かつて鈴木忠志は、対談で「劇場構造全体の変容が方法論的に目指され、
日本で築かれてきた演劇的感受性に対して衝突しているのかどうか
――ということが、前衛であるのかないのかを分ける基準になるべきだ」
(「演劇を語る」)と語ったことがある。この定義に従えば、
既成の演劇の構造全てに衝突し続け、ついに完結しなかった寺山修司は、
最も前衛らしい前衛、永遠の前衛だったと言うことが出来る。
                扇田昭彦『日本の現代演劇』



寺山修司言葉
 

 


寺山修司 Shuji Terayama

1935年12月青森県生まれ。早大教育学部在学中より、歌人として活躍。1967年、演劇実験室「天井桟敷」主宰。映画・俳句・短歌・詩・小説・戯曲・作詞・評論など、あらゆるジャンルでその鬼才ぶりを発揮した。1983年敗血症により47歳で死去。現在、青森県三沢市・三沢市民の森に「寺山修司記念館」ができている。

 



私はあなたの病気です」

一人の少女の町への訪れが疫病の原因になった、ということは、一つの言葉が世界史の滅亡の原因になったということとどれほど違うでしょうか?一切の記憶は疫病でした。集団を組織してゆく想像力は(中略)百万人の市民の胸へと伝染してゆきます。その日、私は病院の地下室にころがっている数百人のビルマの疫病患者の死体をみました。でも、死体は数百あっても、死は一つでしかなかった。一つしかない死がくりかえされる。伝染とは、まさに反復の同義語だったのです。」

 

『疫病流行記』(思潮社『寺山修司の戯曲5』より)

 



愛されることには失敗したけど、愛することなら、うまくゆくかも知れない。そう、きっと素晴らしい泡になれるでしょう」

 

『人魚姫』(マガジンハウス『人魚姫・裸の王様』より)

 



「一揆をしずめ、貧富の差をならすための理想の政治に、江戸中が不満たらたらなのはなぜだと思う?ちっとも面白くねえからだよ。いくら、理想をふりかざしてみたところで、水野のしていることは、所詮は政り事。これは権力のご改革よ。あれをするな、これをするな、あれをしろ、これをしろ、と言われて喜ぶ江戸っ子なんてのは、一人だっていやしねえんだ」

莫迦な奴めが……一揆で権力を倒せると思っておるのか、権力は倒れはせぬ……ただ、交代するだけのことだ」

 

『無頼漢』(思潮社『寺山修司の戯曲4』より)

 


 

そのかわり私は、詩人になった。そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思った。詩人にとって、言葉は凶器になることも出来るからである。私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝めし前でなければならないな、と思った。

「シベールの日曜日」は、現代に生きるためには、無垢な心がどのような報復をうけねばならないかということを物語る残酷な映画であった。ガラス玉を星のかけらと思いこめる感受性は、その星のかけらの鋭い刃先でみずからの心を傷つける

 

角川文庫『ポケットに名言を』

 



四歳牝馬といえば、セーラー服の女学生といったところである。
間違いなく、全馬ともバージンである。
「そのバージンが全裸で走るんだからな」
とスシ屋の政が目を細める。
当たり前である。馬がブルマーをはいて走ったらどうなるというのだ。

 

JICC『競馬場で逢おうPART.6 日曜の朝の酒場で』

 



レーキン・ハーク・ホー・ジャーエンゲー・ハム・トゥム・キ・ハバル・ホーネ・タク
でも「私の心があなたにつうじるまえに、私は灰になってしまうかも知れません」

星を数えながら、私は思いました。「友だちが一人ふえるたびに、空にも星が一つずつふえたら、いいでしょうね」

 

『おはよう、インディア』(思潮社『寺山修司の戯曲3』より)

 



おいらの故郷は汽車の中 汽車で生まれた 
汽笛はひびく さびしげな 胸のこだまよ

どこへ行こうと人生は さよならだけさ

月夜の渚に ねころんで あなたのことだけ想ってる
星の数だけあなたが好きよ 星の数だけあなたが好きよ
一二三四五 六七八九十
あんまりあなたが好きなので 数えているうち夜があけた

 

『おいらの故郷は汽車の中』(角川春樹事務所『寺山修司の忘れ物』より)

 



2センチメートルの 鰐がいるから こわくて行けないの あなたのベッドルーム
あたしは 泣き虫の女の子です センチメンタルな おさかなです
2センチメートルの 鰐がいるから こわくて行けないの あなたの腕の中
あたしは 恋を知らない子です センチメンタルな おさかなです

