土佐旅行レポート5 番外
岩兵衛戸次川古戦場レポート

土佐に続きまして大分県、戸次(へつぎ)川古戦場のレポートをしていきます。
家族で九州旅行をした際、単独行動をさせてもらい来る事ができたのでした。
ここは長宗我部家を語るには欠かせない合戦があった場所なのです。

「大分駅から大野川へ」(大野川は戸次川の現在の名称です)
古戦場は国道10号沿いにあり、道は分かりやすく大分駅からバスで行けます。しかし地図を見ると大野川の近くまで行ける電車があります。私は、それに乗り「中判田」という小さな駅で降りました。

それが失敗でした!そこから古戦場へのバスが少なく、強い陽射しの中ひたすら40分程歩きました。
ちなみに帰りは大分駅まで直通のバスに乗り、とても快適でした。知らない土地では、おとなしく分かりやすい交通手段を使った方が良いです。

「戸次川古戦場跡」
1586(天正14)年、豊臣秀吉は仙石秀久を軍監として豊後・四国の連合軍を九州征伐に先発させた。
九州を制覇する勢いの島津軍の攻撃から豊後の大友方を救援するのが目的だったが、仙石秀久の無謀な作戦で四国勢は大敗してしまう。

長宗我部元親の嫡男、信親と部下700人が討死。四国で元親と戦った十河存保(そごう まさやす)、豊後の戸次統常(へつぎ むねつね)など約2000人が戦死した。

元親は信親の後を追って自害しようとしたほどショックを受けました。秀吉は哀れに思ったのか元親に大隈国(鹿児島県の半分)を加増しようとしたが、これも辞退しています。

国道沿いの、この場所には休憩できるようにベンチがあり、川岸はキレイに草が刈られていました。
史跡としては有名なのかな?バスなら「中津留」で下車です。
写真の場所は中津留河原といい、この辺りで信親は戦死し、敵の島津軍から手厚く葬られました。

 

「信親・十河一族の墓へ」
信親の墓は土佐の他に、古戦場を見下ろす山崎の丘にも立っています。地図で、なんとなく場所は分かるので山の中に入っていきます。

台風や落雷でもあったのか、細い山道の両側の木が何本も倒れていて、下をくぐりながら頂上を目指します。・・・しかし、人が通る気配のない道なのです。何故ならクモの巣に何度も引っかかったから。

頂上に着くと普通の道路沿いに出ました。さらに案内板が!(左の写真)
山の中を通らなくても、迂回してこれる道路があったようです。なんだか失敗ばかり。

 

「長宗我部信親の墓」
鉄製の鳥居が建てられています。回りに木の枝が多く見えにくくなっていました。

「十河一族慰霊碑」
大きく立派でした。四国では元親と戦い、信親と同じ戦場で討死したので勇将のイメージがあります。

「信親の記念碑」
小説家、森鴎外が信親を題材に書いた作品関係のようです。

回りには長宗我部関係の他にも多くの記念碑やお地蔵さんなどが立っています。
ユックリと見学したかったのですが時間が無いので慌ただしく撤収。
帰りも来た時の山道を戻りました。険しくても知ってる道の方が迷わないからです。

以上で長宗我部の史跡レポートは終了です。長宗我部の中でも有名な史跡ばかりを見たので、機会があれば今度はマイナーな場所にも行ってみたいと思います。

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