演劇レポート集 其の3
演劇実験室天井桟敷とシベリア少女鉄道
〜土屋亮一は21世紀の寺山修司になりうるか?〜


 

 2005年1月某日、下北沢駅前劇場の入口へと続く階段には、長い長い入場待ちの列が出来ていた。やがて時間になり、客席への案内が始まる。ドアをくぐるとそこには、いつもとは違う景色が広がっていた。後方・左右の壁際に小さな簡易舞台が設置され、正面の舞台と合わせて計四つの舞台が、客席を取り囲むようにしていたのだ。

「百年の孤独だ……」

 私は思わず声に出してつぶやいていた。

 

時代はなぜ寺山修司を求めるのか――それは折に触れ、演劇の現場で囁かれる言葉である。それは寺山の死と演劇実験室天井桟敷の解散ともに、前衛的な実験性が現代演劇から失われたからに他ならない。

万有引力を率いるJ.A.シーザーや、月蝕歌劇団を率いる高取英など、寺山修司の弟子で現在も活動を続けている者はいるし、演劇集団池の下など寺山作品を上演している劇団は多い。2005年も生誕70年ということで、多くの作品が上演される。その中には高い完成度を持った作品もあるが、あくまで寺山の戯曲をテキストとして読み解き、そこに描かれた世界を舞台上で再現しているにすぎない。だがそれは、本来寺山が「台本の奴隷」と呼んで最も嫌ったことでもあったはずだ。寺山の言葉ではなく、その先鋭的な前衛的・実験的精神を引き継いだ劇団というのはこの21世紀には存在しないのだろうか。

いや、存在する。天井桟敷と同等の、いや、それ以上の実験的な作品を作り続けている劇団がたしかに存在しているのだ。その劇団の名前はシベリア少女鉄道という。

 

シベリア少女鉄道の全ての作品は、主宰者の土屋亮一の作・演出によるものだ。天井桟敷が持っていたアングラ的などろどろした暗さや世間への挑発的なメッセージに溢れた世界と、シベリア少女鉄道の持つ、「デートスポットになるような舞台を目指す」という若者っぽいポップな雰囲気は、一見正反対のように見える。だが、殊にその実験性においては、かなり共通点が多いように思える。

こんなことを考え出したのは、シベリア少女鉄道が劇団の結成にあたって、演劇経験のない素人ばかりを集めたということを知ったからだ。2004年1月に告知された役者オーディションの募集資格においても、「シベリア少女鉄道の公演を観たことある人、あるいは観たことも無く役者した経験もない人。(学校行事とかならセーフ。応相談)」(HPより抜粋)となっている。

これは寺山修司が率いた演劇実験室天井桟敷が、その作風を変えつつも、一貫して俳優経験のない素人を好んで舞台に出演させたのに似ている。それは寺山が、台本に書いてあることを俳優が演じることによって「再現」するという旧来からの演劇のシステムを、破壊しようとしたからだ。何かの「再現」ではなく、それ自体で一つの世界を目指す……それが寺山修司が演劇に求めたものだった。

たとえば、「見世物の復権」をスローガンにかかげた天井時期結成当初は、「演技ができる人」よりも「存在自体が演劇であるような人」が集まるのが理想だとした。小人・大男・せむし男・空気女といった異形の者たちが舞台上に見本市のように立ち並んでいれば、台本はどうでもよかったのだと言っている。そこでは俳優は、台本に書かれた作者の世界を舞台上に再現するための主役などではなく、ある一つの異世界を作り上げるための部品にすぎないのであり、小道具・舞台装置・音楽・背景・美術などと同列の存在なのだ。同じことがシベリア少女鉄道の作品にも言える。

 

シベリア少女鉄道の旗揚げ公演は、2000年6月に上演された「笑ってもいい、と思う。」という作品である。(2003年4月再演。)3時間近くあるこの作品では、前半部分で主人公である女子高生の日常と、彼女が事故で失明するまでが、青春ドラマとして描かれる。そして後半、この失明した少女を取り巻く世界が、セリフだけ聴けば前半どおりの青春ドラマなのに、舞台上で可視できるものは、なぜかバラエティ番組「笑って!いいとも」の収録風景になってしまっているというものだ。

