ポケットに名言を 私家版
文学の中の言葉
「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしてるとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっからか、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ」
J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』
世間は狭いというけれども、再び会うことがなければ、そのひとたちは死んでいるのである。もし出会った場所へ戻って、ひとりひとりを捜し、見つけ出したとしても、彼らは死んでいるであろう。なぜなら、誰がどの道を行こうと、それはひとを殺す道なのである。
ウィリアム・サローヤン『ディア・ベイビー』
苦しみは変わらない、変わるのは希望だけだ。
アンドレ・マルロー『侮蔑の時代』
明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。
マタイによる福音書 6:34
不安に駆られるよこしまな人々は、あなたから逃げ去るがよい。あなたは彼らを見て、その影を見分けたもう。見たまえ、全体は彼らがいても美しいのに、彼ら自身は醜い。
*
黒い色もふさわしい場所にあれば絵を引き立たせるのと同じように、罪人はたしかにそれ自体として見れば醜く嫌悪すべきものでありながら、それを置いた宇宙全体は、見ることのできる人の目には美しい。
『アウグスティヌス・ボエティウス』
野生動物が初めてあらわれたのは、人間が動物たちを野生にしたときである。
*
私は(いわゆる)「下等動物」の特性および気質を研究し、人間の特性および気質と比較した。結果は私にとって屈辱的である。なぜならば、人間は下等動物から上昇したものであるというダーウィンへの忠誠を放棄しなければならなくなったからである。明らかに、この理論はもっと真実な新理論のために席をゆずるべきであるようだ。そのもっと真実な新理論は、高等動物からの人間の下降と名づけられる。
『マーク・トウェイン動物園』
どこでもいい、なにもない空間――それを指して、わたしは裸の舞台と呼ぼう。ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、もうひとりの人間がそれを見つめる――演劇行為が成り立つためには、これだけで足りるはずだ。
ピーター・ブルック『何もない空間』
「私は心からクリスマスをお祝いもし、その気持ちを一年中持ち続けます。これから、過去、現在、未来に心を配って暮らします。この三代の幽霊さんたちも、私の心の中で、励ましてくださるでしょう。皆さんのお教えくださった教訓を、決して忘れたり致しません。ああ、この墓石の上の文字は、消すことができるのだとおっしゃってください!」
ディケンズ『クリスマス・キャロル』
ぼくがうんざりした様子を見ると、彼女は優しく声をかけた。「ここへいらっしゃい、あなた」彼女はぼくの残り少ない毛髪に指を通して梳くようにしながら、そっとキスした。「あなたは一人でたくさんよ。二人もあなたがいたんでは、あたしには愛しきれないわ。ひとつだけ、お答えして――あなた、あたしが大人になるのを待っているあいだ、楽しかった?」
「楽しかったとも、リッキィ!」
ロバート・A・ハインライン『夏への扉』
ブラッドがびっこをひいているので、道はなかなかはかどらなかった。頭の中でなりひびく声がやむまでには、長い時間がかかった。彼女の声は、何回も何回もおなじ質問をくりかえしていた。愛って何か知ってる?
