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アスベストから何を学ぶのか 〜2005年クボタショックを契機として〜(2006.5.28) アスベストについて考える会 大内加寿子 |
個人の利益と公の利益 私がアスベスト問題とかかわりを持つようになった直接のきっかけは、1996年頃、近所の団地で、数年間もの長期間にわたる全面的な建替え計画があること知った時でした。取り壊される建物は10棟余りもあり、周囲には建替え予定になっていない建物も残されていました。近くには公園や保育園、小学校もあり、周囲の居住者が生活を続ける中で解体工事が行われることになっていました。 古い団地で、建築年度からみても、吹付けアスベストが使われている可能性は低かったのですが、幼い子どもたちの遊び場にもなっている場所で大掛かりな解体工事が行われることは、万が一のことを考えると心配になったのです。 そこで、この団地を管理している県の担当課に、解体予定の建物に吹付けアスベストが使われていないかどうか確かめることにしました。実は、この団地は県所有の職員住宅で、夫が県の職員であった私たち家族も、一時期その団地に住んでいたことがありました。隣には県営団地もあって、一緒に遊んでいる子どもの友人や家族もほとんどが県職員という生活環境でした。 地域の狭い人間関係の中で、子育てに追われながら生活する私たち家族にとって、自分の夫ばかりか友人たちの夫が勤務する職場に、苦情や相談を持ち込むことにはためらいがありました。そのようなわけで、吹付けアスベストの有無を確かめるということだけでも勇気がいることだったのです。 子どもが変な目で見られるのではないか、夫の職場での立場はどうなるのか、自分は家族に迷惑をかけてしまうのではないか、迷ったり悩んだりの連続でした。個人の立場ではやりたくないことが、個人を離れるとやらなければならないことにみえました。 迷いつつも、質問書を出したり要望をしながら、適切な対応を求めていきました。当時はまだ制度として始まったばかりの情報公開請求をして、必要な情報を集めることもありました。当然のことながら、自分たちの夫の職場に要望を出したり、情報公開請求をすることに積極的に協力しようという人はいませんでした。 自分はいったいどうすればいいのだろう、何をするべきなのだろう・・・その後もアスベスト問題とかかわりを続ける中で、私が常に直面しなければならなかったことです。でも、結果的に、このことが私にアスベスト問題の重要性を考えさせることになりました。 自分の利益とみんなの利益とどちらを選ぶのかということ、それは言い換えれば、目に見える人の利益と目に見えない人の利益とどちらを選択するのかという問題でもありました。 "ARE YOU ASBESTOS?" 翌1997年に、インターネットのホームページ「アスベストについて考えるホームページhttp://park3.wakwak.com/~hepafil/」を開設しました。 要望や質問に行く時に、資料を印刷して持ち歩くのはたいへんです。その点インターネットなら、このサイトを見てくださいといえばいいので、必要かどうかわからない資料を印刷する手間が省けます。これがホームページを開設した第一の理由でした。当時は、アスベストについての情報が極端に少なかったために、自分のやっていることが何かの役に立つかもしれないとも考えました。(とはいえ、当時はまだインターネットはほとんど普及しておらず、ホームページやサイトといっても、何のことかわからないという反応がほとんどだったのですが。) もう一つ、労働災害や被害といった、アスベスト問題につきまとうそれまでの暗いどろどろしたイメージを少しでも変えたいという気持ちがありました。アスベスト問題はこれからの問題、みんなの問題だということを、少しでも多くの人に伝えたかったのです。 ホームページの案内役「ヘパフィル君」も、そのような役割のために生まれました(家で飼っていた犬がモデル。クボタショックで日本中がアスベスト問題の重要性を再認識することになった2005年の9月、騒ぎを見届けるかのように静かに亡くなっていきました)。 