 

映画『怪盗ジゴマ・音楽篇』

 



年をとったら、人形と一緒に暮らしたいと思います。
歌ったり、浴槽に入ったり、ホフマンの童話を読んだり、レスボスの果実をむさぼったり、ぼくの肩をもんでくれたりする、自動人形たち、沢山と。

パリのサンジェルマン。リュニヴェルシテ通りにある小さな人形屋の店先で考えました。
ぼくは人形となら、うまくやっていけそうだ。
だが、ぼくと暮らす人形たちは、セルロイドや蝋細工では困る。
キャロルの写真集に出てくるような、血のかよった人形がいいのだ、と。

 

『人形たちの夜』

 



一人デブコは 太平洋を呑んだ 二人デブコは 軍艦食べた 
三人デブコは タンゴが好きで 四人デブコは 股ずればかり
五人 六人 七人 デブコ 花も恥じらう 十六デブコ 
赤い鳥食べた 白い鳥食べた

「食べたいように食べて、飲みたいように飲んで、寝たい人と寝て。人生はお祭り、死ぬ日まで、どこかでおはやしがなっている。うらぎられても笑い、決してこばまず、愛することは、ふとること。さあさあ、大山デブコのおでましよ!」

 

『大山デブコの犯罪』(角川文庫『青森県のせむし男』より)

 



「猫は屍骸を燃やすと、とてもいいランプの燃料になるのです。それに、猫の目玉は一つでも役に立つ。あれは灯りです。世界中の電気が消えても、猫が一匹いれば不自由することはないのです。むかしの人たちは、猫の目玉の明るさだけで、百冊の書物を読んだのですよ

「小学生のときに、『少年倶楽部』二月号の『怪人二十面相』十七ページをよみかけのまま友だちに貸し、そのままなくしてしまいました。それから何年かたち、偶然に、古本屋で同じ号の『少年倶楽部』を見つけました。大喜びで十七ページをひらいて読みました。でも、それは前に読んだところとつながりませんでした。だれかが過去を書きかえたのです。父は戦争に行き、上海で死にました。わたしは、あの同じ二十面相の物語を返してほしいと思いました。歴史的な過去に向かうのは、死を理解するのに似ていました。葬式のたびに夜の闇を思いました。目かくしをすればだれでも王国にゆくことができました。すべては物語になりました。それは作りかえのきくものだけど、一つとして同じものはありませんでした。わたしはもっともっと先まで読みたいと思いました。怪人二十面相の十年後、百年後、千年後、歴史的な過去は数学的法則の中にしか見出されないでしょう。闇を、とわたしは思いました。よく見るために、もっと闇を!どこまでも闇を!もっと闇を!」

 

『盲人書簡・上海篇』(思潮社『寺山修司の戯曲6』)

 



「ご覧、たった一人の主人の不在が狂気を呼び覚ます、無の引力。世界はいくつもの中心を持つ楕円の卵。
神が決してその姿を見せないのは、あまりにも醜いその顔のせいだといいます。主人がいないのが不幸なのではなく、主人を必要とするのが不幸なのだと、蝋燭の煤で壁に落書きをした逃亡の下男は、今も被支配の円周を描き続けている。主なき記憶。政治の藁、灰。(中略)腐った死体がお面をつけている。ゆっくりと手を伸ばす。死体からお面を引き剥がす。なんて美しい私の死に顔!

女主人の葬式に だれがとどけた赤い靴 四人の女中がこっそりと じぶんの足にはいてみた
死んだ子供が笛を吹く お月様には痣がある 下男はわたしの馬になり 夜のみずうみ ひと沈み

一人さみしく 死ぬときは 電気の犬を 連れてゆく 青ざめた 青ざめた 
二人抱き合い 死ぬときは 時計仕掛けの 喉が鳴る いとおしの いとおしの
三人そろって 死ぬときは 酔いどれ箱が 空を研ぐ 棺桶や 棺桶や
四人ばらばら 死ぬときは 紫いろの 爪の花  流れ星 流れ星 流れ星 流れ星
ああ 暗い河を 流れてゆく 鏡が 流れてゆく
死んだ男が 三人 四人 死んだ女が 六人 七人 八人 九人 十人と 集まってきて 踊りだす

 

演劇『奴婢訓』

 



一番高い場所には何がある?嫉妬と軽蔑、無関心と停電の時代を目の下に見下ろして、はるかなる青空めざし!

どこへ行こう?どこへ行こう?どこへ行こう?どこへ行こう?

