| 仏教(Buddism) | |||
| 仏教の発祥 | |||
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開祖の本名はゴータマ・シッダルタであり、インド北部(現在のネパール)に生まれた。哲学の分野では、宗教家というよりも偉大な思想家として扱われている。つまり同じインド人でいえばマハトマ・ガンジー(独立運動家・インド建国の父)と同列の扱いである。 開祖の呼び名は多数ある。イエス・キリストやムハンマド(マホメット)に比べると異常に呼び名が多い。釈迦という呼び名は、もともと釈迦族という部族(国を持っていた。王族である)の王子として生まれたことに起因する。釈迦族の聖者という意味の「シャーキャムニ」の音訳が「釈迦牟尼」で、さらに仏を意味する「世尊」をつけて「釈迦牟尼世尊」(略称:釈尊)とも呼ばれる。また仏陀というのは、サンスクリット語(梵語)で「覚者、解脱者」を意味し、本来は悟りを得たものは開祖に限らずすべて仏陀である。ので、開祖を指す場合はとくにこれに本名のゴータマをつけてゴータマ・ブッダと呼称する。ちなみに仏教を意味する英単語 Buddism は、このブッダからきている。 ここでは釈迦と呼称するが、釈迦の生没年ははっきりせず、紀元前6〜5世紀あるいは5〜4世紀といわれている。前述のようにインド半島北部に釈迦族の王子として生まれた。16歳で結婚し子供もいたとされている。3つの宮殿に暮らし贅沢を極めたというが、29歳の時に家族を捨て出家し、修行者となった。釈迦は贅沢な暮らしをしていただけに心に余裕があった。思いにふけるうち、老いと死に対して人並み以上に不安と恐怖を覚えた。いわゆる病・老・死・苦から解放されたいがため、ついには悟りを得ようとして出家の道を選んだのである。 釈迦は出家してから6年間、修行を行った。バラモン教の修行者から教わった苦行を試すが、体に鞭打つばかりで一向に悟りを得ることができなかった。そこで苦行をやめ、大きな木の下(のちに菩提樹となる)で座禅を組んで瞑想をし、無我の境地に至りついに悟りを得た。釈迦35歳の時である。 釈迦が悟りを得たときの逸話がある。ある日釈迦は苦行では悟りを得られないことを知り、修行を中断して川で沐浴を行うが、それまでの苦行により心身ともにボロボロ、なんとか川から上がったものの倒れて死にかけていた。そこへたまたま通りかかった村の娘が、森の神への供物として持参していたミルク粥を釈迦に捧げた。釈迦はこの粥によって気力と体力を回復し、近くの森にあった菩提樹の下に座って静かに瞑想を行い、ついに悟りを得たのである。娘の名は「スジャータ」といい、ウルーヴィラ地方の豪族の娘であった。「スジャータ」といえば「めいらく」であるが、その商品名の由来はこの逸話からきているという。 |
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| 仏教の布教と発展 | |||
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釈迦は、自分が得た悟りについて昔の修行仲間5人に話して聞かせた。最初の説法である。5人は感服し、釈迦の弟子となった。ここに教団としての仏教(原始仏教)が誕生する。原始仏教では仏(釈迦)・法(教え)・僧(教団)の三宝が信仰対象となった。 教団が成立し釈迦は説法を続け信者はどんどん増えていった。そして釈迦は80歳で入滅(死去)するが、死後数ヶ月たって、一番弟子の迦葉が釈迦の教えを整理し、仏典を完成した。
●中国への仏教伝来と玄奘 歴代の僧の中でも玄奘の持ち帰った荷物は質量ともに最大であり、帰国後は仏典の翻訳作業を行い、これまでなかった膨大な量の翻訳仏典を国に収めた。その偉大な功績により、後世においては「西遊記」というフィクション小説の登場人物にもなったほどである。 西遊記は皆さんご存知のとおり、三蔵法師とその家来たち(猿、豚、河童)が怪物たちと戦いながら聖地である天竺(インド)を目指して旅をするという物語であるが、三蔵法師とは玄奘その人のことである。実在の玄奘は西の関所である長安(現在の西安市)より出国、はるか西にあるという仏教の一大拠点「ガンダーラ」を目指した。当時ガンダーラという国はインドへ入るには必ず通らなければならない経由地であり、ヨーロッパとの交易もあり、シルクロードに通じる東西の交点でもあった。 なおガンダーラは現在のパキスタン・アフガニスタンにまたがる地域に存在していた。ゴダイゴの歌によるとインド領にあったということだが、パキスタンは第二次大戦後「英領インド」が独立する際に分離建国されたものなので、もとはインドということで間違っていないのだろう。さらにいえばパキスタンはイスラム国家であり、仏教は滅んでしまった。中国でもいまや仏教は少数派でありチベットを除いてはほとんど信仰されていない。 |