ヘパフィル君の言葉、"ARE YOU ASBESTOS?"は、頭脳明晰とはとても言えないヘパフィル君が、壁に向かって「きみはアスベストかい?」と聞いて、アスベスト含有の有無を判断しようとしているという設定ですが、ここには、「自分もアスベスト問題を作り出している側の人なのだろうか?」という、自分自身に対する問いかけの意味も込められています。 それは、アスベスト問題を生み出した社会的な背景の中に、私たち自身の生き方がかかわっているのではないかという気持ちがあったからでした。 1980年代の後半、日本には「アスベストパニック」といわれるアスベスト問題の高まりの時期がありました。しかし、その渦中の1988年という時期に、日本のアスベスト輸入量は年間32万トン余りにも達しており、戦後第二のピークを迎えていました。 輸入量は、その後徐々に減少していきますが、1990年に28万7千トン、1995年でもようやく20万トンを切るといった程度でした。これほど大量にアスベストを輸入していながら、私が当時出会ったほとんどの人はそのような事実を知らず、アスベストはもう使われていないと思っていました。 私は、年間数十万トンという膨大な量で推移しているアスベストの輸入量のグラフを見ながら、この落差がどうして生まれてくるのかということを考えずにはいられませんでした。 自分たちの幸せだけを考えて、言うべきことを言わず、やるべきことをやってこなかった結果が、この年間20万トンという輸入量に表れているような気がしました。アスベスト問題にかかわる限り、自分は今までの生き方を変えていかなければならない、とこの時思ったのです。 自分個人の利益だけを考えていたら、アスベスト問題の解決にはつながらない、目に見えない大勢の人の利益を考えられなければ、アスベスト問題の重要性は理解できないんだ・・・私にとって、アスベスト問題を知るということは、このことを身をもって体験するということでした。 「パブリック(公)の精神」、言い換えれば、「個」と「公」の問題をどのように受け止めるのかということは、私たちが社会生活を送る上でたいへん重要な課題です。アスベスト問題という一つの環境問題とのかかわりが、私に、「パブリックの精神」を身をもって学ぶ機会を与えてくれたわけです。 目に見えない人の利益 「大勢の人の利益を考えることなしには、アスベスト問題の重要性は理解できない」ということは、アスベスト問題の本質についても言えることです。 昨年のクボタショックで、環境曝露(かんきょうばくろ)によって一般住民にも多くの被害者が発生していることが明らかになりましたが、現在、私たちが日常生活を送る上で、環境曝露によってアスベストが原因の病気にかかる危険性は、以前に比べかなり低くなっています。 一方、人口動態統計によれば、2004年に、日本で953人もの人が、アスベストが原因のがんとして知られる「悪性中皮腫」で死亡しています。肺がんを含めると、日本で、毎年2千人から3千人もの人がアスベストが原因の病気で亡くなっている可能性があり、この死者数は今後も上昇すると予測されています。 自分自身に対する発がんのリスクは小さなものですが、このような発がん物質が使われることによって社会全体としては大きなリスクを抱えることになる、これを私たちがどのように受け止めるかということがとても大切ではないかと思います。 自分の安全だけを問題にするのであれば、多くの人にとってアスベスト問題はさほど深刻な問題ではなくなっています。しかし、より広範囲な人たちの安全という視点に立てば、アスベスト問題は今後も重要な問題であり続けるわけです。 このことは、頭ではわかっているように思えても、実際にこのような受け止め方ができるかと考えると、現実にはかなり難しいことがわかります。「目に見えない人の利益を考える」ということは、現実には、自分も含めた「目に見える人の利益」を犠牲にしなければならないことも多いからです。 一つの例を考えてみましょう。 2005年6月の(株)クボタの発表により、一般住民にまで被害者が発生しているという事態に驚き、各省庁はこぞって対策を打ち出しました。文部科学省でも、20年前に行った調査や対策を、あらためて行うことになりました。