| 正式団体名 | 宗教法人 天照皇大神宮教 | 立教 | 1945(昭和20)年 | |||||
| 開祖・教祖 | 北村サヨ(大神様) | 現指導者 | 二代教主 北村清和(姫神様) | |||||
| 聖典・教典 | 生書 | 本拠地(聖地) | 山口県熊毛郡田布施町 | |||||
| 崇拝対象 | 天照皇大神宮 | 信徒数概算 | 46万人 | |||||
| 教団の特色 | ||||||||
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| 俗称「踊る宗教」といわれる天照皇大神宮教(てんしょうこうだいじんぐうきょう)は、強烈な個性を放つ教祖とその奇妙な振る舞いがマスコミの注目を浴びるところとなり、戦後の新興宗教ブームの波に乗って数多くの信徒を得ました。勢いに乗り海外布教も行い、今でも海外(ハワイ・ブラジルなど)に日系人を中心にして信徒が存在します。
余談ですが同時期に頭角を現した「璽宇」(じう)は、天照皇大神宮教と同じく女教祖によって創始された新興宗教で、同じくマスコミの注目を浴び一時期は隆盛を極めましたが、璽宇がその後ほとんどの信者を失い事実上消滅するのに対し、天照皇大神宮教はブーム終焉後も消えることなく、現在も規模・知名度はそれほどではないものの、存続しています。 「無我の舞」という、放心状態になり体を自由に動かす宗教儀礼が特徴で、「踊る宗教」と言われる所以です。この教団では語呂合わせによる独自の言い回しが特徴で、信仰は「神行」と書き(神のところへ行くという意味)、合掌を合正(神と人の心が正しく合うこと)などとします。またお題目は「名妙法連結教」とこれまた法華宗のお題目を文字っており、かなりシャレが聞いているのではないかと思います。 教団の教えの根幹は「真人間になれ」です。すなわち、人間が神の子として再生するために、魂を磨き利己を捨て正しい意思を持てと教えています。今こそ神のご意思に従い神国の世の建設に邁進するのが信徒の務めなのです。 |
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| 教団の発祥 | ||||||||
| 教祖(大神様)・北村サヨ(1901-1968)は、農民であった浴本長蔵の四女として山口県に生まれた。幼少の頃より男まさりで、物に頓着しない性格であったという。大正9年に同県熊毛郡田布施町の北村清之進と結婚、同家が教団発祥の地となる。
姑による執拗ないじめと過酷な農作業に耐え、かなりの労苦を重ねた。昭和17年8月12日に離れ屋敷が放火に遭ったことが契機となり、祈祷師より神参りの行を進められる。行を続けるうち、昭和19年5月4日に突如として肚の中のものが自分に話しかけ命令するという不思議な現象が起こり、それから6日目にして「名妙法蓮華教」と唱えろとの命があった。昭和19年9月ごろより、肚の中の神が語る内容を人々に知らせるため、街中での辻説法が開始される。 昭和20年元旦の朝、肚の中の神より「来年は紀元元年、神の世じゃ」というお告げがあった。「満州も朝鮮も台湾も樺太も要らぬ、日本の本土さえあればいい」というお告げも継いで出た。サヨは「そんなら戦争に負けるのか」というと、肚の中の神は「いや絶対に負けはしない。世界の指導者になるのだ」と答えたという。 昭和20年7月22日より、自宅で「無我の舞」を踊りながらの歌説法が開始された。サヨの口から、意思とは関係なく肚の中の神の言葉がついて出るのである。教団ではこの日を本部道場における最初の説法の日として記念日にしている。この日の説法の中には日本の敗戦を予告する内容があったという。 そして昭和20年8月12日の説法で、宇宙絶対神である「天照皇大神」が、サヨの肚を宮として天より降り、翌昭和21年を「神の国開元の年」とすることが明らかにされた。教祖誕生の瞬間である。ちなみにこの日はポツダム宣言受諾の翌日であり終戦直前であった。教団ではこのお告げにより、昭和21年を紀元元年とする独自の年号「神の国年」を用いることになった。 昭和21年1月、教祖北村サヨ以下布教団一行は上京し東京での辻説法を開始する。最初の説法は高田馬場駅前で、その後吉祥寺駅前広場で「無我の舞」を披露したり、“生長の家”本部を訪れ谷口雅春に問答を挑んだりしたという。サヨの説法は挑発的であったが、歯に衣着せぬその説法には反感をもつ者以上に瞬時に魅せられる人も数多くいたという。 その後短期間で日本各地を回り積極的な布教が展開された。3度目の上京の時にはニュース映画の取材が終始付きまとい、「無我の舞」やサヨの型破りな説法を記録に収め、報道された。サヨは映像の効果について十分理解しており、取材には気軽に応じたという。メディアの発達していない時代にその効果を熟知しているというところが、ただの気が狂った婆さんとは思えないところである・・・ 昭和27年からはハワイおよびアメリカ本土への布教を開始、昭和39年(東京オリンピック開催年)からはアジア諸国へ、さらに昭和40年からは欧州へとその布教活動を広げていった。 教団の知名度は戦後のブーム時の状況からすると考えられないくらい今ひとつで、筆者の周りには知っているものは皆無である。 | ||||||||
| 関連リンク | ||||||||
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