1997.6.20.FRI
1◆成田からロサンゼルス

成田までの近そうで遠い道のり
待ちに待った出発の日。なんと、日本は台風だった!
外の風景は、どこまでも灰色の空、暴れまくる風と雨。これぞ台風、って感じである。
「げー、こりゃ、欠航になるんじゃあ…」
と、旅の始まりからいきなり不安になる。
しかし、ニュースを見ると羽田は運休が出始めているけど、成田の方は遅れの情報もなかった。
家から空港までは電車ではなく車で行くので、多少の雨風は影響ないだろう…とにかく空港に行かねば!
と、予定通り横浜の家を出発する。集合時間11時半の2時間前、9時半であった。

しかし、甘かった。横浜から千葉に行くには、都内を通らねばならないのだ。
台風のせいもあるのか、道は首都高も一般道も大渋滞であった。
東京23区の地図を見ながら、あっちの道、こっちの道、とやっているうちにどんどん時間が過ぎていく。
「うう、何時に着くかなあ…千葉の高速に乗っちゃえば、そんなに時間かからないんだよね?」
うあは「1時間半もあれば着くよ〜」と事前に言っていたので、
すっかり私は成田の場所と距離感をつかんでいるんだと思っていた。
だけど、帰ってきた答えは。
「舞浜(東京から千葉に入ったばかりの辺り。TDLのある所)のちょっと向こうくらいでしょ?大丈夫だよ」
……へ? …ま、舞浜はベイエリアだよ! ベイエリアにあるのは東京の羽田だよ!
「成田は千葉の房総半島の真ん中の辺りだよ、奥の方だよ!」
そんなことを言う私も電車でしか行ったことがないので、車で行く時間感覚も土地勘もない。
車だとすいすいと走れて、電車よりす早く着けちゃうんだあ〜、と漠然と思うあの言葉を信じたきりだったのだ。
この時お互いに場所の確認や道のりを漠然としか考えていなかったことに、ようやく気づいた次第…
ああ、千葉って広いんだよ! 下調べしときゃよかったー! 地図もないぞー!
と悔やんでももう遅い。遅すぎ。
都内を抜けて千葉に入る東関道に入ったのは、集合時間になったころだった。

千葉に突入すると、東関道もがらがらだった。あとは成田まで一直線! 
…のはずだが、一体どのくらい遠い所にあるかも地図も持ってないので確認できない…
しかも台風の風雨で視界は50メートルあるかないかって位。
車内はさながらガンガン叩かれるトタン小屋。ラジオもよく聞こえない。道路標識もよく見えない。
とにかく一台だけ前を走る車のテールランプだけを頼りに、できるだけのスピードを出すしかなかった。
(あの中で80キロくらい出していた前の車は一体何者だったのだんだろう…)
遅れる前に事故って、もうアメリカには行けないかも…いや、命も危ないかも…
なんていうイヤーな光景が浮かんでくる。           
とにかく「安全運転、安全運転ね」とうあに声をかけることしかできない息詰まった時間が過ぎていった。

どのくらい走ったころか、道標にしていた前の車が、とうとう左にウィンカーを出していなくなってしまった。
さすがにこの視界でスペードは出せん…とスピードダウンすると、
おお、なんと「成田」の高速出口の標識を発見!
私たちの前の料金所で降りてくれなかったら、付いていったまま成田もすっ飛ばしていたかもしれない(笑)
台風の中でも80キロを出してここまで導いてくれた前の車に大感謝である〜。
高速を降りた道の正面には、たくさんの旅行者用パーキングの看板があって、
私たちが旅行中車を預ける『USAパーキング』の案内板もあった。
そして、チラシの地図を見つつ、迷うことなくなんとか到着! 
とても長く感じたけれど、千葉に入ってからは1時間の道のりだった。

この時、12時半くらい。
パーキングからは送迎のバスに乗って空港にはすぐとの事なので、
集合時間はともかく、13時55分のフライト時間までには1時間以上の余裕があった。
無事車から降りれただけでもほっとしたけど、飛行機にも間に合う事に、ほんとーにほっとした。
ええ、体中の力が抜けました。
ツアーの集合時間が早く設定されてるありがたさを、この時初めて感じた。
旅行会社の人に遅れたことを知らせなくてはと、とりあえず成田空港第一ターミナルに電話を入れる。
すると最初に出た空港大代表のオペレータ(多分)のお姉さんが
「ツアーカウンターまで電話はおつなぎできませんので、伝言しておきますね」との答え。
え、こんなことをオペレータの人がわざわざあの広い空港の中にある、
小さいツアーカウンターまで伝言してくれるのかな…と不安を覚えつつも、他に知らせる手はない。
電話にぺこぺこしながらお願いしたのだった(日本人だなあ)。

まだ移動中なのだ。つづく。