寺山演劇鑑賞日記4 

万有引力の観客席2001−02

 




 

 2001年3月、ザムザ阿佐ヶ谷。演劇実験室万有引力第34回公演「秘想幻想交響劇 痴夢のランプ〜二律背反に立ち会う、ワタシ錬金指標説のイメージ的素描〜」。この公演は久々の、私にとって「未来のイブ」以来二度目のシーザーオリジナル作品である。ストーリーははっきり言ってよくわからない。「未来のイヴ」でも感じたことだが、シーザーの作曲家・演出家としての才能はずば抜けているが、脚本家としての力は弱いように思う。寺山脚本の作品と比べて、圧倒的に言葉の力が足りない。いつもの呪術的な音楽を心地よい子守歌にしながら、少し眠ってしまった。

そして終盤、舞台上に賭博用のルーレット台が置かれ「さあさあ皆さんもどうぞ参加して、自分の運を試してください」と俳優が観客を誘う。やがて数人の観客が舞台上でルーッレト台を囲んで遊び始めたかと、突然暗転とともにシーザーの音楽が叩きつけるように流れ出し、全ての俳優たちは一瞬で姿を消す。そして音楽にあわせて七色に変化し続けるスポットライトは、舞台に残された観客を照らし始めた。見事に一瞬にして、彼らは強制的に劇の主人公へと祭り上げられてしまったのだ。劇の登場人物となってしまった以上、自分の出番が終わるまでは舞台を降りるわけには行かない。音楽とスポットライトが続く間、舞台上の観客は居心地悪そうに(そりゃいきなり「見られる」側にされればそうだろう)舞台に留まり続けた。やがて音楽が終わり劇場に明かりがともるが、いつものようにカーテンコールはない。舞台上の人は残されたまま。劇のラストシーンの登場人物とされたまま観客に戻るチャンスを与えられなかった彼らは、互いの様子を伺いながらそうっと客席に戻り、劇を終わらせた。

この素晴らしく劇的な幕切れを見ながら、私は寺山修司の「舞台の半分は観客が作るものだ」という言葉を思い出していた。新世紀の万有引力は、「観客参加」というキーワードとともに幕を開けた。

 

2001年5月、第35回公演「観客席2001改訂版」。かつて紀伊国屋ホールで上演された伝説の舞台が、紀伊国屋サザンシアターでよみがえるということに、大きな期待感を持って劇場へ。実は全集であらすじは読んだことがあるので、「何が起こるのか」はわかっていた。それでもそれが「どんな風に起こるのか」が楽しみだったのだ。完全暗転の中、客席中のあらゆる所から響き始める音と声。これは劇場の大きさをもったビックリ箱だ、と思った。前半は様々な趣向を凝らして観客の意表を突いたが、後半はイメージっぽいシーンの連なりの果てに尻すぼみになっていったような気がする。幕引きは「青ひげ公の城」と「星の王子さま」でお馴染みの、「月よりももっと遠い場所、それは劇場」だが、この一連の独白(モノローグ)は、今では古びてしまって、同時代に対する破壊力を失ってしまっているように思う。観客の中の一体どれだけの人間が「ラスコリーニコフ」や「オセロー」や「ノラ」に説得力を感じるだろうか。

 

2001年7月、実験公演「ローラ?〜地球をしばらく止めてくれ、ぼくはゆっくり映画が観たい〜」。こじんまりとした浅草アドリブ小劇場。内容的には、長編映画「書を捨てよ町へ出よう」、実験映画「ローラ」、実験劇「観客席」などの「観客に話しかける」要素をコラージュして創られている。「観客席2001」が公演を終えたばかりなので、番外編の小品というイメージが大きい。「舞台と客席の間を自由に出入りする者」と「スクリーンと客席の間を自由に出入りする者」という同じテーマを描きながら、実験性よりはノスタルジーに焦点が置かれていた。

「あなたに似ている人は星の数ほどいるけれど あなたと同じ人はどこにもいない 本物は一人だけ」

「人に似ている喜びよりも 人に似ている虚しさを私は知っている」(註 うろ覚えです)

という劇中歌が印象に残った。これは寺山に捧げられた詩ではなかろうか。

 

