われるので庶民に親しまれるようになり、善哉は喜びを表す言葉になりました。
 
  褒めるということ程、私たちにとって難しいことはありません。それに対して、悪口を言うことは、みんながよくしています。どのような場でも褒める言葉は十分と続きませんが、けなす言葉なら一時間でも二時間でも続きます。ですから、褒める言葉で始まった話でも、気がつくと、けなす言葉へと変わってしまっている事があります。
    また、明治時代の連合艦隊司令長官だった「山本五十六元帥」はこういい残しています。
 
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば 人は動かじ。」
 
 人の教育はまず褒めることから始まり、発見の喜び完遂の充実感、成長・充溢の満足感をいかに子供や生徒また部下や追従者に与えるかでしょう。これは親や上司また指導者の心得るべきもっとも大切な要件ではないかと思います。
 
  私たち人間は、他人の悪いことはよく気がつきますが、良いことはなかなか気付くことが難しいのが常です。どんなに悪い人でも、どこか良いところは必ずあるものです。人の良いところを見つけてやると、その人に自分にはない素晴らしいものがある事がわかります。
 
合  掌
                実相寺住職 松永直樹
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