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は じ め に 今回インターネットのホームページを作り、伝統日本武術を修行する者としての伝言を綴って見たいと計画しました。 私は西岡常夫泰法(にしおかつねおやすのり)と称します。泰法(やすのり)の名は私の神道夢想流杖の師範・清水隆次克泰(しみずたかじかつやす)先生の「泰」と乙藤市蔵勝法先生(おとふじいちぞうかつのり)の「法」の一字づつを頂いたものであります。
神道夢想流杖 神道夢想流杖の伝承者・西岡常夫からのメッセージです。 神道夢想流杖は日本古武術の一つです。 大切な日本精神を形と共に伝承して居ます。 故に正しい師範の下で正しい指導を受ける事が必要です。 正しいとは何か、を常に稽古照今し修理固成を続け無ければなりません。 当流派も将来に道統を伝承する為に苦慮しつつあり、あらゆる努力を続けているものであります。その現状は必要あれば遠慮なく質問されることを期待します。
清隆会の起源
故あって、私の代で清水隆次克泰先生を初代師範とし、不肖西岡常夫を二代師範と名乗り、以下三代師範とし、神道夢想流杖、清水派を残すために「神道夢想流杖、清隆会」としました。清水隆次先生の苗字名前から、「清」と「隆」の二字を頂いたものであります。 神道夢想流杖は夢想権之助勝吉(むそうごんのすけかつよし)を流祖に黒田藩(福岡県)に伝わった古武術でありますが、相伝形式は一子相伝では無く、代々複数の師範家により、これを伝えて来た歴史的事実があります。 明治、大正、昭和と時代が移るに従い、代を数えるのに不明確な状態が生じたまま、師範家間の統一見解を得ぬまま清水隆次克泰先生二十五代(1978年没)、乙藤市蔵勝法先生二十六代(1998年没)と称され、両先生とも之を訂正せぬまま、他界されました。事実は両先生共に白石範次郎先生(1927年没)を師とする同代の師範家であります。 更に代を数える時に師範名の列記の順序が直系でない場合も併記してあり、免許の書き方にも統一を欠いた事実を知りましたが、免許者同士の話し合いが出来ずに居り、或事件を切っ掛けに、私は平成6年末(1994年)乙藤市蔵先生、松井健二、神之田常盛氏等、乙藤市蔵先生グループ、及び全日本剣道連盟杖道部会から離れ、清隆会として私の道を歩み始めた次第であります。 事件とは、清水隆次先生から同じく免許を許された神之田常盛氏の提言を切っ掛けに、1994年(平成6年)10月28日に乙藤市蔵先生から免許を受けた松井健二氏から私宛に手紙があり、乙藤先生の了解のもとに私を神道夢想流杖の清水先生門下の免許者系譜から勝手に、一方的に抹消したと言う事実に始まります。 事の起こりは平成6年10月10日に初版発行された、乙藤市蔵監修・松井健二編著者の名で出版された、「天真正伝・神道夢想流杖術」の出来上がる過程での事であります。 私が松井氏の手紙で聞いた説明は「神道夢想流杖の正統は九州、乙藤先生に伝わり、清水先生は正統を伝える資格は無い、神道夢想流杖の免許皆伝を与える資格は乙藤先生のみにある。その乙藤先生は西岡常夫に免許皆伝を許した覚えは無いと言うので、西岡常夫を系譜から抹消して本を作る事になった」之は乙藤先生の意向でもあると言うのであります。 私は清水隆次克泰先生、乙藤市蔵勝法先生のお二人から秘伝五夢想の杖、五本を伝授されたにも拘わらず、この様な滅茶苦茶な勝手な理屈に、私は呆れました。そこで私は之に対し厳重抗議をした結果、遂に乙藤先生自身から「次回増刷の時に元に戻すから、事を納めて欲しい」、松井氏からも「事を穏便に納めて欲しい」との手紙があり、後日訂正された第二版を松井氏から贈って来ましたので、私は追求を止めましたが、この間の文書の往復は後日の証拠として私の手許に残してあります。 これは前代未聞の怪事件であります。全く理不尽な私に対する中傷でありました。此の時乙藤市蔵先生は96歳の高齢でありました。 私が神道夢想流杖「清隆会」二代師範を名乗る理由はそれが契機となりました。過去歴代の複数師範により伝わった神道夢想流杖とは昭和の御代に於いては、高山喜六先生、及び清水隆次克泰先生と乙藤市蔵勝法先生に伝わるものしか無く、その内、私は清水隆次克泰先生の精神と技を私の体を通して伝えたいと思います。私にとり、神道夢想流杖とはそれ以外には存在しません。 あとは「稽古照今」と「修理固成」あるのみです。 |