寺山修司ファンである私は、この公演を観てすぐに演劇実験室天井桟敷のある作品を思い出した。1973年から1974年にかけて上演された、実験劇『盲人書簡』である。演劇実験室万有引力によって、2002年9月に法政大学学生会館ホールで再演されたのを観た方もいるかもしれない。1920年代の上海を舞台に、事故によって失明した小林少年と、彼を取り巻く現実とも虚構ともつかない幻想の世界の様子が描かれていく。この作品中では、しばしば完全暗転によって、舞台と客席は完全な闇に閉ざされる。だが闇の中でも芝居は続けられ、観客には声と音だけが聞こえてくる。どんな芝居が行われているかを目で見ることはできず、見えないものに対して想像力を働かせるしかない。そして同じモノを聞いても、どんな想像するかは、観客一人一人によって全く違うはずだ。そしてそれこそが、寺山修司がこの作品で狙ったことである。観客は闇によって舞台が「見えなく」なるのではなく、一人一人が想像力によって、自分の想像力の中にしかない、自分だけの舞台を「見る」ことになるのだ。さらにこの物語の主人公である盲人の小林少年の立場に立つなら、完全暗転の闇こそ真実の世界で、照明に照らされて可視できる舞台上の世界こそ、小林少年の想像力が生み出した幻の世界なのだ、と考えることも出来る。

寺山が狙った、闇の中で観客が想像力によって作り上げる幻の物語。その想像力が行き着いた一つの可能性が、シベリア少女鉄道の『笑ってもいい、と思う。』だと言えるだろう。それも“舞台の足りない部分を補完する”といった寺山の単純な思惑さえも超えて、土屋亮一の想像力は、発せられるセリフ(台本)とは全く違う世界を作り上げてしまったのだ。あくまで青春ドラマとして続けられる役者の言葉と、『笑って!いいとも』の各コーナーとして演じられる舞台上の様子、聴覚と視覚のギャップに観客は爆笑した。

 

 

つづく第2回公演『もすこしだけこうしてたいの』(2000年12月)は、ある若者のバンドが、仲間同士の軋轢から崩壊していくさまを、まず苦い青春ドラマとして上演した後で、「時間の都合上カットされた未公開シーンを加えたディレクターズカット版」を上演するというものだった。そして加えられた未公開シーンが、宇宙人にさらわれたり、通行人Aの恋物語を追ったりといった本筋と全く無関係のもので、その関係性のなさ自体が笑えるというものだ。

似たようなテーマを扱った天井桟敷の作品に、「密室劇」・「市街劇」といった系列の実験劇がある。密室劇「阿片戦争」(1972年)という作品では、壁や幕によって分断された舞台上を、劇を求めて観客はさまよい歩くことになる。観客は他の観客と分断されてしまったり、ある一室に閉じ込められてしまったりして、常に劇の一部しか知ることは出来ない。同様に市街劇「ノック」(1975年)という作品では、劇は東京の杉並区一帯の町中で同時多発的に行われる。観客は一枚の地図を元に劇を求めて町をさまようのだが、やはり劇の全貌を完全に把握することは出来ない。観客が作品のどの断片に触れられるかによって、そこから受け取る物語も全く違ってくることだろう。作品の全てを観たいと考える観客に対して、寺山はこう述べている。「我々は常に作品の一部にしか触れることは出来ない。我々が世界に対してそうであるように」と。

当たり前のことだが、演劇にしろ、映画や小説にしろ作品を作るということは、編集作業を行うということだ。本当は読まれなかったセリフや、カットされたフィルム、消された一ページなどにこそ大切なことが描かれていたのだとしても、観客はそれを知ることは出来ない。舞台上で物語られるものだけが、観客にとっての世界のすべてだ。そして劇場外に広がる本当の世界に目を向けても、それは同じである。独裁国家・戦時国家などでは常に情報は制限され、国民が触れることのできるものは世界のほんの断片に過ぎない。