ああ、知ってるとも。
少年は犬を愛するものさ。
ハーラン・エリスン『少年と犬』
「わたしが大きくなるまで、あなたが待ってくれますようにと願うの。でも、きっとだめね」
*
「ただひとつの愛しかないのよ……何ものもそれを変えることはできないわ。何が起っても、わたしたち変わらないわ。だって、わたしたちはもう決して離れないんですもの。どこに行っても……」
ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』
「主人はわたくしたちに悲しい思いをさせたくないと申しました。いつかは、そういうことが起きるだろうが、泣いてもらいたくないと申しました。つまり、わたくしたちに泣くということを教えてくれなかったのですわ。教えたくないと申しましてね。孤独で、悲しくて、泣くということは、人間の身に起り得る最悪のことなのだと主人は申しておりましたわ。ですから、わたくしたちは涙も悲しみも知りません」
レイ・ブラッドベリ『火星年代記』
神よ、願わくば私に、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とを授けたまえ。
カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』
彼らは弱いテレパシー能力を持っている。彼らが送信し受信できるメッセージは、水星の歌に近いほど単調だ。彼らはおそらく二つのメッセージしか持っていない。最初のメッセージは第二のそれに対する自動的応答で、第二のそれは最初のそれに対する自動的応答である。
最初のそれは、「ボクハココニイル、ココニイル、ココニイル」
第二のそれは、「キミガソコニイテヨカッタ、ヨカッタ、ヨカッタ」
*
「おれたち――おれたちはほんとに天国へ行くのかね?」とコンスタントはいった。「おれが――このおれが天国へ行けるのか?」
「おれにそのわけを聞くんじゃないぜ、相棒」とストーニイはいった。「だがな、天にいるだれかさんはおまえが気にいってるんだよ」
カート・ヴォネガット・ジュニア『タイタンの妖女』
《小鳥さんよ、外皮が堅すぎるから、われわれをたてとして残しておかないか?》
《それはもうできません。わたしは世界とつながることにしましたから》
《世界は無法で、無茶だ……》
《それでもかまいません》
《子供のときのことを思い出してごらん。ヒトラーと原子爆弾を》
《そういうものがあっても、です》
《壁のように無表情は顔、健康診断書、手に手をとって歩く人びとのあとを物欲しそうについていく……》
《かまいません、何があっても、です》
《お前が呼ぶまで待ってあげよう》
《いいえ、もう呼ぶことはありません、私は世界とつながることに決めたのです。全身の重みを持って》
ハナ・グリーン『デボラの世界』
夫 アルバートに
左の手のひらで心臓部をおおい
右の手のひらをその上に重ねる
(手話“愛をこめて”)
ハナ・グリーン『手のことば』
「人が自然を制御しようと決める。その瞬間から人は、どうしようもないトラブルに巻き込まれる。なぜならそれは不可能だからだ。人は船は作れるが海は作れない。人は飛行機は作れるが空は作れない。人の力とは、人が信じる夢と比べれば取るに足らぬものなのだ」
マイクル・クライトン『ジュラシック・パーク』
「これは本当に起こったこと?」と訊ねると、父親は眼鏡の奥の目を細め、
「そうだよ、いつかお前のうえにもストーリーは降ってくる」と言って、少女の父親は少女の額を撫でた。
「雪のように?」
「そう、あるいは桜のように、雨のように、散りゆき、やがて再生する葉のように、世界は文学で出来ているんだ」
白倉由美『ロリータの温度』
問題を解くことに没頭するあまり、人々は自ら問いかけることを忘れがちである。特に、素直な子供ほどこうなる可能性があるだろう。問題を与えられ、それを正しく解くことだけに満足し、「正解だ」「一番だ」と誉められて喜びを感じてしまうケースも多い。ゲームなど多くがその典型ともいえる。それが間違っているという意味ではない。その問題を作ったのは誰なのか、その問題を自分たちに提示している仕組みは何か、という客観を持つことが重要なのであって、そこに一段高い視点が存在する。つまり、問題を解くまえに、その問題は何故生まれたのか、それを解くことの意味はなんなのか、問題自体が間違っている可能性はないのか、という問いかけが大切なのだ。