新宿、品川、池袋 目黒、大塚、五反田、蒲田 上野、日暮里、信濃町

渋谷、浅草、御徒町 代々木、原宿、秋葉原

どこへ行こう?どこへ行こう?どこへ行こう?どこへ行こう?

朝日の当たる町ならば、朝日の当たる町ならば、書を捨てよ、町へ行こう! 書を捨てよ、町へ行こう!

 

戯曲『書を捨てよ、町へ出よう』(思潮社『寺山修司の戯曲3』より)

 


  

「鬼太郎さん、もう、だめね、あたしたち」
「だめって、何が?」
「夫婦にはなれないわ……死人と生きてる人じゃ。(うつろに)あなたと……あたしの間には……川が流れている」
「川?どんな川が?」
「運命だったのよ、何もかも。(やや長い時間。ひくく山鳩の声)……それとも死んでくださる?鬼太郎さん!」
「死ぬ?おれが?」
「死人はもう生きられない……でも、生きてる人には、まだ死が残されている。それをあたしに下さい」
「(いささかたじろいで)ばかなことを言うな、歌留多。『物』になんかなってしまってどうする」
「じゃあ、愛は?」
「愛?」
「愛は、『物』ですか?愛は質屋に入れられますか……ほらほらお月さんがのぼった。あなたとあたしの間の川の水が、次第にひいてきた。鬼太郎さん!あたしには人の人生は盗めない……」

「思いつめちゃいけないよ、歌留多。時間が必要だ、時間が、」

「いいえ、あたしは待てない!」

 抱きついたと見えたときは刺したのだ。あっとよろめいた鬼太郎、二、三歩よろめいて、空を見つめながら……

「時間が必要なのだ、時間が、物事が思い出にかわるためには……」

「生が終わって死が始まるのではない。生が終われば死も終わる。生に包まれないなんてあるわけない。みんな聞いてくれ!これは一寸したたわむれ、お気に召すままの生と死の裏返し遊びなのだ。早まるな、早まるな、誰かが生きている振りをすればいい。それで何もかもがもとのようになるのだ」

 

『花札伝奇』(思潮社『寺山修司の戯曲4』より)

 


 

ふりむくな ふりむくな 男のうしろにあるのは いつも荒野ばかりだ

俺の捨てた栄光のベルトにむらがる 飢えた奴らの雄叫びに耳をふさごう

人生は終わりのないロードワーク 何一つ終わったわけじゃないのさ

さらば、友よ!

 

『戦士の休息』(三上寛CD『1979』より)

 


 

もし朝が来たら グリーングラスは霧の中で調教するつもりだった

今度こそテンポイントに代わって 日本一のサラブレッドになるために

 

もし朝が来たら 印刷工の少年はテンポイント活字で 闘志の二文字をひろうつもりだった

それをいつもポケットに入れて よわい自分のはげましにするために

 

もし朝が来たら カメラマンはきのう撮った写真を社へもってゆくつもりだった

テンポイントの 最後の元気な姿で紙面を飾るために

 

もし朝が来たら 老人は養老院を出て もう一度じぶんの仕事をさがしにゆくつもりだった

「苦しみは変わらない 変わるのは希望だけだ」という言葉のために

 

『さらば、テンポイント』(新書館『旅路の果て』より)

 


  

少年はくらくらと目まいするのをおぼえる。地ひびきをたてて、馬群が砂塵をまきあげながら、目の前を轟音が一過する。ロンググッドバイ、おまえは一体何者なのだ?おまえは一体どこから来て、どこへ行くのだ?

俺をどこへ連れて行こうとするのだ?少年にはもう何も聞こえない。大歓声の中でレースは一瞬の永遠となり、少年はゆっくりとスローモーションで過ぎてゆくサラブレッドの馬群の中から、行方不明になった自分をさがそうとする。ロンググッドバイ、長いお別れ。

レースはまだつづいている。だが、少年はもうそこにはいないのだ。

 

角川文庫『競馬への望郷』

 


  

涙を馬のたてがみに 心は遠い高原に 

酔うたびに口にする言葉はいつも同じだった 私は少年の日から何度この言葉を口にしただろう
涙を馬のたてがみに 心は遠い高原に

そして言葉はいつも同じだったが 馬の方は次第に変わっていった

今日の私はこの言葉をお前のために奉げよう モンタサンよ

 

角川文庫『馬敗れて草原あり』

 


 

