岩兵衛くまちき土佐旅行レポート4

 

おはようございます。旅行の二日目です!夕方の飛行機で帰るので、今日は急がないとね。
まずは朝飯!和食と洋食が選べたけど、昨日の夕食が和だったので洋にしました。

レストランみたいに丁寧な接客だったね〜。オムレツが美味しくて感動したよ!
三翠園は良いホテルでした。そして高知城に向け出発です!


「高知城」
別名大高坂城(おおたかさ城)。長宗我部氏が土佐を没収された後、国主となった山内一豊が築城。1727(享保12)年に火事で焼失したが27年かけ復旧した。

戦国時代に長宗我部元親が居城にするため移転してきたが水害に悩まされ3年で浦戸に移っている。この土地は「河中(こうち)山」といったが、水害が多い事から1610年に「高智山」と改名した。これが後に高知となりました。

この城を攻めるのを想定して歩いてみると、塀の鉄砲挟間から常に狙われるのが分かりました。戦は恐ろしいと実感です。
それにしても昨日からの足の痛みが取れず城までの石段がキツイ・・。

天守閣の中には資料があり、築城の事や高知の歴史が学べます。
城や館の造りをジックリ見て回りましたが天井が低くて、当時の人が小柄だったのが伺えました。

この日も暑くて、アイスクリンを食べながら天守閣を後にします。風景が良かったので写真を撮ろうとしてると、おじさんが「写真を撮ってあげるから二人で並びな」・・と声をかけてくれました。地元の方か観光の方なのか、旅行先での嬉しい交流です。
高知城をバックに、汗拭き用のタオルを首にかけアイスを片手に笑顔の男二人。良い(変な)写真が撮れました。
(その写真はくまちきが持っています。レポートに載せたいから焼き増しして!)

高知城、追手門の右方向には県立文学館と県立図書館があり、文学館(この時は版画展)を見学。内容の良さはあまり分かりませんでしたが中は涼しく休憩になりました。
その近くにある観光ガイド・ボランティアのテントで、次の目的地への交通手段を確認しました。

ガイドをしてた人達が、僕の腕の日焼けを見て驚いてました。
「酔っぱらったみたいだね〜」「高知の太陽を甘くみちゃいけないよ」「がははは
(笑い声)
笑い事じゃないくらいヒリヒリして痛かったのに・・。でも地元の人との会話は嬉しいな。


高知県立歴史民族資料館」
長宗我部元親の居城岡豊城跡の敷地内にありキレイな建物です。原始から現代までの歴史や生活文化などを豊富な展示やジオラマで解説されています。

この日は時間を急ぐのでタクシー(3000円くらい)で移動しましたが、バスの場合は、はりまや橋から領石・田井行きで30分。バス停、学校分岐で下車。そこから徒歩10分程で来れます。

ここで以前「長宗我部元親、盛親の栄光と挫折」という展示が公開されていて、その時の資料本を買う事ができました!あの見たかったイベントの本が手に入るとは!そして高知で見つけた唯一の元親グッス、テレホンカードも買いました。来て良かった!展示も面白かったです。

一領具足の生活をアニメで見れたり、元親の勢力図を大きな四国地図を見ながら解説を聞いて勉強できるのは解りやすかったです。
それにしても人がいなかったね。図書室に小学生が来てたくらいかな?


「岡豊(おこう)城跡」
中世の初め頃、秦 能俊が土佐、長岡郡、宗我部郷(南国市)に入り、長宗我部を名乗って岡豊山に城を構えた。1508(永正5)年、19代兼序(かねつぐ)が、本山・山田・吉良・大平らの豪族に攻められ落城。幼少だった嫡子の国親は一条氏の元で成長し、後に岡豊城へ復帰して長宗我部家を再興させた。

国親の後を継いだ元親が本山氏との戦に出兵中、安芸国虎の軍に攻められたが、残った長宗我部兵が、これを撃退している。規模は土佐屈指の中世山城である。

城跡は広かったので詳しく見て回る事は出来ませんでした。時間も体力も無かったのだ!それにしても景色が良かった。今度来る時があればユックリ散歩してみたいです。

旅行者一人と会いましたが景色に感動してました。その人は、城を中心に旅行する歴史組合みたいなのに入っていて、これから徳島に行くとの事でした。


「長宗我部氏一族の墓」
資料館を出て坂道を下ります。その途中の脇に元親の次男、親和の墓があるらしいのですが発見できませんでした。バス通り(県道32)に出て、自動販売機で飲み物を一人2本買い、資料館でもらった地図を見ながら「一族の墓」を目指します。

この森は旅行最初の長浜城跡を思い出したよ。足の痛みに耐えて山道を登ると一般住民の墓が点々と建っていますが長宗我部の墓は見つかりません…。かなり上まで登ってきましたが、くまちきが下の方で脇道を発見!でかした!!

岩兵衛は先走って進み過ぎ!しかし見逃すのも仕方ないか…一人がようやく通れる幅で道というより森の中です。少し下りになっているので、足元に気をつけながら進みます。

近くに「常舜居士、一五八六、天正十四年、二十二歳没」と記された墓がありました。どういった人なのかな?
国親の墓の写真を撮る際、「漫画で、あんなキャラに描いて、すみません」と心の中で思いました。

墓に立っていた南国市教育委員会の説明文によると、『〜二十数墓の墓は、ごく粗末なもので連綿二十余代に及んだ長宗我部氏の歴史を物語るには、あまりにも貧弱なものである。上段には国親又は信親と言われる墓碑があり、下段には累代の墓が立っている。〜』…との事です。

県道から一族の墓へは案内が無いので脇道を見つけるのは難しいかもしれません。
地図を描きましたので参考にして下さい。
(多少、道や距離の間隔が違うかもしれませんが場所は分かると思います。)


「はりまや橋へ」
はりまや橋に向かうバスの中で岡豊城で会った旅行者と遭遇。「どうして元親が良いのか?」と質問されました。席も離れていたし声が聞こえにくかったので詳しく話せませんでしたが…
「小説で読んだのと、強いけど負けた所です。」・・と何とも変な答えをしました。馬鹿と思われたかも。

僕も前から思ってたんだよね。なんで長宗我部元親なの?

ならば今度はシッカリ答えよう!こちらのページでね。
この事があったから急遽作ったんだ。
「長宗我部元親の紹介」

「高知空港」
はりまや橋でお土産を買ってバスで高知空港へ向かいます。

空港でも、かなりの種類のお土産が売ってたんだね。
昼飯を食べながら飛行機の時間を待とう!
旅行も終わりか〜。寂しいな…。

土佐との別れを惜しみつつ、カツオご飯と天ぷらの定食!
さらば土佐!高知県!


「羽田空港上空」
夕日が我々の旅の成功を祝福してくれているようだぜ…。
しかし上空から下を見ると山を削って作られたゴルフ場が沢山!高知の自然は良かったな。


初の旅行は満足だったよ!また行こう!
しかし疲れた…。

念願だった長宗我部元親の史跡巡りでした。高知は良い所です!
これで土佐旅行レポートは終了です。読んでいただき有難うございました。

どうも、くまちきでした。また機会がありましたら会いましょう。
僕へのファンレターがございましたら・・・

(・・・・無視してやる)
土佐旅行は終わりですが、私は他に行った場所があるので続いてレポートして行きます。
またね、くまちき!お疲れ様でした〜。

なに!?
まだ最後まで挨拶してないのに!・・こ、このたびは
僕達の旅行レポートに・・・


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