| 正式団体名 | 財団法人 懺悔奉仕光泉林(一燈園) | 創立 | 1905(明治37)年 | |
| 創始者 | 西田天香(にしだ てんこう) | 現指導者 | 西田多才止(にしだ たけし) | |
| 聖典・教典 | 「懺悔の生活」(西田天香 著) | 本拠地 | 京都市山科区 | |
| 崇拝対象 | 各信徒の信仰する宗派による | 信徒数概算 | 不明 | |
| 教団の特色 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 一燈園は、登記上は財団法人であり宗教法人ではありません。しかし、その活動は人間としての求道生活にあり、創始者である西田天香氏の遺した言葉・書物など、その考えはとても宗教的・哲学的であります。
一燈園は京都市山科区に敷地面積約10万坪の共同生活の場(光泉林)を設け、ここに200余人の修行者たち(同人という)が生活しています。経済活動を否定し、己を捨て無欲になることで「争いのない生活」が実現できるとしています。経済生活を否定しているので、彼らには基本的に収入がありません。ではどうしているのかというと、彼らは無所有奉仕の精神に基づき、生活の糧は托鉢と奉仕活動により得ています。托鉢によって地域の人々から施しを受け、その感謝のしるしに奉仕活動を行っている、ということらしいです。実際には財団法人なので経済活動は行っており、同人および在家の修行者たちは出版、印刷、建築、農業などに従事しています。しかしこれら世間の仕事で得られた収入(=おひかりという)は天の恵みであるから私有物にしてはならず、これを預かる組織(宣光社という)が必要に応じて「おひかり」の中から各自に金品を与える、という仕組みになっています。 京都では年に一度、同人たちがいっせいに街へでて、路頭に立ち托鉢と奉仕活動(各家庭を訪問し便所掃除をさせてもらう)を実践しています。地元ではわりと知られた存在だそうですが、関東方面ではその活動を見ることができないので、どういったものであるのか個人的にはとても興味があります。 なお、無所有奉仕といえば共産主義の匂いがしますが、共産主義とはとくに関係していないようです。朝夕かならず礼拝を行うしきたりからも、共産主義とは一線を画しているといえるでしょう。また、一燈園と似たような活動を行う原始共産主義集団「幸福会ヤマギシ会」と比べると、ヤマギシは反対派が数多くいるのに対し、一燈園の反対運動というのは見聞きしたことがありません。 |
||||
| 教団の発祥 | ||||
|
西田天香(1872-1968)は、滋賀県長浜の商家に生まれた。利潤を追求する商売の道に疑問を覚え、20歳のとき、単身北海道へわたる。北海道にて7年間、未開拓地で開墾事業に身を投じた。開墾事業を進める中で、資本を投下した資本家と小作人の間で金銭問題による争いが生じ、西田は金をめぐる人間の浅ましい姿に失望して開拓事業を他人に託し、裸一貫で郷里長浜へ帰ることとなる。 郷里に帰った西田は、争いごとのおきない道を模索し、求道生活にはいる。4日間の断食を敢行したが、4日目の朝、近くで赤ん坊の泣き声を聞き、それがやがて泣き止んだとき、天啓を得た。「母親と赤子の間には、お乳を飲ませる行為を通して相互に喜び合う世界がある。このように、人間が生まれたときには、生かし生かされるという世界があり、これが人間の原点のあり方である。では、この関係を大人の世界に当てはめるとどうなるか。人間誰しもが、自分を捨て、他者のために捧げていくことができれば、生かし生かされる世界が展開する」 以後、西田は己を捨てる修行に徹し、無一文で路頭に立つ「懺悔・下座の行為」「托鉢」を行った。自分は許されてこの世に生かされているのであり、無一文、無所有こそ人間の本来の姿だという。すなわち、生命本来の姿に還って自然の理にかなった生活をすれば、人は金のために働かなくても、何も所有しなくても生かされるのである、というのが、西田の発想の原点である。 大正10年、西田は上記の考えをまとめ「懺悔の生活」を出版、これがベストセラーになる。本を読んだ信奉者は西田の下に集まり、やがて共同生活を送るようになった。これが現在の一燈園のはじまりである。昭和4年に財団法人の認可をとり、現在の地に光泉林を創設した。 一燈園では朝夕、礼堂にて礼拝が行われるが、礼堂の真中には丸窓がひとつぽっかりとあいており、この丸窓から見渡す自然の光景に向かって、それぞれがもつ宗教のご本尊に対し心の中で祈りを捧げる。一燈園は宗教ではないため、特定の崇拝対象はない。 | ||||