*
人は、どう答えるかではなく、何を問うかで評価される。
森博嗣『臨機応答・変問自在』
「もう二度と会えない人、もう二度と立ち寄らない場所、もう二度と触れないもの、もう二度と聴けない音楽」彼女は窓の方を眺めて目を細めた。「人生は、常にそんな別れの連続ですね。幼い頃は、別れの意味がわからなかったし、未来の予測ができないわけですから、悲しくもない。逆に歳を重ねれば、人は別れに慣れ、また、自分の老いさきが短いという覚悟もできて、不思議に平常のものとなります。ですから、その途中の世代だけが、別れを悲しむのです」
「できれば、また来ます。お会いできれば、と思います。もし、お許しがいただければ、ですけど」
「ありがとう。言葉は、言葉だけなのに、でも、結局、言葉が嬉しいわ」デボウ・スホは微笑んだ。「許すのは私ではありません。あなたを許すことができるのは、あなただけです。ミチル、自分に問いなさい。何故、マノ・キョーヤを撃ちましたか?」
森博嗣『女王の百年密室』
私は、彼の口を塞ぐ。
彼のシャツが邪魔で、
私のシャツも邪魔だった。
彼の髪も、
私の髪も、
すべて邪魔だった。
だから……、
目を瞑り、
私は、彼の一部になった。
森博嗣『そして二人だけになった』
僕はまだ子供で、ときどき、右手が人を殺す。
その代わり、誰かの右手が、僕を殺してくれるだろう。
それまでの間、何とか退屈しないように、僕は生き続けるんだ。
子供のまま。
森博嗣『スカイ・クロラ』
「何か、いるものは?何か買っていこうか?」
「足りないのは、貴方だけ」
*
壊れてるんだろうな、と思った。
クリームがはみ出して、売れなくなったドーナッツと同じくらい、壊れている。
生まれつき壊れてる奴もいるし、意図的に壊れていく奴もいる。だいたい、どっちかだ。大差はない。
森博嗣『地球儀のスライス』
少しだけ伸びた彼女の髪形を犀川は気に入っていたが、それを口にしたことはなかった。ラッコが貝殻を割るために大切に持っている小石と同じで、そんな些細な沈黙が、犀川のプライドだったからである。
プライドで貝殻は割れないけれど……。
*
耳は暴洋に泳ぎ、瞳は星原に座す。
*
佐々木睦子は胸を張って歩いていった。彼女は、一度も振り返らなかった。それが、彼女のプライドなのだろう、と犀川は思う。
それが人間にしかない、一番大切なもの……。
一番大切な、幻想だ。
森博嗣『封印再度』
「西之園君ね、二乗したら2になる数字は?」犀川は突然質問した。
「ルート2でしょう?1.4142135……、もっと言いましょうか?」萌絵は答える。犀川も、彼女がこの手の数字を小数点以下百桁まで覚えていることを知っている。
「それだけ?」萌絵は犀川の言葉の意味がわからないようだ。
犀川は煙草を吸いながら、遠くを見ていた。萌絵が黙っているので、彼は振り向いて言う。
「マイナスルート2を忘れているよ」
*
いつもの三浦とは、まるで違っていた。彼の鋭い目は、怒りに燃えているようで、戦闘的だった。
これが、崇高な意志の目だ。
彼女は、自分の感情を一瞬で遮断した。
もう、自分の目に溜まっているものは、ただの水と同じだった。
*
「どうして、そんなに私のことがわかるの?」萌絵は目を開けた。「そんなに、わかるなら、どうして……?」
「君が言わないからだよ」犀川は、両サイドのウィンドウを下げる。「相手の思考を楽観的に期待している状況……これを、甘えている、というんだ。いいかい、気持ちなんて伝わらない。伝えたいものは、言葉で言いなさい。それが、どんなに難しくても、それ以外に方法はない」
*
犀川は考えた。
思い浮かんだ解答は、なかなか気の利いたフレーズで、彼はその構文を頭の中で三回組み直した。
だが、結局、犀川はそれを口にしなかった。
しゃべれば、意志は小さくなるからだ。
(たった今、君が突然言い出した、押しつけがましいお願いが、希望で……、僕がそれを断った、言葉では説明できない曖昧な理由……、それが夢だ)
