| 正式団体名 | 宗教法人 阿含宗 | 立教 | 1978(昭和53)年 | ||||
| 開祖・教祖 | 管長・桐山靖雄(きりやま・せいゆう) | 現指導者 | 同左 | ||||
| 聖典・教典 | 阿含経 | 本拠地(聖地) | 京都市山科区北花山大峰町17-5 | ||||
| 崇拝対象 | 真正仏舎利 | 信徒数概算 | 80万人以上 | ||||
| 関連企業 | (株)平河出版社 | (株)光和食品 | |||||
| 教団の特色 | |||||||
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| 阿含宗(あごんしゅう)の創始者である桐山靖雄(1921-)は、自称「大阿闍梨」(真言密教の修行を修めた僧に与えられる学位みたいなもの。高僧の証である)であり、阿含宗創設前には観音慈恵会という教団を主宰していました。観音慈恵会にはかつて麻原彰晃や、旧オウム真理教の幹部信者が多数入信していたことが知られています。オウムの手口は阿含宗のそれを真似てさらに過激にしたものといわれています。オウムのお手本になった教団なのでオウムの教義と通じるところが多分にあります。
阿含宗は、釈尊が直接下した唯一の経典であるとされる「阿含経」の教説を密教の修行法によって実践することにより、誰でも超能力が得られ、解脱できるとしています。管長の桐山氏は超能力をもち、初期の頃には「念力護摩」といって火を使わずに念力で護摩に点火するパフォーマンスが話題になりました。(トリックではないかと疑われるようになってからはやってないようである・・・) また、桐山管長はしっかりと封をした信者からの「御伺書(質問書)」を開封せずに透視で解読し「後霊諭(返答)」を下すというベタなネタも当初はまじめにやっていたようです。これはテレビ朝日のドラマ「TRICK」(仲間由紀恵主演)の一番最初のエピソードで、菅井きん扮するインチキ教祖がまったく同じことをやっていました。もちろんトリックです。私はこのドラマを見て、作中の新興宗教「母の泉」と菅井きん扮する教祖のモデルは「阿含宗」と桐山管長なのではないかと勘ぐったほどです。作中の教祖の名前は「霧島澄子」でしたが、これは桐山をもじって霧島にしたのではないかと勝手に想像していますが・・・ 平成になってから、阿含宗の修行法をより過激に改変したオウム真理教の出現により、阿含宗の修行では物足りずオウムに改宗する人が多く現れました。このため、のちにメディアによりオウムとの関係が取り沙汰され、桐山管長自らオウムとの関係を釈明する書籍を出版したりしています。実際、数多く信者を奪われた阿含宗はオウムの被害者であるといえるでしょう。 阿含宗も霊感商法・マインドコントロールを行うカルト教団として、一部ではかなりの批判を浴びております。しかしながら警察沙汰になるようなことは今のところありません。個人的には今後も要注意の教団です。 |
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| 教団の発祥 | |||||||
| 開祖・桐山靖雄(本名・堤真寿雄)は1921(大正10)年、横浜にて商家の長男として出生。戦時中、結核性の痔ろうとカリエスを患い、房州上総で1年ほど療養生活をし、病に打ち克つ意志を養うために禅・浄土・法華の各宗の門を叩いた。戦後、まだ病は回復していなかったが、軍の御用商人であった父が大きな負債を抱えたため、長男としての責任を感じた桐山は弟たちと協力してヤミ屋をはじめ水産関係の仕事へと事業を拡大する。しかし、当時は輸送機関が悪条件下にあったため、あるとき買い付けた魚を大量に腐らせてしまい、余計に負債を大きくしてしまった。
桐山は死を覚悟し、父の残した廃工場に赴き、3日間にわたり最後の思案をめぐらせていた。そのとき、偶然棚の上から「般若心経」「準胝観音経」が落ちてきて、それを拝読するうちに気分が落ち着き自殺を思いとどまる。そこで桐山はこの体験を多くの人にも分け与えんとし、100万巻の経を作り人々に配ろうと発案する。すると不思議なことに1ヶ月で道が開け、3年後には負債を全額返済するまでになったという。 その後、合成ビールの密造販売により酒税法違反・私文書偽造の容疑で逮捕され、実刑判決を受ける。控訴するが刑が確定し1年間服役する。出所後、一から出直すことを決意した桐山は1955(昭和30)年、横浜市鶴見区の生麦にて観音慈恵会を設立、信仰に身をささげる決意をした。このとき名前を本名の堤真寿雄(つつみ・ますお)から桐山靖雄(きりやま・せいゆう)に変えている。桐山は母方の姓をとったものであるという。 観音慈恵会設立当初は弟子が1人だけで、家賃も滞納し食うや食わずの貧窮生活を送る。金がないときは断食をして飢えをしのぎ、金が入ったとき(運命鑑定などをして寸志を受け取っていた)にはうどんの玉を買い、生醤油をかけて食べたという。こんな生活を繰り返しつつも、己の悪因縁を断つまでは功徳を積む仕事に専念するために、一切世俗の仕事にはつかず耐え抜いた。 1971(昭和46)年、桐山に転機が訪れる。文一出版から発刊された「変身の原理」がベストセラーになったのである。これを機に桐山は平河出版社を設立し自らの著作である密教解説書を立て続けに出版、さらに1973(昭和48)年には光和食品を設立し密教食などの販売に乗り出す。 また活動初期の頃、桐山が学歴や経歴を詐称していたことが批判されたが、現在ではそのようなことはないようである。 |
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| 関連リンク | |||||||
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