岩兵衛くまちき土佐旅行レポート

こんにちは。管理人の岩兵衛です。
2002年7月20、21日念願の土佐旅行に行って来ました。旅行の目的は長宗我部関連の史跡巡りです。
同行してくれた友人くまちき氏と私の行動、旅の感想や写真を紹介していきます。

僕が、くまちきです。初めて飛行機に乗ったさ。
長宗我部の事は少ししか分かりませんがヨロシク。

 

「羽田から高知へ」
高知空港まで1時間。アッという間で高知に着いた実感が無いまま、はりまや方面のバスに乗り出発。すると左側に牧場。「牛だ〜!」「高知だ〜!」。一気に旅行気分が高まりました。友人くまちき曰く「カウンターパンチを食らった」そうです。(高知在住の方すみません)

「はりまや交差点」
よさこい節に歌われているはりまや橋がある高知の中心。バス、路面バスが多く交通の拠点にしていました。夕食の酔鯨亭や、お土産の買い物は、この周辺を利用しました。

路面バスが走る風景は新鮮で、いきなり何枚も写真を撮りました。


いざ出陣!
バス停が多くて、いきなり迷ったけどね。


「秦神社」
長宗我部元親を祭神として明治に創建された神社。元親の木造を御神体としている。すぐ隣は元親の菩提寺溪寺

桂浜方面のバスに乗り、バス停雪溪寺別れで下車、静かな住宅地の中にあります。史跡の説明が書かれた看板に「長宗我部」の文字を見るだけで嬉しくなりました。それがなければ通り過ぎてしまいそうな小さな普通の神社です。
木像が見たかったのですが誰もいないので無理でした。

右脇に「長浜城跡」の案内があったので向かう事にしました。


「長浜城跡」
永禄3年(1560)長宗我部国親が奇襲で落とした本山家の支城。ここから長宗我部VS本山の戦が始まりました。

地元の子供でも上らないような山だったけど、国親が来た所だと思うと必死に登ってしまった。クモの巣に引っ掛かりながら。城跡らしき物は何も無く、電気の鉄塔が建ってました。

子供の頃、岩兵衛と遊んでた市民の森を思い出したよ・・。すでに汗を拭くタオルが必要な状態。
すさまじい観光旅行の始まりだ。記念写真が撮れたから良しとするか。


「雪蹊寺」
四国霊場33番礼所。戦国末期は長宗我部元親の保護をうけた慶雲寺という寺だった。
元親が没すると、その菩提寺となり、法名(雪蹊恕三
せっけいじょさん)にちなんで雪蹊寺と改称した。

想像していたより小さな寺でした。
写真に見える二つの建物の間を右に入ると、元親の嫡男「信親」の墓があります。


「長宗我部信親の墓」
信親は1586(天正14)年、豊臣秀吉の九州征伐の先鋒隊として、豊後の戸次川で島津の大軍と戦い、700人の部下と共に23歳の若さで討死しました。

本堂裏の隅にあり寂しいと思いましたがキレイな墓でよかったです。お供えの花を持っていなかったのが悔やまれます・・。通路に生け花が入ったバケツが置いてあったので管理はシッカリしてくれてるのでしょうね。(勝手に花を取っていきたかったけど出来ませんでした。)

信親なら僕も知ってるぞ。小説を読んだからな


「雪蹊寺から天甫寺山へ」
僕の方向感覚を頼りに歩くこと10分、場所を見失ったので途中の店で道を聞きました。
そこで買ったアイスが美味かった〜!


しばらく進むと「長宗我部元親公の墓」とかかれた看板を発見。さすが高知!
ここまで、けっこう歩きましたが見かけた人は少なく、のどかな土地です。

「天甫寺山・長宗我部元親の墓」
元親は1599(慶長4)年5月19日、京都の伏見において61歳で死去。盛親により天甫寺山に葬された。近くには元親が秀吉からもらった馬「内記K」を葬った愛馬の塚がある。

小さな山の麓(ふもと)にあり周りが暗くて寂しげでした。枯葉で汚れていたので払ったのですが、寺の敷地内ではないので仕方ないのかな。でも、ここに来れただけで嬉しかったです。
今度来る時は花を持って行きます。元親様ごめんなさい!

岩兵衛が雪蹊寺で聞いた話。「最近この山でお婆さんがマムシに噛まれて亡くなった」・・ってのが恐かったよ。

 

次のレポート「若宮八幡宮・元親の銅像」へ

トップページへ