森博嗣『詩的私的ジャック』
犀川は何を言ったのかよく覚えていなかった。たぶん、精神が忘却を強く望んだのだろう。
二人の女子学生は、犀川の芝居がかった台詞のどれが利いたのか不明だが、途中から、驚くほど明るい性格に変身して、後半は和やかな雰囲気になった。
彼女たち二人が部屋から出ていったときほど、嬉しかったことは最近の犀川にはなかった。
*
「実は、あの日、パーティーの後で、西之園君がキッチンでサンドイッチ……、のようなもの……を作ったんです。これは、僕の記憶が曖昧なのではありません。記憶は極めて鮮明ですが、彼女の作ったものが曖昧だった」
*
(彼女は、わざと解ける問題を出したのだろうか……)
おそらくそうだろう。
やけに、着替える時間も長いではないか。
なるほど、別の問題で、犀川を試しているのだ
それから、犀川は、さらに難しい、その問題に取り組んだ。
これは最高に難問だ。
(解けたことにしようか……、解けなかったことにしようか……)
それに……、負け方を考えることは、気の利いたジョークを思いつくよりも、遥かに難しいものだ。
*
「ねえ、外と中はどうやって決めるの?」
お爺さんは片目を瞑る。
そして、ベンチに戻って、腰を掛ける。
座るとき、白いベレー帽が地面に落ちた。
お爺さんの髪は真っ白だった。
「ねえ、どちらが中なの?」
少女がもう一度きく。
お爺さんは帽子を拾い上げてから、少女に言った。
「君が決めるんだ」
森博嗣『笑わない数学者』
どう考えても不思議だった。
国枝桃子が結婚する?いったい、誰と?
何のために?
国枝が、誰か他人と一緒に生活をするなんて、とても信じられない。
何が目的なのだろう?
森博嗣『冷たい密室と博士たち』
「どこにいるのかは問題ではありません。会いたいか、会いたくないか、それが距離を決めるのよ」
*
犀川は身震いがした。
恐ろしい光景、否、そうではない。
それは、光景ではない。
恐ろしいのは、その完璧なまでの精神。
そして、思想。
「完全になろうとする、不完全さだ……」犀川は呟いた。もしかしたら、英語でしゃべっていたかもしれない。
*
「僕の知っている範囲では、生まれてすぐ笑ったのは、ゾロアスターくらいでしょうね」
「よくご存知ね……。ゾロアスターが生まれたときには、賢者が七人いました。ブッダも泣かなかった。彼は生まれてすぐ七歩あるきました。7は孤独な数字ですね……孤独を知っている者は、泣きません」
*
「自分の人生を他人に干渉してもらいたい、それが、愛されたい、という言葉の意味ではありませんか?犀川先生……。自分の意志で生まれてくる生命はありません。他人の干渉によって死ぬというのは、自分の意志ではなく生まれたものの、本能的な欲求ではないでしょうか?」
*
テーブルの上に置かれた記念品は、四角いプラスチックの黄色いブロック……
それは、立派なおもちゃの兵隊になることを夢見た小さな孤独だった。
森博嗣『すべてがFになる』
ひとたび道化は死んだ。しかし、いま再び、思いもよらない方法で、まさに道化ならではの奇想天外なやり口で、彼はこの世によみがえってきたのだ。道化は死ぬ、しかし彼はまるでめぐり来る季節のように再生する。道化は不滅であり、その諧謔の精神は永遠であり、私たちの呼びかけに応じていつでも姿を現わすのだ――フェリーニはそう語りかけている。
フェリーニにならって、私もまた祭りと道化的精神の永生を信ずることにしよう。かつての祭りはたしかに死に、二度と還ってはこない。しかし、私たちの内なる祭りの精神が生きている限り、それはまた新たな姿でよみがえってくるだろう。この世は、まだまだ生きるに充分値するだけ、面白い刺激的な事象にみちみちているのであり、私たちはこの世をさらに面白く生き生きしたものにしていかなければならないのだ。
*
寺山修司は決して何事かを確実にやり終えた人物ではなかった。逆に彼は、なし遂げようもないほど大きなものを構想し、めまぐるしいまでに戦略を変え、自分をも変化させながら、挑みつづけ、破天荒な未完成の過程のまま倒れた。演劇の大きな構想力があまり見られなくなってしまった現在、寺山修司の未完の挑戦はなおも私たちを刺激してやまない。
