| 正式団体名 | 宗教法人 末日聖徒イエス・キリスト教会 (The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints) |
立教 | 1830年 | ||||||||||||||||
| 開祖・教祖 | ジョセフ・スミス(Joseph Smith, 1805-1844) | 現指導者 | ゴードン・B・ヒンクレー | ||||||||||||||||
| 聖典・教典 | 聖書(旧約・新約) モルモン書、教義と聖約、高価な真珠 |
本拠地(聖地) | アメリカ合衆国 ソルトレイクシティ |
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| 崇拝対象 | 天の父なる神、救世主イエス・キリスト、聖霊 | 信徒数概算 | 1100万人以上 | ||||||||||||||||
| 派生教団 | 復元イエス・キリスト教会、ほか | 関連団体等 | BYU(ブリガム・ヤング大学) | ||||||||||||||||
| 教団の特色 | |||||||||||||||||||
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| 俗称モルモン教としてよく知られていますが、正式名称は末日聖徒イエス・キリスト教会といいます。キリストの文字が入ってますが、カトリックでもプロテスタントでもない、全く独自の経典をもつ異端のキリスト教です。本人たちは異端どころか自らを「唯一の本当の教会」であるとしており、逆に従来のキリスト教を「悪魔の教会」としていますが、我々部外者からみるとやはりモルモン教の方が異端(世間一般でいうキリスト教とはまったく違うという意味で)です。 モルモン教では聖書(旧約含む)も聖典の一部ですが、創始者ジョセフ・スミスの著した「モルモン書」が経典に加えられているところがいわゆるキリスト教とは違います。モルモン教ではキリスト教の基本である三位一体論はなく、天の父なる神、御子イエス・キリスト、聖霊はそれぞれ別個の存在とします。他にもモルモン書には独自の世界観、宗教観が目白押しです。 モルモン教には厳しい戒律(タバコ・酒・コーヒー他一切の刺激物の摂取禁止、等々)があり、またかつては一夫多妻制を容認していたことがよく知られています。特に一夫多妻制の容認は立教当初に迫害される一因にもなり、ジョセフ・スミスには一説によると49人もの妻がいたとされていますが、現在のモルモン教会では一夫多妻は禁止しています。 モルモン教徒には収入の10分の1を税金として教団に納める義務が全信徒に課せられており、また自費による2年間(女性は1年半)の宣教師活動が強く奨励されています(年齢制限があり、19〜25歳までだそうです)。 なおTVにでる人だと、ケント・ギルバートやケント・デリカット、斎藤由貴などがモルモン教徒としてはよく知られています。 |
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| 教団の発祥 | |||||||||||||||||||
| モルモン教の創始者ジョセフ・スミス(1805-1844)は、バーモント州の生まれであるが、ある日、天使の導きで自宅近くから読解不能な文字が刻まれた黄金の板を発見し、これがイスラエルの残された民がアメリカ大陸に渡ってきて書き残したものであることを教えられる(このへんですでに話の筋に無理があると思うのは私だけか・・・・)。この金版に書かれた文字は古代エジプト文字を変形させたものであるいわれているが、ジョセフはこれを特殊なメガネを使って(これは旧約聖書に出て来るウリムとトンミムという道具だそうだが・・・)解読し、この板にかかれた文面こそ本当のキリストの教えであるとして、解読した文書を「モルモン経典(モルモン書)」として出版した。 モルモン経典によるとイエス・キリストはアメリカに再臨し、そこに新しいエルサレム(神の国)を樹立するという。キリストの再臨を強く望む世紀末的な思想背景をもつ。このように終末観を前面に押し出すのは異端系ではよくある。(エホバの証人など) モルモン経典の元となる金版については、その成り立ちに壮大なストーリーがあるので、簡潔に紹介したい。そもそもモルモン経典にはおよそ信じがたいことがたくさん書かれているのだが、その起源についての大筋は以下の通りである。 紀元前600年ごろ、リーハイなる一人のユダヤ人は、堕落したエルサレムを脱出するよう神託を受ける。