かもめは飛びながら歌をおぼえ 人生は遊びながら年老いていく
遊びはもう一つの人生である そこにはめぐり逢いも別れもある

人は遊びの中であることを思い出し、あることを忘れ、そしてあることを捨てる

夢の中で失くしたものを、目がさめてからさがしたって見つかる訳はない

現実で失くしたものを、夢の中でさがしたって見つかる訳はない

人は誰でも二つの人生をもつことができる 遊びは、そのことを教えてくれるのです

 

『遊びについての断章』(新書館『馬敗れて草原あり』より)

 


 

ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない

ハイセイコーがいなくなっても すべてのレースが終わるわけじゃない

人生と言う名の競馬場には 

次のレースをまちかまえている百万頭の 名もないハイセイコーの群れが

朝焼けの中で 追い切りをしている地響きが聞こえてくる

 

思い切ることにしよう

ハイセイコーは ただ数枚の馬券にすぎなかった

ハイセイコーは ただ一レースの思い出にすぎなかった

ハイセイコーは ただ三年間の連続ドラマにすぎなかった

ハイセイコーは むなしかったある日々の 代償に過ぎなかったのだと

 

だが忘れようとしても 

目を閉じると あの日のレースが見えてくる

耳をふさぐと あの日の喝采の音が 聞こえてくるのだ

 

『さらばハイセイコー』(角川文庫『競馬への望郷』より)

 


 

汽笛は聞こえても、汽車は見えなかった。

どこまでもどこまでも荒野だった。

牧童たちはさみしいときは、汽笛の音を口で真似た。

そうすると、どこか遠くへ行けるような気がしたのだ。

「サラトガは勝った。サラトガは美しかった。わたしは父の人生観を、かすかに垣間見ることが出来たように思った。

レースはただの競争だ。だが、勝つことは思想なのだ。わたしはそう、じぶんに言いきかせた。

〈勝つことが思想ならば、わたしも、勝たねばならないのだ〉と」

 

『サラトガ、わが愛』(ハルキ文庫『勇者の故郷』より)

 


 

血があつい鉄道ならば 走りぬけてゆく汽車はいつかは心臓を通るだろう

同じ時代の誰かが 地を穿つさびしい響きを後にして

私はクリフォード・ブラウンの旅行案内の最後のページをめくる男だ

走ることは思想なのだ 

ロンジュモーの駅馬車からマラソンのランナーまであらゆる者は走りながら生まれ 走りながら死んだ

休息するのには駅が必要だ だが どこにも駅はなかった

 

『ロング・グッドバイ』(思潮社『寺山修司詩集』より)

 


  

    画面――暗黒のなかでだれかが語りかける。

――「ここは、どこ?」

    少女の声が答える。こころなしか、ふるえるように、

――「どこでもないわ、まだ」

――「きみは、だれ?」

――「だれでもないわ、まだ」

――「まだ?」

――「ええ、これからなるの」

――「だれに?」

――「たとえば……Oに」

 

『上海異人娼館』(『寺山修司の戯曲8』より)

 


 

ぼくは決めた。

あの空き地に住もう。

少年院を出たら、この町へ来るのだ。

来年の九月には仮退院できる。

そうしたら、もう一度、この町に来よう。

ぼくは名づける。

あの空き地は、ぼくの「九月の土地」だ、と。

 

『サード』(『寺山修司の戯曲8』より)

 


 

 私は、手紙を半ばで閉じた。耳をすますと、何かがきこえるようなのだ。
 蹄の音か?
 まさか。
 
たぶん、気のせいだろう。だが、幻のように、私の頭の中を一頭の逃げ馬の蹄の音がきこえてきた、と書いても、読者はたぶん許してくれるだろう。
 逃げつづける者の故郷は、この世の果てのどこまで行っても、存在しないものなのだから。

 かつて私は、「家出のすすめ」と書き「みんなを怒らせろ!」と書いた。だが、今、私はそれを思い出として語っている。ピンナップの中のジプシー・ローズは変わらないが、私はすっかり変わってしまったのだ。

「男はいつもガラクタを引きずって歩いている。だが、そのガラクタを捨てることはできない。眠っている間も、旅している間も、男は真実の行く先を知っている。行く先以外は、みんなまわり道なのだ」(ウィリアム・サローヤン)

思えば、何という徒労……。

60年代は、ガラクタばかり。そして、60年代とは、ガラクタのもっとも光り輝いていた時代でもあったのだ。

 

角川文庫『スポーツ版裏町人生』

 


 

じっとポピュラー・チェーンの物憂い調べを聴きながら、私はこの曲をフミ子に聴かしてやらなかったことを後悔した。人は、一生かかっても「自分だけのもの」を持つことなどできない。

 そのことがようやくわかりかけてきたのは、つい最近のことなのである。

 私は目をつむった。

 エアージン。エアージン。エアージン。

私は一体、何を待っているのだろう?

