| 正式団体名 | 財団法人 日本心霊科学協会 | 創立 | 1923(大正12)年 | ||
| 創立者 | 浅野和三郎(あさの・わさぶろう) | 代表者 | 理事長:大谷宗司(防衛大学校名誉教授) | ||
| 派生団体 | (財)福来心理学研究所 | 所在地 | 東京都新宿区上落合1-12-12 | ||
| (財)飛騨福来心理学研究所 | 会員数概算 | 不明 | |||
| 財団の特色 | |||||
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| 心霊現象、超能力、霊能力をはじめとする超常現象からあの世(死後の世界=幽界・霊界)やUFO、宇宙人にいたるまで、現代科学ではおよそ解明できないあらゆる現象・事象についての科学的な見地からの真相究明を目的とする研究機関。1949(昭和24)年に財団法人として認可された。特定の宗教団体との関わりはないと思われるが正確なところは不明。
これまで非科学現象=宗教としてくくられていた世界も、今やそんな単純に分類できないほど細分化されている。戦後、とくに高度成長期が終わった1970年代からは急速に若年層の宗教離れがすすみ、それに呼応するように1980年代から1990年代初頭のバブル期にかけて「精神世界」(占い、輪廻転生、気功、アロマテラピー、ヒーリング、等々)や「オカルト」(超能力、UFO、宇宙人、心霊現象、スピリチュアリズム、等々)がブームになった。「ムー」や「トワイライトゾーン」(廃刊)などの雑誌が創刊されたのも’80年代である。これまでにないマーケットの出現により新しいビジネスも数多く登場し、トルマリン石とかわけのわからないモノで大もうけする人も現れた。 こういった時代背景もあいまって、超常現象を科学的に検証するという見方が近年活発になってきている。当然の流れであろう。宗教的見地だけでは共通の「ものさし」がないので万人を説得させるには力不足の感を否めないが、科学的見地による解釈であれば「物理法則」に則った理論展開により「追試による再現が可能」であるはずなので、万人共通の「ものさし」をもって説得させることができるはずだ、と筆者は考える。心霊現象も超能力も我々の幻覚や手品でないならば物理現象のひとつにすぎないので、物理法則に則って説明できて当然であろう。 とはいえ、霊魂の存在や念力の仕組みについては現在の物理法則では誰も説明できていないので(大槻教授のこじつけ理論は除く)、おそらく解明には新しい物理学が必要になると思われる。物理学では何年かかっても証明できないと思われる人がいるかもしれないが、これまでの物理学もいろんな課題にぶち当たって発展してきたのであり、不可能であるとは思えない。ニュートン力学では説明できない現象も相対性理論や量子力学により突破されてきたように、心霊科学が新しい物理学を生むかもしれないのである。 すなわち、日本心霊科学協会の存在意義は今の世の中だからこそ大きいといえる。ただし現在の心霊科学は「と」系と紙一重なのもまた否めないのである。「と」系とは疑似科学のことであり、「とんでも本」シリーズという本のタイトルからきている。「とんでも本」シリーズの著者である「と学会」(SF作家の山本弘氏が会長)については、本ページの最後に関連リンクとして挙げておく。 |
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| 財団の発祥 | |||||
| この財団の前身となる「心霊科学研究会」の創立者・浅野和三郎(1874-1937)は茨城県稲敷郡に出生、東京帝国大学(現・東京大学)英文科卒業後、横須賀の海軍機関学校(現・防衛大学校)で英語の教官をしていた。第一線の英文学者として数多くの訳書を出しており、いわゆるインテリと呼ばれる部類の人間であった。 そんな浅野が心霊に興味を持ったきっかけは、原因不明の病気にかかった三男が祈祷師の予言・祈祷により奇跡的に治癒したことによる。心霊について調査研究しているうち、日本国内で当時もっとも実践的な心霊研究をしていた新興宗教団体「大本」(当時の教団名は「皇道大本」)に興味を持つにいたる。1916(大正5)年、海軍機関学校を退官し(ちなみに後任の教官は芥川龍之介)、京都府綾部市にある本部を訪れたのが同年暮れのことであった。翌年になり浅野は大本に入信し綾部に移住する。 当時、大本の指導者であった出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう)が「民衆の宗教」と表現していたとおり、それまでの大本の信者は農民中心であり文化人・知識人といわれる層の信者は皆無であったが、浅野の入信により信者層に大きな変化が起こった。海軍・陸軍関係者や知識人が数多く大本に入信したのである。浅野は幹部となり、王仁三郎の片腕として大本の全国進出に大きく貢献した。 しかし、当時の「皇道大本」の「皇道」が天皇陛下ではなく大本独自の「皇道」、すなわち大本こそが真の神道であり国家の中心(=出口王仁三郎が国家の中心)とする独自の皇国史観(大正維新運動)を語っていたために、政府からは危険思想団体としてマークされていた。さらに大本にとっては運が悪いことに、浅野の入信によって軍関係者やインテリ層の信者が増えたため、憲兵隊および京都府警は1918(大正7)年頃より内偵を開始し、王仁三郎や浅野は再三にわたって呼び出され警告を受けていた。しかし大本の趨勢はとどまるところを知らず、ついに1921(大正10)年、王仁三郎や浅野をはじめとする幹部数名が逮捕、本殿の破壊命令が出されるにいたった(第一次大本事件)。 浅野はこの事件で有罪判決を受ける。これが契機となり1923(大正12)年、浅野は大本を脱会し東京に戻って「心霊科学研究会」を設立した。大本の思想をかなり引きずってはいたものの、宗教色を一切排除して純粋に科学的見地からの心霊研究を目指したようである。これは現在で言うところのスピリチュアリズム(心霊主義)である。英文科卒の文系人間にしてはめずらしく理系人間的な発想であり、興味深い。日本でスピリチュアリズムをはじめたのはおそらく浅野が初である。 「心霊科学研究会」は機関紙「心霊世界」「心霊界」などを刊行したのち、1929(昭和4)年には「東京心霊科学協会」となる。浅野自身は霊界の研究に多くの時間を割き、守護霊研究のパイオニアとして、「交霊会」(霊能力者が霊魂を呼び、参加者にさまざまな心霊現象を見せる集まり)を通じて守護霊・指導霊の存在を繰り返しアピールした。 他の実績としては、東京帝国大学心理学科教授であった福来友吉博士による「念写」の研究発表などがあげられる。福来博士は他にも「千里眼(透視)」の研究も行っていたが、これらの研究がもとで東京帝大を退官させられてしまった。非科学的な現象を肯定したというのがその理由である。福来博士は退官後も研究を続け、超心理学の草分け的存在として今日知られているところである。 1937(昭和12)年、浅野は逝去、東京心霊科学協会も第二次大戦中に活動休止となるが、終戦後の1946(昭和21)年に「日本心霊科学協会」として再興され、1949(昭和24)年に財団法人の認可が下り現在に至る。 |
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| 関連リンク | |||||