
12.食は文化 〜甘いお赤飯の豆の謎
今もそうですが子供の頃のドロシーは小豆などの甘い豆類が嫌いで、ほとんど食べられませんでした。野菜なのに甘いことが許せなかったのと、食べた後、口の中に皮が残ってガサガサする感じが嫌だったのです。この辺は今でも残っていて、口の中でガサガサするのが嫌なのでトマトはしっかり皮をむいて使うし、缶詰のグリーンピースの中がコナコナしているのに皮が口に残る感じも嫌いです。
そんなドロシーのために、子供の頃、我が家では2種類のお赤飯が用意されていました。ひとつは小豆が入った普通のもの、もうひとつは小豆の入らないただの赤いおこわです。一緒に蒸かすのに、どうしてそんなことが出来たのかと言うと、ドロシー宅のお赤飯は食紅で薄く色をつけてもち米を蒸かし、最後の蒸らしの時に、上に小豆の甘納豆を乗せて一緒に蒸らし、飯台にあけて混ぜていたからなんです。つまり、ドロシー用のは、最後に混ぜる段階で小豆が入らないように、先に取り分けていたっていうことですね。
子供の頃、そんな甘納豆のお赤飯を普通のものとして育った人間にとって、日本中のほとんどの地域のお赤飯の豆が、甘くないと知った時は、“驚天動地”というほど大げさなものではありませんが、かなり驚いたものです。
で、ある時テレビの情報番組を観ていると、「お赤飯の豆が甘い地方の謎を探る」といった番組をやっていました。常々、同じ疑問を持っていたドロシーとしては、興味津々観ていたのですが、それによると、こういったことらしいです。
お赤飯に甘い豆を使うのは、山梨県と岩手県の一部の地方。山梨県には南部という所がありますが、甲斐源氏の流れをくむ、南部氏という武将がいたらしいです。後に、その子孫が岩手県に領地を賜って奥州に権力を広げていったらしいのですが、どうも、甘い豆のお赤飯と言うのは、南部氏の勢力地域に少しだけ生き残っているようなので、南部氏の領地に伝わっていたものが、その勢力の移動に伴って一緒に移動し、山梨と岩手の一部に生き残った、ということのようです。
そういえば、甘めのタネにゴマや落花生を乗せて焼いた「南部せんべい」というのがありますが、山梨の南部の方にも同じようなおせんべいがあります。
甘いお豆を乗せたお赤飯といい、甘めの南部せんべいといい、どうも南部氏は甘めのものが好きな甘党だったようですね。というより、昔は甘いものが貴重だったはずなので、領民も甘いものが食べられるだけ豊かっだったと言うことでしょうか。
いずれにしても、お赤飯の豆から戦国武将にまで話は広がり、「食は文化」というのを実感したひと時でした。
ドロシーの母親が作っていたお赤飯は、普通に小豆をご飯と一緒に蒸かしていた記憶があるので、この甘い豆を使っていたのは、多分祖母。その世代までが、かろうじて伝統を引き継いでいたということなんでしょうか。
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