(いつまでたっても、思い出に変わってしまわないことが、あるというのに)

 私は肝硬変で死ぬだろう。そのことだけは、はっきりしている。だが、だからと言って墓は建てて欲しくない。私の墓は、私のことばであれば、充分。

 

『ジャズが聴こえる』(角川春樹事務所『墓場まで何マイル?』より)

 


  

「私が歌いたくなるのは、きっと誰かが歌いやめたから。それはたぶんマルなのです。世界はとても大きくて、終わりのないマルなのです。どこで切っても、すぐに繋がるマルなのです。だから、あたしが目暗だからって悲しむことはありません。あたしが閉じた目で、きっと誰かが、星を見ていてくれることでしょう!」

 

『引力の法則』(『寺山修司の戯曲7』より)

 


  

映画に主題歌があるように、人の一生にもそれぞれ主題歌があるのではないだろうか。そして、それを思い出して唄ってみるときに、人はいつでも原点に立ち戻り、人生のやり直しがきくようなカタルシスを味わうのではないだろうか。

 

光文社『日本童謡集』

 


 

半分愛して下さい。のこりの半分で、だまって海を見ていたいのです。半分愛して下さい。のこりの半分で、人生について考えてみたいのです。

 

『半分愛して』

 


 

思い出さないでほしいのです。思い出されるためには、忘れられなければならないのが、いやなのです。

 

マガジンハウス『思い出さないで』

 


 

わたしはただ、「質問」になりたいと思っていたのです。いつでも、なぜ?と問うことのできる質問、決して年老いることのない、そのみずみずしい問いかけに……。

 

『二十歳』

 


 

わたしのからだにとじこめられた ほんとのわたしは泣いている

 

『踊りたいけど踊れない』

 


 

月が出たなら おまえを殺す 真っ暗闇なら キスキス

 俺はおまえの 墓場だぜ さみしがり屋の 墓場だぜ

波止場にいるなら おまえを殺す 沖に出たなら キスキス

 俺はおまえの 墓場だぜ 鷗も知らない墓場だぜ

 

『殺し屋のたちのブルース』(映画『夕日に赤い俺の顔』より)

 


 

「ボクサーになるのは、生やさしいことじゃだめだ。おまえに人が憎めるか?」

「憎めます」

「ほんとに憎めるか!」

「憎める」

「言ってみろ、だれをだ!」

「親父を、おふくろを、兄弟を、八重垣島を、沖縄を、畜生!世の中全部だ!」

「どうして、試合を途中でやめちゃったんです?勝ってた試合だったというじゃないすか」

「ああ、勝ってたよ」

「それなら……」

「聞くな。何を言っても理屈になるだけだ。おれは突然やめたくなった、それだけだ」

「やめて何が残ったんです?」

「(笑う)何も。つづけてたって何も残らなかったさ」

 

映画『ボクサー』

 


 

「おれか?……おれ、もし明日死ぬんだったら……一人で死ぬのは絶対いやだな。そうだな……このワルサーを持って街の中へ出て、弾丸のありったけを撃ちつくす」

「みな殺し」

「そうさ、みな殺してしまうんだ。それから、おまえと二人だけで、ゆっくりゆっくり眠るように、日向ぼっこのように死にたい」

 

映画『拳銃よさらば!「みな殺しの歌」より』

 


  

スーパーマン ジョージ・リーブスよ おさらばの辺境をさまよう 亡国の英雄 スーパーマン ジョージ・リーブス 高く高く高く高く ぼくを吊り上げてくれ 投げ出してくれ さあ スーパーマン ジョージ・リーブス 赤いブーツは買った マントもそろえよう 飛ばさせてくれ 埋めてくれ 戦わせてくれ そしててまたこの時代の狂気に ガソリンをまき散らし 火を放つ力 100万人から思い出される力を 半分分けてくれ スーパーマン ジョージ・リーブスよ 弱いぼくに 非力なぼくに 地獄を 目潰しを そして 飛ぶ力を 頒けてくれ そしてスーパーマン ジョージ・リーブスよ

 記憶してくれ 名もないぼくの実存を

 

『スーパーマン』(演劇『東京零年』より)

 


 

おれは歴史なんか嫌いだ 思い出が好きだ

国なんか嫌いだ 人が好きだ

ミッキー・マントルは好きだ、ルロイ・ジョーンズは好きだ

ポパイは好きだ、アンディ・ウォーホールは好きだ、キム・ノヴァクは好きだ

だが、アメリカは嫌いだ!