公共建築物や、民間の建物の調査も行われました。この調査や対策には多くの費用や労力が必要でした。現場では、なぜこれ程の労力や資金を投じて、調査や対策を講ずる必要があるのかという疑問も出たはずです。 吹付けアスベストが使用されていることがわかれば、解体工事には多大な経費がかかります。吹付け以外のアスベスト含有建材に対する規制も強化されつつあります。建材に対する規制が強められ、解体工事に多大な費用が必要になってくると、経費節減や工期の短縮とは相容れないために、違法な工事が摘発される機会も増えてくることでしょう。 吹付けアスベストがあることで利用者にどの程度の危険があるのか、アスベスト対策のために、なぜこれ程の労力や資金を費やす必要があるのか、そういった議論は今後ますます高まってくると思います。そのような中で、アスベストの発がん性のリスクの問題や、コストアンドベネフィット(費用対効果)に関する議論は、より切実な問題として私たちに迫ってくることでしょう。 そういう問題に直面した時、私たちはどのように判断していくのでしょうか?見えない人の利益を大切にするということの難しさを知るのは、まさにそのような時です。そこで私たちは、アスベスト問題の重要性と難しさをあらためて考えさせられることになるのだと思います。 アスベストパニック アスベストの危険性はこれまで何度も問題になりました。 1980年代の後半には、学校施設に吹付けアスベストが使われていることがわかり、各地で除去工事が矢継ぎ早に行われました。ベビーパウダーにまで使われていることがわかり、アスベストパニックと呼ばれる大きな社会問題を引き起こしました。1996年には、阪神淡路大地震が発生し、倒壊した建物や解体現場から飛散するアスベストが問題になりました。そして、昨年6月30日のクボタの発表によって、日本全体が「クボタショック」といわれるアスベスト問題の激しいうねりの中に入っていったのです。 それまでは外国の文献で紹介されるにすぎなかった「環境曝露」という、一般住民の被害者が発生していることが明らかになり、多くの人がパニックに陥りました。 その後、約半年間続いたクボタショックは、今年1月のアスベスト新法(「石綿健康被害救済法」)制定の動きの中で、すでに沈静化しつつあります。 1980年代後半のアスベストパニックは、アスベストの輸入量の減少には結びつきませんでした。アスベストについての知識は社会には浸透せず、大きな騒ぎだけが人々の印象に残り、アスベストはもう使われていないとみんなが思い込む結果になりました。この時、一過性の波で終わってしまったことが、20年もたってから、もう一度アスベストパニックを経験しなければならなかった原因でもあります。 自分たちに直接危険が及ぶおそれが出てくればパニックが起こり、危険性がないことがわかれば騒ぎはおさまる、このことは、アスベストのような有害物質問題を受け止める私たちの側にも限界があることを示してはいないでしょうか。 日本がクボタショックに襲われていた昨年の半年間、前述のホームページには数々の質問が寄せられました。多くは、自分が住んでいる部屋は大丈夫か、過去に接触した建材は安全か、吸い込んだ場合どのくらい危険なのかといった内容でした。中には、教職員という立場での質問もありました。しかし、そのような場合も含め、ほとんどが自分自身がアスベストを吸った可能性や、それによる危険性に関するものでした。 なぜ、自分自身の健康の問題ではなく、一般的な安全の問題としてとらえることはできないのでしょうか。教師の立場であれば、子どもたちが自身の身を守る上でどのような知識が必要になるのか、こどもたちの将来のリスクを少なくするために、自分が子どもたちに何を教えることができるのかという視点で、アスベストの危険性の問題をとらえることができないのを残念に思いました。 過去に吸ってしまったかもしれないアスベストの危険性をあれこれ心配するよりも、今後の危険性を少しでも少なくするために、自分が今何ができるかを考えることの方が有益です。しかし、現実には、そういう受け止め方をする人は少ないということです。