2001年11月、第36回公演「衝撃の実験劇 引力の法則 巨大な「無」の引力を身体化する試み」杜のホールのあるデパートのいたるところを、上演前から無数の俳優が彷徨っている。テーマはすなわち、人はみな「地上の星」(by中島みゆき)なのだということだ。彗星となってはるか長い距離を放浪し続ける者、流星となってひとときの輝きを見せて燃え尽きる者、恒星となって強く光り輝く者、そして誰もが少なからず持っているのが、互いに引き合い反発しあう孤独の力、「万有引力」だ。終幕、俳優の「あなたのアリバイを見せてください」という導きで、観客がステージ上に設置された巨大な東京都地図の中の自分が住む場所へと画鋲を刺していく。何かのつながりを求めるかのように観客は、途切れなく舞台へあがり続ける。そして劇場の明かりが消える。そして地図上に指された(あらかじめ蛍光塗料がぬられていであろう)画鋲が、無数の光を放って浮かび上がる、そう、まで夜空に瞬く星たちのように。観客が思わず息を飲んだ声が聞こえ、やがて拍手が広がっていく。なんて美しいラスト。あの星の光一つ一つに人がいる。そう思うといとおしさがあふれてきた。

 

2002年7月、メジャーリーグ企画公演「シアター・フォア・レディース さよならの城」。素直な感想は、「ちゃんとエンターテイメントできるじゃん、寺山修司(J.A.シーザー)!」商業演劇に成り下がらず、かつアングラの匂いを失わず、いつものドロドロした母子物語ではなく、軽やかに愛を歌い上げる。「地獄の城」を率いるシーザーの音楽も、いつになく美しい。だが一方で、「「観客席」につづく寺山修司の注文の多い演劇シリーズ第2弾」として作られたにもかかわらず、観客に対する挑発は完全になくなってしまっている。「シアター・フォア・レディース」と銘打っているにもかかわらず、客席には普通の男性客が座っている。わざわざ女もののカツラを買ってこっそり持っていったが、むしろ被った方が浮いてしまいそうだったので、結局カバンから出すことはしなかった。どうせなら、男性客には受付で女装セットを貸し出して、応じない者は客席に入れないくらいの徹底が欲しかった。恒例となりつつある観客参加も、かつての寺山が意図したような観客を挑発し、客席という安全地帯から引きずり出す手段ではなく、観客が俳優と触れ合うためのただのファンサービスになってしまっていた。

 

2002年9月、実験公演「盲人書簡・上海篇」。

演出、音楽、演技、どれも申し分のないいい出来だ。だが、何かが足りない。「舞台は完全な闇で、観客はマッチを擦った瞬間だけ、舞台を見ることが出来た」と伝えられる初演での観客参加の試みは失われ、そこにあったのはいつも通りの万有引力。暗転を多用した「規則正しいアングラ芝居」だ。

そして俳優の劇的言語による幕切れ。最近流行っているのか、8月の月蝕歌劇団「時代はサーカスの象に乗って2002」やA.P.B.Tokyo「さらば映画よ!(スタア篇)」でも同じ幕の引き方が使われていた。「邪宗門」のラストで使われた、自分の主張を込めた言葉を叫んだ後、劇団名と自分の名前をいうというあれだ。ここで何故だか、万有引力の俳優は「OOOOO!天井桟敷、根本豊!」という風に「天井桟敷」という言葉を使っていた。「おいおい、あんたらは万有引力だろう」という突っこみを心の中でしながら、どうにも腑に落ちない感じがした。そもそも「天井桟敷の名前は寺山と一緒に墓に入れたい」という九條の願いから、シーザーは万有引力を結成したのではなかったか。それとも、26年前に遡ったつもりでやりました、ということだろうか。それならその危険性も含め、天井桟敷時代の舞台を完全に再現したものを行うべきだったろう。さらに言うなら、「邪宗門」のラストシ−ンの持つ破壊力は、それまで用意されたセリフを読んでいた俳優たちが、自分たち自身の言葉で話し始めるところにある。にもかかわらず、万有引力も月蝕歌劇団やA.P.B.Tokyoの俳優も、「寺山修司の言葉の引用」をしただけだった。そこに自分の名前をつけて叫ぶなら、どんなにつたなくても自分自身の言葉で叫ぶべきではなかったか。

 

私は去年からの舞台を思い起こしながら、ふいに映画「フェリーニの道化師」と、その映画について語った扇田昭彦氏の「祭りは死なない」というエッセイを思い出した。この映画に道化師が「サーカスは死んだんだよ」と言って泣き喚くシーンがある。「サーカス」を、「前衛」あるいは「寺山修司」と言う言葉に入れ替えることができるといったら、感傷的すぎるだろうか。「前衛は死んだんだよ、祭りは終わったんだ」と。

「フェリーニの道化師」のラストシーン、死んで棺に納められたはずの道化師は突然蘇えり、再び陽気に華麗に空中を舞う。来年は寺山没後20周年。Gプロジェクトを掲げる万有引力をはじめとして、多くの劇団が公演を行うだろう。そこで寺山芝居は再び蘇えり、華麗に宙を舞うことが出来るのだろうか。その答えは、もうすぐ出る。

(2002.11.15)

 




 

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