これも時代なのだ 寒い地下鉄で吹いた口笛を思い出すか、ボクサーのボブ・フォスターよ

戦争に向かってマッチ一箱の破壊

解放された動物園の方から時代はやってくる 

時代はゆっくりとやってくる、時代は臆病者の象にまたがってゆっくりとやってくる

そうだ、時代は象にまたがって世界で一番遠い場所、皆殺しの川へとおもむくだろう

せめてその象にサーカスの芸当を教えてやりたい

滅んでゆく時代はサーカスの象にまたがって

せめて聞かせてくれ、悪夢ではないジンタの響きを

時代よ、サーカスの象にその芸当を教えよ

 

『孤独の叫び』(演劇『時代はサーカスの象に乗って』より)

 


 

公衆便所には窓が一つしかない どの窓も北を向いている
朝が来ると 男たち 壁に頭をうち 

男たち ウイスキー瓶に灰をつめる 男たち 喉を引き裂き 

男たち 空き缶蹴飛ばし 男たち テーブル投げつけ 

男たち シャツを毟り 男たち 抱き合い 

男たち コンクリートにのたうち 男たち 首吊り 

それでも 朝が来ると 朝が来ると

「君は海を見たことってある?ぼくねえ。今年の夏初めて見たんだけど海ってのはあれはやっぱり女なのだろうか?海はフランス語で女性名詞なんだけど。そうそう自由はどっちだと思う。ラ・リベルテ、女だ。女なんだな、自由ってのは……ぼくは自由に恋していたのだ!」

 

『血は立ったまま眠っている』(角川文庫『戯曲 毛皮のマリー』)

 


 

「助けてくれ?って声は日に二、三度くらいは、必ずどこからか聞こえてくるわ。でも、そのうちのどれを選んで助けてやるかを選ぶくらいの権利はあると思うの。それが自由というものなんだわ」

 ぼくはそのYの肌の温かみを手で確かめながら、「ぼくの助けてくれ、っていってる声聞こえてるかい?」

 と訊きました。

 Yは答えました。

「聞こえるから、今日もこうしてやってきたのよ。これが愛っていうものなんだわ」

 

角川文庫『書を捨てよ、町へ出よう』

 


 

「何してるんだよ?映画館の暗闇で、そうやって腰かけて待ってたって何にもはじまらないよ。スクリーンの中は空っぽなんだ。ここに集まっている人たちも、あんたたちと同じように待ちくたびれている。“何か面白いことはないか”」

「誰も俺の名前を知らない、貧しい工場街のやくざな裏通りの、洗濯干場の隅っこの、または失敗続きの人生の、養老院の壁に、入れなかった大学の教室の黒板に、公衆便所の壁に、街中のいたるところに、俺は書きなぐる、自分のアリバイ!さあ、覚えてくれよ、一度しか言わない。俺の名前は……俺の名前は……」

「町は開かれた書物である。書くべき余白が無限にある」

 

映画『書を捨てよ町へ出よう』

 


 

遠くへ行きたい。

どこでもいいから遠くへ行きたい。

遠くへいけるのは、天才だけだ。

 

『若き日の啄木』

 


 

昭和十年十二月十日に 僕は不完全な死体として生まれ 

何十年かかって 完全な死体となるのである

そのときが来たら ぼくは思い当たるだろう

青森県浦町字橋本の 小さな日当たりのいい家の庭で

外に向かって育ちすぎた桜の木が 内部から成長をはじめるときが来たことを

子供の頃、ぼくは 汽車の口真似が上手かった

ぼくは 世界の涯てが 自分自身の夢の中にしかないことを 知っていたのだ

 

『懐かしの我が家』(角川春樹事務所『墓場まで何マイル?』より)

 


 

「あれはあわれな男!永遠に他人になれない男!いつまでも、いつまでも、お墓を背中からおろすことのできないせむしの男。ふるさとびとのおばけですよ」

 

角川文庫『青森県のせむし男』

 


 

「汚い!汚い!化けそこなったキツネなんか」

「止めて、止めてったら……愛してるのよ。あなたが、あなたが、欲しいの!」

「何も言うな何もかも見たくないんだ……愛してほしくなんかないんだ」

 

