正式団体名 宗教法人 真如苑(しんにょえん) 立教 1935(昭和10)年
開祖・教祖 伊藤真乗(教主)・伊藤友司(摂受院) 現指導者 伊藤真聰 苑主
聖典・教典 大般涅槃経(だいはつねはんぎょう) 本拠地(聖地) 〒190-0023 東京都立川市柴崎町1丁目2番13号
崇拝対象 久遠常住釈迦牟尼如来(教主謹刻) 信徒数概算 831,510名(2000.12.31現在) ※教団HPより
教団の特色
開祖は伊藤真乗(いとう・しんじょう、1906〜1989)、友司(ともじ、1912〜1967)夫妻。設立時は立照閣といいましたが、名称を何度か変更し現在の名前になっています。戦時中の立教ですが、大きく成長したのは戦後になってからのことです。

開祖・真乗氏は真言宗醍醐寺で僧籍を得ており、系列としては真言宗なのですが、出家仏教である真言宗の教え(真言密教)をベースにした独自の密教(真如密)を確立、独自の教えを説いています。真如苑は在家仏教であり、霊能力の開発にその重きがおかれます。
信者には修行のレベルによって階級があり、それぞれ「小乗」→「大乗」→「歓喜」→「大歓喜」→「霊能」となっています。霊能まで到達するのは数万人に1人の割合といわれています。レベルを上げるには修行を積むのですが、真如苑には「接心修行」と呼ばれる独自の修行方法があり、これによって最終到達地点である「霊能」を目指します。

真如苑は現在は独立した宗教法人ですが、未だ醍醐寺(真言宗醍醐派)とは深いつながりがあり、また真言宗だけではなく他の宗派(天台宗、曹洞宗など)やラマ教、キリスト教等々、各種の宗教との交流に積極的です。
また、真如苑は外部のものから見て資金的にはかなり潤っており、よく知られた話としては2001年に武蔵村山市にあった日産村山工場の跡地のほとんどを真如苑が買い取りました(一部は銀行からの借入金で購入したという)。このとき、TV番組の取材対象になったらしく、私のところにも某テレビ局のディレクターさんから真如苑に関する情報源について問い合わせがありました。私もたいした情報はもってないので何も提供できなかったのですが、先方も真如苑に関しては内部情報が少ないのであちこち探しているということでした。真如苑は秘密主義で教団の情報をなかなか外部に出さないのでマスコミも情報源に困っているようです。
また、大手コンピュータ関連企業N社に勤める私の知人の話によると、この会社では真如苑にコンピュータシステムを納入しており、その関係で彼は定期的に保守作業で立川の真如苑本部に出入りしているそうですが、彼により伝え聞くところによるとすごい立派な施設だそうです。

その他、世間一般の情報から知られる真如苑としては、芸能人の信者が多いこと(高橋伴明・恵子夫妻、沢口靖子等)、教祖一家に関わるスキャンダル等があります。特に真乗氏の次女・鈴木孔子氏が暴露した手記は週刊誌で大々的に取り上げられました。週刊誌の記事を要約すると、伊藤真乗氏は精力絶倫で女癖が悪かったとか、妻・友司がなくなった直後にすぐ再婚するといいだし、娘たち4人と真乗氏+後妻の間で権力争いがあったとかいうことがスキャンダラスに書き上げられました。この内紛で、真乗氏の再婚に最後まで反対した長女・映子と次女・孔子の2人は追放され、三女、四女の2人は紆余曲折を経て教団に戻る形で終結し、最終的に三女、四女が教団の後継者となりました。このとき長女、次女はかなりのお金をもらって教団と絶縁されたといわれていますが、しかし鈴木孔子氏はその後もしばらくの間、教団内部に対する暴露発言を繰り返しました。
もちろん、教団としてはこれらの手記をはじめとする数々の暴露記事については「まったくの事実無根である」との見解を示しています。また個人的に得た情報では、この週刊誌に掲載された次女の手記とはまったく違う「事実」があり、とても興味深い話ではあるのですが、情報を提供された方より公開することが止められておりますので、ここに書けないのが残念です。(後記:誰が書いたか知りませんが、このあたりの話は Wikipedia にかなりの部分が記載されておりますので、興味あるかたはそちらをご覧ください)

