3歳の時、うどんを1本飲みしそうになり、のどに詰まらせて死に損なう。
子供の頃から食いしん坊で、ヤクルトと牛乳、ABCビスケット、QBBのスティックチーズ、自家製の野菜や果物をおやつに、骨太にすくすく育つ。この頃から食べ物の好みはうるさく、6PチーズではなくQBBにこだわった。
野菜は全て無農薬で自家栽培していたため、山梨に居る間はずっとこの野菜を食べ、本物の味を覚える。化学調味料は使わない家庭だったため、今でも化学調味料の味は苦手。
母親や祖母などが台所に立つと側にまとわりつき、こまごまとした用事を言いつけられながらつまみ食いをし、料理の技術や手順、味を盗む。
家は出前や外食が少なく、外食と言えばキチンとしたレストランやすし屋などだったため、幼少時より舌を鍛えられる。
小学1年生のとき、好き嫌いは少なかったが唯一食べられなかったピーマンをおひたしにして出され、克服して以後は大好きになる。
小学3年生の時、予定外に母親の帰りが遅く、初の料理作りに挑戦。思いがけず好評だったためその気になる。
小学5年生の時、遊びに行った家で初めて店のラーメンを出前で食べ、世の中にこんなに美味なものがあったのかと目からウロコが落ちる。
以後、18歳で上京するまで母親の帰りが遅いと夕食作りを担当。突然の来客にも慌てることなく昼食や夕食を出せるようになる。
上京後は一人暮らしの同級生の下宿に遊びに行き、料理を作って喜ばれる。短大の2年間下宿していた家のお姉さんが料理研究家のアシスタントをしていたため、ケーキ作りや中華、フレンチなどの初歩的な手ほどきを受ける。
20歳で初めての一人暮らし。アルミの寸胴鍋、鉄のフライパン、ヒノキのまな板、銘の入った包丁砥石を購入し、本格的に料理を作り、人を集めてはご馳走する。以後、一人で外食する事が嫌だったのと売っている惣菜が口に合わなかったため、忙しく仕事をしながらもできる限り自炊する。
1980年から2年間、土地を買った知り合いが家にまで予算が回らなかったため遊ばせていた土地で無農薬の野菜作りを行い、虫と格闘する。
 ←住宅地の中の「おらが畑」で虫と格闘
1985年から4年間、インドレストランをやっている友人と共同生活し、羊の脳のカレー(ブレーンカレー)をこわごわ食べた所アンキモのような味わいだったことから見た目での食わず嫌いはしないことに決める。このレストランで開かれていた留学生などを講師とした「世界の料理を作って食べる会」に参加し、各国の珍しい料理を作って食べる。

     
 

↑作る人より食べるだけの人が断然多い。            ↑チベットの餃子「モモ」を揚げて
1998年頃、数人の友人と「世界の料理を食べ歩く会」を作り、アフリカや東欧、南米など東京にある各国の珍しいレストランを食べ歩く。
1991年より本業の仕事でフリーとなり、自宅を事務所にして時間の融通が利くようになったことから3食とも自分で作り始める。
1991年、韓国で買った大瓶のコチュジャンを大事に手荷物に入れたところ爆弾と間違われて税関でチェックを受ける。
1992年より無農薬の野菜の宅配を取り始める。この宅配が「畑にお任せ」というシステムで、ムダが嫌いな性格のため届いた野菜を全て使い切り、美味しく食べるために工夫を重ね、料理を研究する。
1994年、はじめて行ったタイで本場のタイ料理の美味しさに気絶しそうになり、食べ物だけで老後はタイに移住することを真剣に考える。
2001年12月よりひょんなことから友人のご主人がやっている店の定休日を任され、「野菜で夕食の月曜日」というコンセプトで純ベジタリアンではない人向けに料理作りと接客を行い、「趣味は料理です」と言えなくなる。
2002年、10月、お客さんにも美味しいと言われてその気になり、このホームページをオープンする。
2003年、6月末、店の都合により、月曜限定のドロシーの店「たけみ亭」閉店。

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