扇田昭彦『世界は喜劇に傾斜する』
「何故やめてしまったんですか?僕らなら、どんな意気地ない奴でも、喉から血が出るまでは、叫ぶんですよ」
宮沢賢治『セロ弾きのゴーシェ』
「僕はもうあのさそりのように、本当にみんなの幸いのためならば、僕の身体なんか百ぺん灼いてもかまわない」
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
竹宮こずえは、キャンプ・ファイヤーの炎を思い出していた。あのときの炎が、ミカエラ学園の炎上につながっていたことは、考えもしないことであった。小さな炎を軽蔑していた自分をこずえは恥じていた。
青池久美が、美村亜維子に尋ねた。
「亜維子、これから、どこへ行くの」
美村亜維子は言った。
「世界中の神を殺しに……」
高取英『聖ミカエラ学園漂流記』
最悪の場合、脚を切断することになりかねない攻撃を、まったく悪意のない相手に与えると言うのは、控えめに言っても野蛮な行為だ。
だが、ジントは心の葛藤にすばやく決着をつけた。
「しょうがないよ」ぱちんと指を鳴らして、「運以外は何も悪くないのに、悲惨な目にあった人が今までいなかったわけじゃない」
*
「撃つんじゃないよ、ラフィール」彼は小声でささやいた。
「当たり前であろ」と心外そうに、「無抵抗の者を撃つつもりはない」
「そりゃよかった」
「けれど、ほんのちょっと――抵抗してくれるのを期待している」
「白状すると、ぼくもだ」
森岡博之『星界の紋章U ささやかな戦い』
「そなた前に、自分が死んだあと誰が思い出して悲しむだろうとか何とかいっていたな」ラフィールは急に話題を変えた。
「うん?ああ」どうやらアトスリュアとの晩餐に臨む前の会話のことを指しているらしいと気づいて、ジントはこたえた。
「わたしが悲しむ」透明面頬ごしに漆黒の双眸が真剣な色を湛えていた。「それでは不足か?」
森岡博之『星界の戦旗T 絆のかたち』
「アブリアルは泣かないんじゃなかったの」耳元でジントが囁いた。「ぼくの可愛い殿下」
「ばか」
森岡博之『星界の戦旗U 守るべきもの』
「……お兄様、お兄様、お兄様、お兄様……お兄様のお手にかかって死んだあたしです。そうして生き返っているあたしです。お兄様よりほかにお頼りする方は一人もない可哀そうな妹です。一人ポッチでここにいる……お兄様はあたしをお忘れになったのですか……」
*
「お兄様が返事をしてくだされば……あたしの言うことがホントのことになるのです。あたしを思い出してくだされば、あたしも……お兄様も、精神病患者ではないことがわかるのです……タッタ一言……タッタ一コト……御返事をして下されば……モヨコと……あたしの名前を呼んで下されば……ああ……お兄様、お兄様、お兄様、お兄様、お兄様……ああ……あたしは、もう声が……目が……暗くなって……」
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「お兄様、お兄様、お兄様、お兄様、お兄様。あんまりです、あんまりです、あんまりです、あんまりです、あんまりです、あんまりです……」
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「お兄様、お兄様、お兄様。あたしはあなたのものです。あなたのものです。早く……早く、お兄様の手に抱き取って……」
夢野久作『ドグラ・マグラ』
「ね、また会えた。お別れしても、また会えたなら、それでチャラよ。いつまでも、一緒の世界に、あたしたちはいるのよ」
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ふと、僕は言うべき言葉を思い出した。
屍になっても、美しい僕の詠子に、言った。
「やあ、また会えたな。少しの間、俺たちは別れていたけど、また会えたから、これでチャラだよな」
その時、詠子が微笑んだように見えたのは、動き回る眼球と舌先が、笑顔状に一瞬バランスを保っただけのことだろう。
僕は続けて言った。
「ありがとう。ごめんな。大好きだ」
大槻ケンヂ『ステーシー 少女ゾンビ再殺談』