今月の法話(平成29年5月分)
 
 
 
 
  遺 言 の ラ ク ダ
 
 中東の昔話です。
 昔、年老いたアラブ人が、自分の死期をさとり、三人の息子を枕元に呼んで言いました。
「私が死んだら、私のラクダの半分は長男に、三分の一は次男に、
そして、九分の一を三男にゆずる。」
 それから間もなく、父親は亡くなりました。ところが、父親の所有していたラクダは十七頭だったので、
どう考えても十七頭のラクダを、
二分の一、三分の一、九分の一に分けることができません。
とうとう、どのように分配するか、三人の兄弟で言い争いが始まりました。
そこへ、一人の旅人がラクダに乗ってやってきました。旅人は、
兄弟のケンカの理由を聞いて、
「そうか、それなら私のラクダを差し上げましょう。そうすれば
分けることができるでしょう。」
と言いました。
 なるほど、旅人のラクダを足すと十八頭となり、長男は半分の九頭、
次男は三分の一の六頭、三男は九分の一の二頭をもらい、みごとに
ケンカは丸くおさまりました。旅人は、
「よしよし。では、最後に残った一頭は、わしがもらって行こう。」
と、自分の乗ってきたラクダに乗って、去っていったそうです。
 
 計算の合わないはずのものが、一頭のラクダを加えることによって
計算のあう、おもしろい話です。
一頭のラクダを加えることによって、十七頭のラクダを二分の一・
三分の一・九分の一に分けることができ、さらに一頭余った、
という、パズルのような問題は、どうしてこうなるのでしょうか。
 算数の問題として考えると、二分の一・三分の一・九分の一を
足すと、答えは「十八分の十七」となり、分母を十八にすることに
よって、二でも三でも九でも割り切れ、さらに十八分の一が余る、
ということなのです。
 ところが、息子達は割り切れない十七という数に固執し、また、
ほかの兄弟が与えられた以上にラクダをもらわないようにと、
こだわったがために兄弟のケンカとなったのではないでしょうか。
 
 ラクダを切り裂いて分けたのではなんにもならないのですから、
もし、長男が二分の一に少し足りない八頭で我慢をし、同じように、
次男は五頭、末っ子は一頭で我慢をすれば、残ったラクダは
三頭になります。これを兄弟仲良く一頭ずつ分けたら、長男は九頭、
次男は六頭、三男は二頭となり、同じ結果となるのです。
 
 この話は勿論作り話ではありましょうが、私達の日常生活を反省させる良い話だと思います。仏教では「智恵」ということを説きますが、人間は自分を中心に考える事がふつうですが、ちょっと視点を変えて見ると良い「知恵」が生まれるのではないでしょうか。
                    合 掌
 
            大津山「実相寺」住職  松永直樹
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