【ラブリー・エンジェル】 番外編 (兄弟X拓…と思う )
【最強の人】
「たっだいまー」
啓介は元気よく挨拶しながら自宅の扉を開けて、すぐに足元に並ぶ靴を確認した。
(・・・よっし!へへ、今日は俺のが早かったもんね。)
そして、そこに兄の靴が無いことにニヤッとほくそ笑む。…と、その時・・・
「ただいま。」
再び、高橋家の扉が開いて、今度は涼介が帰ってきた。
今は真夏だ。走って帰ってきた啓介は汗だくになっているのに、涼介はいつもと変わらぬ涼しげな顔をしている。我が兄ながら不気味…と、啓介は心の底で思っていた。
(ちなみに口に出すとシバかれるので言わない)
じとーっと胡乱な眼差しで自分を見てくる啓介には頓着せずに、涼介はサッと玄関を上がった。流麗な動作で、靴をぴっちり揃えて自分用のスリッパを履く。相変わらず嫌みなほど隙のない小学生である。
だが、そんな”平常心”を象ったような兄が実はホントは急いでいる事を、啓介はお見通しだった。どこへ向かうのか?なんて、そんなのは尋ねなくても分かりきっている。
「ああー、ずりぃぞ、兄ちゃん!今日は俺のが早かったんだからな。」
怒鳴りながら啓介は靴をポイッと脱ぎ捨て、裸足のまま家に上がると、涼介を走って追いかけた。
───彼らの行く先。
それはもちろん、最近言葉を覚えたばかりの可愛い弟が眠るリビングである。
弟と言っても、実の弟でも義理に弟になったワケでもない。ワケあって高橋邸に長く預けられる事になった赤ん坊は、その名を『藤原拓海』という。
まるで羽毛のような手触りクルミ色の髪、ピーチピンクに輝く頬、うっすらと紅を差したように色づいて綻んでる小さな唇、そして、パッチリと大きな、透き通った泉のように煌めく瞳。
見ただけで、誰もが『可愛い〜』と相好を崩してしまう赤ん坊は、その動作も凶悪なほど可愛かった。覗き込むと、反射的に無邪気で愛らしい笑みを浮かべ、抱きしめると懸命に小さな手を伸ばしてくる。そして、触れあった体の柔らかな温もりが全身を巡り、甘いミルクの香りが鼻を擽るのだ。
高橋家の息子達は、突然出来たこの血の繋がらない『弟』に、もうメロメロなのであった。
『先に帰った方が拓海におやつをあげる』
コレが、いつの間にか兄弟2人の間で決まってしまった約束事である。
いや、別にちゃんと約束をしたわけではない。ただ2人とも抜け駆けして、帰ったら速攻で拓海におやつを与えるようになったので、決めたわけでもないのにそうなってしまったのである。
2人は我先に…!と、互いの邪魔をしながらリビングに向かった。もちろん、譲り合いの精神などサラサラ無い。ほんのひとかけらも無い。まさに骨肉の争いである。(ちょっと違ぁう!)
そんな時・・・
「…ふっ……うう・う・・うぎゃぁ〜、おぎゃぁ〜!」
愛する末弟の甲高い泣き声が聞こえて、2人はバタバタッと床を踏み抜きそうな勢いでリビングに駆け込んだ。
すると、ソファの上にいる拓海が、何かを嫌がるようにブンブン手を振って泣き叫んでいるではないか!