 

角川文庫『戯曲 毛皮のマリー』

 


 

「花嫁の喉をきったのが犬のシロだったのか、それとも月雄だったのか、あるいは幸福という名の怪物だったのかについて――またそれがどうして起こったことで、彼らはどこへ行ってしまったのかについて語るのは止めましょう。幸福について語るのは何時だって、つらいことですから」

 

『犬神』(角川文庫『戯曲 青森県のせむし男』より)

 


 

「酔っぱらって歌うのはお芝居……酔っぱらって歌うのなら誰にでもできる。でも醒めて歌うのは?醒めて歌うことは、できますか?」

 

『星の王子さま』(角川文庫『戯曲 毛皮のマリー』より)

 


 

夜ごとグラナーダで 夜ごと子供が一人死ぬ 夜ごと水が坐りこむ その友だちと語るため

死んだ子供のガセーラ 月が泣きながら言っている わたしはオレンジになりたいと

 

お月さま それは出来ない相談です どんなに顔を赤らめたって 残念ながら できませぬ!

「(うわ言のように)本気だったんです、あたしたち。愛してたんです」

「そう……そんなら、それでいいじゃないの」

「でも、今のお話を聞いているうちに……ほんとだったんでしょうか?あたしの気持ち!」

「(笑う)わかんないわ、あんたの気持ちなんて。自分の気持ちだってわかんない……ときどき、自分で自分に話し掛けてみるけど、そんな時は大抵……留守ね、私がいないの。さっき、コードのない電話で、話してるときは、私がいた……そう、相手がいないのに、私はちゃんといた……一人だって気なんかぜんぜんしなかった……あのとき、あたしはあなたになっていた。でも、あたしがあなたになってるときのあなたは一体、誰だったのかしら?あなたの影?それとも、あたし?……さ、いらっしゃいよ……一緒にお食事しましょうよ……そしてまたはじめっから推理してみましょう。『あたしは誰でしょう』……これが一番、面白いミステリーだわ、お互いに」

 

『伯爵令嬢小鷹狩菊子の七つの大罪』(思潮社『寺山修司の戯曲4』より)

 


 

「まわれ、まわれ、回転木馬、赤いランプは電気の悪魔。夜中の公園には必ず犯罪者が隠れているんだ。放蕩、忘却、すこまし。詐欺に、盗みに、親不孝。後悔は一掴みの灰。落ちて、落ちて、限りなく落ちていけば、底は底抜けの天国だ。暗い天国、火事ひとつ。自分の阿呆をつくづくと、照らしてみるにゃ火が一番。十五のときから俺は寂しい火付け男になった。そうさ、俺は放火魔さ。愛しい人形に火をつける!(哄笑)」

 

CD『阿呆船』

 


 

間引かれしゆゑ一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子

暗闇のわれに家系を問ふなかれ漬物樽の中の亡霊

いまだ首吊らざりし縄たばねられ背後の壁に古びつつあり

売られゆく夜の冬田に一人来て埋めゆく母の真っ赤な櫛を

 

歌集『田園に死す』

 


 

ふいに、〈バリカン〉は子供の頃のお祭りを思い出した。おみこしがだんだん遠ざかってゆく。おみこしと一緒に群衆も遠ざかってゆく。俺だけは取り残されているのに、誰もそのことに気がつかない……みんな後ろ向きだ……みんな去ってゆく。親父さん、俺はここにいますよ。親父さん、俺はいま、ここにちゃんといる……だから誰もどこへも行かないでくれ。誰もどこへも行かないで下さい。俺はとうとう「憎む」ということが出来なかった一人のボクサーです。俺は、まだ醒めている。俺はちゃんと数をかぞえることもできる。俺はみんなが好きだ。俺は「愛するために愛されたい」五十四発……五十五発……五十六発……五十七発……見ていてくれ……俺はまだ、ちゃんと立っている……五十八発……五十九発……六十発…六十一発…(中略)…七十五発……七十六発……七十七発……七十八発……遠い……目の前が一望の……荒野だ……七十九発……八十発……

 

河出文庫『あゝ、荒野』

 


 

「急がなくちゃいけない、ぼくの体はらい病に蝕まれている。ぼくは死ぬ前にせめて一度だけでも、生みの母親の顔を見ておきたいと思って、その消息を知っているという看護婦を探し当てたのですが、看護婦は去年の大つごもりに三つになる子を連れて、稼ぎ先を家出した後でした。せめて顔だけでもと思って、頼んで写真を見せてもらったらば、なんと、私の生みの母には顔がなかったのです」