おそらく土屋亮一がここまでの演劇的理念を持って作品に取り組んでいるわけではないのだろうが、『もすこしだけこうしてたいの』が世界の一部と全体を扱った刺激的な作品であるのは確かだ。そしてディレクターズカット版は最後、本編のストーリーを無視して、未公開シーンの中でラストを迎えてしまう。作品は世界の「“本編で描かれた世界の一部”の周囲の部分」を描く中で、「世界の別の一部」へと着地してしまったのだ。

 

第3回公演『今、僕たちに出来る事。あと、出来ない事。』(2001年5月)もまた、「世界の全体と一部」を扱った作品であるといえる。ストーリーは、タイムマシンで過去の世界に行って歴史を変えようとするという、タイムパラドックスを扱ったSFものだ。ここでは、妥協することに悩む人々が実際に舞台上で妥協していく様が描かれる。たとえば、タイムワープのためにブラックホールを表現する小道具がないので黒いゴミ袋で代用したり、未来の自分とか野の自分が対面するシーンを表現するのに、役者をプラモデル(1/60スケールのザク)やアイドルの等身大ポップで代用したりという風に、だ。予算のない劇団が妥協して不完全な舞台を作ることはよくあるが、その妥協するさまそのものを笑いに転化しようといういうのだ。

先に触れた『盲人書簡』ともかぶってくる話になるが、寺山修司は「舞台なんてモノは不完全でいいんだ。その不完全な残りの部分は、観客が想像力によって補完するのだ」と語っている。

 

そしてシベリア少女鉄道の一つの到達点となったのが、第5回公演『耳をすませば』(2002年3月)である。この作品はサブカルチャー誌「クイック・ジャパン」で紹介されたり、インターネット演劇大賞で大賞を受賞したりと、各方面で注目された。

この作品ではまず、互いに繋がりのない3つの物語が順に上演される。1幕目は同棲するカップルの所に男が割り込んできて、横恋慕しようとするの話。2幕目は夜中にこっそりアダルトビデオを見ているところを妹に見つかった兄が、何とか誤魔化そうとする話。3幕目は、オカルトな妄想癖のある女に振り回されるその友人の話。と、ここまでは少し面白いくらいの、若者の日常を描いた普通の芝居だ。だが、4幕目にそれは一変する。それまでの3幕に登場した人物たちが次々に舞台に現れ、3つの物語が同時に舞台で演じられ始める。やがて突然、舞台後方のスクリーンにあるアニメが映写され始める。それは名作アニメ『アルプスの少女ハイジ』のクララが立ち上がる回である。そして個別に演じられたときは全く別の物語であったはず3つの物語が、舞台上で同時進行演じられるとき、その絡み合った台詞が「ハイジ」の台詞のアフレコになっているのである。(図@)兄が妹の名を呼ぶ『芽衣!芽衣!』という台詞が羊の鳴き声になっていたり、

寺山修司の映像作品に『青少年のための映画入門』(1974年)というのがある。あるショート・フィルム・フェスティバルの『上映時間3分間の作品』という規定を逆手にとって、3分間の3つの異なる映像を3面スクリーンで同時に上映する作品として作られたものだ。本来はそれ自体で完結したものであるはずの1本1本のフィルムは作品の一部にすぎず、3本が同時に上映されることで、初めて『青少年のための映画入門』という作品が出来上がる。(図A)

この演劇版が『耳をすませば』であると言えよう。4幕目において、演じられる1・2・3幕は作品の部品でしかない。そこで描かれたはずの物語も完全にその意味を失ってしまい、もはや俳優がどんなに一生懸命に役柄を演じようと、ハイジのアフレコという仕掛けの一部でしかない。

 