そのことが、社会的なパニックを引き起こす原因にもなっているのではないでしょうか。 自分に危険が及ばないことがわかれば、熱はさめ、パニックは収まります。自分が今後何ができるかと考えるならば、正確な知識や新しい情報が必要になりますが、そのような受け止め方をしなければ、知識や情報はあまり重要にはなりません。 正しい情報や知識は、身を守るために必要であって、時には、自分がそれを与える立場に立つこともあるという自覚が必要でしょう。 学校の吹付けアスベスト調査 クボタショックの嵐が吹き荒れる中、文部科学省は、過去に行われた吹付けアスベストの調査が十分ではなかったことを認め、再調査に踏み切りました。 小中学校から幼稚園、大学にいたるまで、膨大な箇所の調査が行われました。分析費用には多額の経費がかかり、調査結果の取りまとめだけでも非常に手間がかかる作業が各地で行われました。 この調査結果は、2005年9月に中間とりまとめが発表され、同年11月末に最終発表が行われました。 緊急に対策が必要な箇所では除去工事が行われ、吹付けアスベストの使用箇所(未措置、飛散の恐れあり)は、発表ごとに少なくなりました。担当者は、対策が終了すれば、この数字は最終的にゼロになるのだと説明しています。 吹付けアスベストが使われていることがわかって除去工事が終了した箇所は、数字上はアスベストが使われていない場所になり、カウントされなくなる、そして、吹付けアスベストの使用箇所が数字上ゼロになれば、学校のアスベスト対策は済んだことになってしまうのです。それでは、それまでアスベストが使われていたという事実はどうなってしまうのでしょうか? アスベストによる疾病には、曝露してから発病するまで、数十年(10年から50年以上)もの潜伏期間があることが知られています。このことを考えれば、吹付けアスベストが使われているかどうかということだけが重要ではないことがわかります。大金を投じて除去工事をするほど、アスベストが危険であるのなら、そしてそのアスベストを吸い込んだ可能性がある人がいるのであれば、吹付けアスベストが使用されていたという情報は記録に残しておく必要があるわけです。 吹付けアスベストが使われていたかどうか、どこにどのように使われていたのか、いつからいつまで使われていたのか、どのような種類のアスベストが含まれていたのか、含有率はどの程度であったか、このような情報が将来にわたって必要であることはいうまでもありません。 しかし、対策が終わった箇所は数字上カウントされなくなるだけで、都道府県では、使用されていた箇所についてのデータを取りまとめてはいません。文部科学省からは、アスベストの使用箇所の調査結果の数値を取りまとめることが求められているだけで、それ以上のことは求められていないからです。 そのよう最中、公立学校教諭が、学校に使われていたアスベストを吸って中皮腫になった可能性があるとして、公務災害認定の申請をしたと報道されました。勤務した学校では、アスベスト使用の有無はその時点では把握していないとのことでした。 危険であるからこそ緊急の調査や対策が行われたはずなのに、将来の被害者にとって必要な情報が何なのかは考えられていません。何十年もたってから発病した人にとって、吹付けアスベストの使用実態が取りまとめられていることがどれほど役に立つかと思います。しかし、責任を求められる立場の行政は、このようなことをなかなかしようとはしません。 将来の、見えない人の利益をどう受け止めるのかということが、アスベスト問題の重要性をどうとらえるのかと同じ意味だと思うのは、このような時です。 つくられる「錯覚」 アスベストの危険性は何度も問題になり、そのたびに法規制が厳しくされてきたのにもかかわらず、2005年のクボタショックの時、新聞記者ですら、アスベストがまだ使われていたことを知らなかったという反省の記事を書いていました。 1996年当時、行政にかかわる人や、実際に建築を設計している業者ですら、「アスベストはもう使われていません」とそろって答えていることに驚き、ホームページを立ち上げたりしたわけですが、2005年のこの騒動の際には、多くの人がアスベストがまだ使われているという事実を知らないことに、あまり驚きを感じませんでした。 