なお、伊藤真乗氏は1989年に他界し、現在は真乗氏の三女・伊藤真聰(本名:伊藤真砂子)氏が苑主。ちなみに真如苑は創価学会と仲が悪く、真如苑信者の話によると、創価学会による妨害工作が多々あるということです。これは教団を追放された長女と次女がのちに創価学会に入信したことと関連しているといわれています。

教団の発祥

開祖・伊藤真乗(本名:伊藤文明)氏は、明治39(1906)年、山梨県北巨摩郡長坂町で生まれた。航空技師として海軍に従事し、その後昭和3(1928)年に除隊、石川島飛行機(石川島播磨重工業の前身)に入社した。昭和7(1932)年、従兄弟の友司と結婚する。友司も真乗と同じ郷里出身である。
伊藤家には先祖代々伝わる易学があり、真乗氏もこの易学を父親から口伝され、航空技師の仕事を続ける傍ら、易学による人生相談なども行っていた。そのうち宗教に傾倒するようになり、ついには会社を退職し宗教に身を投じることとなる。また妻の友司の家系は代々霊能者であり、友司自身も霊能を持っているとされる。

夫妻は昭和10(1935)年に運慶作といわれる大日大聖不動明王を入手し、自宅のある立川市南幸町にて「立照閣」を設立した。同年、長男が急死しいきなり教団の先行きに暗雲が立ち込めるが、夫妻は高尾山にて荒行を行い、長男の死は「抜苦代受」(信者の苦悩を代わりに受けたため早世した)と結論付けた。
のち真乗氏は真言宗醍醐派の総本山・醍醐寺において修行を積み、翌年には僧籍を得た。昭和13(1938)年には、現在の総本部がある場所に真澄寺を設立、このとき団体名称を「立川不動尊教会」とした。まだ一派独立を認められるほど大きな団体ではなかったため、立川不動尊教会は真言宗の傘下に属することとなる。真乗氏はその後も醍醐寺で修行を重ね、昭和16(1941)年には醍醐寺より大阿闍梨の地位を与えられ、一宗一派を創始する資格を得た。が、当時の政治状況により一派独立どころか宗教活動自体も厳しく制限されたようである。

戦後になり、昭和23(1948)年には「まこと教団」として再出発、真言宗から独立するが、昭和25(1950)年に「まこと教団事件」がおきる。修行と称してリンチを受けたとして、真乗氏が側近から告訴されたものである。この裁判の過程で信者数は激減し、教団は壊滅状態になったという。そこで、組織の再興を図るため昭和26(1951)年に名称を現在の「真如苑」に変更、昭和28(1953)年には事件の裁判が進行中であったが法人認可を得ての再々出発となった。同時期、教祖夫妻の次男が急死するなど教団にとっては逆風の中を突き進みつつ、結局裁判で真乗氏は執行猶予付きの有罪判決を受けるにいたった(提出された証拠にいくつかの疑念があるとされ、事実上無罪とする見方もある)。が、真乗氏は教団再興に力を注ぐためとして控訴を断念している。
その後、教団は教勢拡大に邁進し組織は拡大したがそれでも順調とはいえず、摂受院・友司氏が亡くなった頃から前述したような教祖一族の内紛が発生、有力幹部の脱退や、三女・真砂子(現苑主・伊藤真聰氏)の自殺未遂事件、あるいは前述した次女・孔子による暴露攻撃等数々の「法難」が続く。一時期は信者数が減ったとされているが、芸能人を広告塔に使うなどして再び順調に信者数が増加し、今や日本でも有数の資金力を持つ大教団に発展した。

新興宗教では、往々にして教祖自身や教祖一家についてのスキャンダルについて後が絶えないが、真如苑も例外ではない。しかし、創価学会同様、教団は着々と信者を増やし豊富な資金を有している。ただ、真如苑では他の大きな新興教団とは違い学校や病院等の施設は持っていないようである。

真如苑を信仰している芸能人
以下の情報はマルコポーロ最終号(1996年刊)より。

高橋恵子(女優)、高橋伴明(映画監督)、島田陽子(女優)、沢口靖子(女優)、鈴木蘭々(タレント)、松本伊代(タレント)、SAM・CHIHARU・ETSU(TRF)、大場久美子(タレント)、石原真理絵(女優)、渚ゆう子(歌手)、小森和子(映画評論家)、海老一染之助染太郎(演芸)

※現信者の方からの話では、このうち島田陽子、石原真理絵などはすでに信者ではないという。