「「どうした!拓海ッ!!」」
2人は同時に泣き叫ぶ天使を囲うようにしながら覗き込んだ。…と、すぐに、拓海が何を嫌がっているかに気が付いた。
ブ〜ン、ブ〜ン…
ほんの小さな羽音が2人の耳を打つ。どこの家にも必ず訪れる夏のイヤ〜なお客様。その正体は、蚊である。
「ああぁぁーっ!!こんのヤロォ〜!拓海の血ぃ、吸いやがったなぁ!」
啓介はブーンッと慌てて高い所に逃げていく蚊を追って、ドッタンバッタンと飛び跳ねた。
だが、敵もなかなか心得ている。自分をぶち殺そうとしている人間の手の届かない位置まで逃げきってしまった。最近の蚊は、本当に知恵が付いている。啓介はギリギリと歯ぎしりをして、諦めずに蚊を見失わないよう追い続けた。
一方、涼介の方は拓海の様子を確認して、顔を顰めていた。
(・・・3ヶ所も噛まれてる。)
たかが蚊とはいえ、まだ自由に動けない赤ん坊の拓海を狙うとは、言語道断!涼介は静かに怒りの炎を瞳に浮かべていた。(ちなみに襲われたのが他の赤ん坊だった場合は気にも留めない)
「こぉんの〜!降りてこい、コラァ!」
降りてこいと言われても、蚊だって命は惜しいのだ。まるで啓介のからかうように、ブ〜ンブ〜ンと上の方を旋回している。
そこに・・・
「天誅」
───ブンッ!!
静かな一言とともに、涼介は丸めた新聞をもの凄い勢いで振り上げた。
哀れな蚊は一発であの世行きである。丸めた新聞がピタリと止まり、その後ろを、ヒュルヒュル〜と、蚊の死骸らしきものが落ちていく。涼介は器用にもソレを凶器であった新聞で受け、窓を開けてペイッと外へ放り投げた。
「拓海ぃ〜、ダイジョブか?蚊はやっつけてやったぞ!」
「やっつけたのは、俺だろ。…でもちょっと遅かったみたいだな。可哀想に3ヶ所も噛まれて……。痒いだろう、拓海。」
「うぁ…うぅー、あう〜」
拓海は唸りながら、手足をバタつかせた。痒いところに何とか手を伸ばそうとしているのだが、短いので全然届いていない。
涙で潤んだ目を大きく開け、唇を尖らせながら、真っ赤なほっぺをふくらませて機嫌悪いぞとばかりに唸っている、そんな姿も、兄2人にとっては可愛い以外の何者でもない。
「3カ所もだとぉ〜!」
やっつけたのは…、という涼介のさりげない突っ込みは無視して、啓介はガバッと拓海に取りついた。そして上から下まで嘗めるように見まわして、ふくらはぎに2つ、腕に1つ、噛まれている箇所を発見する。
ぷっくりと小さく盛り上がり、まるでケガでもしているんじゃ…というくらい真っ赤に染まってしまった跡。元が透き通るように薄くて白い肌なのでかなり目立っていた。
「うわっ、痒そ〜。くっそぅ、あの蚊めっ!拓海を狙うなんてとんでもねぇヤツだ!」
にっくき蚊に対して毒づくと、啓介は指を伸ばして、拓海に触れた。
───かしっ
痒そうにしている箇所を、指先でそっと引っ掻く。
すると、つい今まで、涼介の腕の中で大人しくしていた拓海が、また、もぞもぞと蠢いてその場所に手を伸ばそうとし始めた。でもやっぱり届かない。ふにゃっ…と拓海は又、泣き顔になった。
「バカ、啓介!そんなことしたら・・・」
「…う〜、うう…ふえぇぇ〜ん、うわあぁ〜んっ」
涼介の窘める声は、響き始めた拓海の泣き声にかき消される。
「うわ!拓海ぃ〜何で泣くんだよー」
「バカ!お前のせいだろ!掻いたら余計、痒くなるに決まってるだろーが!」
プンプンと怒る涼介に、啓介はあちゃ!と心で呟いて、舌を出した。言われてみれば、そうである。
そんな啓介を見て、涼介は更に眦をつり上げ、重ねて文句を言おうとしたその時───
「あらあら、どうなさったんですか!坊ちゃん達。」
どうやら2階に居たらしいお手伝いのミツが、洗濯かごを持ったまま急いで駆け込んできた。拓海の泣き声が届いたのだろう。
