| 団体名 | 幸福会ヤマギシ会 (組織の正体は不明。農事組合法人等の集合体?) |
設立 | 1953(昭和28)年 | |||||||||
| 創始者 | 山岸巳代蔵(やまぎし・みよぞう) | 現指導者 | 実質的なトップは杉本利治(山岸巳代蔵の一番弟子)と言われている。杉本を長とする「イズム生活推進研鑚会」が最高意思決定機関ですべての権限を掌握している。 | |||||||||
| 分類 | カルト、左翼 | 本拠地 | 三重県津市高野尾町5010番地 | |||||||||
| 崇拝対象 | なし。原始共産主義を標榜する | 会員数概算 | 10万人程度 | |||||||||
| 活動内容 | 集団農業を基盤にした思想実践団体。ヤマギシズムなる独特の思想の下、活動を行う | 運営母体 | ヤマギシズム生活実顕地調正機関 百万羽科学工業養鶏株式会社 等 |
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| 団体の特色 | ||||||||||||
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「全人幸福社会の実現」を標榜する畜産農業集団。原始共産主義を掲げ、「ヤマギシの里」なる閉鎖領域(農場・畜産場と会員たちの住居が一体となった“部外者出禁のむら社会”)を日本各地に建設し集団生活を送っています。このヤマギシの里は彼らの用語では「実顕地」と呼ばれ、ヤマギシの思想“ヤマギシズム”を実践し顕現する場所であるからして、会員たちは24時間この中で暮らし、組織が認めた場合を除き一切外へは出ません。「ヤマギシの里」は三重県(本部のある伊賀)や静岡県ほか各地にありますが、静岡県の施設は東名高速の沼津〜富士付近(だったと思う)を走っていると山腹に「ヤマギシ」と大きな看板がみえるので見たことある方もいると思います。 ヤマギシは宗教団体ではない(共産主義なので宗教とは対極の立場である)のですが、会員たちは思想統制と厳しい規律に縛られながら単調な労働作業を365日無休で行う“むら”の中で集団生活を送っており、実態はカルト宗教団体の集団生活と大差ありません。 ヤマギシでは共産主義の原理に則り、私有財産を一切放棄することが会員になる条件となっていて、ヤマギシへの入会(ヤマギシ用語では「参画する」という)に際しては、すべての私有財産をヤマギシに寄付します。中には隠し財産を持ったまま参画する人もいるそうですが、見つかると激しく糾弾され、ヤマギシに寄付するか脱会するかの二者択一を迫られるそうです。 ヤマギシでは独自の画一的な思想“ヤマギシズム”を徹底的に各会員に植え付け実践させることでむら社会の統制を図っており、ヤマギシに対する批判や疑問は一切許されません。反抗的な者や怠け者は「研鑽」と称して、思想行動がヤマギシズムの基準に沿うまで徹底的に矯正(というよりもはや洗脳)されます。このあたりもカルト教団のやり方と非常に似通っており、このHPでヤマギシを紹介するのもこういった思想・行動面でのカルト的要素が顕著に見られるからであります。 ヤマギシでは外界(我々の暮らす社会)に出ることは汚れた思想に触れるということで、前述のとおり会員たちは特別な場合を除きヤマギシの里から一切外に出ることはありません。外に出られるのは、義務教育に通う子供たちとその世話役、あるいはヤマギシの里で生産された農産物をむらの外へ販売しにいく係の者、そしてヤマギシを脱会したときです。脱会しても寄付した財産は1円も返還されず(入会時にその旨了解するという内容の契約書を交わしての参画となるそうです)、脱会者とヤマギシの間では財産返還をめぐっての訴訟が数多く起こされています。契約書を交わしているので裁判を起こしても財産の返還を勝ち取ることができる人はほとんどいないということです。 ヤマギシでは食事は1日2食とされており、朝食は摂りません。朝食を摂らずに毎朝起きたらすぐに農作業に出る決まりとなっています。これは大人・子供関係なくみな一律おなじ規則で動いており、とくに育ち盛りの子供に朝食を取らせず、そればかりか労働させるとは子供の人権問題だとして反ヤマギシの市民団体よりかねてから抗議を受けています。子供に関してはほかにも多くの問題が取り沙汰されており、とくにヤマギシでは親と子供は別居しなければならず(配偶者や子供も個人の所有物ではなく公共のものだとする極(曲?)左翼思想からきている)、子供たちは「世話役」という別の若い大人が生活のすべてを管理します。 ヤマギシでは過去に小中高一貫教育のできる自前の学校法人設立を目論み、反ヤマギシの市民団体より大反対を受け、教育委員会の中にも反対派が多かったにも関わらず、最終的には認可されました。しかし認可が下りた翌年、申請を取り下げ辞退しています。前述した子供の扱いに関連して反対運動が多くマスコミにも取り上げられたため、ヤマギシに対するイメージダウンを避けるためにいったん身を引いたというのが実情のようです。 なおヤマギシの里で作られた農産物は里の外部で販売されていますが、ヤマギシでは「環境にやさしい」「有機栽培」などといって鶏肉や野菜を売っており、この表示に問題があるとして反ヤマギシの市民団体より指摘されています。(鶏のえさはほとんど輸入物で合成保存料が入っており、農薬も大量に使われているとその市民団体は主張しています) 農産物販売活動は実はヤマギシへの勧誘活動を兼ねています。夏休みの時期には里の一部を一般に開放して農作業を外部のものに体験させるツアーを行っていますが、ヤマギシの農産物に興味を持ったものがこういったツアーに参加し、そのうちの何人かはむらの人から勧められ「特講」(ヤマギシへの参画者を養成する洗脳セミナー)へと流れていくわけです。 |
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| 団体の発祥 | ||||||||||||
| ヤマギシ会の発祥は、山岸巳代蔵(1901-1961)が独自に編み出した省コストで生産性が高いとされる「山岸式養鶏法」の発明がきっかけである。山岸は昭和のはじめから戦後にかけて養鶏実業家として成功した人物であった。その養鶏法は「秘伝」とされており、山岸はその技術の詳細を一切、口外することはなかった。
当時(昭和20年代後半)は戦後の食糧難の時期であり、特に鶏卵は一般庶民が口にできない高級な食材であった(今からすると信じられないが本当の話だそうで)。農業改良普及員であった和田儀一は、食料増産の方法を模索する立場から情報収集と調査を行っていたところ、ひょんなことから山岸式養鶏法を知ることとなる。秘匿とされたその技術に興味を持った和田は山岸を幾度となく農協の集まりへ招待し、山岸式養鶏法の伝授をお願いした。 そんな中、1953年に和田儀一が初代会長として「山岸式養鶏普及会」を発足させた。翌年、山岸は「山岸式養鶏法 農業養鶏編(前編)」を著し、秘伝の半分を公開した。しかし、後編は発刊せず養鶏を志す農民たちから続編を求める声が多く上がった。そこで山岸は秘伝の後半部分を知りたい者を1箇所に集め、「特講」なる集中講義を開催した。ヤマギシ会の原点がここにあった。 (以下作成中) | ||||||||||||
| 関連リンク | ||||||||||||
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