それはなぜかというと、膨大な量のアスベストが輸入され、使われているのに、アスベストはもう使われていないと思い込ませるような一種の社会的な錯覚が、どのように作り出され、社会がそれをどのように受け入れ、育てていくのかということが少しずつわかってきていたからです。 アスベストが使われているという事実が、いかに隠され、誤魔化され、それによって事実と異なるイメージを社会全体が持たされるようになるのかということを、幾度となく見せられてきたために、多くの人が知らないでいることが、むしろ当然のように感じられたのです。 一つには表示の問題があります。 1990年代後半、アスベストの主な用途になっていた一般住宅の屋根材(「屋根用化粧スレート」)には、アスベストを含有していない無石綿製品が販売されていました。しかし、製品のパンフレットには、アスベストを含有していない製品には「無石綿」と表示されていましたが、アスベスト含有製品にアスベスト含有とは記載されていませんでした。 企業は、コストが安く、収益があがるアスベスト製品をたくさん販売したかったので、発がん性のあるアスベストを使っているという事実を隠すことによって、アスベストによる悪いイメージを避けようとしました。購入(発注)する側は、何も書いていないので、アスベストが使われているとは考えませんでした。 法律上は、アスベスト含有であることを示す「表示の義務」がありますが、この義務は労働安全衛生法上の義務で、アスベストを取り扱う労働者を保護する目的で定められたものでした。そのため、アスベスト製品にはアスベスト含有であることを表示する義務があったのですが、消費者保護の目的で定められた規制ではなかったために、パンフレットには、アスベスト含有であることを表示する義務はなかったのです。 注文の際に使われるパンフレットにアスベスト含有と表示されないために、発がん物質が含まれていることが消費者に伝わらず、結果的に、労働者保護に反することになってしまいました。 もう一つ、1995年の法改正以前は、5%以下の含有率のアスベスト製品は規制対象になっていなかったため、規制対象外の低い含有率のアスベスト製品は「ノンアスベスト製品」と銘打って販売されていました。ノンアス製品といえば、誰だってアスベストを含まない製品だと思ってしまいます。 こうして、アスベスト製品は市場にたくさん出回り、自分の家の屋根にもアスベスト含有の化粧スレートを使っているのに、使っている人すらもそれを知らないという事態が日本各地で発生していきました。 昨年8月の報道で、一般住宅の5軒に1軒でアスベスト含有の化粧スレートが使われているということがわかったのも、こういうからくりの結果でした。 その後、2003年10月に、現在も使用が認められているクリソタイル(白石綿)という種類のアスベストが禁止対象となることが決まりました。しかし、この時の禁止では、「住宅屋根用化粧スレート」など、10種類のアスベスト製品の製造等が禁止されただけでした。 現実には、わずか10種類の製品が禁止されたにすぎなかったのに、厚生労働省は、これを、アスベストの「原則禁止」と発表しました。新聞報道等もそれにならって、2003年の10種類のアスベスト製品の禁止を「原則禁止」としています。 クボタショックによって、それまで「原則禁止」とされていたものが、「全面禁止」とはかけ離れたものであることがわかってきて、対策の遅れと批判されることを恐れた厚生労働省は、大慌てで全面禁止を実行に移そうとしています。 もしクボタショックが起こらなかったら、行政もマスコミも使っている「原則禁止」が社会の常識となり、わずか10種類の製品の禁止が「全面禁止」のようなイメージで社会に浸透していったことでしょう。それによってまた、アスベストはすでに禁止されたという間違った認識が定着していったでしょう。 時間と空間を超えたつながり 環境曝露による住民被害が問題になっているクボタの旧神崎工場では、1975年頃まで、クロシドライト(青石綿)という種類のアスベストが大量に使われていました。クロシドライトは角閃石系アスベストの一種で、クリソタイル(蛇紋石系アスベスト)に比べ、発がん性が高く、悪性中皮腫を引き起こす主要な原因と考えられています。 