ドイツの演劇人ブレヒトの演劇論に、「異化」という言葉がある。観客が俳優の演じる物語に感情移入して酔いしれる「同化」に対して、酔いしれようとする観客の心を拒否し、ニヒリスティックに突き放してしまうのだ。作品に自己を同一化させてしまうのではなく、作品を距離を置いた場所から批判的に見せることで、観客は世界が単一なものではなく、複雑で多様なものであることを知る。複雑な世界を単純化せずに、複雑なまま描く、あるいはその複雑さをこそ描く。これは寺山修司、そしてシベリア少女鉄道の作品にも共通して見られる姿勢だ。

 

さて、冒頭の2004年1月に話を戻そう。下北沢駅前劇場初進出となった第9回公演「ウォッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」では、ゲームセンターの「DDR(ダンス・ダンス・レヴォリューション)」というアーケードゲームさながら、観客は踊らされる羽目になる。客席を囲む4つの舞台上にはそれぞれモニターがあり、そこに矢印が表示される。「DDR」はスクリーンに表示された矢印の方向にステップを踏んで、うまく踊れるかを競うゲームであるが、それと同様に、この作品では、スクリーンに表示された矢印の方向の舞台にのみスポットライトが当てられて物語が演じられ、その間、他の3つの舞台は暗転する。スクリーンの表示が変わるに合わせて、物語が演じられる舞台も次々に切り替わる。観客はステップを踏むがごとく、首を前後左右に回して、物語を追わねばならない。(図B→図C→図D→図E)

演劇実験室天井桟敷の最後の新作となった『百年の孤独』(1981年)という作品がある。晴海の国際展示場の巨大な空間を使って上演された作品で、舞台は全部で5つに区切られている。中央舞台があって、その四方に四つの舞台が作られている。物語は4つの舞台で同時に上演される上、中央舞台には巨大な塔がそびえ立って視界をふさぐので、観客は対角線上のステージは見ることができない。(図F)その不満に対して寺山は「どうして動き回って見ないんだ!」と答えたという。まさにこの言葉を実践させて見せたのが、「ウォッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」だと言えるだろう。もし観客が大人しく首を動かず、正面の舞台だけを見続けていたら、物語の一部しかわからなかったはずだ。当日パンフに「頑張って楽しんでいってください」という土屋亮一のコメントがあったが、まさに観客が能動的に頑張らなければ観通せない作品だ。

さらにもう一つ思い出した天井桟敷の作品がある。「時代はサーカスの象にのって」(1969年)という作品で、この中に「話させてくれもっと」というコーナーがある。ここでは「アメリカフットボールのルールによる幸福論の試み」と称して、舞台上で俳優たちがフットボールをパスし合い、俳優は自分がボールを所持している間だけ、台詞を喋ることができる。制限時間は1分間で、それ以内に台詞を言い終え、別の人間にパスしなければならない。ボールはときに客席にパスされ、受け取った観客は1分間何かを喋らなければならない。

 ふと思う。「ウォッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」では、スポットライトは4つの舞台を縦横無尽に照らして無事幕を降ろしたが、もしスポットライトが客席を照らしていたらどうだったろうか。その瞬間、観客席は5つ目の舞台になったはずだ。照らし出された観客は何かを語っただろうか?演じただろうか?


演劇評論家の扇田昭彦は著書『日本の現代演劇』でこんなことを言っている。

「かつて鈴木忠志は、対談で「劇場構造全体の変容が方法論的に目指され、日本で築かれてきた演劇的感受性に対して衝突しているのかどうか――ということが、前衛であるのかないのかを分ける基準になるべきだ」(「演劇を語る」)と語ったことがある。この定義に従えば、既成の演劇の構造全てに衝突し続け、ついに完結しなかった寺山修司は、最も前衛らしい前衛、永遠の前衛だったと言うことが出来る」

この評価は土屋亮一にも同じように当てはまるだろう。現在もシベリア少女鉄道は驚くべきペースで実験的な舞台を作り続け、5月にはとうとう紀ノ国屋サザンシアターへと進出する。これから先も、一体どんな冒険を見せてくれるのか。その行方を興味を持って見守りたいと思う。

 

(2005年4月27日・加筆修正)

 

 

 

 

 

 

 

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