その息子のニーファイなる人物は、神意により船を作り、イスラエルを脱出して“約束の地”アメリカ大陸にわたった(コロンブスのアメリカ大陸発見より2000年以上早いが、ニーファイは神が示した羅針盤により約束の地へたどりつけたという・・・紀元前にすでに羅針盤があったのである)。彼らは後にニーファイ人、レーマン人となるが、一部のレーマン人を除いてはほとんどが滅び、残ったレーマン人の末裔がアメリカインディアンになった。なお、処刑されたイエス・キリストは復活後にアメリカ大陸を訪れ、レーマン人の間にのみその姿をあらわし、導きと教えを施したという。 モルモン経典を1830年に出版したジョセフは、同年ニューヨーク州フェイヤットに教会を立て6人の信徒と共に教団を発足したが、その前途は苦難に満ちていた。異端視されたモルモン教会と信徒たちは迫害により最初の聖地を追われ、一行はオハイオ、ミズーリ、さらにイリノイへと定住場所を転々とする。 ジョセフの後をついだブリガム・ヤング(1801-1877)は、迫害を避けるためにイリノイの定住地を捨てる決心をし、15000人余の信徒と家畜を引き連れ西へ西へと移動、新天地を求めて流浪の旅を続けた。厳しい環境により途中で死者がでるがそれでも決死の旅は続き、1847年、一行はロッキー山脈を越えてついに約束の地・ソルトレイク湖畔へ到達した。当時ソルトレイク周辺はメキシコ領であったが、不毛の地で先住者がいなかったのでモルモン教徒たちはここに定住し自分たちの街を一から作り上げた。それがソルトレイクシティ(ユタ州の州都)である。 しかし、神はモルモン教徒にさらなる試練を与えるのであった。1850年、ソルトレイク周辺はユタ準州(Utah
Territory)としてアメリカの領土に組み込まれることになり、多妻婚をやめさせたい合衆国政府とそれに従わないモルモン教徒の間の軋轢は年々大きくなっていった。 こうした緊張状態の中、1857年9月11日、ソルトレイク郊外にてモルモン教徒による一般開拓民の大量虐殺事件(マウンテンメドウの大虐殺)が発生する。アーカンソーからやってきた開拓民一行140人余は、ゴールドラッシュに湧くカリフォルニアを目指し移動中にソルトレイク郊外のメドウに滞在するが、この開拓民の中にジョセフ・スミス殺害に加わった者がいるという噂が流れ、幾度もの迫害に耐えてきたモルモン教徒の怒りがついに爆発、開拓民一行は子供を除いて男女の区分けなくすべて殺されてしまう。・・・同時多発テロ発生と同じ9月11日という日付が、歴史のいたずらにしてはとても因縁じみている。 その直後、政府軍とモルモン教徒はついに戦闘状態に入る。いわゆる「ユタ戦争」である。モルモン軍は政府軍に打撃を与えたが決定打にはいたらず、翌1858年、双方の痛み分けによって合衆国政府との和平が成立した。政府はモルモン教徒を罰せず、モルモン教徒はブリガム・ヤングに代わり政府が派遣する知事を受け入れるというものであった。ブリガム・ヤングが逝去したあと、教団は独立国家建設をあきらめて政府側に歩み寄りを見せ、1890年になって多妻婚を禁止するお触れを出すにいたった。そして1896年、合衆国政府はユタを準州から州に格上げし自治権を認めることとなる。ユタ州は名実ともにモルモン教徒の実効支配地となったのである。なお「ユタ」は、この地に住む原住民の名前からとったものである。 そうした離反問題はあったにせよ、最終的に安住の地を得た教団は発展を続け、現在ではアメリカ国内のみならず世界各国に進出し、全世界で信徒1100万人以上を抱えるにいたった。本拠地ユタ州では人口の8割以上がモルモン教徒だといわれている。日本でも天理市のように教団中心の町はあるが、モルモン教のようにこれだけの広範囲な地域を実質支配している教団はほかには見られない。 なお、モルモン書にはアメリカインディアンの先祖はユダヤ人(リーハイ)であることが書かれているが、北米および南米大陸の原住民の先祖は我々日本人と同じモンゴロイドであることはみなさんご存知のとおり。我々の先祖は氷河期末期にシベリアからベーリング海を渡って北米大陸に入ってその後南下して南米まで進出したと考えられており、たとえば北海道の原住民であるアイヌ人とアメリカインディアンは身体的特徴だけではなく慣習・文化・宗教まで非常に似通っている。興味ある向きは調べてみるといいだろう。 | |||||||||||||||||||
| 関連リンク | |||||||||||||||||||
| 以下のリンクを参考情報として挙げておきます。モルモン教に関する是非は皆様自身で判断してください。これをきっかけに宗教について、信仰について皆様に深く考えてもらえたなら幸いです。 | |||||||||||||||||||
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