 

CD『身毒丸』

 


 

「誰もいなくなってしまった……何でも望みを叶えてくれる御焼場の煙突のけむりも止まってしまった……お日様が照っているのに、地上は暗い……人間は、中途半端な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるんだ。あ、黄色い花だわ!(中略)神様とんぼは嘘つきだ。両目閉じれば、みな消える……隣の町なんて何処にもない……百年たてばその意味がわかる!百年たったら、帰っておいで!」

 

映画『さらば箱船』

 


 

「どこからでもやり直しはきくだろう。母だけでなく私でさえ、私自身が作り出した一片の物語の主人公にすぎないのだから。そしてこれは、たかが映画なのだから。だが、たかが映画の中でさえ、たった一人の母も殺せない私自身とは、いったい誰なのだ。生年月日、昭和四十九年十二月十日、本籍地、東京都新宿区新宿字恐山!!」

 

映画『田園に死す』

 


 

「化けたい、消えたい、変わりたい。俺は今まで黒子に操られていた山太郎だ。だけど、俺を操っていた黒子ってのは、栗原だったのか?だとすれば、その黒子を操っていたのは誰なんだ?」

「それは、言葉よ」

「じゃあ、その言葉を操っていたのは一体誰なんだ?」

「それは、作者よ。そして、作者を操っていたのは、夕暮れの憂鬱だの、遠い国の戦争だの、一服の煙草の煙よ。そして、その夕暮れの憂鬱だの、遠い国の戦争だの、一服の煙草の煙だのを操っていたのは、時の流れ。時の流れを操っていたのは、糸巻き、歴史。いいえ、操っていたものの一番後にあるものを見ることなんか誰にも出来はしない。

たとえ、一言でも台詞を言った時から、逃れることの出来ない芝居地獄。

終わる事なんかない。どんな芝居でも終わる事なんかない。ただ、出し物が変わるだけ。

さあ、みんな役割を変えましょう。衣装を脱いで出て来て頂戴!

さあ、もう一度劇と劇との変わり目の地獄を見せてやって頂戴!母捨ての芝居の後には、子捨ての芝居、芝居の革命の後には、革命の芝居、嘘の後にあるのは、ほんとではなくて、また別の嘘。という言い方も、また別の嘘の積み重ね。それが劇。それが人生」

 

CD『邪宗門』

 



「”世界の涯てとは、てめえ自身の夢のことだ”と気づいたら、思い出してくれ。俺は、出口。俺はあんたの事実。そして俺は、あんたの最後の後姿、だってことを。
”突然、宇宙の爆発がやむ。銀河が何万光年の逃亡をやめる。そして新たに凝固しはじめる、という想像”の方が一夜の夢に頼るより、ずっと簡単なんだ。騙されるな。俺はあんた自身だ。百万人のあんた全部だった。出口は無数にあったが……入り口がもうなくなってしまったんだ」

 

『レミング―世界の涯てへ連れてって―』(思潮社『寺山修司の戯曲5』より)

 


 

みんなが行ってしまったら わたしは一人で 手紙を書こう

みんなが行ってしまったら この世で最後の 煙草を喫おう

 

みんなが行ってしまったら 酔ったふりして ちょっぴり泣こう

みんなが行ってしまったら せめて朝から 晴れ着を着よう

「壁がない俺には、ここから出て行くことも、ここに残ることも結局は同じことだ。(客に向かって)だけどあんた方は違うんだよな。壁なしじゃやっていけないあんた方は、ここから出たつもりでも、結局は又、別の壁の中へ入っていくだけのことだ。こわがっちゃいけないよ。期待してんでしょ?まさかこのまま芝居が終わるなんて思っちゃいないよね。天井桟敷の十八番!劇場のドア全部に板貼って釘打ちつけて、あんた方の大好きな密室を作ってあげようじゃないか。期待してんでしょ?完全暗転の完全密室ってやつをさ。

(全てのドアが、外から釘打ちされる音が聞こえてくる)

オヤオヤ、はじまったよ。本当にはじめちゃったよ。ドアに全部釘打って、あんた方の大好きな密室の完成だよ。壁なんてあんた方の心の中だよ。出口がないなんてこわがっちゃいけないよ。壁なんてのはあんた方の心の中にあるんだよ。

出口なんてね、出口なんてな、結局最初っからあんた方にはなかったんだよ!」

 

演劇『レミング―壁抜け男―』

 


 

 

 

 

 

 

 

 

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