クボタはこのクロシドライトを、水道管(アスベストセメント管)の製造に使っていました。搬入されたアスベストの袋は手作業で開封され、解繊機や粉砕機などに投入されました。 現在わかっているだけでも、旧神崎工場でアスベストセメント管の製造に10年以上従事した人の44.6%、原料供給の作業に1年以上従事した人の41%がアスベスト関連の疾患にかかっているということです。繊維を解きほぐしたりする過程で発生した多量のクロシドライト粉じんは、工場周辺に飛散し、住民の被害を発生させているとみられています。 クボタの旧神崎工場で、労働者や周辺住民に数百人規模の被害を発生させていると考えられているこのクロシドライトは、ほとんどが南アフリカで生産されていました。 1900年前後から、南アフリカ共和国の北西地域では、乾燥し荒れ果てた大地にぬうように点在するアスベスト鉱山の周りで、移動性の小屋に住む黒人労働者などの家族がクロシドライトの採掘をして暮らしていました。 男性労働者を一箇所に集めて労働をさせ高い収益をあげることができるダイヤモンドなどの鉱山とは異なり、鉄鉱石などに混じって層のように散在するアスベスト鉱山の採掘は、細々とした家族労働に適していました。 掘り出したばかりの湿ったアスベストの鉱石を乾燥させ、えり分け、砕石所に運んだり、ほぐして袋詰めして集荷所までの長い道のりを運びます。その多くは女性や子どもたちの仕事でした。アパルトヘイト政策の下、生きるための水を得るにも困難な場所で、満足な食料も与えられない過酷な生活でした。 現在、悪性中皮腫は、アスベストが原因のがんとして広く知られています。それは、1960年に、それまで非常にまれな病気と考えられていた悪性中皮腫の患者が、南アフリカの鉱山労働者と近隣住民に大量に発生しているという研究結果が発表され、それによって、悪性中皮腫とアスベストとの関連が広く認められるようになったからです。 一方、第二次大戦後、食糧危機に陥っていた日本では、食糧増産のため、肥料となる硫安の生産に必要な電解隔膜の製造のため、アスベストの需要が高まっていました。 当時、アスベストは配給となっていて、十分な量のアスベストを確保することができませんでした。困ったアスベスト業界は、通産省に申し出て、緊急特別物質の5品目に加えてもらい、国からの調達資金を得て南アフリカにクロシドライトを買い付けに行きました。軍需産業だったアスベスト産業は、食糧生産と結びついたために、機械を没収されたり工場を解体されることもなく、平和産業になることができたのでした。 こうして、南アフリカという地球の反対側で、アパルトヘイトという人種差別政策に苦しみながら、黒人の母親や子どもたちが、食べることも飲むことも十分にできない生活の中で、荒れ果てたアフリカの大地から掘り出したクロシドライトは、日本へやってきました。 その後、順調に輸入ができるようになり、吹付けアスベストに使われたクロシドライトは、私たちの身近な建物に今も残されています。これらの建物の解体工事によってクロシドライトの繊維を吸い込み、それが原因でアスベスト疾患にかかるとしたら、被害者は、今後さらに数十年以上もたってから発生してくることになります。 今、クボタの事件で、アスベストによる被害者の発生が問題となり、自分たちの通っている学校でも吹付けアスベストの調査が行われています。そのような状況で、私たちは自分たちの健康への影響をあれこれと心配しています。では、その原因となっているアスベストがどこから来たのかといえば、時を超え地球をめぐって、何十年も前の南アフリカの人々の暮らしや、過去の日本の生活と直接つながっているのです。それがさらに未来の人々の生活にまでつながっているということ、こういうことを知ることは私には純粋な驚きに感じられます。 アスベスト問題を理解するためには、幅広い知識が必要です。アスベスト問題を知ろうとすることが、様々な分野に関心をもつきっかけになり、知識を、単なる知識としてではなく、自分自身の生活と結びついた生きた知識として受け止められる助けになればと願っています。 (2006.2.15) |