「・・・すごい。これ・・・」
技術的には確かに拙いものであろうとも、この音色がもたらすこの想いは、言葉で言い尽くせるものではない。
何故、こんな風に聴こえてしまうのかは、分からない。
けれど、寄せてはかえる波のように、緩やかなリズムを刻みながら、いつの間にか全身を満たしている、懐かしい暖かさと幸せの中の切ない痛みは、今、確かにここにある。
決して、夢や幻なんかじゃない。
誰もが呆気にとられて、視線を釘付けにされている中、舞台上のユウリが奏でる聖歌は、更に終幕へと駆けていく。
それを、誰もが呆然としたまま聴き、そして、眺めていた。
このまま、この不思議な時間が終わってしまうのが惜しいと、そう思っていたその時に、新たなる驚きが彼らの元へと訪れた。
今度ばかりは、シモンを含めて、ユウリの演奏に免疫が出来ていたヴィクトリア寮の仲間達も、同じである。
「な!・・・何だよ?アレ!」
この場には相応しくない大声で、初めにそう叫んだのは誰だったのか。
同じような驚嘆の声があちらこちらで上がり、それを咎める非難の小声が同じ数だけ発せられる。
静謐という夢幻の世界にあった客席が、一気に現実へと立ち戻った。
今や、夢幻の中にあるのは、ユウリが立つ舞台上のみである。
残り少ない音色を聞き逃してはなるまいと、全員の視線が舞台に戻ったその時に、まるで時が満ちたと言わんばかりのタイミングで、誰もが奇蹟の瞬間に立ち会うことになった。
己の音に耳を澄ませるように、瞳を閉じながら演奏を続けるユウリの周囲を、ふわふわ…とぼんやりした光の玉のようなものが、ゆっくりと廻っている。
それはまるで、ユウリを慕い、まとわりついているように見えて、思わず御伽の国に迷い込んだような錯覚に陥り、反射的に自分の足元の床に目をやった者も少なくなかった。
確かに舞台の上に、大陽の恵みが届くよう、今日は天窓から光が差すようにはなっている。
だが、アレは本当に窓からの光なのだろうか?
おまけに、まるで彼の周りにだけつむじ風でも吹いてるように、艶やかな黒髪が柔らかな光沢を放つ頬の横で揺れ、フワリと舞い拡がって見えるのは、一体何故なのか?
誰もが、一瞬、我が目を疑い目を擦ったが、ふたたび目に映る光景に代わりはない。
”マズイッ!”
驚きと、疑問と、そして何故か、喪失の恐怖にも似た感覚に戸惑う者がほとんどの中で、2人だけ、驚きながらも現状を冷静に受け止め、即座に危機と判断した人物がいた。
ユウリの特異な能力を知っている、シモン・ド・ベルジュとディアン・マクケヒトである。
そして、今一人、同じくその能力を知るショーン・シンクレアは、酷薄な緑の瞳をスッと細めて、満足げに小さな笑みを浮かべていた。
”ユウリ!”
食い入るように舞台上にある親友の姿を見つめながら、シモンはいつになく焦りの表情を浮かべた。
浮遊しているあの光を、以前にも、目にしたことがある。
ユウリが不思議な術を使う時に、彼の周囲を護るように現れる者達だ。
一方、同じくユウリの能力を知るマクケヒトも、普段の落ち着きを失い、動揺を表情に出していた。
”あれはまさか…精霊達?…でも、一体何故、こんな時に…!”
まさかでも何でもなく、あれがユウリに請われて姿を見せる精霊であることは分かっているが、まさか衆人環視の中、ユウリが彼等の助力を願ったりするはずがない。
”じゃあ…まさか、呼ばれてもいないのに・・・?”
有り得ないことだ、と否定したいが、何しろ、ユウリの能力は非常に未知数で、かつ、後にも先にも出ないほどに希有なものだと確信しているマクケヒトは、額から冷たい汗を流しながら、固唾をのんで状況を見守る。
一体今、あの姿無き賢人達は、ユウリにどのような作用を及ぼそうというのか・・・と思案した瞬間、マクケヒトは思わぬ喪失の予感を感じて、大きく身を震わせた。
まるで、このまま、ユウリをどこかへ連れ去られてしまいそうな気がして、目を離せない。
”ダメだ!これ以上は・・・”
こんな大っぴらに、ユウリの能力を知られるわけにはいかない。
ここは無粋を承知で中断すべきだと即断して立ち上がったシモンは、しかし、次なる叫びにその役目を奪われることになった。
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