「お2人が拓坊ちゃんを泣かせるなんて珍しいですね?どうしたんですか?」
そんなミツの台詞に、啓介と涼介は2人して猛烈に抗議した。
「俺は拓海を泣かせたりしない。」
心外だ、と言わんばかりに憮然とするのは涼介。
「そうだ!そうだ!ひでー濡れ衣だよ!拓海を襲ってた蚊をやっつけたのに!」
お手伝いにズイッと近寄って、ギャンギャン吠えるのは啓介。
「やっつけたのは俺だ。…それにしても、か弱い拓海を狙うなんて、とんでもない蚊だ!どうせなら、有り余ってる啓介のを吸えばいいのに・・・。」
いや、弱いものが狙われるのは道理だろう。蚊にとっては、ろくに抵抗もしない、肌も柔らかな赤ん坊は、最も美味しい獲物である。
「何だとー!ひでぇぞ!兄ちゃん!拓海の為なんだから、兄ちゃんが代わりに咬まれてやれよっ!…ま、拓海のより不味いだろーけどなぁ〜」
どっちもどっちな、低次元の言い合いをして、う〜と唸りながら顔を見合わせる兄弟に、お手伝いは慌てて仲裁に入った。
「ぼ、坊ちゃん達、ケンカはダメですよ、ケンカは!ほらほら、又、拓坊ちゃんが泣きそうになってますよ?目の前でケンカしたりするから…」
ミツは、はぁ〜とやや大げさな溜息をついた。
拓海が来てからというもの、この程度の兄弟喧嘩は日常茶飯事になってしまった。でも、喜ばしいことだ。仲が悪いわけではなかったが、こんな普通の兄弟喧嘩なんて今までの高橋家では滅多にお目にかかれなかったのだから・・・。
それに、喧嘩の原因になるのは大抵、拓海だけれど、止めてくれるのも拓海なのだ。
兄2人が喧嘩を始めると、拓海は決まって泣き出すのである。まるで、喧嘩しちゃイヤ〜と言うかのように・・・。
そうなると、それまで言い争いをしていた兄弟も、すぐに喧嘩を止めて、2人で末弟の元へ駆けつけあやす事に専念するのだ。
「拓海!…別にケンカなんかしてないぞ?…ほら、いい子だから機嫌直して?」
「そうそう!俺と兄ちゃん…ほら、こんなに仲良しだぜー!ほらほら、なぁ?」
やはり予想通りの微笑ましい展開に、ミツは思わず笑いを零した。
「何?ミツさん。」
その一言に涼介の矛先を感じて、ミツは慌てて首を振った。余計な火の粉を被る前に…と素早く話題の転換を図る。やはり年の功といったところだろうか?
「いえいえ、何でも…。それより、困りましたねー」
「何か?」
「拓坊ちゃんに貼ってあげる『虫ぱっちん』がもう無いんですよ。このままじゃ、痒くて可哀想ですしねぇ〜」
「え!そんなのダメだぜ!掻きむしったら大変じゃんかー…よっし!俺が…」
「俺が買ってくるよ。」
「あぁ!ズルイっぞ、兄ちゃん!俺が先に言おうとしてたのに!俺が行って来るっ!」
「俺が先に言ったろ?」
「俺!」
「俺。」
延々と、『俺』が続きそうなその状況に、ミツは啓介に気を取られている涼介の腕からさっさと拓海を抱き取ると、2人に向かってニコッと笑った。
「じゃあ、お2人でお願いできますか?拓坊ちゃんのために…。」
『拓海のため』の一言に、2人は頷き、互いを牽制しつつも玄関に向かう。
近所の薬局まで歩いて10分。あの勢いなら、5分で行って戻ってくるだろう。
2人の少年の後ろ姿が見えなくなってから、ミツは大きく一息ついた。
「ふぅ〜。ホント、お兄ちゃん達は拓坊ちゃんに夢中ですね〜。か弱いけど、拓坊ちゃんがきっとこの家では1番ですよ〜」
腕の中でうとうとしだした拓海をユラユラと揺らしてあやしながら、ミツは眠りに落ちていく腕の中の天使に楽しげに囁き、微笑んだのであった。
*** THE END ***
ちょっと尻切れトンボかな〜?お粗末様でしたーっ(^_^;)
・・・しかし、最強なのはもしかして、お手伝いなんじゃあ…(笑)
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