幸せの定義(新キャラ(笑)&ユウリ) P8
 
  艶やかな黒髪の隣に、しとやかな色合いのヴァイオリンを構えたユウリ・フォーダムが、その1音目を響かせた瞬間、一部のヴィクトリア寮のメンバー以外の脳裏に浮かんだ言葉は、全員同じだった。

”・・・え?”

 それは、単純明快な、疑問符の言葉。

音の善し悪しとか、演奏の上手い下手を感じる前に、驚きと疑問が全員の心を占めたのである。

”・・・なっ・・・何で?これって…音が・・・全然違う!”

 この演奏の前に、シェークスビア寮の有志達が、いくつもの名曲を披露していた。
そのどれもが素晴らしい演奏で、音楽に特に興味のない人物でさえ、感動して拍手を重ねた。

 同じヴァイオリン。同じピアノ。
もちろん、場所だって同じである。

 違うのは弾いている人物だけで、音色が違う原因はそれ以外考えられないと皆が分かっていた。だが、それをどう納得すればよいかが、誰にも分からない。

 だって、技術を論点にしたら、尚更、答えが出ない。
 誰の耳にも、今の奏者がこれまで舞台に立った誰よりも拙い奏者であると判断するくらい、実力差はハッキリしているのだから・・・。
 でも、誰の演奏が尤も印象に残ったか、感動したか?と尋ねられたら、きっとこの人物だと、答えてしまうだろう。


「な…ッんなんだよ・・・コレって・・・」
 手の甲に小さな刺激を感じて初めて、ポトポトと己の目から涙がこぼれ落ちている事に気づき、演奏中であるにも関わらず、思わず声をあげてしまった者。
 あるいは、声も無く、目が乾くのにも構わず、瞬きすら忘れて、食い入るように舞台を見つめて動けない者。
 胸に押し寄せる感傷を抑えるように、あるいは、じっくりと味わうように、瞳を閉じて流れる音色に意識の全てを委ねる者。

 反応は様々であったが、ユウリの奏でる音が、そこに居る全ての者に、心揺さぶるような、何らかの感情をもたらした事は確かだった。

「ウ…ソ・・・だろう?」
 呆然と呟いた誰かの口は、隣に座る者に即座に塞がれる。

 静まり返った会場の中、神に捧げる祈りそのものであるような、慈愛と願いと、そして叶わぬ想いに対する哀しみをたたえる美しい調べが、ピアノの音と戯れて高く低くゆるやかに時を刻む。

 あれはまるで夢幻の世界のようだった…と、この演奏を聞き逃した不運な生徒達に、幸運を享受した者達が熱く語る姿が、のちに多数見られる事になるのだが、それは又、後日の話。

今は誰もが、流れゆく拙い調べに、心の奥にずっとしまい込まれていた想いに、揺り動かされていた。

 どこか懐かしい思い出を、脳裏に甦らせていた者が、その大半だった。

 たとえば、小さな子供の頃、両親や兄弟と共に楽しんだ川遊びの風景。
森の中に作った秘密基地で、日が暮れるまで遊んだ日々。
お気に入りの野原で、優しい風に吹かれながら昼寝をしていた至福の時間。
───まるで、今はもう昔の、懐かしい思い出と割り切ってしまったかつての幸せを、取り戻したくとも取り戻せない時間の向こう側から、ほんの一時、取り戻してしまったかのように・・・。

 それとは違って、痛みにも似た感傷に胸を焼かれ、咄嗟に瞳を閉じてしまった者もまた、少なからず存在した。
これまでの人生、短いとは言え、自分一人では抱えきれない悩みを持ち、救いを求めて神の慈悲を請い、必死の祈りの時にその存在を身近に感じた気がしたことは、誰にだって覚えがあるだろう。
その時の感覚を、祈ってもいないこの時に感じてしまい、戸惑いを覚えていたのだ。

 このコンサートは、テープとビデオに収められる予定になっているが、今、感じているこの想いは、絶対に今この場でしか得られないものだということだけは、誰もが無意識のうちで理解していた。

 澄んだ音色を響かせて流れる演奏は、特に目立つアレンジもなく、楽譜に忠実であろうと努力して、時々、失敗だろうと思える音も混ざっている。
だが、聴衆にとって、そんなことは、全く問題にもならない事柄だった。

 

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