| 教団名も変わっているが、信仰の内容もかなり変わっている。教団名に「キリスト」の文字が入っていながら、本人たちはキリスト教の一派ではないと明言している。キリスト教を信奉していながら、本人たちがいわゆるキリスト教でははい(カトリック・プロテスタントやどの異端宗派とも違う)と明言している以上、異端のキリスト教ともいえない。たしかに教団名はキリスト「教」ではない。キリストの「幕屋」なのである。分類が難しい新興教団である。
また、既成のキリスト教派と違ってユダヤ民族の信仰であるユダヤ教にも重きをおいているところが一風変わっている。手島氏は生前にはイスラエルのユダヤ教関係者とも親交を持ち、信徒とともに聖地巡礼(ユダヤ教・キリスト教聖地としてのエルサレムへの訪問)を行っている。幕屋ではキリスト教の原点となるユダヤ民族の歴史やイスラエルの国家とその文化についても深い興味をもっており、聖地巡礼、聖地留学を大事な信仰活動の一部と捉えている。
一方で、幕屋ではさらに日本人の在り方、国の在り方、信仰による日本民族の発展・救済といった民族主義的な教えも付加される(なんで?)。ただし排他的な民族主義ではなくすべての民族、すべての宗派も尊重する。キリスト教・ユダヤ教の原点である「汝、隣人を愛せよ」を地でいく宗教であり、キリスト教でありながら日本人の日本人による日本人のための宗教でもある。しかし聖書と民族主義のつながりはどこからきているのかはまだまだ調査不足のためよくわからない。
手島氏は無教会主義の先駆者である内村鑑三の下で修行したというから、この考えは内村鑑三の考えからきているのかもしれないが内村鑑三についてはよく知らないので、私としては要勉強といったところである。内村鑑三は文明開化の時代の人であり、民族主義とキリスト教の結びつきは当時の時代背景(富国強兵政策)に関係しているかもしれない。
異端キリスト宗派では統一教会(正式名称:世界基督教統一神霊協会)も旧約聖書に重きをおき、その独自解釈(原理講論)がその教義となっている。こういったキリスト教派は幕屋も含めて少数派であると思う。ただ統一教会と幕屋の大きな違いは、ひとつに創始者の立場にある。文鮮明は自らをキリストの再臨であり救世主であると位置付けているが、手島郁郎はあくまで自分はキリストの使徒であるとの立場をとる。そして、キリストの使徒として原始福音(聖書、とくにその原典を重視し、旧約、新約どちらも対象)の伝道に力を注いだ。ユダヤ教の教えもカバーするのは、キリスト教の原点を知るにはその背景であるイスラエルの歴史や文化も知る必要があるとの考えからである。
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